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神饌の戴冠者Ⅰ・Ⅱ  作者: 綴咎
第四章 ハイドロの殺人鬼
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1殺人鬼コネクター

1殺人鬼コネクター

 そこに女がいた。

 ハイドロと呼ばれる街の下水路。そこに女がいた。

 流れるよう美しい赤髪を揺らし、女は妖艶な雰囲気を纏わせ、息も絶え絶えな男を見下ろしていた。彼女が彼を追い詰めたわけではない。彼と彼女が邂逅したとき、すでに彼は瀕死の重体であった。自警団と呼ばれる組織にやられたのか、それとも他のもっと知らない誰かにやられたのかは定かではないが、それは女にとってはどうでもいいこと。


 女は白いハンカチで鼻と口を押さえながら、見下ろした男に冷たく冷酷な言葉を浴びせた。


「酷い有様ね」


 彼女は全く思ってもない言葉をまるでセリフを上からなぞる様に言った。

 そこに同情なんて生やさしい感情はない。ただ見たままを言っているだけ、そのくらい軽い言葉だった。


「お得意の、魔術で直してくれてもいいんじゃないか」


 男もそれを理解した上で、冗談ぽくそういった。

 彼の怪我は酷いものだった。脇腹はえぐれ、爪先には凝固した血が絡まり、片腕からは今も尚止めどなく血が流れ落ち、下水道を汚す。頭の先から足の先まで怪我のない部位はなく、このまま処置しなければ死にゆく体であることは誰が見てもわかりきったこと。

 女は男がはなから期待していないことを知りながらも、それでも美しい薔薇の如く笑った。

 そして軽く指を不可思議な動作で動かして「あなたにはまだやってもらうことがあるの」と言って、「Φαρμακευτικός」と唱えた。彼の肉体が瞬く間に癒えていく。その状況に意味がわからないというように口を開けたのは男だった。


「なんのつもりだ」

「勘違いしないで欲しいけどあなたのためじゃないのよ。保険の保険、私たちがリトスで真の神に出会うための言わば時間稼ぎ。あなたはただ何も知らないまま、この街を混乱に陥れればいい」

「はん、つまりは目立って死ねと」


 男の挑発めいた言葉に女はにっこりと美しい相貌を緩ませた。

 それから形のいい唇で「賢い子は好きよ」と嘯く。


 正しく男の言った通り、女は男がこの街で暴れて死ぬことを願っていた。

 なるべく長く、なるべく苦しんで、そうして死んでくれと存外に言っていたのだ。


「私もあなたという駒を失うのはとっても残念だと思ってるわ。でも、駒のいうことを聞いてあげるのも一興だと思って」

「……俺はお前のペットではないんだがな」

「いやね、噛み付いてきそうな()()()なんてお断りよ」


 女はそう言ってから、指の先で男の額を弾いた。

 それは軽いようで重い。何よりも手放すという行為をわざわざ見せつけるような儀式にも見える。見える、というか事実そういう意味も含んでのデコピンであった。

 女は意味もわからなそうに頭を傾げる男をくすくすと肩を揺らしながら笑う。


「さて、治療も完璧後はそうね……」

「生命力の前借りだから、しばらくは派手に動くな……だろ。悪いがそれは守れない」

「やっぱりあなたには犬は向いてなさそうだわ」


 さして求めてもないくせに、そう思いつつ男側立ち上がって、先ほどまで重傷を負っていた腕を軽く回した。それから感服するように「流石は、西洋魔術か」と零す。

 褒められたはずな女は、だがしかし眉間に皺を寄せながら「四第霊魔術なんて碌でもないものと比べないでちょうだい」と叱責するように言葉を並べた。


 彼女のその反応には慣れているのだろう。

「へいへい」と適当にあしらって、その場凌ぎというように「ありがとう」と言葉を投げる。それに女は何も答えない。答える意味はないからだ。どうせこの男を治しても、しばらく経てば死に絶えるのだから、だからあえてその言葉には何も返さなかった。


「そういえば、戴冠の儀なんてものが流行ってるらしいじゃないか、おたくのボスは胃をキリキリさせてるんじゃないか?」

「あら、自分の死ぬ未来よりも、私たちのボスの方が気になるの?」

「おいおい、俺は死ぬのは確定かよ」


 そう零しながらも、男は全く怒ってなかった。

 女の言う通り、自分の未来よりもよほど彼女たちの行く末の方が面白そうだし、何よりも今まで手を貸してくれていた組織の未来を殺人鬼ながら少しだけは気に留めていたのだ。


 特にこの女には数え切れないほどの恩がある。


 言葉にさえしなくとも、その行動こそが女の、ひいては彼女の所属する組織への心配の感情を露わにしていた。


「あなたが心配するようなことじゃないわ」


 そしてその心配は彼女の手でぐしゃりと豪快なまでに潰された。

 男は知っている。女の組織がセウズ神にとって代わり、この国を支配しようとしていることを、そのために既に南の街と北の街を占拠して「アトランティス国」と名乗っていることを、だから戴冠の儀の話を耳にした時、彼女たちの組織が戴冠者を迎えると思っていた。もしくはすでに懐柔しているとさえ思っていた。


 だがその予想はあらゆる意味で外される。


「私たちはセウズ神に認められる必要はない、あの偽りの神から主権を簒奪するだけ」

「……正気か?神相手に戦争でも仕掛けるつもりか?」

「そうよ、偽りの神ではなく真にこの星を生かす神に私たちは認めてもらう。この地を手に入れることの許しを得て、そしてセウズ神に相対する」


 男は絶句した。

 男のなんら特別でもない復讐の誓いよりも、女の語る未来の話の規模が大きくて眩暈がしたのだ。

 正直なところ男はセウズ神がなぜ、偽りの神と呼ばれているのか、そして真の神とは誰のことを指しているのかわからない。けれど、彼女がそんな突拍子もない嘘をつくヒトでないことも知っているから、本当のことなのだろうと呑み込む。


 呑み込むが、理解したとは言えなかった。


「ねぇ知ってる?神から王位を貰うことを王権神授って言うらしいわ。あのお子ちゃまたちがやってる戴冠の儀なんて可愛い名前じゃなくって」

「もしかして、俺相手に自慢か?」

「ええ、死に征くあなたにリップサービス」

「それで喜んでるのはお前だろう。それで、ここまで話を伸ばしたのには理由があるんだろう」

「女の話を急かすなんて、いけない子」

「そう言うのはいいから、どうせ俺は死ぬんだ。なんだって言うことを聞いてやるよ」


 彼女の挑発じみた誘いを男は一刀両断で断ち切る。

 その連れない態度に「あら、残念」と零しつつ彼女は囁くように男の耳元に自分の唇を寄せた。


「あなたには予言を伝えてもらうの、とっても刺激的な予言」


 彼女の肉厚な唇がその言の葉を乗せる。


 人々の(つみ)よ、人の(ごう)よ、今この時、晒される日が来た。


 豊穣の地は枯れ果て、

 世界は嘆き、

 この地に芽吹く命は悉く消え去るでしょう。


 どうか、受け入れ、諦め、罰を受けるその日を待つのです。


 だが、玉座に座る正しき王の言の葉で、

 世界は救いを与えるだろう。

 

 それは聞いたことのない言葉。

 それは意味もわからない言葉。

 男は反応に困った。下水道の酷い匂いに顔を顰めたのではない。罪にも業にも心当たりがなかったから。

 流れる水の音が予言の声を異質に際立たせる。反響のように響く彼女の声は艶やかでいて、殺伐としていた。


「言ったでしょう、死に征くあなたには何も関係ないって」


 確かにそれはそうだ。

 くるりと背中を向けて去っていく女の後ろ姿を目に焼き付けるようにじっと見る。女はそんな彼の注目など知らずに、歩いていく。

 そのまま暗闇の中に消えていくものだと思っていた男は不意に止まった女の挙動に、驚いたように目を見張った。


「ああ、言い忘れてた。さよなら、()()()()()()殺人鬼さん」


 女はそう言うや否や、止めた歩を進めて、今度こそ暗闇の中に溶けて消えていった。

 彼女のいなくなった空間で、男は恨めしそうに呟く。


「一言余計だ」


 それは誰かに伝わることなく、空気の中に溶け込んでいつの間にか男の存在もろとも消えてなくなった。

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