2追い迫る刺客
「メアリー様?アリオストロ様?」
その声はスキロスの声だった。
彼女は返事がないことを訝しげに思ったのか、ギギっと扉の音を鳴らす。それに鼓動を跳ねさせながらメアリー達はスキロスが早く出て行ってくれることを願った。
ベッドマットのワタが吐く息を吸収して暑くなる。
たらりと流れるひたいからの汗が吸われて、さらに呼吸がし辛くなった。
「あ、寝ていらしゃったのですね。おやすみなさい」
天蓋ベッドを見たからだろう。
大人しくすんなりと帰ったスキロスに、緊張感というよりも不安が優った。本当に監視役があの子でよかったのだろうか、それからメアリーは騒ぎになってくれないことに焦燥を感じる。本来の計画であれば、スキロスが見にきて不在であることを知り騒ぎが起きることを望んでいたがそれもできそうにない。
このままでは夜が明けてしまう。
それではだめだ。どうしてもこの時間帯にメアリーとアリオストロが不在であるという事実がなければどうすることもできない。
そう思ったとき、唐突に走ってくる音が聞こえる。
今度こそ、メアリーはアリオストロの手を強く握った。バレたくないという心臓の鼓動と不在であることを知られなくてはならないという感情が交差して頭をバカにする。
そうして、近づく足音を聞きながら「どうか今度こそ計画通りに行ってくれ」と思えば、非常に大きく扉が開け放たれる音がする。
それはまるで花火のような、あるいは銃声のような、それほど大きく聞こえたのはやはり緊張のせいか、理性を保つふりをしながら、メアリーはぎゅっと目を瞑った。
「スキロス!!」
「はいはい!団長!どうなされました!!」
団長という言葉に思わず口が開きかけた。
カラスと呼ばれる組織の長ということだろう。いないことに気がつかれなければならないとは言ったものの、こんな相手を前にそれができるのであろうか。そう思うと汗が先ほどとは比にならないほどじわじわと滲んできた。
それはアリオストロも同じで、彼も新たな登場人物に叫びたくなるほど気持ち悪く酔うような気分にさせてくる。
シャー!っと天蓋が引かれる。
息を詰めた音がアリオストロの頭の中で響いてやまない。
「監視対象がいなくなっているではないか!」
「あ、本当だ」
「何が『あ、本当だ』だ!くそ、やられた……それにしてもどうやってこの部屋から出たんだ……」
その言葉にメアリーは己の失態に気がつく。
窓でも開け放っていればよかった。偽装することに尽力をかけすぎて偽りの逃亡ルートを用意するのを忘れていた。それはとてもまずいことだ。このままでは、この部屋に潜伏していると気が付かれてしまう。
「んー。でも、この部屋にはもういないんじゃないですか?」
「……何?」
「だって」そう続けたのはスキロスだ。
ああ、そうだここには天然のバカがいる。だから何も問題ない、勝手に考察して、勝手に撤収してくれるだろう。そんな浅はかな願いともいえない感情を溢して、いれば徐にスキロスの声が近づいた。
グサ。
「隠れるとしたらここくらいしかないだろうし、見てください。ベッドに刺したナイフは血に汚れてません」
「貴様……!それで戴冠者を殺してしまえばどうなっていたのかわからないのか!!」
メアリーとアリオストロの重ねた手の上に大きめなナイフの先端が刺さった。
もう少し下に刺されていれば、そう想像して二人の呼吸は浅くなる。
「あ、そうだった」
「なぜお前が鴉に選ばれたのか不思議でならん……」
「だって成績一位だったんですもん!」
「御託はいい。さっさと他の鴉たちに連絡し、戴冠者の足取りを掴め!いいか領内では決して次期王候補を殺すなよ」
「わかってますよ!」
そういうとスキロスの声が遠ざかる。
ついでに団長と呼ばれた人物の足音もカツンカツンと遠ざかった。
アリオストロがメアリーと繋いだ手に力を込める。それは痛いくらいに締め付けてくるからメアリーは唇をかみしめて耐えようとした。ここを出たらまずアリオストロの顔面を殴ってやる。その決意を固めてメアリーの手が白くなりそうになるのを肌で感じながら「ふぅ」と聞こえないように息を吐いた。
とりあえずどうであれ最初の目的は果たされた。あとは夜明け寸前まで待てばいい。
そう安堵した時、パタパタと走ってくる誰かの足音が聞こえた。
メアリーとアリオストロの間にまた緊張感がやってくる。どうかバレませんように、どうかこの部屋の見張りでないように、そんな願いを葉を食いしばりながら祈っていると陽気で緊張感のないよく知る声がベッド近く……メアリーたちが隠れている場所へと届いた。
「どうも!ついさっきソピア馬車運営っていうところのジャックさんに買収されたスキロスです!メアリー様、アリオストロ様!領外に出るための馬車を用意したので、出てきてください!」
いや、バレた時点でメアリーとアリオストロの命運は終わったのだが、それにしてもスキロスにバレるとは思ってもいなかったメアリーは渋い顔をしながら、あくまでもジャックに買収されたというスキロスの言葉を信じない様子でマットレスの中から這い出て、スキロスを見た。
白い健康的な肌。斜めに切られた目が隠れる程度の印象的な茶髪、にっこりと細められた笑顔は純粋で、メイド服を着ている姿は何も変わっていないのにも関わらず、ある一点がメアリーたちの視線を奪ってやまない。
その一点というのは、首にかけられた特大のジュエリーと指につけられた大きいダイアモンドの指輪。
どれもが純金製に見えるのは、鶯鳴の記憶ゆえか、いやそんなことどうでもいい。どう見たってスキロスは買収されていた。
これほどわかりやすい買収の構図はあるだろうか。
目を輝かせて幻覚でなければ涎もたらしているスキロスは完全に目が眩んだ‘’それ‘’だ。
アリオストロもその姿を見て自分が殺される確率が下がったことを知る。
というか、あの団長を連れてきた時点でアリオストロとメアリーの場所を言わなかったのだ。それだけで警戒するだけ損ということだろう。
「あーえっと、その、信頼できないんだが……」
「大丈夫です!ついさっきブルゴーニュ様の執務机に辞表の紙を置いてきました!」
「ああ、と……メアリーパス」
「……、…………今は彼女のいうことを信じないとどうにもできないよ」
渡されたパスにメアリーは首を振ってそう答える。
まさかジャックが内部の人間を味方につけて逃亡を手伝うなんて考えていなかったメアリーは思考を放棄していた。まぁジャックがそんな卑怯な方法取るか取らないかといえば、前者であるという感触はしているのでスキロスの発言を信じる価値はあるかもしれない……程度には考えていたが、
「それで、馬車まで安全に護送してくれるんだろうね?」
「それはもちろん!前払いでこんだけもらって、後払い分もあるんですから!!それはもう、尽力を出して馬車までお連れします!」
「ああ、っと……あんたはそれでいいのか?」
アリオストロの言葉にスキロスは一瞬目を丸くする。
それから聖母と言わんばかりの優しい瞳で返した。
「今の職場任務達成報酬とかなくって、正直もうやめようかと思っていたんです」
「ああ、そう……」
もうそういうしかない。
メアリーは遠くを見て、報酬って大切なんだなと思った。まさか暗殺部隊をやめる理由の薄さにメアリーは苦い思いを感じながら、現実の厳しさを目の当たりにした感触を覚える。反対にアリオストロは「じゃあ、うん、お願いします」となんともいえない表情でニコニコ微笑むスキロスにそういった。




