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引きこもりの白魔女。

―大樹暦〇〇〇〇年。

 世界は、生命の源である大樹によって育まれている。生きとし生けるものが、生まれ、そして還る場所である。


 とある大国があった。人が栄える都からさらに、大草原を。大湿地を。大森林を抜けた先に。長い道のりを越えた先に。―霧に包まれた隠れ里があるという


 ふもとで暮らす辺境の民は、口にする。そこは聖域とされた里であると。

 空気は澄みきっており、草木は生い茂り、枯れることもなく。無限に生り続ける果実は飢えを満たすという。聞けば楽園である。

 しかし、清らかなあまり、並大抵の人間では耐え切れないという。

 清らかな存在が人の世を離れて暮らす里は、易々と近づける場所ではなかった。


 ここは、清浄なる隠れ里。

 そこは、暖かな光が差し込み、一面に草原が広がっている。穏やかな川は水面が輝いていた。果実の木は生い茂っており、小鳥たちはさえずりながら啄む。

 俗人が踏み込むことも無い。踏み荒らされることも無い。―至上の楽園だ。


 ぽつんと建つのは一軒家だ。藁の屋根に石壁の質素な建物である。

「噂が独り歩きしてる」

 光が遮断された暗室にて、そう呟いたのは一人の少女だった。

 ずらりと並ぶ書物棚には収まりきらず、床にも本が積み上げられている。どれも読み込まれており、年季も入っていた。

 多くの種類の草花が瓶詰めで棚で保管されている。その隣にあるのは、怪しげな雰囲気を醸し出す大窯だ。今も何かをぐつぐつと煮込んでいる。何か、それは少女のみが知る。

 いかにもな雰囲気の研究室ともいえた。その部屋の主は、淡い髪色の少女だった。

 大きな瞳に長い睫毛は自然と上向いている。すっきりとした鼻筋に、うっすらと色づく柔らかそうな唇。生まれ備わった美しさ、柔らかさを持つ少女といえた。

 おっとりとした話し方には、温和な性格が表れていた。彼女の声音も他者に癒しを与えるような、優しくも愛らしいものだ。

 とはいえ。本人は自身の容姿に無頓着だった。

 ゆるやかな癖毛を三つ編みにしてまとめていた。作業の邪魔にならない為である。

 纏っているのはお気に入りの白いローブだ。同じ色とデザインのそれを日替わりで着るという。それほど本人は気に入っているのだ。

 日々研究に勤しむ彼女が、夢中になるものがあった。

 椅子に腰かけて、机の上の何かを見ている。机の上には水が張ってある器であり、少女の手によって、風景が映し出されていた。頬杖をついて、愛しそうに見つめていた。

 映し出されたもの、それは隠れ里のふもとで暮らす民の風景だった。

 器を通して映し出されるのは、あくまで里のふもとまで。監視目的ではなく、純粋に見守っていた。

 盗み見と言われれば、盗み見だ。世間ずれをしている彼女に、罪の意識はなかった。あくまで悪気はないのだ。

 水面を通して伝わるのは、彼らの噂話までも対象だった。やれ、清浄なる隠れ里だ。やれ、人が生きていけない場所だ。この少女に内容は届いていたのだ。

「そんなことないのに。普通に暮らせるんだよ」

 少女からの声が届くことはないようだったが、彼女は会話に参加していた。一方的だ。誰からも返されることもなく、ただ一人で。 

「なんて、聞こえないんだった」

 少女は机に肘をつく。そして思い返す。

 少女は物心がついた時から、この里で暮らしてきた。

 知識は書物で覚え、食物は自生するもので賄っていた。薬など、日々の暮らしで入用になるものは、自ら創り出してきた。

 少女はそうして、俗世と隔離されて生きてきたのだ。


「……」

 少女には肉親がいた。記憶にあるのは、妹だけであった。

『ここで待っているだけじゃ誰も来ないから。ね、お姉ちゃん。一緒に出ようよ』

 そう言って里を出ていったのは、少女の実妹である。今まで寄り添って生きてきたが、妹は里から出ようと提案してきたのだ。姉である少女は。

『うん。でも、外の世界は怖くて……』

『そっか。その気持ちもわかるよ』

 どうしても勇気が出なかった。妹はその気持ちもわかると、否定することはなかった。それなら自分は先に外の世界を体験して、お土産をもって帰ると熱弁していた。

『でもね。器までとはいかなかったよ。だけど、これならお話できるから』

 旅立つ妹に手渡したのは、飲み物を注ぐマグカップだった。範囲は狭まるものの、これで通信の役割を担うことができた。

『お姉ちゃんありがとう!……あはは、もう行かないとね。行ってきます!』

 勢いよく抱き着いて、そして、しばらくそのままだった。それでも、ふんぎりをつけたのか、妹は今度こそ旅立っていった。

『いってらっしゃい。どうぞ、無事で……』

 少女は寂しいといえば、もちろん寂しい。それでも、見送ることにした。

『……すごいなぁ、あの子は』

 あの陽気で要領の良い妹ならば、そう心配する事もないだろう。そう言い聞かすものの、少女にとっては心配でたまらないものではあったが。

 多くの経験をし、そして多くの人々と出逢うこと。少女にとっては眩かったが、勇気を出して踏み出せなかったものだ。

 こうしてただ、妹を待つ日々だった。

 

 妹は律儀であった。定期的にマグカップを通しての連絡をくれていた。と、共に体験したことも教えてくれていた。姉である少女は妹が無事なことももちろん、心を弾ませてくれる体験談も楽しみにしていた。

 この日もまた、妹からの通信があった。少女はワクワクしながら、マグカップを覗き込む。そのように、期待していた少女だったが。

 映し出された映像に、少女は衝撃を受けてしまった。

 妹が見目麗しい青年と体を抱き寄せ合っていたからだ。そこから過激な内容になる寸前で、妹がはっと気づく。

 妹は必死に言い訳をする。隣にいる青年も身内に見られているとわかると、恐縮しつつも姉に対して誠意を向けてきた。

 どれだけ相手を想っているかも口々にし、すっかりのろけタイムへと突入していた。二人はまた良い雰囲気になったので、姉である少女は『またね』とだけ小声で言って通信を切った。

「それから結婚だもの。すごい……」

 一度、妹は青年と共に里帰りしてきた。二人の薬指には指輪があった。

 その時も妹からの誘いはあったが、それでも少女は踏み出すことはできなかった。新婚家庭を邪魔する気にならなかったこともある。

「……外かぁ」

 水面に映し出されるのは、時折、通りすぎる人々である。太陽が沈み、辺りは暗くなっていた。それを夜と呼ぶのだと、少女は書物で知った。

 ふもとを通り過ぎるのは、質素な暮らしぶりの民達だ。彼らは日々の暮らしに精一杯のようだ。それでも家族、集落で支え合って楽しそうに暮らしているようだ。

「いいなあ」

 少女は今日も揺らぐ水面を見つめていた。彼女にとって、憧れの世界だった。誰かと話してみたい。人と関わってみたい。少女は日頃から望み続けていた。


 少女はついに決めた。集落の人間に話しかけてみようと。

 少女は寝室へと向かっていく。明日に託し、眠りにつくことにした。


「……」

 少女は口元を引き結びながら、無言で歩いていく。風に揺れる木々、黄金の麦畑の中を歩いていく。

 少女が手をかざすと、扉が出現する。里と下界をつなぐのは透明な扉だ。

「いってきます……!」

 まずは一歩。少女はこの日初めて、外の世界へと旅立つこととなった。

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