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神饌の戴冠者Ⅰ・Ⅱ  作者: 綴咎
第四章 ハイドロの殺人鬼
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3殺人鬼コネクター


 木目の天井。飾られるシャンデリア、重圧な赤色のカーテンが揺れる窓。

 床にはこれまた赤い絨毯が引かれており、中央に来客用と見られるソファーが二つとその間を陣取る長机。

 部屋の奥には執務机と思わしき高い一人用のテーブル。その先には西洋式の椅子があり、そこには切長の瞼に収まる強烈な黄色の瞳、白髪の髪を揺らした男。ハイドロ自警団団長ジョセフ・クリストがその形のいい眉を寄せて、困ったように云う。


「悪いがそんな依頼をした覚えはないんだ」


 彼がそう言った瞬間、ブリザードのような寒さが辺りを埋め尽くした。

 雰囲気と呼べばいいのか、そう言ったものが凍りついたのは確かである。メアリーたちは思わずと云うように途方に暮れた。だが頭位の回転が早いローランドが「もしかしたら、書類に不備があったかもしれません」と繋いだところでメアリーは、


「取り敢えずソピアから頂いた依頼もありますし、自警団との協力をしたいのですが……」


 と続けた。

 呆然としてどうすればいいのかわからないと言うように視線をどっかに飛ばすアリオストロの背中をメアリーが抓る。

 そんなワイワイしている中で、ローランドだけが至って真面目に受け答えをする。


「どうでしょうか?」

「うーん、君たちの気持ちもわからなくもない。だが、被害が出ているのはソピアだけだろう?ここに来るソピアの連中は劣性の民と聞いたが」

「……」

 

 存外に被害なしというように机の上にある書類に視線を向けたジョセフは、もう話を聞く気はないというように羽根ペンを手に取る。

 キトンに羽根ペンかぁと思いつつ、怯えるアリオストロは今は関係ないと判断する。それからジョセフに肯定するように頷いて、話を始めた。


「確かに被害者は劣性の民だけ、それは言って仕舞えば事実上被害者ゼロと自警団は思っているわけですね」

「そうだ」

「ところで話は変わるんですが……」


 そう言ってメアリーはジョセフの気を引く。

 ジョセフはというと、突如現れ見聞きもしない依頼内容を言ってきたメアリーたちにうんざりしながら顔を上げる。

 もういっそのこと「早く出ていってくれ」と言おうとしたとき、その口はメアリーの言葉によって閉ざされることになった。


「割れ窓理論という心理現象を知っていますか?」

「は?」

「え?」

「……何か関係のある話なのか?」


 驚きの声はアリオストロとローランドから聞こえる。

 そしてジョセフは提示された聴き慣れない言葉に苛立ちを隠さずにそう言った。


「いやいや、ちょっとした雑談ですよ」

「俺にそんなことをしている暇があると思うか?」

「自警団として、知っていて損なことはないと思いますが?」


 メアリーの強気な発言にジョセフは羽根のペンを置いて「ほう?」と口元で手を組み、そこに顎を乗せて興味深げに息を吐いた。

 アリオストロがメアリーに「おい、やめとこうぜ」と声をかけるが、メアリーはそれを黙殺しにっこりと笑う。


「私の故郷の話です。とある実験をしたのです。それこそが割れ窓理論。一枚の割れた窓ガラスを放置すると、無秩序と看做されて犯罪者が増えるという話です。要するに、小さな犯罪を見逃すことで犯罪行為が街全体に悪影響を及ぼし、それが段々とエスカレートする……。ジョセフさん、ハイドロの殺人鬼が出てから模倣犯が増えませんでしたか?もしくは、軽犯罪、窃盗や強盗、果てには殺人が増えていないと断言できますか?」


 それは心理学。

 もちろんメアリーの本当の故郷である孤児院で試したことではない。鶯鳴の記憶に残る、ある理論実験の成果だ。

 メアリーがここに来るまでの間、キャビンから見えた光景。まるでビクトリア朝様式の建物の間にあったストリートチルドレンの姿。そして、路地裏に存在する落書きやら窓割れやら何やら、そういうのを片手間に見ていた。


「それに困っていませんか?」


 メアリーはその翡翠の瞳で目の前のジョセフを――いや、ジョセフの前にこんもりと積まれている書類の山を見た。

 内容は残念ながら見えないものの、それが所謂街の困りごとであることは何となくメアリーは察していた。というのも、ジョセフのペンがあまり動いていなかったからの予測なのだが。


 鶯鳴の記憶では事務的書類はある程度のテンプレートがあるからこそ、少しの詰まりはあれど早くこなせるものだと認識している。鶯鳴が書類整理で困ったのは入院患者の容態の急変やら救急外来などで唐突に運ばれてきた患者の報告書などだ。そう言うとき、ジョセフのように筆が止まるなんてことがよくあった。


 だからメアリーはジョセフの向き合っている書類が異例の案件であることを推測できた。

 そしてその推測に間違いはなかった。


「君は……そうだな、頭がいいね」

「ありがとうございます」

「そう言った知識は誰かから教わったのかな?」

「そんな感じです」


 ニコニコと笑いながらメアリーは曖昧に返す。

 それを見てブルゴーニュとのやりとりを思い出したアリオストロは顔を真っ青にさせて目を泳がせた。


「君たちの言い分は理解した。それなら今ハイドロの殺人鬼について一番知っているであろう副団長のシモンに任せるよ」

「シモン……」


 その名前に引っかかるようにアリオストロが繰り返した。

 メアリーとローランドはひとまず交渉が成立したことに安堵して、それから「そのシモンさんという方はどちらに?」と聞いた。そうすればこれ以上ない笑顔を浮かべてジョセフは「それが彼は一匹狼ってやつでね」と言ってから困ってもいない癖に肩をすくめて眉間に皺を寄せた。


「どこにいるか俺もわからないんだ」

「あー、はいそうですか。わかりました。情報ありがとうございます」


 口早にメアリーはそういう。

 それからさっさとソファーから立ち上がって、ローランドとアリオストロについてくるように視線で合図した。

 ニコニコと笑うジョセフは「ごめんね」というが、それにはあえてメアリーは何も返さない。どこにいるかもわからない相手に情報を聞けというのは体の良い厄介払いと同義と知っていたからだ。


「それでは失礼します」


 そう言ってメアリーたちは重圧な扉を開けて、それから返答を待たずに扉を少々強めに閉じた。

 ローランドが困ったような表情をする。というか、難しそうな顔で扉を見て「その、大丈夫なんでしょうか?」と言った。それは暗にメアリーの態度に関する咎めと、これからの任務を思っての言葉であった。それにメアリーは特に答えない。いや、答えを持っていないから答えられなかった。


「取り敢えず、そのシモンてヒトを探そう。まずはそれしかない」


 メアリーがそういえば、気まずそうにアリオストロが手を挙げた。

 アリオストロは何だか不安げに「あのちょっといいか」と口にする。それに気がついたローランドが「何でしょうか」と聞くと、困ったような表情のまま声を潜めた。


「あの、依頼主確認したいんだが、依頼書って見せてくれるか?」

「依頼主?」


 それが一体なんだというのか、そう思いながらメアリーは折り畳んだ自警団から寄せられたはずの依頼書をアリオストロに渡す。

 彼は恐る恐るそれを開いて、それから「やっぱり」と言った。


「なぁメアリー、その、依頼主のところシモンってなってる」

「はぁ?それの何が問題なんだい」

「あー、だから……」

「あ、そういうことですか」


 ローランドがわかったというように声を上げた。

 メアリーは訝しげに二人を見てから、そして「ああ!」と閃いたような声をあげて、それからすぐに不愉快そうな顔をした。


「そういうことか、自警団が依頼主じゃなくって、依頼主は自警団に所属するシモンだったっていうやつか」

「そう!それ!俺が言語化したかったのそれだ!!」


 赤い絨毯の引かれる廊下を歩きながらアリオストロは声を大きくしてそう言った。

 全くもってやかましいが、それを気にすることなくメアリーはローランドに視線を向ける。ローランドは一瞬戸惑ったような表情を浮かべたがメアリーの次の言葉に合点が言ったのか真剣な表情を取り戻した。


「ということはもしかしたら近くで待機してるかもね」

「ああ、なるほど。依頼を受理されたとなれば向こう側にも情報が行くはず……どこかで私たちを待っている可能性がありますよね」

「ほへー」


 そうなれば話は早い。

 ジョセフの時間稼ぎが意味をなくしたことにご満悦な表情を浮かべたメアリーは機嫌が良さそうに鼻歌まで歌い始める。

 だがそれも一瞬で、よぎったジャックの横顔に額に青筋を浮かべた。あいつがやけに自警団と呼称するから依頼主を間違えたんだ。という蟠りを持ったからだ。だが、ジャックは意味もなく場を引っ掻き回すヒトではないことを知っている。

 揶揄い、ではないな。

 メアリーはそう思いながら思考の波に乗った。

 もしジャックが揶揄いとか悪戯でなかったらなら、今までの行動に意味があるはずだ。


 そこまで想像してメアリーはある答えに導かれた。


 そうか、ジョセフ・クリストに会わせたかったのか。


 真偽はわからない。だが確かに何となく、そんな気がしたのだ。

 

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