3神の呼び声
川に着く頃には青白い太陽は天高く上がっていた。
日差しが肌を焼く。それを感じながら、丸いコロコロとした石を踏みながら、メアリーは麻で作られた靴底の泥を擦り付けて拭った。そしてある程度、不快感を感じなくなったところで、川の岸に腰下ろす。そしてズダ袋の中にある干し肉を取り、布で包んだナイフを抜き出してスライスするように動かした。
やや不恰好な肉片へと姿を変えたそれらを、先ほどまでナイフを包んでいた布の上に置いて、残った干し肉をズダ袋に乱雑に入れる。
それから拾ってきた木を組んで、近くに咲いた花をむしりとりその中に入れる。それからしっかりとした枝を持つ長めの植物から三本だけとって、それを三つ編みのように編んでから、木に巻きつけた。
あとは石の上に置いた一本の枝に、即席で作った紐を巻きつけた枝を噛ませて、干物はじを引っ張ったり、押したりしていれば、次第に摩擦熱が起こり。小さな火が生まれた。
「ふー」吐息を吹きかけて火の勢いを増させる。
それから摘んだ花の近くに落とせば、轟々と燃える炎が息づいた。
「よし、あとちょっとだね」
額に浮かんだ汗を拭う。
ここまでの作業に歩いてきた以上の体力を使った。正直なところここで一旦休憩に入りたいが、そうすればもう動きたくなくなるのは目に見えてる。だから重い体を無理やり動かして、今までかき集めた枝から一番太いものを二本、それを両サイドの地面に突き刺して、今まで使っていた紐に干し肉のかけらたちを結んで、二本の枝に橋をかけるように繋ぐ。
流石に干し肉であれ、生食は抵抗があった。
苦肉の策で出来上がったコンロもどきを見下ろしてから、メアリーはやっと落ち着けると言うように深々とため息をこぼしてから腰を下ろした。
「といっても、これからどうするかな」
炙られていく肉を見ながらそう零した。
この生活をずっと続けていくにはできない。そもそもの話、干し肉にも限度がある。なくなって仕舞えば、次に自分を襲うのは飢えの苦しみだ。最悪、健康状態が維持できなくって、病気になる可能性だって見過ごせない。
医者の不養生なんて言葉メアリーにとっては屈辱的な言葉だ。
炙る時間を待つために手にした水筒を煽りながら、内心舌打ちをこぼした。
現在メアリーがいるのは孤児院から南方へと降った、所謂裁定の山の近くであった。
近くといっても、裁定の山が目と鼻の先にある……と言う意味ではなく、ちょっとだけ近づいた程度の距離感だ。遠くから富士山を見ているような気分になる。さてあの山の標高はどのくらいなのだろうか、そんな考えをしながら、炙った干し肉を葉で挟むように持ち、口にする。香ばしい香りと、硬い感触を感じながら噛み砕き「うーん、肉だ」という食レポにもならない感想を言いながら、飲み込んだ。
「そう、そうだ。一旦村を探そう。そこでなら神都ニフタってところもわかるだろうし」
川の下流に沿って歩けば文明はあるだろう。
神都なんて言葉が出るんだからある程度の人間が群れを成している事は想像に難くない。なら近辺には村があっても可笑しくないし、集落なって物もあるかもしれない。
そんなことを考えていると、ガサッという音がした。
動物か何かが匂いに連れられてやってきたか、もしそれが熊ならめんどくさいことになるな。そんなことを思いながら森の方へと視線を向ける。そうすればそこにいたのは、粗末な木製のバケツを持った、小柄な少年であった。
彼は視線が合うと、びくりと肩を跳ねさせた。
その動きとともに、茶色のボサボサの髪が揺れる。よく見ればフケやら砂やらで相当汚くって、きているキトンもボロ雑巾のように見えた。
煤でも塗ったような汚れた顔、パーツは綺麗に整っているというのにも関わらず、見窄らしさがその顔の整い具合を霞ませていた。
「水を汲みにきたのか?それだったら邪魔をしないから、放っておいてくれ」
過剰に驚くその姿にメアリーは無視するように視線を肉に戻した。
そうすれば気配が恐る恐るというように近づいてくる。それから、川にぽちゃんという音が聞こえて水を汲む音が聞こえた。と、同時にぐうぅという間抜けな音が聞こえる。
「腹、空いてるの?」
これはいい、ここで恩を売って、人里に案内してもらおう。
そう思って、視線を向けずにそういえば、代わりというように少年のぐうぅという音が答えた。それがなんだかおかしくて、タイミングが良すぎて、メアリーは大きく口を開けて笑う。
「あははは!あんたの口よりもよっぽど素直じゃないか」
「そ、そんなことねぇ!」
そう笑い飛ばしてやれば、少年の抗議するような声が響いた。
そこでメアリーは振り返って、少年を見る。怯えたような表情を再度浮かべた少年に「食うか?」と干し肉を指差せば、恐る恐るというように少年の首は素直にコクリと動いた。
彼はそばにバケツを置いて、ゆっくりと近づき、メアリーの手から受け取ったそれを「熱い、熱い」と言いながら、両手で転がしてなんとか握る。
そして初めに匂いを嗅ぎ、それからゆったりとした動作で口元に運んで目を輝かせた。
「んー!んー!」と興奮する少年にメアリーはしょうがないというような笑みを浮かべる。それから自分の横を叩いて、彼に座るように促した。
「ここら辺の子か?」
おっかなびっくりに横に座る少年の悪臭を耐えながら、メアリーはそういう。
「……近くの集落に住んでる」
「ほう、それはちょうどいい」
やはりな、そう思ったメアリーは機嫌よく、咀嚼する少年を見ながら手を差し出した。
彼はその掌を見て首を傾げる。ただの握手だというのに、まるで異文化を体験しているような反応をする少年に一つ溜息を吐いてから「握手だよ握手」といってみせた。
彼が残りの肉片を飲み込む。
それからボロ雑巾見たいな服で手を擦ってから、その手に触れようと差し伸ばす。
その動作がなんだか焦ったかくって、我慢の限界に達したメアリーがガシッと掴んでやれば彼は慄くようにまた肩を震わせた。
「私はメアリー。メアリー・パートリッジ」
「……俺はアリオストロ……ただのアリオストロ」
アリオストロと名乗った少年はまるで奇怪なものを見るようにメアリーを見る。
なんとなく、なんとなくだが、その様子から彼があまりよろしくない環境にいることをメアリーは察した。
虐待。もしくは下級階級の人間。
それがメアリーの考察であった。そういう人間はごまんと見た。女医として世界を駆け回ったことのある鶯鳴の記憶には紛争地帯で少年兵として誘拐された子供たちの様子や怯え方などの特徴も記録として覚えている。
だからこそ彼の態度がそれに通づるものがあると認識できた。
「お前、変なやつだな」
「変とはなんだ。失礼なやつめ、私はただの旅人さ」
「旅人……」
アリオストロの発言にそう返せば、アリオストロは不思議な言葉を呑み込むように反復させた。
「なんでそんなことしてるんだ?」
「今までいたところが退屈だったからさ。刺激が欲しくてね」
「へぇー、あんたは幸せそうだな」
その言葉には暗に「羨ましい」という感情が入っていた。
メアリーもその感情に気がついたが、あえて言及はしない。環境に関しては本当に運としか言いようがないのだ。それに対して慰めや同情の言葉を吐くことが如何に無駄であるか、メアリーは鶯鳴として知っている。
「ところで、あんたが住んでる集落はどこにあるんだ?」
「まさか来る気か?」
「それ以外に何があると思ってるのさ、もしくはただの世間話だとでも思ったかい?」
そうであれば、ただ飯をあげるだけの間抜けだ。
そんな気は全くない。メアリーは合理的な人間だ。鶯鳴だった頃からも今も、損得勘定で動く人間で善人ではない。
「肉の恩だよ。あんたの住んでる集落に案内しな」
「そういうの俺から言い出す物じゃないの?」
虚しいそんなアリオストロの声が、木々のざわめきにかき消された。




