5自我の崩壊
不思議と言えばいいのか珍妙と言えばいいのか、まぁそんな感じの木は神殿の跡地を抜けた少し先にある。
おおよそ自然のものとは思えないほど大きく、中心がぽっかりと空いた10メートルほどの大きな木は堂々とそこに鎮座していた。それを最初に発見したのはランであった。幾分か昔の話である。二人でここを訪れたとき、周囲の探索をするため二手に分かれたときに見つけたのだ。
最初に発見したランは興奮気味にメアリーの名を叫びながら頬を赤らめて、この場所に案内してくれた。
そんなどうでもいいような思い出を記憶の中から掘り上げる。
「いつ見ても不思議だね」
考え深いというようにランは吐いた息と共にそう言った。
「本当に、どうしてこうなってるんだろうね」
「異界の扉だったり……」
「それはちょっと夢みがちじゃない?」
突拍子もないことを言うランにメアリーはすかさずそう言った。
そうすれば、「夢を言うだけならタダじゃん」と文句を言うようにランは零す。まぁその考えは間違いではない。間違いではないがそうも簡単に現実離れしたような言葉が出てくると、なんというかどう反応していいかわからなくなるのだ。
そんなメアリーを置いてって、ランは二股に分かれた木に腰掛ける。
それから隣を軽くぽんぽんと叩いて、メアリーに座るように促した。
「空綺麗だね」
「さっきも見たよ」
「この葉の間から見るのがいいんじゃん」
生い茂る緑を見上げてランが「何事も楽しまないと」と口にする。
その横顔を見てから、メアリーは同じように上を見上げて、木漏れ日を浴びるようにゆっくりと目を閉じた。
そうすれば、次第に暖かな微睡がメアリーを夢の中にへと導いていく。それはランも同様なようで、メアリーはランの肩を、ランはメアリーの頭を枕に木陰に見守られながら緩やかに意識を手放した。
白いベッドに背もたれをあげて座る、少年がいた。
窓の外から聞こえる子供達のはしゃぐ声をどこか遠くの方を見るようにぼんやりと見下ろす男の子。彼はまるで仙人のように悟りを開いたように、メアリーに向かって……いや、鶯鳴に向かって「僕はもう、助からないんですよね」と言った。
その言葉に鶯鳴は持っていたカルテを強く抱きしめて「いや?」と口にした。
それから満を辞して得意げに「君は助かるよ」と続けた。
「だから、これに同意してほしい」
そういう鶯鳴は持っていたカルテを少年に見せるために一歩近づいた。
だが、それを静止するように少年は「いいですよ」そう言った。治癒できるかを聞いた割にはあっさりと断る。彼はゆっくりとその青白い顔を鶯鳴に向けた。彼の動きでストレスから色の抜けた髪が揺れ、少年にしてはか細い体があらわになる。
「これでいいんです」
たまらずと言うように鶯鳴は「君の友達は?」と言葉にした。ここで親という単語が出てこないあたり、彼の親の無関心さが露わにされたわけだが、それも気にしないと言うように彼は微笑んだ。
微笑んだと言っても笑っているわけではない、げんなりとした様子で口角をあげてそれから自傷気味に「酷なことを言いますね」と思ってもいなさそうな言葉を口にした。
「例え僕の病が治るとしても、例え、長らえられる可能性があろうとも、僕はそれを望まない」
そこまで言って、更に続ける。
「だからあなたの治療なんてまっぴらごめんだ」
鶯鳴を真っ直ぐ見る黒い目。その瞳には病人だと思えないほど強い意思がこもっていた。
思わず鶯鳴はその瞳に惹き込まれた。そして、だからこそ、この目の前の少年を失うことに抵抗感を抱える。鶯鳴は懲りもせずさらに「本当にいいのか」と確認するように、まるでそれに是という言葉を返してくれることを願うように、ありったけの思いを込めて聞き返した。
そしてそれに応えるように、ありったけの気持ちを込めて少年は「断る」とピシャリ、その擬音語が合うように鶯鳴の言葉を拒絶した。
「そうか……そうか、では、仕方ないか」
鶯鳴は残念そうにそう言った。
意識がパッと花弁いたように覚醒する。
メアリーは青に染まった空を木々の間から見て、それから、己の頬に伝う温かいぬくもりを自分の指の腹で拭った。
まるで苦しいと言うように、メアリーは泣いていた。
溢れる涙は拭っても拭っても止まってくれない。心臓が脈拍が、その全てがうるさいくらい鳴って、けれども心は何故かシンシンと振る雪原のように沈黙を貫いていた。
真っ白な大地にぽつりといる気分であった。心の中で広がる雪景色が、妙に頭にこびりついて離れようとしない。
こんなに晴れているのに、心は重くのしかかるようにメアリーをふん縛った。
メアリーは己の頭で寝息を立てるランなど見えないように、まずは両手で握って開いてを繰り返した。それから葉が擦れる音のする天井を見上げて、青白い太陽に掌を向ける。
カクンとランの頭がメアリーの肩から逸れた。その衝撃で目覚めたランは不可思議そうに動くメアリーに困惑した様子でその名を読んだ。
「メアリー?」
メアリーは振り返らない。
それどころか、座っていた幹から立ち上がって木漏れ日の差す場所にスタスタと歩いていく。視線を空から水平線、それから地面へと這わすように向けて、それからランの方にくるりと振り返った。
振り返り、彼女に綺麗な笑みを浮かべた。
「ごめん、なんでもない。ねぇ、そろそろ帰るべきだと思うの」
「あ、そうだ。お昼に間に合わなくなっちゃうよね」
「うん。だから、早く帰ろう」
メアリーの言葉に夢うつつだったランの意識が覚醒する。
先行するように指を指して帰りの方向へと翻すメアリーはランが立ち上がったのを横目で見た後、すぐさま駆け出した。草原を踏み締めて、木漏れ日を全身で受け止めて、それから頬をくすぐる風を感じながら、後方から聞こえてくるランの「待ってよ!」と言う声を無視してメアリーは嬉しそうに微笑む。
綺麗な笑顔だった。言って仕舞えば、綺麗なだけの笑顔であった。
何も変わらないはずなのに、メアリーは変わった。
それはランさえわからないほどの小さな変化、けれどメアリーからしたら大きな変化であって、実際問題、それは深刻な変化でもあった。
パタパタとメアリーが駆け回る。神殿の跡地を抜けて、洞窟を潜り、孤児院へと向かう。
ランはそれについていくのがやっとで、彼女が何故そんなにも嬉しそうなのか、皆目見当もついていなかった。
「待ってよメアリー!!」
「ふふ、あははは!!」
そう叫ぶランに向かって返ってきたのは笑い声だった。
楽しそうな、愉快そうな声。それから「やだー!」という元気な声。メアリーの軽やかな青髪が煌めいて揺れる。風に吹かれてふんわりと、まるで羽のように大きく、遊ぶように柔らかく広がった。
「おかえり、メアリー。ラン」
そうしてやっと辿り着いた孤児院で、洗濯物を干していたオーガッシュ先生が二人の影に気がついて、そう言った。
久しぶりに見たメアリーの影のなくなった笑顔に、オーガッシュ先生は何か良いことがあったのかっと思ってその笑顔を和らげる。その笑顔がなんだか面白くって、喉を鳴らしたメアリーは更に声を大きくして「あはは!」と笑った。
「先生さっきからメアリーたらおかしいの、ずっと笑って、私を置いて行ったのよ?」
そんな楽しそうなメアリーを見て、ちっとも怒った様子を見せずにそういうランは、ちょっとだけ嬉しそうと言うよりは困惑気味に、オーガッシュ先生の裾を握ってそういった。
そう言うランにオーガッシュ先生は何も気が付かず微笑む。この瞬間、オーガッシュ先生はランがメアリーを励ましたから彼女がこんなにも元気になったと勘違いしてしまったのだ。そこが致命的なミスだったのだろう。
オーガッシュ先生もランもここが人生の岐路であることを知らなかった。
……気がつくことができなかった。
こうしてメアリーの世界は始まったのである。
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