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神饌の戴冠者Ⅰ・Ⅱ  作者: 綴咎
第一章 東の街リトス
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3新き仲間


 メアリーは己の立っている地面がなくなってしまったかのような不安感に襲われる。

 まるで巨人族に捕まった哀れな小鳥のように、籠を揺らされている気分になりながら目まぐるしい思考回路に酔いそうになった。自分が誰で、何者か、そんな疑問一度は誰もが通る道。だがメアリーのこれは違う。メアリー・パートリッジという少女はどういう少女だったか、鶯鳴という女性はどんな女性だったか。そして今ここで思考している自分はどちらなのか、そんな根源的恐怖心が顔を覗かせる。


 自分はメアリー。メアリー・パートリッジ。

 だが意識は?鶯鳴なのか?それともメアリーなのか、はたまた別の違う誰かなのか。


 それに答えられない。

 メアリーはその答えを持っていない。自分は誰で、どんな目的を持っていたか、仲間をどう思っていたか、メアリーを……己をどう思っていたか。全ては暗闇の中。常闇の最も深いところ、それこそ深淵とかそんな場所でメアリーは宙ぶらりんになる。


 わからない。

 わからない。わからない。


 メアリーは今の自分が理解できない。鶯鳴の記憶を持ち、それを模範するように思考回路を持っていたこと加味して自分を鶯鳴だと思っていいのか、それともただ単純に鶯鳴の記憶を持ったメアリーであると思えばいいのかわからない。自分が自分である証明ができないように、メアリーは己が何であるかを理解できない。


 だからか、メアリーは悟る。


 ずるずると腰を落として屈み、洗面台を掴んで、できるだけの力で握りしめる。

 両腕の間に顔を伏せ、それから乾いた音で「ハハ」と笑った。側からみれば気狂いなモノと思われても仕方がない。けれどそれを止められることはできなかった。メアリーの頭を冷め切った黄金色が占領していたからだ。


『あなた誰?』


 黄金色がそう問う。

 揺れる赤髪が、元は長かっただろうその髪が短くなった少女を思い出す。かつて心の拠り所であったヒト。かつて忘れてしまったヒト。今更思い出した大切なもの。


 メアリーの方が聞きたかった。

 私は誰なのか、私は何なのか、そして、私は何になったのか。


 だけどその問いに答えるものはいない。

 その答えを知るものはいない。それは全てメアリーが探さなくてはいけないことで、向き合わなければならない問題だ。誰も答えを持っていない、きっと死ぬ瞬間まで答えられない問題だろう。口から溢れる笑い声が止まらない。それと同時に開いた目から溢れる涙が、地面にぽつぽつと雨を降らせる。


「なぁ、誰なんだよ」


 鏡に映っていた自分に向かってメアリーは絞り出すような声でそういった。


 メアリーが落ち着いたのはそれから暫く経ってからのことだった。まずは浅くなった呼吸から、それに加えて体の震えが止まって、指先の痺れが解かれ、そして不安に堕ちていた足元がはっきりとする。そこまできてようやく頭は冷静を取り戻して、立ち上がれるようになった。

 恐る恐る覗いた鏡には恐怖に固まって、涙で目を充血させたメアリー自身が映る。それに対して安堵したメアリーはようやく落ち着いた心で、まずは自分の顔を洗うことにした。


 両手をコップのようにする。


 並々注がれるそれを待ち、限界まで水が達したのを見てから顔に打ちつけた。

 そうすれば幾分か気分が楽になった気がした。ひどい顔がちょっとだけマシになったように見えたのだから上々だろう。


 それから一度大きく深呼吸をした。

 なんとか「ふぅー」と息を吐き「すぅー」と息を呑み込む。次に頬を両手でバチンと叩き、怯えた表情を無理矢理にいつもの表情に変えた。


 席に戻った後、アリオストロとローランドは心配するように、へロスは気遣うようにメアリーを見た。それをなんとか「大丈夫」という三文字で押しつぶして強引に続きの話をする。


「それでどうなった?」

「……ええっと、それなんですが」


 ローランドが心配する瞳を隠さず、けれど何故か申し訳なさそうに若干屈みながらいう。


「へロスさんが仲間として入って、私たちの名前で勝つことに決まりました」


 もう決まったのか、という驚きと気付けば仲間が増えていることに驚く。

 戴冠者と次期王候補がいるチームに入ることがどんなに大変なことか、これからの人生にどう影響するか、その考えと、いいじゃないか、これで勝手に名声がつく、という二種類の思考が乱れて入ってくる。

 それをなんとか誤魔化しつつ、咳払いしながら、メアリーはへロスに向け直った。


「私たちの立場はへロスさんも知っている通りです」


 二種類の考えの中、メアリーは最初に抱いた感情……つまり、これからの旅での苦労よりもヘロスをとった。


「ああ、もちろんだ」

「へロスさんが私たちのチームに入るということはアリオストロを次期王候補(そうだ)と認めることになります」

「わかっている」

「そしてそうなれば、他の戴冠者(私たちのようなヒト)を敵に回すことになります」

「十分理解している」


 メアリーの問いに即答していくへロスをメアリーは注意深く見た。

 それはへロスのためでもあったし、何よりもアリオストロのためでもあった。


 何故ならアリオストロはへロスを巻き込むことを一番に危惧していたから。


 昨日のあの場でのやりとりを見ているからこそ、メアリーは慎重にならざる終えなかった。仲間になるとしてもだ、そこにノリや勢いなんて言葉は認められない。例え今求めている人材であっても、志が違えばどこかで決定的な決裂が生まれる。

 それはなんとしても避けたい。

 だからこそメアリーは口を開ける。


「この旅の終着点は神殺し(愚かなもの)です。そしてその結果によれば命だって名誉だって守られない。ヒトビトの記憶に残ることも、英雄としての名を残せるかもわかりません」

「メアリー……」


 それなりの付き合いだ。

 アリオストロはメアリーが言いたいことを理解したのだろう。

 その上で、メアリーのなだけをいって黙った。核心的なことを言うのが憚られたからだ。


「その時はその時まで、俺が力を尽くせなかったということだろう」

「強いだけでは、乗り越えられないこともあると思います」

「ああ、そうだな。だが、知をも征するのが強者と言える」

「へロスさんが私たちに協力する……仲間になろうとしたのは、私たちが子供だからですか?」


 メアリーの言葉にへロスは一瞬目を見開いた。

 それから小さく息を吐き、優しく笑ってみせる。その顔はメアリーたちを子ども扱いしているから故の顔でないことは確かに読める。むしろ何かを信じているような、メアリーたちに期待するような眼差しであると理解するには難しくなかった。


「貴殿らが切り開く未来が見たくなった」

「それは」

「この停滞した国で、何を思い、何を為そうとするのか、それを俺はみたい」


 本気だと思うには時間はさほどかからなかった。

 きっとメアリーが帰ってくるまで同じようなやりとりをしたのかもしれない。けれど、それどもこの時間はメアリーにとって、アリオストロにとってローランドにとって正しく必要な時間であった。


「いっただろう。迷えと。迷った先に貴殿が導き出した答えを聞きたくなったという気持ちもあるのだ」


 ああ、勝てないな。

 メアリーは己が何かわからない。メアリーなのか、鶯鳴なのか、はたまた別の誰かなのか、それがわからないまま今を生きている。そして、その迷いを肯定してくれる仲間が、今ここで目の前に居る。それのどんなに嬉しいことか、己の罪を内容は知らなくともそこにあると知っている仲間がいるのは心強い。


 罪はヒトの内にできる。

 そして罰はヒトの外にできる。


 いつかへロスが己の罰を裁いてくれるのだろうか、そんな日が来るのだろうか。

 メアリーはそんな下心からにっこりと微笑み片手を差し出した。


「よろしくお願いします」


 その言葉にはきっと、あらゆる苦悩が乗っていた。

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