第14話 強襲——または、法による執行について
払暁。
空がようやく白み始めた頃、聖司は貴族街の一角に立っていた。
目の前には、優雅な石造りの屋敷。
「王国法務審議委員会分室」。
一見すると、ただの上流階級の書斎だ。庭には手入れされた薔薇が咲き、窓には繊細なレースのカーテンがかかっている。
だが、聖司は知っている。
この優雅な外観の裏に、既得権益の闘が詰まった「文書の墓場」があることを。
「準備はいいか」
エドワルドが、低い声で言った。
彼の手には、羊皮紙が握られている。
王国法務大臣の署名と、王立裁判所の印章が押された「捜索差押令状」。
昨夜、聖司の告訴状を根拠に、緊急発付されたものだ。
「いい。——衛兵たちは」
「後ろにいる。だが……」
エドワルドが、苦い顔をした。
「期待しないでくれ。彼らは、命令で動いているだけだ。ギルバート派の報復を恐れている」
聖司は、後ろを振り返った。
十人ほどの衛兵が、やる気のない顔で立っている。
その中には、昨日の隊長補佐バルカスの姿もあった。
聖司と目が合うと、バルカスは露骨に顔を背けた。
「……使えるか、あいつらは」
「使うしかない。正式な捜索には、衛兵の立ち会いが必要だ」
バルザックが、剣の柄に手をかけた。
「いざとなったら、俺が動く」
「頼む。——だが、暴力は最後の手段だ。今日は『法』で戦う」
聖司は、分室の門の前に立った。
深呼吸をする。
そして——
ドン、ドン、ドン。
門を叩いた。
「開門。王国刑罰執行法第128条に基づき、これより捜索および差押を執り行う」
しばらく、反応がなかった。
聖司は、再び門を叩いた。
「開門しなければ、強制的に突入する。王国刑罰執行法第129条。『執行官の呼びかけに応じない場合、必要な強制措置を講じることができる』」
ようやく、門が開いた。
青ざめた顔の書記官が、震える声で言った。
「な、何事ですか……こんな早朝に……」
「捜索差押令状だ。読め」
聖司は、令状を書記官の目の前に突きつけた。
「ここに記載された範囲内において、文書、帳簿、その他の証拠物を捜索し、差し押さえる権限が与えられている。——妨害すれば、公務執行妨害で現行犯逮捕する」
書記官の顔が、さらに青くなった。
「……お、お待ちください。責任者に連絡を——」
「待たない。令状の執行に、相手方の許可は不要だ」
聖司は、衛兵たちに向かって言った。
「突入しろ。捜索開始だ」
分室の内部は、予想通りだった。
廊下には高価な絨毯が敷かれ、壁には絵画が飾られている。
だが、聖司が目指したのは、奥にある書庫だった。
「ここか」
重い扉を開けると、薄暗い空間が広がっていた。
天井まで届く書架。そこに、無数の文書が収められている。
衛兵たちが、げんなりとした顔をした。
「……こんなの、全部調べるのか」
「当たり前だ。令状に記載された範囲は、『法務審議委員会に関連する全ての文書』だ」
「だが、何を探せばいいのか——」
「それは俺が指示する。お前たちは、俺の言う通りに動け」
衛兵の一人が、不満そうに言った。
「ただの紙の束だろ。こんなもの、どれも同じに見える」
聖司は、その衛兵を睨んだ。
「ただの紙の束?」
「そうだろ。紙に文字が書いてあるだけだ」
「……いいか、よく聞け」
聖司は、書架から一冊の帳簿を取り出した。
「この帳簿には、過去十年間の『法務審議委員会』の収支が記録されている。表向きは、合法的な運営費だ。だが、この中に——」
聖司は、ページをめくった。
「——不自然な支出がある。『調査費』『研究費』『渉外費』。名目は曖昧だが、金額は巨額だ。この金が、どこに流れたか分かるか」
「……」
「ギルバートの私腹だ。あるいは、政敵への賄賂。反対派の口封じ。——この『ただの紙の束』が、それを証明する」
聖司は、帳簿を衛兵に突きつけた。
「紙一枚に、人の運命を変える力がある。それを軽んじる奴は、法を軽んじているのと同じだ」
衛兵たちは、黙り込んだ。
捜索が始まった。
だが、衛兵たちの動きは鈍かった。
書架を適当に眺め、「何もない」と報告する。明らかに、手を抜いている。
聖司は、それを見て取った。
「……やはり、自分でやるしかないか」
聖司は、書庫の奥へと進んだ。
書架を一つ一つ確認していく。
帳簿の背表紙。保存年度。分類番号。
行政書士として、二十年以上、書類と向き合ってきた。
その経験が、今、役に立つ。
「……おかしいな」
聖司が、足を止めた。
「どうした」
バルザックが、近づいてきた。
「この書架。保存年度が飛んでいる」
「飛んでいる?」
「見ろ。ここには、『第112期』から『第115期』までの帳簿がある。だが、『第113期』だけがない」
聖司は、空いた棚を指差した。
「一年分の帳簿が、丸ごと欠落している。偶然じゃない。意図的に隠されている」
「どこに隠した」
「それを探す」
聖司は、周囲を見回した。
書庫の構造を、頭の中で再構築する。
壁の厚さ。棚の配置。床の材質。
そして——
「あそこだ」
聖司が指差したのは、書庫の隅にある古い書架だった。
他の書架より、わずかに壁から離れている。
「バルザック、あの書架を動かせ」
「了解」
バルザックが、書架に手をかけた。
ギギギ……と、重い音を立てて、書架が動く。
その裏に——
「……あった」
壁に、小さな扉が隠されていた。
聖司は、扉を開けた。
中には、木箱が一つ。
そして、その中に——帳簿の束が収められていた。
「第113期の帳簿……いや、違う。これは——」
聖司は、帳簿を開いた。
表紙には、『第113期収支報告書』と書かれている。
だが、中身は——
「二重帳簿だ」
表向きの帳簿とは、全く異なる数字が並んでいた。
裏金の流れ。賄賂の記録。暗殺の依頼料。
全てが、ここに記録されていた。
その時——
「何をしている!」
怒声が響いた。
振り返ると、数人の書記官が書庫に駆け込んできた。
その手には——松明が握られていた。
「燃やせ! 全部燃やせ!」
書記官たちが、書架に向かって松明を振りかざした。
証拠隠滅だ。
「させるか!」
バルザックが、飛び出した。
剣を抜き、書記官たちの前に立ちはだかる。
「それ以上動くな!」
「どけ! これは我々の——」
「『証拠隠滅』だ」
聖司が、冷たい声で言った。
「王国刑法第104条。『刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、または変造した者は、三年以下の禁固に処する』」
書記官たちの動きが、止まった。
「お前たちは今、『現行犯』だ。令状に基づく捜索を妨害し、証拠を隠滅しようとした。——これは、言い逃れできない」
聖司は、衛兵たちに向かって叫んだ。
「衛兵! この者たちを拘束しろ! 証拠隠滅の現行犯だ!」
衛兵たちは、一瞬、躊躇した。
だが、バルカスが——意外にも——命令を出した。
「……拘束しろ。命令だ」
衛兵たちが、書記官たちを取り押さえた。
松明が、床に落ちる。
バルザックが、素早く踏み消した。
書庫に、静寂が戻った。
聖司は、二重帳簿を手に取った。
そして、羊皮紙とペンを取り出した。
「何を書く」
バルザックが聞いた。
「差押目録だ」
聖司は、淡々と書き始めた。
『差押目録
差押執行日:本年9月18日
差押場所:王国法務審議委員会分室・書庫
差押執行者:法務大臣エドワルド・フォン・シュタインベルク
立会人:湊聖司(行政書士)
差押物品:
一、第113期収支報告書(二重帳簿) 一冊
二、関連する領収書控え 約二百枚
三、筆耕依頼書 十二通
四、ギルバート家宛書簡 八通
五、その他関連文書 一式
以上の物品を、王国刑事訴訟法第222条に基づき、正式に差し押さえる。』
聖司は、目録に署名した。
そして、バルカスに差し出した。
「お前も署名しろ。立会人として」
バルカスは、しばらく目録を見つめていた。
やがて、ため息をついて、署名した。
「……これで、俺も共犯か」
「共犯じゃない。職務を遂行しただけだ」
聖司は、目録を懐にしまった。
「この一枚が受理された時、あんたたちの『聖域』はただの犯罪現場になったんだ」
分室を出ると、朝日が昇っていた。
エドワルドが、聖司に近づいてきた。
「成果は」
「これだ」
聖司は、二重帳簿を見せた。
「ギルバート本人に繋がる、裏の取引記録。——外堀は埋まりました」
エドワルドの目が、光った。
「よくやった。これで——」
「次は、いよいよ本丸です」
聖司は、静かに言った。
「弾劾裁判。ギルバートを、法の前に引きずり出す」
エドワルドは、頷いた。
だが、その表情には、どこか影があった。
「……一つ、気になることがある」
「何だ」
「ギルバートは、ただの老獪な政治家ではない。追い詰められた時、彼が何をするか——」
エドワルドは、空を見上げた。
「王国には、古い特権がある。『大貴族不可侵令』。建国期に制定された、古の法だ」
「不可侵令?」
「大貴族は、国王以外の何者にも裁かれない——という特権だ。形骸化していると思われていたが、条文は廃止されていない」
聖司の目が、鋭くなった。
「つまり、ギルバートがその特権を持ち出せば——」
「弾劾裁判そのものが、無効になる可能性がある」
沈黙が流れた。
聖司は、拳を握りしめた。
「……法は、それを知る者の味方ではない。それを利用する者の味方だ」
「何?」
「俺が言った言葉だ。だが、今、その言葉が——自分に返ってきた」
聖司は、王城の方角を見た。
「ギルバートは、俺と同じことをしようとしている。古い法を持ち出して、自分を守ろうとしている」
「どうする」
「……調べる。その『大貴族不可侵令』を。必ず、穴があるはずだ」
法による強制執行は、いかなる魔法よりも確実に、相手の急所を抉り出す。
だが、相手もまた——法を武器にしようとしている。
条文の戦争は、まだ終わらない。
第14話 完
次回予告
第15話「不可侵——または、古の特権について」
「『大貴族不可侵令』。この特権がある限り、私を裁くことはできない」
「その特権、本当に有効か確かめたのか」
「何を言っている。八百年前から、一度も覆されたことのない絶対の法だ」
「八百年前——か。面白い。その時代の法を、俺は知っている」
——古の特権と、古の法。
聖司は、歴史の闇に眠る「条文」を掘り起こす。




