誤解の断罪劇と紅茶の温度
学園の中庭が、緊張とざわめきに満ちていた。
「イザベラ・フォン・ヴァレンシュタイン! 君の所業、もはや看過できない!」
凛とした王子マルクスの声が、空気を震わせる。王子の横には怯えながらも、イザベラを睨みつける令嬢、サラの姿もある。
その場に居合わせた生徒たちは、次の展開を息を詰めて見守る。まさか、学園内で“断罪劇”を目にする日が来ようとは。しかも相手は、あのイザベラ様だ。
イザベラは、整いすぎた美貌と氷のような沈黙を纏う令嬢だった。その立ち居振る舞いは完璧すぎて近寄りがたく、無表情がデフォルト、話しかけた生徒が緊張のあまり過呼吸になるという逸話まである。
しかし、今その美貌の持ち主は――
「あら。この紅茶……ぬるいわね。」
王子の前で、ティーカップをそっとテーブルに戻していた。
「そういう問題ではない!」
紅茶の温度など完全に無視して、王子は語気を強める。
「君がサラ嬢を侮辱し、課題を盗み、廊下で突き飛ばし、陰湿ないじめを繰り返していたと聞いた!」
「…エリス、食堂に行ってカップを返してきて。あなたが新しく紅茶を淹れなおしてくれる?」
鬼気迫る表情で詰め寄る王子を他所に、ため息をついたイザベラは、側に立つ執事へ声を掛けた。
「かしこまりました、お嬢様。」
エリスは恭しく頭を下げると、洗練された所作でティーセットを下げていく。近くにいた女子生徒は、執事であるエリスが王子と同じくらいの美形であると気づき頬を染めたが、当の本人はそんなことを気にする訳もなく、音を立てずにその場を辞した。
一連の動きに呆気にとられていた王子が我に返り、イザベラを睨み返した。
「僕を無視するなんて…! やっぱり嫉妬してたんだね? サラにしたことも、つまり――そういうことだろう!」
その言葉にサラは王子の左腕に少し震えながらしがみついた。視界の端にその姿を見たイザベラは微かに頷き、王子を正面から見返した。
「…なるほど。それで、私を、断罪するのですか?」
「当然だ!」
王子は息巻いて、続けざまに言い放つ。
「そして、君との婚約を破棄する!」
その言葉に、周囲の生徒たちがどよめいた。だがイザベラはといえば、ゆるやかに瞬きを一度しただけだった。
「婚約……ですか。」
「そうだ! 君は僕の婚約者としてふさわしくない!」
「――婚約、していたかしら?」
その一言に、全員が固まった。
「え……?」
王子が間抜けな声を漏らす。隣にいたサラも目を丸くして驚いている。
「王子。私は、貴方と婚約した覚えなど一切ございませんが?」
「いや、しかし……君は、確かに……。」
「第一に、私はこの国の民ではありませんよ。」
一瞬の静寂。
「……はい?」
静まり返った中庭に王子とイザベラの声だけが響いている。
「第二に、私は隣国の王子と正式に婚約しています。ええ、公文書もありますけど?」
イザベラが両手を軽く叩くと、どこからか戻ってきたのか、新しいティーセットと分厚い封筒を手に持ったエリスが現れた。
「こちらをどうぞ、お嬢様。」
片手を出したイザベラに、封筒を手渡すと静かに紅茶を淹れ始めた。
「ありがとう、エリス」
受け取った封筒には、金の封蝋と紋章が煌めいている。明らかにこの国のものでは無い。イザベラは立ち尽くす王子に向かって封筒を差し出した。
「な……」
動揺して受け取り損ねた王子の代わりに近くにいた教師陣の一人が手に取り、封を切って中身を確認し――驚愕のあまり、教師は目を見開きその場に崩れ落ちた。
「え? 本物? ガチの隣国? ……えぇ?」
混乱する王子。
「で、ですが! サラ嬢がいじめられていたのは事実です!」
静まり返る中庭の端からそんな声が上がった。
「それ、たぶん――イゼベル嬢のことですね」
イザベラが顎で指した先には、金髪巻き髪のイゼベルが硬直していた。そう、この国で生まれ育ち、王子の真の婚約者であるイゼベル・フォン・ヴァレンヒシュタインである。
「名前が似ていて、容姿も少し近いものがあるから、勘違いされたのですね。まったく、安直ですね」
イザベラはため息をつき、紅茶に口をつけた。
「……やはり紅茶はこれくらい熱くなきゃね」
* * *
後日、全ての誤解は正式に訂正され、王子は公衆の面前で赤面しながら謝罪。イザベラは「お気になさらず。たまにこういうこと、ありますから」とさらりと返した。
サラ嬢はというと、真相を知って赤面と土下座を繰り返しながら「でも……イザベラ様が怖いと思っていたのも、私の器の小ささゆえでした」と反省の言葉を述べた。
イザベラは一瞬、首をかしげて言った。
「私、何か怖いこと……?」
「いえ、顔が綺麗すぎて直視できなかっただけです!」
「……それは仕様です」
* * *
そしてその日の放課後――
イザベラが学園の正門をくぐると、煌びやかな馬車と騎士団が待機していた。
「イザベラ様、陛下より伝言です。『断罪される前に、身分を明かしてください』とのことです」
「まったく。王宮も随分せっかちね」
エリスに手を引かれながら馬車に乗り込む直前、慌てたサラが駆け寄ってきた。
「イザベラ様、ひとつだけ教えてください……いったい何者なんですか?」
イザベラは少しだけ考え、そして微笑んだ。
「そうですね――ただの婚約者です。隣国の王子の、ね」
彼女が何者なのか。その真実は、まだ誰の知るところでもなかった。
学園に漂う静寂の中で、銀髪が一陣の風に揺れるだけだった。
初投稿です。
お手柔らかにお願いします。