幼き魔王の来襲。
散策を終え、朝食を摂り、そして、掃除をルカに押しつけて。アシュリーは研究室にいた。そんないつもの日々を送るかと思われたが。
久々に取り出したのは、器だった。器に水を浮かべ、外の景色を探る。
「足して300年。そうなるわね」
そんなにも経っていたのか。そういえば、とアシュリーは気づく。
ルカの身長も伸びていた。あれだけ小さかった彼が、自分の身長に追いつきつつあるのだ。彼は、ゆっくりながらも成長しているのだろう。
「……私はもう、いいんだけどね」
アシュリーの時は止まったままだ。一度髪を切ったこともあるが、そのまま伸びてはこなかった。毛生え薬を使って、元に戻すことは出来たが。それは余談だ。
「さて、と。相変わらず寂びれているでしょうけど」
アシュリーは再び器に意識を戻した。どうせ、誰も通らなくなった場所だ。誰もいないだろうと。
「……え」
アシュリーは瞬きをして、もう一度器を確認した。まさかの、誰かがいたのだ。
―正しくは、子供と、蝙蝠らしき存在だった。その蝙蝠?が、子供の周りを滑空していたのだ。
「!」
アシュリーは、ガタっと音をたてて立ち上がる。まさか、と思い、慌てて部屋を飛び出していった。
「……単なる野良蝙蝠なら、子供のペットならそれでいい!」
階段を駆け上がり、アシュリーは玄関へと向かっていく。
「アシュリー様!?どうなさったんですか、そんなに慌てて」
「ルカ!」
「緊急事態、でしょうか」
今日も健気に掃き掃除をしていたルカがいた。ルカは主の尋常ではない様子を察する。
「アシュリー様。お一人でなど考えないでください。何卒、ボクをお連れください!」
ルカは険しい顔で主に懇願した。手にしているのは、掃除用の箒だ。これでも十分に武器になると、彼は自負していた。それだけじゃない。
彼の懐にあるのは、一族代々伝わる短刀だ。これは死守しており、どれだけの暴行を受けようとも、手放さなかったものだった。
「当然でしょ、肉盾!」
「え」
「せいぜい、私を守ることね。ルカ、いくわよ!」
「は、はい!もちろんです!」
肉盾発言に引いて反応が遅れたが、ルカはアシュリーの前に立つ。頷いたアシュリーは自身の手によって、白い扉を生じさせた。
「まったく、人の目につくとこで。何だっていうのよ!」
文句を言いつつも、アシュリー達は里のふもとへと向かうこととなった。
アシュリーとルカは、隠れ里の入り口まで降り立った。辺りを見回すも、子供も蝙蝠?の姿もない。
「何なのよ……」
アシュリーは急ぐ気持ちで、捜索にあたる。手遅れだったのかと、最悪な想像をしながらだった。ルカも周囲を警戒しながら、彼女を守りながらである。
ひりつくような緊迫めいた空気だ。一切の油断も許されない。
「―見ろ、じいや。ヨツミミだぞ!」
「はっ、坊ちゃま。ヨツミミにございますな。向かって隣は、白魔女にございます。不老の存在とも言われる者です」
「不老、俺は知っているぞ!年をとらないんだろ!実年齢はとんでもないことになっているな!」
「はっ。美魔女というものにございますな。ゆめゆめ、見た目には騙されませんよう」
なんだ、このゆるいやりとりは。のこのこと現れたのは。―黒髪の少年に、蝙蝠のような存在だった。
「……」
アシュリーは呆気にとられるも、気を引き締めた。
「―お下がりください、ご主人様」
ルカも前方に出て、箒を構えていた。彼が警戒を続けるのも無理がない。突如現れた二人は、異様なオーラをまとっていたのだ。
「ええ、そうさせてもらうわ。……まさかのまさか。『魔族』がおいでになるとはね」
「ほほう、お分かりになりましたか」
堂々としていた少女に、喋る蝙蝠が感心していた。この蝙蝠は悠長に木にぶら下がっていた。
「そうよ、私が白魔女。何?返り討ちにでもしにきたの?」
「ご主人様……!」
ルカは煽る主人を諫めようとする。幸い、向こうには殺気はない。それをわかった上でやってようとも、いつ逆上するかわかったものじゃない。
「いえ、過去のことは過去にございます。恨みが全くないといえば偽りにございますが、それよりも大事な事がございます故」
そこらの木にぶら下がった蝙蝠?は、畏まって語り始めた。
「申し遅れました。こちらの方は、ケント・ブラッドリー様。当代の『魔王』にございます」
わたくしはしがない爺にございます、と蝙蝠の魔族は添える。
「ふん、俺が魔王だ!しばらく世話になるぞ、白魔女殿」
ふんぞり返ったのが、魔王だというケント少年だ。
「世話になるって。……いや、魔王って」
この子供が。そうアシュリーは考えていたが、すぐその考えを改めることになる。
直毛のざっくりとした髪型に、自信に満ち溢れた快活そうな顔。好奇心に満ち溢れた、明るそうな少年だった。
特徴的なのは年季の入った眼鏡、そして深紅の瞳だ。魔王の姿に覚えがあったアシュリーは、あの時の魔王もその瞳の色だったのを思い出す。
決め手となるのは、生まれ持ったオーラもそうだが、隠しきれない膨大なる魔力だろう。これだけの力を有するのなら、魔王といっても過言ではない。
「……」
アシュリーは緊張せずにはいられない。背中に冷や汗が伝う。
一見普通の眼鏡少年だ。それでも歯向かわれた時、自分はルカを守りきれるのかと。
「白魔女殿」
「!」
魔王がずい、と近づいてきた。ルカは咄嗟に間に立つ。それに構わず、魔王は続ける。
「頼む。俺達を匿って欲しい」
そう言って、魔王は頭を下げた。アシュリーは瞠目した。いざとなれば、力づくでも言う事を聞かせられるだろうに。魔王がとったの行動は、こうだったのだ。
ここからは小声だった。爺に聞かせないようにだ。
「……ここが、終わりの地なんだ」
「終わりの地?」
「……ここだけ、ということだ。もう、爺を休ませてやりたいんだ」
「あんた……」
アシュリーは思いを汲んだ。最後の地とやらはさておき、随分と長旅をしたのだろう。魔族ということもあって、さらに苦労したはずだ。
「ご主人様、危険には変わりありません。どうか―」
この主人ならこうするだろう、とルカは危惧する。迎え入れるだろうと。
「失礼、白魔女様。魔族に思うところはおありでしょう。ただ、あちらは四耳族。我々は魔族。どちらが、あなたにとって。―耐えがたいことでありましょうか」
「おい、じいや!口が過ぎるぞ!」
「これは失礼。ですが、事実故」
そんなことまで知られていたのか。それはさておき。
そう、事実なのだ。アシュリーが嫌いと公言しているのは、四耳族だ。
一方、魔族はというと。彼らは、始まりの勇者に魔王が討伐されて以来、大人しいものだった。少なくとも、アシュリーが巡った百年では悪評は聞いたことはない。
四耳族以上に、ということはない。
「―それもそう。そちらのご年配のおっしゃる通り。四耳族よりかはマシよ」
「ご主人様……」
そう言われては、ルカも強く反対は出来なかった。
「で、魔王様?」
アシュリーは少年の前で屈んだ。そして微笑む。
「いいわよ。別に好きなだけいればいい。ああ、住居はあんた達で用意して。食べ物も全部、あんた達で。まあ、水源とか資材は好きに使っていいわよ」
「もちろんだ。恩に着るぞ、白魔女殿!あと、ヨツミミ殿もだ!」
「よろしい。あとはね―」
アシュリーは笑顔だった。笑顔のまま、凄んでいた。
「ヨツミミじゃない。四耳族。シジゾク、だからね?わかるでしょう?ね?」
「お、おう。済まなかった。シジゾクの少年よ……」
迫力に圧されたのもあるが、ケントは存外素直に謝っていた。ルカに頭を下げるも、ルカは目をそらす。
「ほら、あんたも挨拶なさい」
「……」
ルカは複雑そうにしていた。主人が庇ってくれたのは嬉しくもあったが、この新入りの存在が何だか面白くない。
「ルカ」
いつまでも返事をしようとしないルカ。アシュリーは催促する。
「……ルカデス」
それだけだった。アシュリーはため息と共に諦めた。
「ふむ、ルカ殿か!よし、年も近いようだし、ルカだな!」
「おお、坊ちゃま。ご友人にございますか!」
「じいや、気が早いぞ。でも、それも悪くないな」
魔族達が盛り上がっている中、ルカの顔は引きつっていた。
「あら、いいじゃない。友達」
「アシュリー様……。油断なさらないで」
頬を膨らませたまま、ルカは忠言する。ええ?と主人は呑気なままだった。ルカは面白くない。彼は声を張り上げた。
「ボクは全くもって、信用してませんので!相手は魔族ですよ!?ボクがお守りしますから!今夜もご主人様につきっきりですからねー!?」
「何よ、いつものことじゃない」
ルカは力を込めて抱き着いてくる。いつもより強めだった。
「……お前、一人で寝られないのか?俺が一緒に寝てやるか?」
「なななっ!」
幼き魔王は本気で心配しているようだった。ルカはわなわなしていた。
「ボ、ボクは!キミよりよっぽど!お兄さんだ!」
「そうか、悪かった。でも、遠慮しなくていいぞ!いつでも言うんだぞ」
「誰が言うか!」
少年たちのやりとりは続く。
「うう、坊ちゃま……。ほんにお優しい子に育ちましたな」
「魔王としてどうなの。というか、収拾がつかないわね」
いつまでも続きそうだ。年相応のルカが見られるのはいいが、キリがなさそうだ。アシュリーは割って入ることになった。
「ほら、ルカにケントも。そのへんになさい」
「なっ、アシュリー様!そんな、出逢ったばかりで、もう……」
ルカは大層ショックを受けた。出逢ったばかりの人物への名前呼び。自分は日にちを要したというのに。この魔族はすぐだったのだ。しかも。
「ほう、アシュリー殿か」
「ああ、いいわよ。殿とか、かたっ苦しいの」
「ほう、アシュリーで良いのか」
あっさりと呼び捨てまで許した。ルカの口はあんぐり開いたままだ。
「……ああ、ルカ。あんたもいつまでも様づけしなくていいから」
「……それ、今初めて耳にしました。ご主人様呼びは止められてましたが」
「そうだっけ」
「ぐぬぬ……」
またしてもルカは唸らされていた。
魔王の登場です。