9神饌の戴冠者
「ないと、いい切れるか?」
「いや、それは……できないけど……」
言葉を詰まらすアリオストロに、メアリーは意図指し指の腹でトントンと机を叩いた。
アリオストロの視線がそこにいく。ポーズ的に猫背になったメアリーはまるで耳を寄せろと言うように視線が突き刺さった。メアリーは一度扉の方に視線を向ける。それだけで要件がわかったアリオストロは同じように猫背になってメアリーに近づいた。
メアリー的にはアンジェリカに何かを聞かれても問題ないと思っていた。
それは本人の気質的に「自分に恐れて弱腰になっているのだ」と誤認してくれそうだから、だが聞かれたらまずいと結論づけたのは別の理由。この話がフロンの耳に入って仕舞えば、の危惧だった。
メアリーはフロンを警戒している。
話をしたときに、その仕草、そして異様な雰囲気。それら全てがメアリーの心に警戒の鐘を鳴らさせた。
もしアリオストロが先にフロンに出会っていれば、「フレンドリーな普通な女の子」と評していたかも知れない。けれどメアリーからしたら、あれはジャックのような人物であるという評価が出てくる。
笑みの奥に打算的な思考が蔓延ってるといえばいいのだろうか、計画性があるとポジティブにいえばいいのか、どちらにしても最初から自分が選んだ次期王候補を裏切ることを提案してくるやつなんて碌でもないことは確かである。
だから対策には対策を……、
「もしバトルロワイヤルみたいに命の奪い合いとか言われたら早々に逃げるよ」
「……俺たち逃げてばかりじゃない?」
アリオストロのその言葉にメアリーは彼の耳を大袈裟に引っ張った。
「痛い痛い痛い!!」
「そう言う元気な言葉はとりあえず自分が強くなったら言ってもらえるかい?」
「ごめんごめんって!!」
アリオストロの悲鳴がアンジェリカのBGMを遥かに超えて響く。
そうなったところで、アンジェリカの声が止んだ。それに思わずメアリーとアリオストロは動きを止めて一緒になって扉の方向を見る。それからお互いを見合ってから、メアリーはアリオストロの耳を話して立ち上がった。
そんなメアリーにアリオストロも続く。
メアリーが扉をゆっくりと小さく開いた瞬間、破裂しそうな勢いの悲鳴の混じったアンジェリカの「偽物の戴冠者が殺人ヨォ!!」と言う言葉が聞こえた。
「まだ殺してない」
「待って、まだって何?」
メアリーの物騒な言葉に反応するようにアリオストロは命の危険を感じながらそういう。
そんなアリオストロを見ても尚、無視しようとしたメアリーだったが「メアリー」と別の声で聞こえた言葉に固まった。
言葉に固まったというが、メアリーは呼ばれたことに驚いたわけではない。
なんというか、何をどう表現すればいいのかわからないが、その声から逃げてはダメなんだと本能的に感じたのだ。メアリーは少し開けた扉を躊躇いがちに開ける。そしてアンジェリカが去った方向とは反対にいた一人の少女を見て、口をポカーンと開けた。
少女には見覚えがなかった。
短髪赤髪、黄金の瞳は意志の強そうな煌めきを持っていて、少女は形のいいまつ毛を揺らして瞬きする。
キトンの上から鎧を身につけた強そうな少女だ。初対面のヒトに抱く感想はそこまでのはずなのに、それ以上の感情がまるで満たされない杯に流し込まれるような激流を持ってして動く。
誰だったけ。
まるで初めて会った人物ではないと言うような、そんな思考になる。
それのなんと奇妙なことか、言い表せない感情に不快感が昇ってきた。
「ええっと、誰だったか?私はメアリー。メアリー・パートリッジ。あんたは?」
「……、…………ラン。ラン・アジェンダ」
戸惑うようにランは己の名前を告げた。
しかし、目の前のメアリーはまるで理解していないと言うように首を傾げる。
「あ、ったことあったけ?」
曖昧に濁したメアリーの言葉に、ランは絶句した。
ランの形のいい眉がすぐに顰められる。それから、まるで呪詛を吐くように重々しい言葉で、何かを確認しようと問答を始める。
「育った場所はどこ」
「確か……孤児院だったけど」
メアリーは鶯鳴の記憶に埋もれた今世の記憶を探りつつ答える。
それにランはけぶるまつ毛で瞬きをしてから、忌々しそうなアルトの声で更に聞く。
「孤児院の中で知っているヒトはいる?」
「ああ、もしかして、孤児院であったことある?」
そこでやっと理解したメアリーがそういえば、ランはまるで人を呪えてしまうような瞳の熱さでメアリーを捉えた。
「ちょ、おい!」
アリオストロが止めるように声を上げた頃には、メアリーは頬に熱さを感じて、視界があらぬ方向に向いた。
そこで己は頬を叩かれたのだと気がついたメアリーが、眉間に皺を寄せる。流石にここまでされて黙ってられるほどメアリーは大人ではなかった。いや、精神的には大人だけども、それを許せるほどの心の広さは生憎と鶯鳴であったときから持ち合わせてはいない。
苦言を、いや文句を言おうとした。
だがそれもランの瞳を前に押し黙ることになった。
彼女の下まつ毛に涙の雫が溜まっていた。訳もわからない状態に思わずメアリーは怒りを忘れて混乱する。
そうして固まっているうちに、ランはメアリーの胸ぐらを掴んで、それから問い詰めるように「誰?」と聞いた。
「は?」
「あなた誰?」
「だからメアリーだって……」
「嘘つかないで!」
ランはそこで手を離す。
その衝撃のせいでメアリーが尻餅をつけば、アリオストロが慌てた様子で寄り添った。その一部始終を見ても、憎むようにメアリーを見たランが続ける。
「どれだけ、私が、オーガッシュ先生が心配したと思ってるの?」
「ちょ、だから誰のこ……」
「ああ、そう。そうだよね。もうメアリーはメアリーじゃなくなっちゃったんだよね」
その言葉にメアリーは何も言えなくなった。
そうだ。ランの言葉には間違いなど一つもない。昔のメアリーとは違って、現在のメアリーの意識は鶯鳴と呼ばれる存在と混ざった状況のものだ。だから彼女の言葉には否定ができない。もし昔のメアリーの知人および幼馴染であれば、今のメアリーを別物と捉える可能性だってある。何も変わってないつもりだったメアリーにとってその言葉はある意味暴力的であった。
「あなたがメアリーを殺したの?」
殺す。
その言葉にメアリーは流石に「違う」と声を上げた。
何が何だかわかっていないアリオストロが、仲介に入ろうと「一度冷静になろう」と言ってもランの攻撃は止まらない。
「何も違わないよ。そう、メアリーは死んだんだね」
ランはそう言うともう興味がないと言うようにメアリーから視線を外した。
翻す仕草さえも怒りと憎しみを携えたようなもので、メアリーはどうしていいかわからなくなってしまう。
彼女を引き止めるべきだ。
ランが足早に去ろうとする背中を見ながらそんなことを思う。
だがしかし、それをする資格がないと気がついてしまった。
鶯鳴の記憶にはとある有名な小説の冒頭がある。
「恥の多い生涯を送ってきました」という言葉だ。
今それが頭を駆け巡ってメアリーを縛り付ける。
ああ、そうだ。メアリーも、いや鶯鳴は恥の多い生涯を送り、そして今も尚その生涯を進んでいるのだ。
メアリーという少女の心も感情も置いてけぼりにして、自身の心さえも理解せずに生きていた。
その結果がこの末路。
かつて知人だったか、友だったか、それとも幼馴染だったかわからない少女からの強い拒絶。それを見てやっと、メアリーは如何に自分が罪深い存在なのか理解してしまったのだった。




