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『捨てられた男は、まだ終わらないと思っている』

ーーー野村 海人視点ーーー


計画なんて、大層なものじゃなかった。


あいつの生活リズムは、俺の頭の中に全部入っている。


朝、何時に家を出るか。

どの道を通るか。

雨の日に、少しだけ歩くのが遅くなること。


愛してたんだから、当然だろ。


俺は「準備」をしているつもりだった。


服を洗って、髭を剃って、頭を整理する。

あいつに会うんだ。


ちゃんとした格好で行かないと失礼だ。


この日、天気は最悪だった。


空が低くて、湿っていて、世界全体が不機嫌そうだった。


でも俺の気分は、不思議なくらい落ち着いていた。


やっとだ、と思った。


長い間、探して、待って、壊れて、

それでも辿り着いた答えが、今日、形になる。



――二人きりになればいい。



それだけ。


あいつを見つけた瞬間、胸が痛くなった。


痩せた。


前より少し、疲れているように見える。

俺のせいだ。


俺がちゃんと手を繋ぎ止めてなかったから、

あいつはこんな顔をしている。


「……やっぱり、俺が必要なんだな」


独り言が、自然と零れた。


声をかけるタイミングを、少しだけ待つ。


驚かせたくない。

怖がらせたくない。



――そう思っていた。



でも、あいつが振り向いた瞬間。


その目に浮かんだのは、

安堵でも、懐かしさでもなく、はっきりした恐怖だった。



ああ。



その瞬間、何かが完全に壊れた。


「……どうして、そんな顔するんだよ」




俺は笑おうとした。


うまくできなかった。


あいつは後ずさり、何かを言おうと口を開いた。

たぶん、「やめて」だ。

でも、それ以上聞けなかった。


周囲の音が遠のく。

雨の音も、車の音も、

全部、背景に溶けていく。


残ったのは、

あいつが震えている姿と、

胸の奥から湧き上がる、耐え難い感情だけだった。


怖がらせたくなかった。


傷つけたくなかった。


ただ、

離れてほしくなかった。



その一点だけが、頭を占領する。


誰かの声が聞こえた気がする。


遠くで、何かが叫ばれていた。


腕を掴まれた感覚も、あったような、なかったような。


でも俺の意識は、あいつだけに向いていた。


「大丈夫だって」


必死に言葉を探す。


「全部、俺が悪かった。だから――」


最後まで言えなかった。


世界が、急に現実を取り戻したからだ。


気づいたとき、俺は地面に押さえつけられていた。


手が震えている。

服が濡れている。


視界の端で、あいつが誰かに囲まれているのが見えた。

あいつは、俺を見なかった。


その事実が、何よりも痛かった。


後で「事件」と呼ばれることになる出来事は、

俺の中では、ただの失敗だった。


やり直せると思っていた。


分かり合えると思っていた。


でも世界は、それを許さなかった。


「危険人物」

「執着」

「恐怖」


そんな言葉が、俺の名前の代わりに使われるようになった。


留置室の天井を見ながら、俺は考える。




どこで間違えた?




……いや、違う。


間違えたんじゃない。


あいつが、俺を最後まで理解しなかっただけだ。


そう思わないと、

この胸の空洞に、耐えられなかった。


「花」


誰もいない空間で、あいつの名前を呼ぶ。


「次は、ちゃんと話そう」


声は、壁に吸い込まれて消えた。


それでも俺は信じている。





この物語は、

まだ終わっていないと。

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