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神饌の戴冠者Ⅰ・Ⅱ  作者: 綴咎
第一章 東の街リトス
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1新き仲間


 野を走る夢を見る。

 鼻を擽るのはパンの焼けた匂い。キャラキャラと喉を鳴らして笑う子どもの声。それから脇腹を小突かれるような感触と視界に広がる西洋風の台所。視界の主は、小突かれた方向を見て犯人である赤毛の少女にやり返す。それに何か言葉にしながら笑った赤毛の少女は手に持った濡れた皿を拭き、それを机の上へと置くと布巾を近場に置いて両手を差し伸ばしてくる。

 突然感じたのは冷たさ。

 それに思わず肩が跳ねる。そしてやり返しと言うように視点の主は濡れた手で水滴を赤髪の少女へと弾き飛ばした。


 赤髪の少女が笑う。

 頬を膨らませてそれからガバリとじゃれつくように身を投げる。


 それに視点主は慌ててその体を受け止める。

 くすくす、コロコロ、喉を鳴らして笑いあう。そこに誰かが来る。大きな大人、優しい目つきで微笑みながら困ったように二人の名前を呼ぶ。ゴツゴツとした掌が優しく二人の頭を撫でる。


 一転。


 視界に映るのは鎧を着た赤髪の少女。

 見たこともないほどの切長の目で、バサバサのまつ毛に彩られた冷めた黄金の瞳が視点主を……メアリーを見る。その瞳にはもう友愛も親愛もない。ただただ敵を見るように、ただただ憎しみを向けるように強く強くメアリーを見る。


 赤毛の少女の名はラン。

 ラン・アジェンダ。いつか遠く鶯鳴が奪ったメアリーの親友。


 ああ、帰りたい。


 メアリーはその情景を前にそんな感情を露わにする。

 どこにとは言えない。言えない、知らない。知り得ない。けれど確かに、確かにメアリーは感じていた。


 ああ、帰りたい。

 帰りたいと。


「……リー、メアリー」


 呼び声が聞こえた。

 重たい瞼をメアリーはゆっくりと瞬かせてから持ち上げる。そこに映ったのは心配そうにこちらを見るへロスの姿であった。

 メアリーは寝台に横たわっていた。気がつけばいつの間にか寝ていたのだろう。目の前のへロスに今までの旅路の話をして、それからの記憶はない。誰かが、ローランドあたりが運んでくれたのか、それでは後で礼を言わなければならない。


 そう思って体を持ち上げる。


 上半身を起こし自身を起こしたと思われるへロスに向き合って「何?」と言おうとした時、視界が嫌にぼやけていることに気がついた。

 メアリーは何も言わずそっと指先の腹で頬を拭う。冷たい感触が皮膚を通って脳へと伝達させる。これは涙だ。それを理解する頃には頭が混乱していた。


「大丈夫か?」


 皆が寝静まったからだろう。

 声を潜ませて言ったへロスにメアリーは頷くことで答えた。

 答えたが、全然大丈夫ではないことなど一眼見れば理解できる。


「少し、外にでも出るか?気が晴れるだろう」


 メアリーは溢れ続ける涙を前に結局どうすればいいかわからず、勧められるままバルコニーに続く扉を開き、星空が輝く夜の外界へと身を向けた。

 外はそれなりに寒かった。

 震えるほどではない。ただ異様に暗いわけでもない。仄かな光が天上空降り注いで安らぎの闇を与える。備え付けられた椅子を引き、涙が溢れるままメアリーはそこに腰を下ろした。

 へロスも同様に向かい側にある椅子に腰掛ける。しばらく沈黙が続いた後、へロスはなんてことのないように「貴殿らの旅路は大変だったらしいな」と先ほどまで語っていた旅の話の感想を伝えた。


「大変。大変だった。だけど、それ以上に得たものもあった」

「それはなんだ?」

「出会いだ。沢山のヒトと、それこそただ生きているだけでは会えないだろうヒトと出会った」


 ゆるく肯定したメアリーは瞼を閉じて今まで出会ってきたヒトを思い出す。シモン、ギャビン、コネクター、ジョセフ、アーテニーにアンジェリカ、フロンにローランド、ブルゴーニュ、シャルル、ジャック、ネフレン、そしてアリオストロ。

 そして今まで生きてきた孤児院での友だったランにオーガッシュ先生。


 良い思い出も、悪い思い出もある。

 そしていつの間にか忘れてしまった大切なものもあった。


「へロスさん」

「なんだ」

「もし、自分が知らないうちに罪を犯していたらどうすればいい?」


 風が頬を撫でる。

 へロスにではなく、夜空に視線を向けたまま聞くメアリーにへロスは一度口を閉ざしてから、迷うように「それは難しい問いだ」と言った。

 それもそうか、メアリーはそう単純に納得する。

 そして答えが得られると期待したことに裏切られた失意に打ちひしがれるような気分になる。


 もしこの世界に教会があって、セウズ神ではな神がいたとしたら、メアリーはきっと懺悔室へと逃げていただろう。

 殺してはならないヒトを殺しましたと、メアリーというただの少女の人生を奪った。今更罪悪感に気がつきましたと、そう言って縋り泣きついていただろう。


 ラントの邂逅でメアリーは己の罪を浮き彫りにされた。

 そしてその罪から逃れるように他のことを思考して、そして今日まで引きずり続けてきた。己の中で答えを出せないまま、意味を見出せないまま、ただただメアリーという純粋な少女を鶯鳴という思考によって汚し、かつての友を傷つけたことを知りながら、意識せずに生きてきた。


 それが今日の夢に繋がった。

 平凡な生活、平穏な生活、鶯鳴が忌避し、メアリーが望んでいた世界。


 メアリーの思考を鶯鳴が乗っ取らなければ続いただろう平穏は、メアリーの手で、言い換えれば鶯鳴の思考で切り裂かれた。

 当初は何も思わなかった。それがどれほど酷なことなのか、他人がどう思うかなんて無視して、無視できて、だからこそ自分本位に動けた。でも今になってそれは変わった。とんと理解できなかったものが、落ち着いたからか、それとも時間が過ぎたからか腑に落ちるように理解できてしまった。


 そうしてやっとメアリーは今になって己の内に横たわる罪に気がついてしまったのだ。


 そうして暗くなるメアリーにへロスは吟味しながら言葉を選びとる。


「ヒトの罪はヒトの内側から生まれる」


 メアリーはその言葉に目を丸くさせた。

 意味がわからなかった。それがどう言う意味なのか、理解ができなかったのだ。


「だが、罰は違う。罰はヒトの外側から与えられるものだ」


 黒色の瞳がメアリーを捉える。

 ソレにたじろぎながら、メアリーは「じゃあ、私はどうすればよかったの?」と小さく零した。


 どうすればよかったのだろうか、鶯鳴の記憶に苛まされていた時はどうすればよかったのか。

 どうすればよかったのだろうか、鶯鳴の記憶を持ち罪悪感と倫理観を失ってしまったときにはどうすればよかったのだろうか。

 どうすればよかったのだろうか、今更になって忘れていた罪悪感と倫理観を身につけてしまったときはどうすればよかったのだろうか。


 どうしようもない疑問が胸中に浮かぶ。

 途方もない疑問が心を暗くする。それに答えを見つけられないメアリーはどうすればいいのかわからなかった。


「正しい答えなど誰も持っていない、ならばこそ、己を許せる方法を迷いながら探すしかないのだ」


 そうして伏せるメアリーにそう言葉をかけたへロスは苦笑いを浮かべた。

 それは迷子の子どもを見るような、哀れな子どもを見るような同情とも憐憫ともとれる表情。そして労りを向けるような、優しい眼差しでもあった。


「何でもいい。自分を許せる方法を探せばいい。仲間に話すことでも、行動で示すことでも、様々な方法がある。迷え、迷って迷って、その最果てにいつか辿り着ければいい。今を生き急ぐ理由はどこにもない」


 メアリーの小さな頭をゴツゴツとしたへロスの掌が撫でる。

 それを享受しながら、メアリーはかつての記憶に浸った。美しい日常。何も知らなかった、知る必要のない世界。楽園から自ら遠ざかった己の愚かな行いと、友を裏切ったことへの罪を今度こそ忘れないように涙を零しながらメアリーは下唇を噛み締める。


「そろそろ体が冷えるだろう。部屋に戻ろう」


 いつか、いつか言えるのだろうか、己の罪を、己の過ちを、それを告解することが、できるのだろうか。

 メアリーは亡霊のように立ち上がる。己の罪を抱えながら、確かに生きるために呆然と漠然と共に夜の終わりを待つことにした。

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