第13話 告訴——または、反撃の狼煙について
夜明け前。
聖司は、宿舎の机に向かっていた。
蝋燭の灯りが、羊皮紙の上で揺れている。
一睡もしていない。だが、眠気はなかった。
手元には、刺客から得た自白調書。記録魔石の複写データ。ギルバート家の紋章が刻まれた金属片。
全ての証拠を精査し、法的な論理構成を組み立て、告訴状の最終稿を書き上げる。
ペンが、羊皮紙の上を走る。
一字一句、隙のない文章。
これは、ただの書類ではない。
反撃の狼煙だ。
『告訴状
告訴人:湊聖司(行政書士、魔王軍公認アドバイザー)
被告訴人:ハルド・フォン・ギルバート(貴族院法務顧問)
罪名:殺人教唆(王国刑法第199条)、共謀教唆(王国刑法第60条)、公務執行妨害(王国刑法第95条)
犯罪事実の要旨:
被告訴人は、王国憲法改正草案の策定作業を妨害する目的をもって、氏名不詳の刺客三名に対し、告訴人の殺害を教唆した。刺客らは、本年9月12日深夜、王都北区の宿舎において、告訴人に対し殺傷行為を実行したが、告訴人の護衛により未遂に終わった。
証拠:
一、刺客の自白調書(別紙1)
二、記録魔石による映像・音声記録(別紙2)
三、ギルバート家紋章入り金属片(現物)
四、刺客に支払われたギルバート家紋章入り金貨(現物)
以上の証拠に基づき、被告訴人に対する厳正な捜査と処罰を求める。』
最後の一文を書き終え、聖司はペンを置いた。
窓の外が、白み始めていた。
朝。
聖司は、バルザックと共に宿舎を出た。
向かう先は、王国衛兵総局。
王都の治安を司る最高機関だ。
「先生」
バルザックが、低い声で言った。
「あそこは、ギルバート派の牙城だ。総局長も、幹部連中も、ほとんどがギルバートの息がかかっている」
「知っている」
「告訴状を出しても、握りつぶされる可能性が高い」
「だからこそ、完璧な書類を用意した」
聖司は、鞄を軽く叩いた。
「法的に瑕疵のない告訴状を、正式な手続きで提出する。それを拒否すれば、拒否した側が法的責任を負う。——それが、行政手続きの力だ」
バルザックは、複雑な表情で聖司を見た。
「……本当に、書類だけで戦えると思ってるのか」
「思ってる。——いや、戦わせてみせる」
王国衛兵総局は、王都の中心部にあった。
巨大な石造りの建物。正面には、王国の紋章が掲げられている。
だが、聖司が最初に感じたのは——威圧感だった。
入口から受付までの距離が、異様に長い。
天井が高く、足音が響く。
壁には、歴代の総局長の肖像画が並んでいる。
全てが、訪問者を萎縮させるために設計されている。
「……意図的だな」
聖司が呟いた。
「何が」
「この構造。一般市民が告訴や相談に来た時、威圧感で諦めさせるようにできている」
長い待機列。曖昧な案内板。そして、受付に座る役人たちの、鷹揚な態度。
官僚主義の伏魔殿。
だが、聖司は怯まなかった。
待機列を無視し、真っ直ぐに受付へ向かう。
「おい、列に並べ!」
後ろから怒声が飛んだ。だが、聖司は構わなかった。
受付の役人が、不快そうな顔で聖司を見た。
「何の用だ」
「告訴状の提出だ」
「告訴? それなら、まず『相談窓口』で予約を——」
「予約は不要だ。王国刑事訴訟法第230条。『告訴は、書面または口頭で、検察官または司法警察職員に対してすることができる』。予約の規定はない」
役人の顔が、わずかに強張った。
その時、
奥から、一人の男が現れた。
四十代半ば。鋭い目つき。衛兵隊の制服を着ているが、階級章は高い。
「何事だ」
「隊長補佐。この者が、告訴状を提出したいと……」
「告訴状?」
男——バルカスは、聖司を値踏みするように見た。
「お前が、噂の『行政書士』か」
「そうだ」
「被告訴人は誰だ」
「ハルド・フォン・ギルバート」
バルカスの目が、一瞬だけ揺らいだ。
だが、すぐに冷笑を浮かべた。
「……なるほど。大物を狙ったものだな」
「大物かどうかは関係ない。犯罪者は、犯罪者だ」
「見せろ。その告訴状を」
聖司は、告訴状を差し出した。
バルカスは、それを受け取り、ゆっくりと目を通した。
そして——
「受理できないな」
「理由は」
「まず、書式が旧式だ。三年前に改訂された新書式を使用していない」
聖司は、眉を上げた。
「書式の変更は、王国刑事訴訟規則の改正を伴う。だが、規則改正の官報告示を確認したところ、新書式は『推奨』であり『義務』ではない。旧書式での提出も、依然として有効だ」
バルカスの目が、鋭くなった。
「……ならば、別の問題がある。立証責任者の署名捺印が、特定の様式を満たしていない」
「どの様式だ」
「衛兵総局内規第47条。『告訴状には、告訴人の署名、捺印、および身分証明書の写しを添付しなければならない』」
「添付してある。確認しろ」
バルカスは、書類をめくった。
確かに、全て揃っている。
「……『記録魔石』の保管チェーンに疑義がある」
「何が疑義だ」
「この魔石が、改竄されていないという証明がない。証拠としての信頼性に欠ける」
聖司は、静かに言った。
「記録魔石は、起動時に『封印術式』が自動的に付与される。封印術式は、王国魔法庁の認証を受けた標準規格だ。改竄があれば、封印が破損する。封印は無傷だ。確認しろ」
バルカスの顔に、苛立ちが浮かんだ。
彼は、明らかに時間を稼いでいる。
聖司を諦めさせるか、あるいは上層部からの「指示」を待っているのだ。
「他にも問題がある。証拠品の『紋章入り金属片』だが、これがギルバート家のものであるという鑑定書がない」
「鑑定は、捜査機関の仕事だ。告訴人の義務ではない」
「しかし——」
「もういい」
聖司は、一歩前に出た。
「お前が何を言おうとしているか、分かっている。受理を拒否したいんだろう」
「……」
「だが、それはできない。『王国行政手続法第7条』を知っているか」
バルカスの目が、わずかに揺らいだ。
「『受理義務』だ」
聖司は、静かに、しかし力強く言った。
「行政手続法第7条。『行政機関は、法令に定める要件を満たした申請または届出を受けた場合、これを受理しなければならない』。これが、『受理義務』の原則だ」
「……」
「俺の告訴状は、王国刑事訴訟法の定める全ての要件を満たしている。お前が指摘した『不備』は、全て『推奨事項』であり『必須要件』ではない。つまり、お前には受理を拒否する法的根拠がない」
バルカスの顔が、歪んだ。
「そして、もう一つ」
聖司は、続けた。
「行政手続法第8条。『行政機関の職員が、正当な理由なく申請または届出の受理を拒否した場合、当該職員は職務懈怠の責任を負う』。これが、『不作為』の責任だ」
「……何が言いたい」
「お前がこの告訴状の受理を拒否すれば、お前自身が『職務懈怠』で処分される。さらに、告訴の対象である『殺人教唆』の隠蔽に加担したとみなされれば、『共謀教唆』の共犯として訴追される可能性もある」
バルカスの顔から、血の気が引いた。
「お前は今、ギルバートへの忠誠心と、自分の身の安全を天秤にかけている。——だが、よく考えろ。ギルバートが失脚すれば、お前を守る者は誰もいなくなる。お前は、切り捨てられる」
沈黙が、受付を支配した。
周囲の役人たちも、固唾を呑んで見守っている。
「それでも受理を拒否するなら、俺はこの件を直接『王立法務院』に持ち込む。王立法務院は、衛兵総局の上位機関だ。そこで、お前の『職務懈怠』と『共謀教唆』を併せて告発する」
聖司は、バルカスの目を真っ直ぐに見た。
「選べ。受理するか、しないか」
長い沈黙が流れた。
バルカスの額に、汗が滲んでいる。
彼の目が、泳いでいた。
ギルバートへの忠誠。自分の地位。家族。将来。
全てが、天秤の上で揺れている。
やがて——
バルカスは、深くため息をついた。
「……受理印を」
部下の役人が、震える手で印を差し出した。
バルカスは、それを受け取った。
そして——
ゴン。
告訴状に、受理印が押された。
その瞬間、聖司の心臓が、大きく鳴った。
「受理番号を発行しろ」
「……は、はい」
役人が、慌てて番号を書き込んだ。
聖司は、受理済みの告訴状の写しを受け取った。
「確かに受け取った」
そして、バルカスを見た。
「これで、お前たちの犯罪は、王国法の俎上に乗った」
「……」
「書類が受理された瞬間、法という名の機械が、あんたたちを粉砕するために動き出すんだ」
聖司は、踵を返した。
「行くぞ、バルザック」
衛兵総局を出ると、朝の光が眩しかった。
バルザックは、信じられないという顔で聖司を見た。
「本当に……やったのか」
「ああ」
「受理させた。ギルバートへの告訴状を、あいつらに受理させた」
「そうだ」
バルザックは、しばらく黙っていた。
やがて、低い声で笑った。
「……お前、本当にとんでもない奴だな」
「褒め言葉として受け取っておく」
「褒めてるさ。——俺は軍にいた頃、何度もああいう連中と戦った。だが、いつも『力』でねじ伏せるしかなかった」
「……」
「だが、お前は違う。『書類』で、あいつらを追い詰めた。『法律』で、あいつらの逃げ道を塞いだ。——正直、震えたぜ」
聖司は、空を見上げた。
青い空に、白い雲が流れている。
「……まだ、始まったばかりだ」
「ああ?」
「告訴状が受理されただけだ。これから捜査が始まり、起訴されるかどうかが決まる。ギルバートは必ず抵抗してくる。政治的な圧力をかけ、証拠を隠滅し、証人を脅迫する」
「……」
「だが、俺たちは一歩前に進んだ。狼煙は上がった。——あとは、この火を絶やさないことだ」
聖司は、歩き出した。
「エドワルドのところに行く。次の手を打たなければ」
反撃の狼煙が、王都の空に立ち上った。
第13話 完
次回予告
第14話「包囲——または、政治の海について」
「ギルバートが反撃に出た。貴族院で、君の『資格剥奪』動議が提出される」
「資格剥奪? 俺は法に従って告訴しただけだ」
「それが、『政治』だ。法だけでは、この世界は動かない」
——告訴状の受理は、新たな戦いの始まりに過ぎなかった。
聖司は、法と政治の狭間で、次なる一手を模索する。




