2神の呼び声
メアリーが最初に思ったのはまるでジャンヌ・ダルクのようだなと言う感想だった。
ジャンヌ・ダルク。フランスとイギリスの間で起きた百年戦争。そこで誕生した神の声を聞き前線で旗を振り続けた少女と言う英雄。
「誰の声でもないんです。それは時々しゃがれた声の人、または女の人だったり、男の人だったり、子どもの声だったりして」
そう言うランは焦燥した声で縋り泣くようオーガッシュのキトンを握りしめた。
神の声。だろうな。そんな漠然とした結論がメアリーの中で収束していく。それと同時に複雑な感情の波が心を揺らしてたまらなかった。それは心配とか羨望とかではない、もっと仄暗く、悪い感情であった。
神。その言葉はメアリーにとって……いや、鶯鳴にとって心という地面を穿つほどの並々ならない衝動を引き起こす忌々しいものであった。
なにも無神論者であるからの憎しみではない。ただ鶯鳴にとって、それは果てしなく遠い目標であった。
メアリーは鶯鳴だったときの記憶を必死に遡る。ところどころが朧げで、どこか無視ぐい状態な記憶はそれでも鶯鳴が神に執着した理由を教えてくれた。
鶯鳴はいつの日か、神を自分の手で作ることを目標にしていたのだ。
それは側から見れば禁忌だったのかもしれない。けれども、鶯鳴の全ての知識を持ち、尚且つそれを万全に、そしてつづかなく熟せるものができれば、神をも超える新たな神を人造できると信じていたのだ。
だからこの世界に神がいると知って、心底腹がたった。
己が目標としてた神が鶯鳴だったときに完成したかは記憶が朧げでわからなかったものの、設計図は頭の中に残っている。それにも関わらず再現することはできないのだ。再現するためのものがない。ものがないから神を作ることができない。お前たちよりも何満倍も優れた神を人が作れたのだぞと、そう証明したかったのに。
メアリーはもどかしい気持ちに支配された。
自己顕示欲にも近い傲慢な考えはさらにヒートアップする。
「その声を聞くたびに早く行かなきゃって、早くしなきゃって、思うはずもない感情に支配されるんです」
「ラン、それは苦しかったね。大丈夫、ここは安全だ。私がいる限り、誰も傷つかせない。だから安心して深呼吸をするだ」
ぐすんぐすんと聞こえる空間の中、メアリーだけは誰にも見せることのできない表情で親指の爪を噛んだ。
「先生、先生」
「大丈夫、大丈夫だよ」
私が、私の方が、私の方が優れているのに。
そう言った考えが、メアリーの頭の中をぐるぐると駆け回る。
「ねぇ、ラン。ランはどうしたい?声を聞かなかったことにして、ここにいたい?それでも大丈夫だよ」
「うん、……うん」
私の作った神の方が何よりも優れているのに!
その言葉はついぞ声にはならなかった。
「私は……」
そこで、メアリーはこの茶番を見ることをやめた。
茶番。そう全て茶番だ。メアリーにとって、一番大切なのは医学の進歩。この世界への興味も言ってしまえばそれしかない。だが、今のランの言葉でうかうかもしてられない。本当はゆっくりとこの世界の医学の発展を見ていこうと思っていたが、神をもう一度造ることを目標とすることに決めた。
材料がなくっても、必ずや神を造る。
そして今度こそ、これこそが神だと言わしめる。世界に認めさせてやる。
メアリーは部屋の明かりが溢れる隙間から離れて黙々と台所へと向かった。
子供たちが育てた野菜を保管するズダ袋からある程度野菜を抜き取って、台所上にある干し肉を詰める。さらに手に収まる程度の子供用のナイフを食器拭きの布に包んで入れて、日頃から水筒として使われていた気を削って作られた水筒も詰めて、それを背負って吹き抜けの廊下から外に出る。
ちなみにだが、メアリーが着ている服はドーリス式キトンと呼び、フードがあるタイプのキトンであった。
そのフード部分を深めに被り、まだ青白い太陽が登っていない、月明かりだけの夜を手探りで歩く。目的地は決まっていた。あの神殿のような跡地、あそこに一泊してそれから川を探そうと考える。
朝来た時よりも深く暗い洞窟を見る。
自然と恐怖は襲ってこなかった。それよりも、目を慣れさせるために見開いて、無理矢理暗視を試みる。残念ながら頼りになるあかりや、火を起こせる道具は持っていない。それに万が一のことを考えて、あかりはなるべく付けたくなかった。
経験から、洞窟には水が流れていたり、何か足元に穴があったりなどはしていなかったはずだ。
ならば仕方ないが、壁の感触を頼りに進むしかないだろう。
ゴツゴツとした感触の壁を伝ってゆっくりと進んでいく。万が一怪我した際の応急手当ても大変なので、慎重に慎重に進んでいった。
しばらく時間が経てば、明かりが見えた。
気が狂いそうなほどの常闇から顔を出せたことにまず安堵から「ふー」と言う声が出る。特に異常も問題なかったが、それなりに精神は疲弊していた。
崩壊した神殿をぐるりと見渡す。
構造的にギリシャ神話などに出てくる神殿のようだ。老朽化からの崩壊だとは思えない。何か重いものが上から降って押しつぶされたような形をしている。
天井の破片が地面へと穿つそこを背にメアリーは木々が擦れる音をBGMに目を瞑った。
別にこの世界のことを解き明かすことがメアリーの目的ではない。ならば考える必要はない。そう思って、ゆっくりと意識を手放した。
暗闇が世界を支配していた。
メアリーはこれが夢だと理解している。所謂、明晰夢であることに気がついたメアリーはただ暗闇が広がるだけの世界に首を傾げた。こう言うのは大概、記憶に残ったものとか、かつての経験から恐れていた物や、事柄などが出てくることが多いはずだが、そう言った気配は一向に訪れない。それどころか、なんというか、感覚的にこれがただの明晰夢ではないことを肌で感じた。
「神託……神託である」
耳に聞こえたのはそんな少年のような、あるいは機械的な声。
その声を聞いたとき、メアリーの体は全身が逆立つような、奇妙な恐怖感に襲われる。夢でなければ額から汗が垂れ流れていただろう。そう思うくらいには重厚で、どこか咎めてくるようなそんな声色であった。
「今から太陽が五度上がったとき、全ての戴冠者は神都ニフタに集まれ」
意味がわからない。
その言葉が、頭の中に浮かぶ。戴冠者とはなんだ。名前からして王を決める催事のことを指しているのだろうか、そもそもなぜメアリーは戴冠者と呼ばれるものが自分を指していることに気がついたのか、訳がわからない。訳がわからない。けれど、これがランの言っていた声の主ではないのだろうか?
質問は沢山ある。
それこそ山のように降り積もるほどある。
だがそれを許さないと言うように、神の声は続ける。
「これは厳命である。神に選ばれし戴冠者よ、王を選別せよ――」
メアリーが起きた頃。草原は顔を出し始めた青白い光を受け、小鳥たちが歌っていた。
時間にして四時か五時ごろだろう。ぐっしょりと背中を濡らす感覚を感じながら、メアリーは心の中で「ちくしょう」とつぶやいた。今まで背にしていた壁から離れておろした腰をあげる。それから背伸びをして、頬を二度叩いた。
「まぁ、でも、神の顔を拝んでおくのも今後の糧になるかもしれない」
そう思ってメアリーはそばに置いていたズダ袋を片側に背負った。
それからゆっくりと耳を澄ませながら川を探すように旅に出る。途中、折れたいい感じの木の枝を拾いながら、彷徨うようにして森の中へと消えていった。




