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灯りなし蕎麦

 本所の成り立ちは、明暦の大火後に遡る。多大な犠牲を出してしまったこの火災を反省した幕府は、江戸を防災の都市として復興していくことになる。


 当時町外れだった本所も、江戸の人口密度解消のために埋め立てられ、開発された。もともと放っておかれていた土地が、大災害後に、急に開発されたのだ。


 そのためだろうか。本所は不思議な噂の絶えない場所だった。


 ある寒い夜。町人の男が夜道を歩いていると、蕎麦の屋台を見つけた。不思議なことに灯りが点いていなかったが、よく見ると蕎麦を温める種火は消えていない。


「ありがてぇ。こうも寒いと、身体どころか志まで凍っちまうってもんだ」


 ほくほくと屋台に行き、声をかける。

「おうい。かけそばひとつ、くんねぇか」


 少し待つと、か細い声で「はいよ」と一声。辛気臭え屋台だなぁと思いつつ、寒い中、店を開けてくれている店主の心意気に感謝である。


「お待ち」


 少し待つと、暗闇の中からかけそばが出てきた。男はお礼もそこそこに、待ってましたと言わんばかりに麺をすする。その瞬間、男の身体に電流のようなものが走る。


「なんだ、これは」


 今まで食べたことのない蕎麦。いや、蕎麦どころか、これ以上の物を食べたことがないほど美味い。麺もさることながら、出汁もすこぶる絶品だ。これはもう、食べ物ではない。宝石箱である。美味さの徳川埋蔵金である。


「美味い、美味いよ親父。俺ぁこんな美味い蕎麦を食ったことがねぇ」


 すぐに食べ終わり、安すぎる料金を払い、夢見心地で長屋へと帰る。いいものを食べた。このときは、単純にそう思っていた。このときまでは。


 朝、眼が覚めると、もうあの蕎麦が食べたい。まるで発作だ。おかしな薬品でも入っていたのか。そんなものが入っていたら、さすがに味でわかる。では、何故か。


 答えは明確。それほど『美味』だったからである。


 それから、男はその灯りのない蕎麦屋を探し回った。日中、仕事の合間や終わったあとに情報を募っても、夜中、屋台があった辺りを歩き回ってみても、手がかりは一切なかった。


 ただ、二人ほどだが頼もしい仲間が出来た。同じく、灯りのない蕎麦屋を探す人々だ。男たちは徒党を組み、件の蕎麦屋を手分けして探した。


 しかし、まったく見つからない。


「俺さ、あの蕎麦を食ってから、他の店の蕎麦なんて美味しいとも思わなくなっちまったんだよ」

「へぇ。奇遇だな、俺もだよ。もう、他のメシすら喉を通らねぇんだ」


 本所七不思議には、こう記されている。「『灯りなし麦屋』に入った者には、例外なく不幸が訪れる」と。まさに彼らは今、不幸の真っ只中にいる。

 

「おうい、あの蕎麦屋を見つけたぞ」


 吉報が入ったのは、それからしばらくしてからの夜のことだった。男たちは詳しく話を聞く。なんでも、店の様子や佇まいは完全にあの店だし、決定打となったのは、店の入口、木枠にある大きなキズ。


 急いでその蕎麦屋へ向かった。確かにあの蕎麦屋である。男たちは歓喜に沸いた。ついに探し求めた蕎麦屋を見つけた。ついに恋い焦がれたあの蕎麦を食べられる。


 しかし、一つだけ明確に違うところがある。煌々と灯りが灯っているのだ。人間、急激な変化には警戒をするものである。恐る恐る声をかけてみる。


「へい、らっしゃい! かけそばでいいかい?」


 元気な声が返ってきた。


「お、おう。三人前、頼まぁ」

「はいよ!」


 蕎麦が出来上がるまで待つ三人。男が店主に、なにとはなしに話しかけてみる。


「親父さん、この前はここ、灯りがなくて真っ暗だったよな?」

「なんでぇ、来てくれてたのかい。いやお恥ずかしい限りなんですがね、あのときは店を出したばっかりで金もないし客も入らねぇしで、灯り代にも事欠いてたんでさぁ」

「なるほどねぇ。だから声にも元気がなかったってことかい」

「そうそう。すまなかったね、あんときは。いっぱいいっぱいだったからな。だから今は、灯りを煌々と焚いて、消えないようにしてるんだ。へい、お待ち」


 三人は蕎麦をたぐる。


「親父さん。その灯りがなかった時から、味付けは変えたのかい」

「いや、変えてねえよ。ただ、周りがまっくらで手元がおぼつかなくてな。余計な味付けをしてたかもしれねぇ」

「そうかい」


 蕎麦を食べ終えた三人は店主に「ごっつぉさん」と声をかけ、代金を払い屋台から離れる。


「おどれぇたな。あそこまで味が変わるもんかね」

「俺さ、食べて後悔しているよ。もう、あの味には出会えねえんだって」


 本所七不思議には、こうも記されている。


 「消えずの行灯」。灯りなし蕎麦とは真逆、灯りが煌々と灯っており朝まで消えない蕎麦の屋台。そして灯りなし蕎麦と同様に、立ち寄ると不幸になるとされている。


「まぁ、結局俺たちゃ極楽と地獄を、一気に味わったようなもんだぁな」

「にしては、極楽がちょいと短すぎる気がするがね」

「何言ってんでぇ。美味ぇ蕎麦を探している間は、なんだかんだ楽しかったろう。十割とはいかねぇが、極楽が八割、地獄が二割だと思えばいいんだ」

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― 新着の感想 ―
 面白かったです。  オチの一言が見事でした。やはり「小噺職人」ですね!  ありがとうございました!
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