3許されざる倫理観
ジャックの言葉にアリオストロが「ファ?」と鳴いた。
アリオストロの傷んだ茶髪が僅かに揺れる。空気が一転にして凍った。しかも先ほどとは別の意味で、拍子抜けしたというべきなのか、それとも理解が及ばないというべきなのか。まぁどちらにせよ、メアリーとアリオストロ、ローランドの思考は凍りついて止まったのだ。
「個人的な調べだけどね、こっち側を心配してや治安維持よりもどこか自警団は殺人鬼の殺処分を狙っているらしくってね」
殺処分。
ヒトに向けるとは思えない言葉に驚きつつも、メアリーはすぐに殺人鬼が劣性の民であると悟る。でなければ、殺処分と言わず処刑というだろうし、何よりもにやけた視線がメアリーに向けられている時点で確信犯だ。彼はゆるくカーブする茶髪の間から、青黒い瞳を嗤わせながら覗かせる。
「メアリーは気がついたらしいね。そうとも、ハイドロの殺人鬼は劣性の民だ。加えて彼は逃れモノでもある」
「逃れモノ!?」
「逃れモノ……なんだそれ、アリオストロ」
「ヒトを翻訳みたいに使うな」
そう文句はいうものの、アリオストロはブスくれながら続ける。
「逃れモノていうのはセウズ神が設けた禁忌を犯したモノをいうんだ」
「たとえば?」
「本当に知らないのか?」
「いいからさっさと言えよオソストロ」
「アリオストロな!!」
反撃するように声を荒げたアリオストロを無視するように視線をあらぬ方向へと向けるメアリー、そんな二人の様子をコロコロと笑いながら見ていたローランドがアリオストロに続いて口を開いた。
「例えば認められた組織以外で十人以上の組織を作ってはならないとか」
「は?」
メアリーのドスの効いた声がその場で響く。
それに圧倒されたローランドが怖がるように口をパクパクと動かしながら固まる。それなりに耐性をつけていたアリオストロが代わりというように続きを喋れば、途端にメアリーの機嫌は降下していった。
「あとは“本“と呼ばれるものの所持の禁止……これに関してはそもそも見たこともないものだから知らないが……」
「は?」
それでは学問はどうなる。
どうやって教えるというのだ。どうやって学ぶというのだ。そんなメアリーの疑問は次の瞬間消え去ることになる。
「あとは医術という行為の禁止かな」
「はぁ!!?」
神の御業だからね。
付け加えられた言葉にメアリーは脱水症状にも似たクラッとした感覚に襲われた。
頭が痛いだけではない。もしかしたらアリオストロを王にしても医学を研究することができない可能性もある。いやそもそも、最初の旅の目的はこの世界の医術を知るためであった。どういう医術体系がなされているのか、どういったものが主流なのか、文明レベルからさほど期待はしていなかったが、禁術とされていることは理解ができない。
どんなにたいそうな理由があったとしてもメアリーは納得するつもりがなかった。
医術とは人類史と切っても切れない関係性がある。
だからこそ文明が育つ時間と共に医術は進化した。それこそかつての鶯鳴が擬似的な医学の神を作ったように、治せないものはないと豪語するくらいには鶯鳴の時代では医術は広まっていた。
医術は、人が生きることを支える技術だ。
それを禁忌にするなど許せるはずもない。
尽力を尽くして救えなかった命はメアリーも仕方がないと思う。
医療技術とは犠牲無くして成り立つようなものでもない。救えない命だってあるだろう。救いたかった命だってあるだろう。それでも指の隙間からこぼれてしまう命だってある。
それは仕方のないことだ。
進歩するのだから、進化するのだから、それを代償に他の人の命が必要なだけ。
だが、そもそも助けないなんてこと許されるはずがない。それは必要な犠牲ではない。無駄な犠牲だ。無駄に散っていった命だ。
神が医術を独占する?
その影響でヒトは救われるのか?神の思想が行き渡っていないのと同じで、本当は救われていた命が失われている可能性はないのか?
神とは、それを定義するときメアリーは迷わず完璧な存在だというだろう。
だが、だからこそ、完璧だからこそもう進化しようのない生き物でもあるというだろう。
そんな存在が独占する医術はさぞ凄いものなのだろう。凄いものだが、今持っている技術が進化することはない。
メアリーは医術に対してある意味の理想を抱いている。
医術は化物であって欲しいのだ。進化し続ける化物。完璧やこれ以上ないという評価を得ることがない、常に流動して常に進化する永久不滅の学問であって欲しいのだ。そうでないと困るのだ。医術はどこまでも可能性を秘めてもらわないと、そうでなければ鶯鳴だったときの苦労が報われない。
己が作り出した神への侮辱にしか感じられない。
「わかった。わかった」
「え、何が」
「一旦黙ってくれアリオストロ」
メアリーは己に言い聞かせるようにそういった。
それから口を挟んできたアリオストロに八つ当たりのようにそういう。
メアリーは己の顔を片手で押さえつけてそれから唸るように「あ〜!」と叫んだ。
そうでもしないとやっていけなかったから、絞り出すようにそう吐いてからスンッと表情を落とす。
「話を続けよう。それで、逃れモノがどうだって?」
「要はハイドロから逃れモノが出たって知られたくないんだよ」
メアリーが己を律しながら聞いた言葉にジャックはこともなさそうに答える。
知られたくないという割にはなんというか、ジャックが知っているという矛盾が発生しているのだが……その件に関してメアリーとアリオストロそれからローランドが首を傾げた。
「これでも情報通なんだ」
「これでもって?」
「見るからに情報扱ってるやつだろう」
「その、意外性が全く……」
上からアリオストロ、メアリー、ローランドの順番で罵るようにジャックに向けて言い放つ。
それにジャックは「正直だなぁ」と半分笑ったように言いながら、言葉を続ける。
「まぁそんな冗談はよして、ヒトの口に戸は立てられぬ……ていうじゃないか、彼らでも隠すのに限界が来ている」
それはそうだな。
メアリーは噂が想像以上に早く回っていくことをかつての記憶から知っている。だからさほど驚くことなく頷く。
「で、ここからちょっとした面倒臭い話になるんだけどね。基本的に逃れモノがでた場合、神殿に報告する義務があるんだよ」
「なんで報告しなかったんだ?」
アリオストロが純粋にそう聞く。
逃れモノという概念を知りながら、その行く末を知らないとはどういうことなのか、メアリーは少しだけ感じる不穏な空気に眉間に皺が自然とよる。
「それはローランド。君がよく知っていることだと思うよ」
暗に教えてあげなさいと言うように話を投げたジャックの言葉にメアリーもアリオストロもローランドを見る。
そうすれば少しだけ顔を青ざめて、ローランドは「……それは」と言葉を詰まらせた。
それにメアリーはそんなに言い辛いことなのかと疑問に思う。指名手配の手続きみたいなモノだろう、まさかそこに変な要素入るとでもいのか、そう思っていればローランドが「……です」小さい声で言った。
「え?」
「規定以内に逃れモノを神罰代行騎士団に受け渡さないと領地にいる全ての民を浄化という目的で虐殺するんです」
「は?」
「ええ?」
ペストかな?
メアリーはとことんヒトを馬鹿にするような法律の数々に頭を悩ませながらも、この世界のおかしさに苛立ちを感じつつそして神の独裁という構造に対して、恐れと怒りの間の感情がまるで蛇のように這い上がってきた。




