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 お義母さんの言葉にお義父さんが顔を上げた。


「ん?」


「私に本心を吐露したことよ。私はあなたを心から愛していた。あなたも私を愛していたのだと信じてる。でも私たちの間には必ず絵というものが存在していたでしょ? しかも純粋な芸術としての絵ではなく、それで成功したいという欲が確実にあったよね」


「欲か……」


「私はあなたに、描きたいものを描きたいように描いてほしいという私の欲に、拘ってしまった。というか、それをあなたに押し付けていたよね。あなたは自分の求めるものを描くという気持ちを失って、何でもいいから早く賞をとらなくてはという強迫観念に苛まれるようになったんじゃない? 離れてみてわかったわ。あのままでは絶対にダメだった」


「強迫観念……そうかもしれないな」


「私達はどこから間違ったのかしらね」


「間違い? どうなのかな。でも、咲子は間違っていたとは思わないよ。君は俺のために自分の夢を捨ててまで、環境を整えようと努力してくれたじゃないか。ものすごく崇高な愛だよ。それに応えられない自分が惨めに思えて……でも逃げ出した俺が全部悪い」


「ううん、それが押し付けだったのよ。おまけに捨てたはずの自分の夢まで乗っけちゃってさ。そりゃ潰れるわ。あなたそれほど強くないもの」


「ハハハ、確かに強くはないな。うん、俺は気の弱い臆病な奴だ。昔からそうさ。子供の頃と何も変わっちゃいない。甘えるだけ甘えて、手に負えなくなると逃げるような卑怯者だ」


「悪い意味じゃないのよ? 私はそんなあなたに惚れたんだもの。だからこそ私が頑張らなくちゃって思ってしまったのよね。バカだよね。絶対違うのに。今なら逃げたあなたの気持ちが少しわかる」


「咲子?」


「私はあなたの幸せは絵を描くことだと思ってた。そしてあなたは私の期待に応えることで私を幸せにしようとしたんだよね。私たちは、お互いを幸せにしようっていう気持ちは同じだったんだよ。そう考えたら私たちって最初から間違ってたんじゃないかな。学生時代からやり直せたら違う人生だったのかしら。でもたぶん、私はまたあなたを好きになるのでしょうね」


「咲子……」


「私は間違いなく斉藤和也という男を愛したの。そこに『絵』という媒体は存在してもいいけれど、でもそれを全てにするべきではなかったのよ。和也、あなたがやったことは今でも許せないけれど、あなただけが悪いわけじゃない。私にとってあなたは加害者だけど、被害者でもあるわ。そしてあなたにとって私は、被害者だけど加害者でもあったのよ。和也……長いこと苦しめてごめん。理想を押し付けてごめん。逃げ道を塞いでごめん。本当になんかいろいろごめん!」


 お義母さんは捲し立てるように一気に吐き出して肩で息をしている。

 お義父さんは数秒お義母さんの目を見てから、声をあげて泣き出した。

 天井に顔を向けて、子供が泣くみたいにボロボロと涙を溢している。

 それを見ているお義母さんは、泣きながら笑っていた。

 きっと全部言えたんだろうな。

 少しは心が軽くなったかい?


 お義母さんは台所に立ってコーヒーを淹れ始めた。

 お義父さんはまだテーブルに突っ伏して泣いている。

 そうだね、泣いた方がいいよ、お義父さんも。


 人間にとって泣くという行為は、自分を許すための儀式なのかもしれないね。

 きっとお義母さんは、一生お義父さんの言葉を忘れないだろう。

 そして明日も明後日も、無意識にあの山の稜線を眺めるんだ。

 でもね、お義母さんはもうとっくにお義父さんを許しているんだよ。


 それからお義父さんは、お義母さんの淹れたコーヒーを、煩いほど何度も旨いと言って飲んでいた。

 夕食をというお義母さんの誘いを断り、お義父さんは席を立った。


「これ以上いると帰りたくなくなるから」


「また来れば? たまには栄養つけないとね。制作は体力勝負だから。描くんでしょ?」


「いいの?」


「うん、あの人と一緒に暮らしているのだろうって思っていたから、探さなかっただけ。でも描くのを止めてなくて良かった。これは押し付けじゃなくて純粋にそう思うよ。だって絵を描くあなたが大好きだったんだもん」


「ありがとう、咲子」


「ちゃんとご飯食べないとだめよ? カップ麺は週に三個までにしなさいね……ってまた押し付けちゃった。悪い癖だわ」


「そんなことない。嬉しいよ。咲子こそ体には気を付けて。言わなかったけれど少し瘦せただろ? 君こそちゃんと食べないと。おい、ヨゾラ。ちゃんと見張っといてくれよ?」


『はい? あなたに言われるとなんだか無性に腹がたつんですけど?』


 僕の声に微笑みだけで応えて、お義父さんは去って行った。

 お義母さんはお義父さんの住所を書いたメモを大事そうに引き出しに仕舞っている。

 それからのお義母さんは、何かが吹っ切れたような顔になった。

 相変わらずビールも飲むし、酔ったまま風呂にも入るけれど、もう僕が見張ってないといけないほどではなくなった。

 夏休みも終わり、美和ちゃんの受験勉強もいよいよ大詰めだ。

 今日の夜空は雲ばかりで月は姿を見せてくれなかった。

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