6神の呼び声
アリオストロは叫びそうになった口を自分の手で塞いだ。
彼も状況がわかってきたのだろう。みるみるうちに青色に染まっていく顔はお世辞にも健康的とはいえない。メアリーはそんな様子のアリオストロを置いてきぼりに「だから、旅の支度はあんたに頼みたい」と続けた。
テントの中を照らす松明が、不気味に揺らぐ。
焔の揺れと共に揺れるアリオストロの影は本人同様にどこか細かく身震いしていた。ツンとした匂いがまたメアリーの鼻をくすぐる。それに不快そうに眉を動かしてから「それからあんたは水浴びをしてきな」とどこか不満そうに言った。
アリオストロはそこで初めて自分が嫌な匂いを発していると知る。
それはメアリーの表情や声色からただの冗談ではなく、事実であることを知り、今度は恥ずかしくなって顔を赤く染めた。これじゃあ信号機と同じだ。次には黄色になるのだろうか、そんな妄想めいたことを考えつつ、メアリーは堂々と「ということで、私のぶんまで配給ぶん取ってきな」とアリオストロに向けた。
「言い方……」
「確かに私たちの食事は神から与えられた尊いものだけどね。それは神としてこの国を動かしているセウズ神の責任でもあるんだよ」
「責任……?」
「そう、責任。私たちを生かす責任。それらを考えれば配給をもらうって言うのは当然の権利だ」
そう言い放つメアリーにアリオストロは目を何度か瞬かせて、それから「ぷ」と吹き出した。
「あはは、そんな風に考える奴初めて見たよ」
「私の考えはなんも間違ってないよ」
「……当然の権利か…………」
アリオストロはその言葉を考え深いというように口にした。
それからなんだか泣きそうな雰囲気を出す。思わずメアリーは顔を顰めた。面倒ごとは特に嫌いであったから。
「そんな当然のことで泣くんじゃないよ」
「泣いてない、泣いてないまだ」
「まだって、泣く気満々じゃないか」
崩壊寸前の涙腺を前にほとほと呆れるようにメアリーはため息混じりにそういった。
それほどまでに神というやつは根深いのかな、アリオストロのつむじを見ながら、メアリーはそう考え込む。確かにインフラを握られていればそうなるのも納得できるが、鶯鳴の記憶を持ち、メアリーの経験を持つメアリー・パートリッジにはなんだか想像できない世界である。
まぁそれはそうとして、賭けと言ってもアリオストロに「王にする」とまで言ってしまったのだ。
まずはこの泣き癖をどうにかしないとな。
達観するようにそう思考を整理したメアリーは「もういい」と続けた。
「とりあえず、あんたは配給品の準備と旅の支度をしといて、私はここの長のご機嫌取りをいなしてるから」
「わかった……二人分でいいんだよな?」
「当たり前だよ。あんたこの集落にいられなくなるし王様になるんだから私についてきてもらわないと」
「うん、うん!わかった!それで、旅の支度は何をすればいいんだ?」
嬉しそうに声をあげるアリオストロにメアリーはうーんと悩んだ。
「保存食に……持ち歩けるような腹持ちのいいものを三日間分、それからあんたの武器になれそうなもの一つ、そして私とあんた、二人分の身を覆えそうな布……覚えられるか?」
「おう、わかった。今すぐにでも持ってくる」
「お金とかは必要か?」
「いや、食料以外は俺の家にあると思う」
そういうとアリオストロはまるでネズミのようにぴゅっと走り出す。
ああ、水浴びしろと厳命するのを忘れた。頭を抱えつつメアリーは近づいてくる足音にげんなりとする。全くどこにいっても休むことはできない。あの神殿の跡地が一番自分にはあっていたのではないだろうか、そんな考え方をしながら、猫撫で声で「戴冠者様、失礼しても?」と言ってくるプセーフォスの声に「ああ」と返した。
「失礼します戴冠者様」
「そんな肩苦しい言葉はよしてくれ、これでもそこらの人と同じように生きてきたんで慣れないんだ」
「いえいえ、神聖なるセウズ神に選ばれた戴冠者様にそんな無礼なことできますまい」
「……そうか」
メアリーは諦めたように一呼吸置いた。
そんな無礼なこと、さっきまでアリオストロはやってみせたけどな。そんな独り言は胸の内に隠す。別にメアリーはサディストではない。わざわざアリオストロの身に危険が及ぶ可能性のあることを言うつもりはなかった。
それにしてもプセーフォスは隠す気はないのだろうか、明らかにメアリーを使って王になりたいという欲求が目に見えていた。
ここで一つ訂正しておくが、プセーフォスは隠せているつもりであった。単にこれは鶯鳴としての記憶がメアリーに強く影響を及ぼして、その知識からわかったことである。単純な人間であれば、欲を隠せていた。ただ単に相手が悪かっただけなのだ。
さて、メアリーに己の野望がバレていないと心底思っているプセーフォスは「何か困ったことはございませんでしょうか」と飄々と言ってのけた。
それにメアリーは小さく不快そうに眉を動かしてから相手に悟られないよう微笑の皮をかぶる。
「いえ、問題などは一つも」
「しばらくすれば配給の方も来ますので、それまではごゆるりとしてください」
配給。その言葉に、メアリーの目はやや鋭くなった。
と言っても、アリオストロの時のような危機感からではなく、プセーフォスの明らかに太っているという印象を受ける見た目から感じた納得感というもの。多分だが、とメアリーは思考する。配給を上級階級のヒトが独占している。流石に配っていないというようなことはないだろうが、明らかにアリオストロのような地位の低い相手には最低限、もしくはそれよりもやや下回た程度のものを渡されているのだろう。
メアリーの考えは間違いでない。
と言っても配給の仕方が問題であるのだ。集落のもの全ての配給品が一度に長であるプセーフォスの元に送られ、そこからプセーフォスは選り好みし、食べれるだけ食べ、それから上級階級の元に下賜され、そして中級階級に渡り、残飯のようなものだけが下級階級に渡されるという仕組みになっている。
気に入らないな。そう思う。
特に鶯鳴だったときの記憶が不快そうにメアリーの中で目覚める。金で物を言わすものや、自分を誰だと思っているんだ、なんてことを言って言うことを聞かない患者が想起された。
「ああ、ありがとう」
苦虫を潰したような表情をなんとか取り繕う。
そうでもしないと、目の前のプセーフォスに食ってかかってしまいそうだったからだ。
しばらく我慢すればいい。明日にでもここを夜逃げすれば、この不快感ともおさらばできる。
そう思いなんとか己を律するメアリーは、でも次の瞬間、激しく動揺することになる。
「申し訳ございません。戴冠者様、プセーフォス様。至急の連絡をしに来ました。御目通り願います」
「私はいいが……」
「ええ、もちろん戴冠者様がそう言わなさるなら……おい、なんの要件だ」
猫撫で声のような不快な音が一気に殺伐としたものに変わる。
自己顕示欲。いや、自分の地位がどれほど高いのか、戴冠者であるメアリーに示したいのであろう。だが、その行動こそがメアリーが感じるプセーフォスの評価を地に落としているのだが、そんなこと起きてると思ってもいないプセーフォスはさらに続ける。
「もたもたしないで、早く言え」
「ええ、それが、とても不敬なのですが、配給品を独占しようとする物が現れて」
メアリーの中の時間が止まる。
その伝令は間違えなくアリオストロの失敗を意味したものであることをメアリーは理解できたのである。




