7神の呼び声
開いたテントの入り口からやってきたのはただでさえボロボロだった姿が、さらに酷くなったアリオストロだった。
頬には誰かに打たれたのか、大きなアザがある。思わずその姿に動揺する。飲み込んだ息がこれほどまでに重かったことは経験としてメアリーにとっては初めてのことであった。
記憶の中ならもしかしてあったかもしれない。
けれどそれを冷静に掘り出すくらい、メアリーは落ち着いてなかった。
どうする、ここからどうする。
下手に関係がバレれば間違いなくアリオストロは殺されるだろう。であればどうする。ここで無視することなんて最悪だよ逃げができなくなるし、もしかしたら助けてくれないと知ったアリオストロがメアリーの夜逃げ作戦を密告する可能性もある。
落ち着け。落ち着くんだ。
メアリーは心にそう響かせる。
一度大きく深呼吸してメアリーは考えをまとめた。それから「こいつ、先ほど戴冠者様に呼ばれていたものでは?」という疑問を口にするプセーフォスに困ったような表情で、
「彼にお腹が空いたからご飯をもらってきて欲しいと頼んだんが」
そう言った。
アリオストロの方がピクリと跳ねる。
それを見て、生きていることを確認したメアリーは続けた。
「プセーフォスさんにはご迷惑だと思って、最初に出会った彼にお願いしたんだ」
「ああ、そうだったんですね!それは私たちの配慮不足でした!ほら、お前、さっさと戴冠者様に配給物を取ってこい」
地面に投げ出されたアリオストロにプセーフォスはそう言って、その体を足で蹴った。
そして地面で拭うような仕草を見せてから、鼻を押さえて気持ち悪そうに蹴った足を揺らすプセーフォスに思わずメアリーは「ここは神聖な場所だよ」と冷たくいった。
「ああ、申し訳ない!!」
取り乱すように言ったプセーフォスにメアリーは続けて、めんどくさそうに目を回す。
「わかったんだったらいいけど、急がせたら落とすかもしれないから、なるべく慎重に持ってきな。神からのありがたい致しなんだから」
「流石は戴冠者様!おい、聞いていたか、聞いていたのだったらさっさと動け」
その言葉にアリオストロはふらりと立ち上がった。
伽藍堂な瞳をメアリーに向けて、それからプセーフォスにコクリと頷く。
メアリーはそんなアリオストロなんて眼中にないと言ったように、視線をすぐにプセーフォスに向けてから「一人にさせてくれ、食事くらいゆっくり食べたい」といえばプセーフォスの体が明らかに固まった。
暗にテントの前にいるヒトをどうにかしろ、と言っていたのだ。
まさか気がつかれていたなど思っていないプセーフォスは驚きからやや目を見開く。それから取り繕うように「では私たちはお暇させていただきます」と言葉の意味を理解してませんというように去っていった。
結局テントの前の二人組の気配はそこにある。
苛立った様子で何回目かの息を外にいる二人にわざと聴かせるように吐いた。
しばらくして、アリオストロがフラフラと帰ってきた。
腕に乗る皿は四皿。二皿は手で持ち、もう二皿は絶妙なバランスを持って腕の上に置かれている。それをサイドテーブルに置いたのを見届けたメアリーはアリオストロを引き摺り込むようにベッドへと振り落とし、ボフッと音をならせて片手をアリオストロの側頭部近くに叩き込んだ。
「お前、バレとるやんけ!!」
小声でメアリーは怒鳴る。
伽藍堂になっていたアリオストロの瞳が光を取り戻して、困惑を浮かべる。薄い唇が「幻滅したんじゃないのか?」と形作られた瞬間にメアリーの堪忍袋の尾が綺麗に切れた。
「この作戦の要はお前なんだぞ!?それに私が、この私が王にするって決めたんだから見捨てるわけないだろう!!」
そういうと、メアリーはすぐにアリオストロを解放する。
そしてすぐさまサイドテーブルに置かれた中で保存の効きそうなものを手に取る。林檎、パン、シフォンケーキ。この辺りから、思わずメアリーはツッコミたくなる。皆が着るものたちよりも断然に食物の文明が高いのだ。林檎も、よく見てみれば、遺伝子組み換えによって甘くなっているようなもの――つまり鶯鳴時代に見たもの――に見える。この世界やっぱりおかしい。その感想がメアリーの頭によぎった。
とりあえず。旅路に必要な食べ物はこのくらいで問題ないだろう。
厳選したものをズダ袋に入れ、それ以外の日持ちしなさそうな物をそのままサイドテーブルに戻す。
時刻はいつかわからないものの、夕方にはなったくらいだろう。部屋の中にある松明がさらに輝いているのを横目にまだベッドで放心するアリオストロに「ほら、食うぞ」と声をかけた。
アリオストロはのそのそと起き上がる。
その目には疑心のようなものが写っていて、困ったような表情を浮かべていた。
「俺も、いいのか……?」
「ダメって言ったら食わないのか?」
そう言いながら、ハンバーガーと思わしきそれをアリオストロの手に乗せる。
文字文字と何か言ってはいるが、最終的に「いや、食べるけど」と言って、それにかぶりついた。
「うっっま」
思わずというようにそういうアリオストロにメアリーはふっと笑った。
その初々しい反応が面白かったからではない、キトンを着てハンバーガーを食べてるヒトという構図がどうしても面白かったのだ。
さて、自分の腹も満たすか、そう思ってメアリーは皿の上に乗ったホットドックぽいものを掴む。
それから不思議そうにそれを見つめてから、ガブッと噛み付いた。
うん。ホットドッグだ。
記憶の中にある大型ショッピングモールで狂っていたように食べていた記憶を思い出しながら、メアリーはそう感想を零した。本当にこの時代はどうなっているのだろう。間違いなく、古代ギリシャにトリップなんていう線は無くなった。ホットドッグが古代ギリシャにあってたまるか。
「そういえば、他の頼んでたものは準備できたの?」
「え、ああ、家に置いてあるけど、とりあえずのところ集めれた」
「そう、なら今日、ここを出て行くよ」
「ああ、わかった……って今日!?」
「うるさい」
自分の食べていたホットドッグをアリオストロの口の中に捩じ込む。
フガフガ言いつつも咀嚼している姿は欲に忠実すぎた。そんなアリオストロを見てから「それらをなんかの袋に入れて夜にこの近くにいて」と言った。
「お前はどうするんだ?」
「私は隙を見てここから脱出する」
「俺が手伝うことは?」
「そうだな……あんたの家って燃やすことできる?」
「は?」
アリオストロの口からぽろっと刻まれた玉ねぎが落ちた。
こういう作法は後々学ばせよう。上に立つと決めたのだから、最低限の上品さは必要だ。そう思いながら、メアリーはアリオストロに説明する。
「ぼや騒ぎを出して、混乱のうちに逃げるんだよ」
「なるほど……確かに理にかなっているが……」
「確定で監視がいくとは思えないってことでしょう?そこは私の演技力に任せて欲しい」
「……わかった」
「とにかくあんたは見つからないこと、ここから出たあと私と一緒にいるところを見られれば、あんた殺されるよ」
短い言葉だった。
メアリーの言葉は、まるで明日の天気を告げるような軽やかな言葉で、それでいてアリオストロの命を左右させる言葉でもあった。今まで驚き続けたアリオストロも、叫び声すらわせれた様子で固まる。
一瞬で理解できなかったのだろう。アリオストロの顔から表情が失せて、真顔になり茫然としたようなぼんやりとした表情が現れる。それはまるであどけない、という言葉が似合うような気がして、メアリーは思わずクスッとした。だが、クスッとできないアリオストロは次の瞬間全てを察して叫ぶ……叫ぼうとして、メアリーの手によって沈められることになる。
「な、な――!」
「うるさい」
ベッドに再度投げ出されたアリオストロは、緩やかに意識を吹き飛ばした。
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