10神饌の戴冠者
結局あの後、メアリーは寝ることができないまま翌朝を迎えた。
アリオストロの心配そうな視線を感じる中、この感情を言葉にすることが憚れたため無視する形となってしまったが、それは今までの無視とは違って言い難さの沈黙ゆえのことだと悟ったアリオストロは言葉をかけることはなかった。
メアリーは自分の罪を認めざる負えなかった。
ランから暴露されるまで見知らぬふりをしていたそれに、向き合わないといけないとメアリーの心のどこかに引っ掛かるようにして存在するが、反対にどうしようもないことに反省する義理はないという無責任な言葉が纏わり付いていた。
今はとりあえず選別の儀のことを考えよう。
眠気を抑えることなく欠伸をしたメアリーはそうして現実逃避を試みた。
「あー、メアリー。朝食だってさ……起きれるか?」
「……起きれるよ。おはよう」
メアリーは重い体を持ち上げて、食事が並ぶテーブルを見た。
正直食欲はない。食べる気力も何もかもないが、ありつけるうちには食べないと、そんな義務感的な感情で席につく。正面にいるアリオストロはどこか心配気味で、メアリーは一度小さくため息を吐いてから誤魔化すように嘘をついた。
「私は記憶喪失なの、だから昨日のが誰だったのか覚えてなかった」
アリオストロの顔が訝しげに歪まれる。
それにしたって、ランの行動は異常なものだったのだろう。ただの記憶喪失というには誤魔化せないものがある。だからこそ、それ以上は語らなかった。何を言っても嘘だと見抜かれるのだから、そうだと知っても尚つく嘘は合理的ではない。
罪悪感というものを持ったのだろうな。
嘘をつく行為に感じた感想は、アリオストロへの罪悪感ではなく、合理的か、必要か否か。
それを冷たいと受け止められるのか、完璧主義者だと思われるのか、そこら辺はよくわからなかったが、何も知らなかった頃のメアリーだったらきっと罪悪感を感じていたのだろうと推測するには難しくない。
過去の自分はどんな存在だったのだろう。
飾り立てられた牛肉をナイフとフォークを使って器用に食べながら、メアリーはそんなことを思う。
随分と大切にされていたことは確かだ。でなければ、あれほどランが取り乱すことはなかった。と思う。
「何も聞かないよ」
アリオストロがそういう。
メアリーとアリオストロの静かな食事の時間はカチャカチャという食器の音だけが虚しく響いた。
暫くしてそんなメアリーたちの地獄のような食事会は終わった。
食べていた食器はメイドたちが片付けて、それから冷酷な言葉のように「選別の儀はこれから始まります。お時間になりましたらお呼び致しますので暫くお待ちください」そう言われた。
「ええっと、もし殺し合いみたいになったら逃げるんだよな?」
沈黙を破ったのはアリオストロだった。
彼は手にジャックから貰い受けた剣を握ってそういう。メアリーはそれを横目に己の杖を撫でるように触りながら「うん」と頷いて見せた。
「それしか私たちには残ってないからね」
あえて手段がとは口には出さない。
そうしなくってもアリオストロは自覚していたからだ。昨日のメアリーに言い負かされたというのも勿論ある。けれども、それよりも力があったとしても旧知でありそうなメアリーとランを戦わせるなんて悲劇見たくはなかった。
「あのさ」結局どういう関係なのだろうか、どうしてそうなってしまったのだろうか、記憶喪失という言葉ではな片付けれない昨日の出来事に言及したくなる気持ちを抑えてアリオストロは不自然に言葉を濁しつつ、話題を変えるように「逃げるとしてどこに行くんだ?」と口にする。それに一瞬呆気に取られたメアリーは、口をまごつかせながらも答えた。
「暫くは神都で潜伏かな」
見たことがないが魔物がいるという時点で放浪の旅なんて悠長なことはできないだろう。
何度も確認するがメアリーとアリオストロに特別な武術の心得はない。生き残るという点に関しては、一時的に身を隠して安全そうなタイミングで別の領地に逃れるという選択肢以外ない。
それを黙々と考え込んでいると唐突に扉が三回ほどノックされる。
それに「はい」と答えれば、例の執事の声で「お時間がきました」と告げられる。
メアリーは無言で立ち上がる。
その際もちろんポーチとズダ袋を持って、ついでにアリオストロのズダ袋を投げつけて渡す。
「行くよ」
それ以上の言葉は必要なかった。
メアリーは淡々と、アリオストロは緊張したように唾を飲み込みながら自分の武器を握り直した。
白亜の城。
ロココ調のデザイン。真紅のカーペット。
先導する執事の背中を追いながら、メアリーは眼球だけを動かして周囲を探る。どこが逃げやすいか、どこが逃げたらまずいか、そしてこの世界は何なのか、それを知るために視線を様々な場所に移す。
そして思考の隅にランの姿が見えて、思考を閉ざす。
ああ、全く厄介なことだ。
あの憎しみを携えた瞳。まるで蛇のように見える瞳が今も尚メアリーの思考の半分を占拠する。
鼻から息を吸い。それから深く口から吐き出す。
そうでもしないとあの瞳に飲まれてしまいそうだったから。そこまでしてメアリーは自分がその選別の儀を行う会場についたことに気がついた。あっという間だったなという思いと、そこまで考えてしまっていたかという唖然とした気持ちが同居する。
そこには小さな神殿があった。
建物の中に、しかも中世ヨーロッパあたりの城の中にあったのは、古代ギリシャで見られるような神殿。
大理石をふんだんに使ったそこは、どことなく神聖な空気が流れていた。目新しいその構造に思わずキョロキョロと視界を揺らしてしまう。執事に導かれるまま内部に入れば、そこにはラン、フロン、アジェンダにシャルル、それから見たことのない金髪の少女と青年が二人。
どうやら最後はメアリーたちだったらしい。
アジェンダからは敵対の視線、ランからは恨みの視線、フロンからはニヤついた妙な視線。
他にも様々な感情が蠢く視線をなんとか振り切りながら、他の戴冠者が集まる神殿の中央へと向かう。神殿の作りは至ってシンプルだった。入口から引かれる赤色の質のいいカーペットが奥にある天井ほどの大きさの男神の石像がある場所まで伸びている。
男神は玉座に座るような体勢で、杖のようなものと雷のようなものを持っていた。
どこからどう見てもゼウス神に見える。
そんな石像の前で、草冠をつけたキトンを着る男が一人佇んでいた。
「揃いましたね」
彼はそう言ってメアリーたちを見てから眉を顰める。
それもそうだここにはどう考えたって一人多い。メアリーはそれぞれの顔を見ながら、誰が嘘をついてるのか考えた。だが正直なところ、誰もが真面目過ぎる目をしているから、嘘をついていないのではないかと思ってしまう。
これは厄介なことになりそうだ。
そう思ったとき、このまま進めようと思ったのか男が声を張り上げた。
「神託のお時間です」
戴冠者の皆様、前へ。
その言葉で前に出たのはメアリー、ラン、アンジェリカ、フロン、そして金髪の少女。
さて、どうなることやら、そんな呑気なことを考えて漠然と石像を見ていたメアリーの耳に、尊大で女性的にも男性的にも聞こえる機械的な声が聞こえた。
あの日と同じ声。
メアリーが初めてセウズ神を知った日。
それと同じ声が、神殿全体に響いた。
「神託――神託である」
皆の顔が声のする方、石像の顔に向かう。
石像の唇は動いていない。けれども声はそこからする。なんとも不思議な光景にメアリーは他人事のような気分に襲われるものの、意識を叱咤して神託の内容を聞く体勢へと変えた。
「これより、戴冠の儀の開始を宣言する」
選別ではないのか、その疑問は次の瞬間霧散した。
「生きている全ての戴冠者に認められた次期王候補こそ、この国の王となる。神に選ばれし戴冠者よ、王を選別せよ」




