1自我の崩壊
メアリーが目覚めるとき、決まって心配そうに覗き込むランの顔が見える。
それは四年前、つまりメアリーが十二歳になった頃から現在の十六歳になるまで続いた習慣だった。習慣というか、まるで初めて魘されているような人間を見るような目で、ランはいつも同じくらいのリアクションでメアリーを心配していた。
心配してくれることはメアリーにとっては嬉しいことだ。
だがそれと一緒にもう二十歳になるのだから、そろそろ慣れて欲しいと思う気持ちもある。
そうは思っても、あの悪夢から現実へと戻ってきたことの安堵を与えてくれているのはランの顔だった。だからそうは思っていても、メアリーはランに苦言を申すことはできないのである。
「今日も魘されてたよ」
「ああ、うん。いつもごめんね。おはよう、ラン」
「いちいち謝らないでよ、ただ心配してるだけなんだからさ。それから、おはようメアリー」
ランはまるで怒ったように眉を顰める。
だが、態とらしく頬を膨らませているあたり、怒っているというよりはどちらかというと、本人の言う通り、心配しているのだろう。
身を起こしながら柔らかな掛け布団をきれいに折り畳んで、メアリーはベッドに腰掛ける状態で床に足を下ろした。木目調の床が一瞬、白色の滑らかな床に見える。ランに気がつかれないように唾を飲み込んでから、腹に力を入れて、メアリーは朝の準備を始めるランに倣って支度した。
メアリーとランはこの孤児院の年長組である。
身長はややランの方が高く、肉付きはメアリーの方が良い。メアリーは背中まで伸びた青色の髪を自由にさせ、ランは赤髪を半分だけ後ろで束ねたありふれた少女たちであった。
ありふれたと言っても、比較する対象はお互いしかいない。
なぜならこの孤児院は小高い丘の上にぽつりとある孤立した閉鎖空間でもあったからだ。周辺に村や街などなく、そのため孤児院では自給自足が普及している。ゆえにこの孤児院に属するものたちは、皆急に野に放たれても図太く生きていけるくらいには知識と知恵を授かっていた。
「今日のご飯の当番て私たちだっけ」
「そうだよ、だから早めにオーガッシュ先生のところに行かないと」
髪を解かしながら答えるランは非常に真剣に鏡に映る己を見ていた。
何に拘っているのかはメアリーには想像つかないが、容姿を気にし始めたのは最近であることを知っている。これで村との交流があれば好きな人でもできたか、とかそんな話になるだろうが、生憎、孤児院にいる異性は八歳のアーサーだけだ。親友の好みにケチをつけるわけではないが、もし彼だったとしたら距離を置こうとメアリーは勝手に妄想して、勝手に自己解決した。
「ねぇ、なんか失礼なこと考えてない?」
「ないない、ないったらない」
「そういうとき、絶対あるじゃん!てか、メアリー、そのボサボサ頭で行くわけ?ちょっとここに座って」
ランは自分が座っていたところを空けて、メアリーの両肩を持って、無理矢理そこに座らす。
そうすれば、頼んでもいないのにも関わらず、真剣にメアリーの髪を解かし始めた。
櫛を通すランはどこか楽しげで、それを見て仕舞えばメアリーは反抗する気にもなれない。しかし蜘蛛の巣のように絡まった髪を強引に櫛を動かして解かそうとすることに関しては流石に文句が口から出た。
「痛い痛い痛い!!!」
「大丈夫大丈夫!!」
「待って何が!!?」
だが虚しいことにメアリーの抗議の声は全くと言って受け入れてもらえない。
それどころかランの勢い余った櫛さばきが更に強くなった気がしていた。痛みを紛らわすためにメアリーは滲んできた涙目で窓の外の方向を見る。そうすれば、顔を出し始めた青白い太陽が、草原を撫でるように光をこぼして輝いていた。
今日は天気もいい。
洗濯物がよく乾きそうだ。頭皮が悲鳴を上げる中で、唇を噛み締めながら現実逃避を行う。それでもやっぱり痛くて、孤児院にメアリーの大きな悲鳴が朝早くから元気よく聞こえた。
「髪の毛が全部なくなったら先生にチクってやる」
「ごめんって、まさかあんなに絡まってるとは思わなくって……よかった、櫛が壊れなくって」
「心配するのそっちかよ」
なんとか拷問のような苦しみから解放されたメアリーは、青白い太陽が朝を告げる日差しを浴びながら、吹き抜けの廊下を歩いていた。目的地は仄かに香る美味しそうなパンの匂いがする食堂。キャラキャラと子どもたちの声が聞こえるのを耳にしながら、メアリーは頭を押さえぶつくさと文句をランにぶつけていた。
ランはというと、そんなメアリーの態度なんて全て無視して櫛のことを考えていた。
なんと言ってもあの櫛は、ランの誕生日にオーガッシュ先生から貰った大切な宝物だ。強引に使おうが、日々愛用しようが、まぁ大切なことには変わりない。唯一無二。彼女にとってはそれだけの価値のあるものだった。
現在進行形でそんな彼女の大切な櫛で親友を苦しめたのだが、まぁ綺麗に天使の輪を輝かせる毛並みになったのだ。必要な犠牲だったのだろうと、ランはそれはもう綺麗に文句をスルーしていた。
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