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第二話 伏馬忍、黄泉還る


「ここで修行? 本気で言っておるのか?」


 僕の言葉を聞き、九呼は驚きの表情を見せる。


「すいません、あくまでも憶測を元にした提案なんですが」


 そんな九呼に、僕は言葉を続ける。


「『ここは、時間の流れが現世とは違う』『体感時間は遅くなる』。それ、僕にとっては凄く都合が良い状況と言いますか、願ったり叶ったりと言いますか」

「……そもそも、お主にとっては死にかけの状況なのじゃがのう」


 段々、九呼の目付きが「コイツ何言ってるんだ?」というようなものになっていく。


 ひかせてしまっているようだ……。


 でも、僕も降って湧いたこのチャンスを見す見す逃すわけにはいかないのだ。


「九呼さん、僕には生まれつき霊力が備わっていません。霊素を扱う才能が全く無いんです。長年厳しい修行を積んでも、成長も覚醒もしませんでした」

「ふむ、そのようじゃのう」


 僕の体を上から下へと見て、九呼は呟く。


 流石は女神様、見ただけでわかるのかもしれない。


「幸か不幸か、ここは黄泉の国。甘い見通しかもしれませんが、長い時間を掛けられ、霊素が目で見えるこの場所で頑張れば、取り扱いの技術くらいは学べるんじゃないかと思うんです」

「むぅ、まぁ、言っている事はわかるが……」

「ちなみに、このハザマの世界で流れている時間は、現世と進むスピードに差があると言っていましたが……具体的にはどれくらい滞在する事が可能ですか?」

「む、途轍もなく遅れているとはいえ完全に停止しているわけではないからのう。それでも、そうじゃな……お主があの悪霊に食い付かれるまで、体感時間での最大猶予は……」


 トントンとこめかみを指先で突いた後、九呼は僕に向けてピースサインを向けて来た。


「2000年、くらいじゃな」

「2000年、ですか」

「確かに、才能が皆無なお主でも、それだけの時間研鑽を積めば霊力を扱えるどころか規格外の実力者になれるかものう」


 九呼はどこかおかしそうな表情で言う。


 いや、実際、常識的に考えておかしなことを言っているのだ、そんな表情になっても当然だろう。


「じゃが、普通に考えれば気の遠くなるような話じゃぞ? 本当に実を結ぶかも分からぬ努力を続け、もしかしたら無駄な苦悩を味わっただけで終わるかもしれぬ。万が一、望んだ技術を会得できたとしても現世に還った瞬間、体は満身創痍。あの悪霊にサクッと食われて、要らぬ苦痛を味わい無様に死ぬかもしれぬ。それでもやるのか?」

「はい」


 問い掛ける九呼に、僕は頷き返す。


 迷いも無く。


「それで成長できるなら、やります」

「えぇ……本気? 目がマジじゃぞ、この子。こえー。ヤベー子の死に際に立ち会っちゃったー」


 僕の返事を聞いて、九呼はヒキ気味にそう呟いた。


「まぁ、よい。そこまで言うなら好きにするがよい。一応、死後のお主の魂を担当する神として巡り会ったのじゃ、気が済むまで付き合うてやるわい」

「ありがとうございます」


 頭を垂れる僕を見て、九呼は嘆息しながら石塔の上に寝そべった。


「……まぁ、どうせ、持って数年、よくて数十年で音を上げるじゃろう」




 ■ ■ ■




 そこから、僕の修行は開始した。


 このハザマの世界では、お腹が空くことも睡魔に襲われることも無い。


 一応、魂がそう望めば……何かを食べたいと思えば空腹感を覚えたり、眠りたいと思えば眠くなるそうだ(九呼が説明してくれた)。


 しかし、今の僕にそんな欲求は無い。


 有り余る時間を全て、自分の能力を磨く時間に費やしたい。


 何せ、現世で生きた十数年の間でさえ、全く努力が報われなかったのだ。


 途轍もない時間があると言っても、自分がどれだけ頑張れば満足の行く結果を手に入れられるのかわからない。


 ならば、他の事にかまけている余裕はない。




 ――あっという間に、最初の10年が過ぎた。




 霊素の存在を意識し、操る――そんな初歩の初歩。


 赤ん坊で言ったら“立って歩く”というくらいのことも、僕はこの10年で習得できなかった。


 改めて、自分の才能の無さにドン引きするしかない。


 いくら念じても、空気中を漂う霊素は僕に応えてくれない。


 うんともすんとも言わないのだ。


「お、もう心が折れたか。まだたったの10年じゃぞ?」


 打ちひしがれる僕を見て、九呼が笑う。


「……いえ」


 しかし、僕は立ち上がる。


 どうやら僕は、僕が思っていた以上に無能だった。


 それを痛感できた。


 この痛みだって、大きな前進だ。


「まだたったの10年です」

「……全く折れとらんな、こ奴」




 ――ハザマの世界にて、50年が経過。




 試行錯誤の年月が続く。


 霊素を五感の全てで意識するよう努めたり、直接語り掛けたり。


 思い付いた方法は、全て試す勢いで。


 傍から見れば……それこそ、少しでも霊力の素養がある人間からすれば、恥知らずで情けない姿にも見えることだろう。


「……飽きんのう、お主も」


 石塔の上で、九呼は僕の修行を見詰め続けている。


 憐れみの交ざった視線。


 神様である彼女からしたら、僕の行っている事など下らないものに見えて仕方が無いはずだ。


 少しずつ少しずつ。


 それこそ紙切れを積み上げて、いつか太陽に到達する事を目指すような。


 そんな途方もない時間を、僕は歩み続ける。


 そして――。




 ――ハザマの世界にて、100年が経過。




「あ」


 僕の手の中で、霊素が微弱に動いたのがわかった。


 念じる。


 霊素が動く。


 僕の体の周りを、霊素がそよ風のようにゆったりと動いているのが、わかる。


 やっと掴めた。


 ほんの少しの進歩。


 それでも、0から1への、ハッキリとした進歩を実感し、僕は束の間の達成感に身を震わせる。


「おお! 遂にやったのう、忍!」


 そんな僕の様子を見て、九呼が驚きと喜びの混じった声を上げた。


「100年か……ただの人間にとっては途方もない時間じゃ。随分と掛かったが、よくここまで辿り着いた」

「ありがとうございます」

「……って、ワシは何を喜んでおるのじゃ、こんな事で」


 ハッと気付き、九呼は石塔の上で再び寝転がる。


「100年経ってやっとその程度じゃ! 身の程を知って満足したじゃろ! そろそろ諦めたらどうじゃ!?」

「いいえ」


 信念を確かめるような九呼の質問に、僕は答える。


「まだまだ、満足には程遠いです」




 ――ハザマの世界にて、200年が経過。




 霊素を操る技術は完全に習得できた。


 印を結ばなくても、呪文を唱えなくても、念じれば手足のように霊素を操れる。


 次は、この霊素を操作し五行の術に変換する修行だ。


 木火土金水(もっかどごんすい)


 全てを納めて、初めて完璧な陰陽師である。


 まずは一番操りやすいと言われている水の霊素からだ。


「今更じゃが、忍よ」


 脇目も振らず修行に明け暮れる僕に、九呼がふと尋ねてきた。


「お主、そこまでして力を手に入れ、何がしたいのじゃ?」

「何がしたい……」

「ワシは、現世におけるお主の人生を把握しておる。ここに来るまで、随分と辛い日々を過ごしてきたのじゃろう」


 九呼は、どこか優しげな眼差しを僕に向ける。


「復讐したいのか? 見返してやりたいのか? お主を虐げてきた者達を」

「……そういう気持ちが無いわけじゃありません」


 九呼の問い掛けに、僕は本心で答える。


「否定はしませんが、けれどそれよりも重要なのは……」


 頭の中に、一人の少女の姿を思い浮かべる。


 この数百年、一度も忘れることのなかった人。


「現世で、一緒に居たい人がいます。僕が弱いせいで心配を掛け、僕が弱いせいで一緒に馬鹿にされ、僕が弱いせいで離れなくちゃいけないかもしれない人です」

「………」

「僕が強くなれたら、その人が悪く言われず、一緒に居られるかもしれません」

「……その気持ちを、数百年経っても忘れていないのか……」


 驚嘆するように、九呼が呟いたのが聞こえた。


「よし、水の霊素の操り方は、こんな感じか」


 ただ一つの小さな願いを叶えるため、僕の修行は続く――。




 ――ハザマの世界にて、300年が経過。




 ――ハザマの世界にて、500年が経過。




 ――ハザマの世界にて、700年が経過。




 ――ハザマの世界にて、1000年が経過。




 ――ハザマの世界にて、1300年が経過。




「……ふう」


 霊素の操作は、もう問題のないレベルに達していた。


 その場に佇んだ状態で念じるだけで、火炎を、水流を、土砂を、樹木を、鋼鉄を、まるで別次元から召喚するかのように空間に生み出す事ができる。


「見事じゃ、忍」


 そんな光景を見て、九呼がうんうんと頷く。


「完璧じゃ。最早、五行を完全に納めたと言っても過言ではないじゃろう。ワシの見立てでは、現世にいる陰陽師達の誰よりもお主の技術がずば抜けておる。どうじゃ? ここら辺にしておくか? お前は人間でありながら十分過ぎるほど頑張ったと思うぞ」

「ありがとうございます」


 確かに、今の状態で現世に還れば、少なくとも陰陽師として馬鹿にされることはなくなるだろう。


「けど、もうちょっと頑張ります」


 ここで満足してはいけない。


 あと700年は余裕があるのだ。


 積み上げられるものは、徹底的に積み上げておきたい。


「まだ時間がありますし、2000年までやっていきたいと思います」

「……やっぱお主ヤベー奴じゃな」


 顔を引き攣らせる九呼に、僕は「いえいえ、全然」と返す。


 五行だけじゃない。


 式神に魄装(はくそう)……まだまだ納めていない陰陽師の技術は沢山あるのだから。


 そこから更に、僕は修行を積み重ねていく……。


 そして――。




 ――ハザマの世界にて、2000年が経過。




「遂にこの時が来た……のじゃのう」

「はい。長い間、ありがとうございました」


 顎に手を当て、感慨深そうに九呼は言う。


 彼女の目に、2000年の修行を終えた僕を、どう映っているのだろう。


「忍……お主は2000年の修練を積んだ陰陽師として現世に還る。そんな人間、現世にはお前だけじゃ。きっと、今までとは全く別物のような人生を歩むことになるじゃろう。どうじゃ? 今の気持ちは」

「今の気持ち……」


 この生と死のハザマの世界に来て、本当に長い時間を過ごした。


 そして遂に念願の時。


 現世に、還る……。


「……久しぶりに、おはぎが食べたいな」

「2000年も経過しているのに全く性格が変わっておらん!」


 九呼の叫び声がハザマの世界に木霊した。


「おかしいですか?」

「おかしいに決まっておろう! 2000年もこんな場所に居続ければ心が老化して植物みたいになるか廃人になっておるわ、普通! その精神性が常軌を逸しておる! ……む?」


 そこで、九呼がこめかみに指先を当てる。


「ふむふむ……ふむ! おお! 喜べ忍! 今、天界より啓示が下った!」

「啓示?」

「2000年の修行を積んだ結果、お主の魂は充分過ぎるほど熟成した。即ち、お主を天界の一柱として迎え入れたいと言っておる!」

「ええと、つまり?」

「即ち、お主はワシ等と同じ神になれると言っておるのじゃ! 凄すぎる事じゃぞ! 人間から神になれるなんて、ほんの一握りの存在じゃ! 途方もない魂の研鑽が認められた賜物じゃぞ!」

「あ、謹んで辞退します。じゃあ、そろそろ現世に還りますね」

「うぉぉい!」


 お断りする僕に、九呼は素っ頓狂な声を上げてすっ転んだ。


「……そうじゃ、お主はそういう奴じゃった。まったく……2000年も過ごしたというのに、本当に最初の頃と何も変わっておらん。神に成れる機会を放り捨てるとは、罰当たりな奴よ」

「すいません」

「よいのじゃ、お主には現世に待たせている人間がおるのじゃからな」


 そう言って、九呼は「じゃあの」と微笑みを浮かべる。


 僕は九呼に手を振る。


 意識が漠然となり、ふわっと体が浮き上がる――。




 ■ ■ ■





 ――目を覚ますと、目前に夥しい口を持つ悪霊がいた。


「あ、そうだ」


 思い出した。


 ここは杉草山の廃病院。


 僕は、この残忍な悪霊と戦って、敗れ、今際の際にいたのだった。


 思っている間に、悪霊の口という口が、僕の頭に、肩に、腕に、胴体に食らいつく。


 ミシミシと、歯が体に食い込む。


「痛いです」


 僕は咄嗟に拳を放つ。


 ――爆音が轟き、悪霊の頭部が半分ほど弾け飛んだ。




 ■ ■ ■





「!!!???」「!????」「!!!?????」「!!!!!???」「!!??!!!」


 杉草山廃病院の悪霊は――自分の身に何が起こったのか、一瞬理解できなかった。


 今し方、嬲り尽くし瀕死となった獲物を食らおうと、牙を立てたところだった。


 刹那、「痛いです」という声と共に放たれた拳が、自分の頭部を半分ほど消し飛ばしたのだ。


 先程まで、何の力も感じられなかった拳の一撃……のはずなのに。


 激痛に身悶え、混乱しながら、悪霊は手放した獲物をもう一度見る。


 そいつは、瓦礫が散らばる床の上に着地すると、グラリと体を傾かせた。


「……あれ? あ、そうだ、胸に穴を空けられてたんだ」


 そう――目の前にいるのは、正に死に体の人間。


 先程まで全身を隈無く痛めつけ、絶望を味わわせた後、胸に穴を空けてやったのだ。


 今の攻撃は、死に際に放ったマグレの一撃、といったところだろう。


 瞬く間、あの人間は絶命する。


「傷を治そう」


 次の瞬間だった。


 目前の人間――何の力も持たない、単なる肉塊でしかないと思っていた人間の纏う空気が、変わった。


 空間が蠢く。


 霊素だ。


 途轍もない勢いで、その人間の周囲に霊素が集まっていく。


「五行をバランス良くコントロールすれば、肉体の治癒も可能。治癒術と呼ばれる技術……初めて使うけど……よし、上手くできた」


 ………――!?


 あっという間に、その人間の傷が、全身の傷が、消えた。


 胸に空いていた穴も、完全に塞がっている。


 馬鹿な。


 何が、何が起きている。


 悪霊は、ただただ困惑する。


「ええと……ついでだし、ちょっと試運転してみようかな。あっちの世界で習得した技術が、ちゃんとこっちでも使えるか」


 そいつは独り言を呟くと、薄らと目を閉じ、意識を集中し出す。


「……そうか。こっちの世界の霊素は、やっぱり黄泉の世界とは違って濃度が薄いな。でも、集中して掻き集めれば――」


 ゴォッ――と、大気が戦慄く。


 悪霊の目には、目前の人間の周りに、先程とは比べものにならないほど大量の霊素が集まり、渦巻いているように見えていた。


 ガタガタと、全身が震える。


 他者からの恐怖を餌食とする自分が、逆に恐怖を覚えている。


 何だ、何だ、何だ、何だ。


 何だ、コイツは。


 先程までの虫けらと、全く違う生物になったような。


 こいつは、一体何なんだ?


「あ、大丈夫そう」


 焦燥する悪霊の一方、その人間は暢気な声を発する。


 だが、その人間の周囲で起こっている現象は暢気とは程遠い。


 火炎が、水流が、土砂が、樹木が、鋼鉄が――森羅万象が生み出されている。


 その中心に立つそいつは、まるで、まるで――。


 人間ではない――神のような。


「―――キ、キィィィィイイイアアアア!」


 悲鳴を上げ、悪霊は敵へと襲い掛かる。


 恐怖を集める存在。


 そのはずの存在である悪霊が、逆に恐怖で正気を失っていた。


「行け」


 最早破れかぶれの悪霊に、人間は呟く。


 放たれたのは、一閃の炎熱。


 赤く燃え盛る灼熱の矢が、悪霊の全身を飲み込み、一瞬で焼き尽くしたのだった。




 ■ ■ ■




 生と死のハザマより黄泉還った少年――伏馬忍。


 彼の物語は、ここから始まる。


 ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。


 本作について、『面白い』『今後の展開も読みたい』『期待している』と少しでも思っていただけましたら、ページ下方よりブックマーク・★★★★★評価をいただけますと、創作の励みになります。

 現状、実験作のため中編くらいを予定していますが、皆様の反応次第では連載も考えておりますので、ご意見いただけると助かります。

 よろしくお願いいたします(_ _)

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