暗闇の中に差し込む光
「よく来たな、健悟、響華、櫂流」
「滅相もありません。早速ですが、人払いをお願いしても?」
健悟が言った。
付き人と護衛は少し躊躇った。
「咲花は伊集院しか知らない秘密を知る家でもある。お前達にその話は聞かせられない。分かるか?」
護衛達は頷き、謁見の間をあとにした。
健悟がいる手前、三人だけの時のように気楽に喋ることは出来ない。
簾の奥から出ることも出来ない。
「魅李弥様、早速ですが見て頂きたいものがあります」
響華が口を開いた。
櫂流が持っていた包を簾の前に置いた。
魅李弥は簾の隙間から手を伸ばし、それを中に持っていった。
「これは……綴音の手記か?」
「はい。二千年前に存在した綴音佳秧の手記です」
簾の奥から手記を捲る音が聞こえる。
決定権は魅李弥にある。
頼むから魂の還流を試すと言ってくれ。
そう、響華と櫂流は願った。
しばらくすると、手記を閉じる音が聞こえた。
「魂の還流、実に面白いものだ」
「魂の還流をすれば、もしかしたら生贄を捧げなくても――」
「無理だ」
即答されて、三人は同時に息を呑んだ。
たった一言が、僅かに差し込んだ光を遮断した。
「な、何故ですか?」
「お前達は考えなかったのか?綴音佳秧に協力者がいる可能性を」
「……っ」
「魂の還流に関する資料は、当然伊集院にもある」
響華は拳を固く握り、俯いた。
可能性を見つけられたことの喜びで、協力者がいる可能性を考えていなかった。
「月華の水晶を封印すること以外に、妖霊を永遠に滅する方法はない」
「しかし、可能性があるのならば――」
「くどい」
魅李弥は呼び鈴を鳴らした。
その瞬間、人払いされていた部屋に護衛が複数人現れた。
「つまみ出せ」
魅李弥がそう言った瞬間、護衛が響華達の腕を強引に掴んで、無理矢理出口へと引っ張り始めた。
「魅李弥様!話を……!!」
響華が必死に叫んでも、魅李弥は何も言わない。
「……っ!魅李弥!!」
魅李弥が響華の悲痛な声を聞いて、どんな顔をしていたのか。
それは誰も知らない。
◇◆◇
響華と櫂流は、護衛に引きずられるように伊集院の屋敷から追い出された。
佳秧の手記は魅李弥の手元に残され、響華の心には絶望と怒りが渦巻いていた。
健悟は二人の後ろで黙って歩き、その顔には複雑な感情が浮かんでいた。
「魅李弥……なんでだよ! 話を聞く気すらないなんて!」
櫂流が拳を握りしめ、壁に強く叩きつけた。
響華は唇を噛み、涙を堪えながら呟いた。
「魂の還流の可能性を、頭ごなしに否定するなんて……。どうして……?」
健悟が静かに囁いた。
「響華、落ち込むのは分かる。でも、魅李弥様がああ言ったのには、理由がある筈だ。伊集院の当主として、俺達よりも背負ってるものが大きい。魅李弥様は、伊集院の当主として、国民全員を守る責任を負ってる。魂の還流は、綴音佳秧が失敗したように、成功の保証がない。失敗すれば、妖霊が溢れ、街は壊滅するかもしれない。魅李弥様は、そのリスクを冒せないんだ」
「それでも、試す価値はあるはず!生贄制度を続けることや、魅李弥一人が犠牲になんて……誰かを犠牲にする道を選ぶなんて、間違ってるよ!」
健悟は目を伏せ、静かに答えた。
「響華、俺も魂の還流に希望を感じる。だが、魅李弥様の立場も分かる。彼は、伊集院の歴史と民を守る責任を背負ってる。もし魂の還流が失敗したら、取り返しのつかないことになる。分からないわけじゃないだろう」
健悟の言いたいことは分かる。
しかし、納得がいかないのだ。
希望があるのにそれに手を伸ばさない。
それがどうしても納得できないのだ。
「……誰も犠牲にしない方法……か。魂の還流以外の方法は今のところないんだよな」
「はい、綴音でも、伊集院でも他の手掛かりはありませんでした」
響華の声には、抑えきれない苛立ちと希望への執着が混じっていた。
櫂流もまた、壁に叩きつけた拳を下ろさず、歯を食いしばりながら俯むいていた。
健悟の言葉は理屈としては理解できるものの、響華の心に渦巻く感情を静めるには至らなかった。
「魅李弥がリスクを恐れるのは分かる。でも、このまま何もしないで、生贄制度を続けるなんて……私には耐えられないよ」
響華は拳を握りしめ、涙を堪えながら健悟を見た。
「お義父様、貴方も咲花の当主として、誰も犠牲にしない道を望んでますよね?」
健悟は深い溜め息をつき、響華と櫂流を交互に見つめた。
「響華、俺もお前と同じ気持ちだ。生贄制度は、咲花家の歴史に刻まれた呪いのようなものだ」
「…………」
「変えるべきは、この国かもしれないな」
◇◆◇
響華を追い出したあと、魅李弥は綴音佳秧の手記を読んでいた。
伊集院にある手記と同じようなことしか書いていない。
「姉上を突き返したようですね。兄上」
「都卯樹……」
魅李弥は手記を閉じ、静かに目を閉じた。
都卯樹の声が部屋に響くと、魅李弥はゆっくりと目を開け、弟の姿を見据えた。
「都卯樹、お前は響華達の提案をどう思う?」
「盗み聞きしていたこと、バレていましたか」
都卯樹は一歩踏み出し、静かに答えた。
「……魂の還流はリスクが高いですが、成功すれば生贄制度を終わらせられます。伊集院の古文書にも、魂の還流の記録はありますよね。失敗例が多いとはいえ、成功した例も確かに存在した筈です」
これまでいた研究者達が実践した魂の還流は、失敗だけではない。
たった一回のみ、成功した例がある。
しかし、一体の妖霊の負の感情を取り除けただけだ。
魅李弥は眉をひそめ、手元の佳秧の手記を軽く叩いた。
「都卯樹、お前も知っているだろう?魂の還流をする為には、月華の水晶の破壊が必要不可欠となる。しかし、失敗すれば妖霊が現世に溢れ、何十、何万人の国民が犠牲になる。伊集院の当主として、俺はそのリスクを冒せない」
都卯樹は静かに微笑み、魅李弥を見つめた。
「兄上、貴方は咲花響華の兄でもある。気づいているのでしょう?双聖の儀を成功させる者がいるとすれば、それは響華と櫂流かもしれないと」
双聖の儀。
それは、魅李弥が不眠不休で導き出した希望だ。
妖霊が人間の魂であるという真実に辿り着いた魅李弥は、妖霊を滅ぼすのではなく、魂を救う必要があると考えた。
月華の水晶に蓄積された負の感情を剥がし、魂を現世に戻す。
簡単に言うと魂の還流に近いものだが、大きな違いがある。
それは月華の水晶を破壊しないこと。
最初にするのは、聖力の完全同調。
術者二人が心と魂を一つにし、聖力を共鳴させる。
互いの記憶や感情が混ざり合うため、絶対的な信頼が必要。
そして、月華の水晶への接触。
一人が水晶に触れ、負のエネルギーを慎重に剥がす。
月華の水晶は異界への境界線であり、出入り口だ。
触れれば忽ち異界に引きずり込まれるだろう。
だから、もう一人が現世に繋ぎ止め、術者を守る。
負の感情の浄化をする。
水晶の負の感情が術者の心を侵食し、恐怖や絶望を引き起こす場合がある。
これに耐え、聖力で浄化する。
最後に魂の解放。
負の感情を発する元凶でもある月華の水晶を、完全に浄化し切ることが出来れば、負の感情が剥がれた魂が現世に戻る。
あとは成仏するだけだ。
失敗すると術者が負のエネルギーに飲まれ、妖霊化する危険がある。
しかし、それが誰も犠牲にしない最後の希望だ。
成功の鍵となるのは、術者二人の完全な信頼と純粋な聖力。
「兄上は心の何処かで、姉上達に賭けたいと思っているんじゃないか?」
魅李弥は都卯樹の言葉に一瞬動揺を見せたが、直ぐにその表情を硬く引き締めた。
魅李弥の手は佳秧の手記を握りしめ、静かな決意がその瞳に宿っていた。
「伊集院の当主として、私は民の命を最優先しなければならない。双聖の儀は、成功する確証なんてない。月華の水晶を破壊せずに魂の還流を成功させるなど、ほぼ不可能に近い賭けだ。失敗すれば、響華達が妖霊になる。そんなのは耐えられない」
都卯樹は静かに一歩近づき、魅李弥の瞳を真っ直ぐに見つめた。
冷静な顔に見えて、瞳の奥にあるのは苦悩。
当主だから贅沢できる。
なんて虫がいい話はないのだ。
当主には、重い責任を負わなければならない。
「兄上、姉上と櫂流の絆は、疑うまでもありません。貴方が導き出した双聖の儀の希望を、彼女達が現実にする可能性は十分ある。それに、元は伊集院葉夜杜と綴音佳秧の研究史ですよね?」
「…………」
「……その手記とは違い、実験方法などが鮮明に記された研究史。私がその記録を確認し、響華たちに伝える許可を下さい」
「伊集院の情報を外部の者に渡すと?都卯樹、貴様は伊集院の人間だ。その重みを忘れたか?伊集院だけが持つ情報は伊集院のみが触れられるものだ。響華が俺達の姉であっても、彼女は咲花の者だ」
「姉上は咲花の者であると同時に、伊集院の血を引く者でもある。彼女の聖力は、貴方と同じく月華の水晶に共鳴する力を持っている」
伊集院当主には、伊集院葉夜杜が持っていたとされる能力が備わっている必要がある。
月華の水晶と共鳴する聖力。
もし、その能力を持たぬ子が生まれたら、愛人を取ってでも力を持つ子供を生む必要がある。
そして、その力は男しか持たぬはずのものだ。
しかし、響華はその力を持っている。
「兄上、響華と櫂流が双聖の儀を成功させれば、生贄制度を終わらせ、誰も犠牲にしない未来が手に入る。貴方が恐れるリスクを、彼女達が乗り越える可能性を信じてみませんか?」
魅李弥はしばらく黙り込み、手元の佳秧の手記を見つめた。
彼の心は、伊集院の当主としての責任と、響華への姉としての愛情の間で揺れ動いていた。
誰も犠牲にしたくない。
自分も生きていたい。
生贄制度を終わらせたい。
そんな思いに押しつぶされそうになっている。
やがて、魅李弥は小さくため息をつき、静かに言った。
「都卯樹、お前の言う通り、響華の覚悟は本物だ。だが、俺はまだ信じ切れない」
魅李弥の声は低く、抑えた感情が滲んでいた。
「……魂の還流の成功例はたった一つ、しかもたった一体の妖霊を救ったに過ぎない。月華の水晶を破壊せずに魂を解放するなど、理論上は可能でも、現実にはほぼ奇跡に近い。失敗すれば、響華と櫂流が妖霊化し、俺が自ら剣を振るわねばならない。そんな結末は、想像するだけで耐えられない」
都卯樹は静かに頷き、落ち着いた声で続けた。
「兄上、貴方の恐れは理解できます。だが、響華と櫂流の聖力と絆は、過去のどの術者よりも強い。貴方が導き出した希望を、彼らが現実にする可能性を信じてください。」
魅李弥は目を閉じ、長い沈黙の後、佳秧の手記をそっと机に置いた。
その目は、諦めのような、悲しみのような感情を含んでいた。
「…………響華達の絆が証明されれば、私は再考する。次の満月まで、残り十二日。響華達が可能性を証明するなら、希望を託す」
都卯樹は少し嬉しそうに微笑み、深く一礼した。
「ありがとう、兄上。姉上達の絆が本物だと証明された時、兄上が心を開いてくれると信じています」




