白魔女はタブーを犯す。
少女はそれからずっと、つきっきりで看病をしていた。
少年は寝息を立てている。ようやく、彼の容態が落ち着いてきたと思えた。そう、安心した時だった。
「……うう」
彼から呻き声がする。僅かながらの力で、頭に触れていた。荒い呼吸を繰り返している。
「!」
痛みを感じたなら、教えて欲しい。少女が告げたことを守ってくれたのか。これは、彼からのサインか。
「待ってて……!」
彼からの救難信号だと思っていた。少女は、今度こそフードに手をかけるも。
「……やめて、くれ」
「あなた、何を―」
「見られ、たくない」
「!」
少年は微かに首を振った。激痛に襲われながらも、拒み続ける。フードの下を見られたくない、それが理由だった。
「……」
「しっかりして!」
少年はそのまま瞳を閉じた。気を失ったようだ。
「……うん」
最悪の一歩手前まで来ている段階だった。予断も許されない。
「……見られたくない、そう言っていた」
そう言った、少年の意思は尊重したい。だが、そうも言ってられない状態だ。彼は意識がない。フードを黙って脱がしても、抵抗することも出来ない。
「私、は」
もう一度、彼の頭に触れる。脳裏に浮かんだのは、あの言葉だ。
『それは、禁止』
「―だとしても」
少女の手から、ほのかな淡い光が生ずる。それから。
優しくゆっくりと、フード越しに。彼の頭を撫でる。何度も、繰り返す。
「……」
もう痛くない、苦しくないよと。少女は微笑んでいた。
「……ん」
少年は、痛みや苦しみからも解放されたのか。呼吸の荒さも和らいでいた。身じろいだ後、眠りについたようだ。
「ふう……」
少女の必死の治療もあってか、少年の容態も落ち着いてきた。今度こそ、一安心だ。
「頑張ったね」
「……」
必死に戦い、乗り越えた。彼の頭にそっと触れた。少女は実に優しい声をしていた。
「おやすみなさい」
少女はベッドの傍らにある椅子に腰かけ、眠ることにした。
治療だけはした。あとは好きにしろとも言った。確かに少女はそう言っていた。
「―ご飯、いらない?。お腹、空かないの?」
「……結構だ」
朝になり、少女は一旦移動していた。朝食、それと『ある物』の準備をしていたからだ。用を終えて戻ってきたところで。―こうして、断られたところだった。
「そう」
病人食にと、白米を煮込んだのと穀物のスープにした。質素だったか、と少女は反省していた。
「……」
俯いている少女を見て、彼もまた黙ったままだった。またしても長い沈黙だ。
「……っと」
「あっ!」
ベッドから降り立つ音がした。病み上がりなのに無理をする気なのか、と。少女が急いで顔を上げるが。
同じくらいの背丈の彼が、既に真っすぐ立っていた。歩いて動けるまで回復したようだ。
「……うん、良かった」
まだ病人だ。無理をするな、とは言えない。好きにするのは彼なのだから。
「ありがとう。……その、色々と」
「!」
彼がとった行動は、頭を下げることだった。お礼を言われるとは思っていなかった。少女はぶんぶん首を振るが、彼は頭を下げたままだった。
「君は助けてくれた。だから恩返しがしたい。―何でも言って欲しい」
「そんな!」
彼の提案は、治療の恩を返したいということだった。そのまま去る気はないようだ。
少女もまた、首を振り続ける。そこまで考えていなかったからだ。
「本当にいいの。私がそうしたかっただけだから」
少女にとってはただ、それだけだった。
「……」
少年は黙ったままだ。去る事もなく、そのまま留まっていた。
「……そうか、この姿を知らないから」
少年は頭部を覆うフードを強く握りしめた。それから、彼は意を決するかのようだった。
「……これなら」
少年は覚悟を決めていた。ゆっくりと、フードを下ろしていく。現れたのは、少年の本来の姿だ。
癖毛ながら、最低限に切り揃えられた髪。顔は強張り、煤汚れてもいるも。実際は、整っている顔立ちだ。
姿を現わした彼は。―少女と同じくらいの、年相応の少年だった。同じ年頃の、同じ人間。いや、変わった特徴があった。
露わになった、彼の頭の上部にある耳。それは犬猫のような、獣の形を有していた。さらに。
獣の耳だけではなかった。―人間として、本来あるべき場所。顔の両側部にも耳があった。
「―申し遅れた。成人前の名になるが、僕はウィルフレッド。『四耳族』だ」
「シジゾク……?」
少女はそのまま聞き返す。成人前より、気になる響きだったのだ。
「……違う。これじゃ通じない。僕は」
気まずそうに顔をそらした少年、ウィルフレッドは俯く。そして、ぼそりと言った。
「……『ヨツミミ』、だ」
「ヨツミミ」
「……ああ、そうだ」
「そう……」
ウィルフレッドは少女の顔が見られない。この、少女の困惑しきった声も原因だ。
ああ、彼女もかと。彼は漠然に思った。それは、彼にとっては当たり前のことだった。
「忌まわしきヨツミミ。君達が知っての通りだ。関わると、ろくなことにならない。それが、僕達ヨツミミだ」
自分はそうして生きてきたのだと。少年は暗い表情のままだ。
「あ、待って。違うの」
そんな彼に対しての反応が、この気の抜けた言い方だった。
「君は何を言って―」
何が違うのかと、少年は思わず顔を上げてしまった。この恩人である少女でも、嫌悪の顔を浮かべているだろうと。いくらでも想像ついてしまうが。
「ごめんなさい。獣人の知識はあったの。でも、ヨツミミ?四耳族のことは存じてなくて」
その少女の顔は違った。本当に知らない。そして嫌悪もない。そんな顔をしていた。
「そうか。知らなかったのか。……いや」
ヨツミミの事を知らない人がいた。声が上擦るも、ウィルフレッドは自制した。
隔離されたような場所だ。この少女までに届いてはいなかったのか。たまたま知らなかっただけ、それだけだ。いずれ、この少女も―。
「あなたは、四耳族じゃないの?」
「……え?」
「ヨツミミと言われたくないみたい。四耳族の、ウィルフレッドさんだね」
「!」
少女はそれだ!と、頷いていた。一人納得していた。そんな少女を。彼はただ、見ていた。
「君は……」
またしても、長い沈黙が続くかと思われたが。そうだ、と呟いたのは少女の方だった。
「これ、洗い替えね。あなたの、後で預かっていい?」
少女が差し出したのは、まっさらな布達だった。シャツにズボン、フードの代用品となるものと、早急にあつらえたものだった。
「ありがとう」
ウィルフレッドは礼を言って受け取り、着替え終えたあとに渡すことにしたようだ。それでは。そう退室しようとしていた少女を呼び止めたのは、彼だ。
「……待ってくれないか。先にこれだけ、返しておく」
「いいの?」
間に合わせである、フードのような布製品だ。サイズが合わなかったかと思いきや、そうではないようだ。
「君の前だけなら、必要なさそうだから」
無表情に近いものながら、わずかに。彼は笑っていた。
実りの秋もやがて、寒く厳しい冬を迎えることになる。
ここのような楽園なら関係なかろうと、外界だとそうもいかない。
―春になったら。春になるまでの間は。
「僕は四耳族として。―世界を旅している」
「世界を。……すごい!」
「すごいなんてものじゃ……。ただ、役目なだけで」
「役目を果たそうとしてるんだ。尚更すごい」
「そ、そうかな」
あれだけ迫害されても、彼が外の世界に出てきたのは。彼いわく『役目』があるから。それだけの思いをしてきたからこそ、彼は旅を止めることはないのだろう。
少女としては、少しでも長くと思っていたが、引き留めるわけにもいかない。春までの間だ。
少女は少年を送り出そう。少年は少女と離れよう。
それが二人の約束だった。