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第一話 伏馬忍、死ぬ

20000文字ほどの短編(中編?)の実験作になります。

ご意見、ご感想いただけたら嬉しいです。


 伏馬忍(ふしま・しのぶ)――十五歳。


 それが、僕の名前。


 特殊な力でこの世に蔓延る悪霊(あくりょう)幻妖(げんよう)……そういった負の存在を狩る異能力者――陰陽師(おんみょうじ)


 僕は高名な陰陽師(おんみょうじ)の一族――伏馬家の一員だ。


 しかし最悪なことに、僕には陰陽術に関する才能……陰陽師に必要な能力である、《霊力》が全く備わっていなかった。


 0。


 ゼロである。


 厳密には、物凄く微弱な霊力は備わっているそうなんだけど、0と言っても問題にならないくらい微量のため、その違いに意味はないそうで……。


 物心ついた頃から、陰陽師に必要な能力を開花させるため多くの訓練をしてきたが、どれも無駄だった。


 血統と実力を重んじる陰陽師の家において、才能の無い者は必要とされない。


 才能ゼロの僕は、無能と蔑まれながら生きてきた。


 それでも簡単に人生を諦めきれず、陰陽梁(おんみょうりょう)――この国の陰陽師を管轄する組織――が運営する学院に入学させてもらい、今日まで頑張ってきた。


 いつか、眠っていた霊力が目覚めるかもしれない。


 培ってきた努力が報われるかもしれない。


 最悪、そうならなくても……何か別の特技や能力で認められるかもしれない。


 ……しかし、そうはならなかった。


 気付けば、僕も今年で十五歳。


 中等部の最終学年を迎えている。


 そして未だ、僕の人生は何も変わらない……酷いままだった。


「おい、無能!」

「はい」


 中等部の同級生に呼ばれ、僕は振り返る。


「相変わらず表情が薄いなぁ、気持ち悪ぃ」

「すいません」

「まぁ、いいや。新しい陰陽術を覚えたからよ、ちょっと実験台になれよ」

「わかりました」


 無能な僕の唯一の取り柄は、人よりも多少、健康体なこと。


五行(ごぎょう)を納める才能が無いのであれば、せめて体を強くしようと鍛えてきたため、肉体はそこそこ丈夫になった。


「ふぅ……はっ!」


 校舎裏へと場所を移し、同級生は僕に習得したばかりの陰陽術を繰り出す。


 真っ赤な熱気を纏った火炎の一撃が体に命中し、僕の体は吹っ飛ばされる。


「おお、すげぇ!」

「まぁまぁの威力だったな」


 三人組の同級生達の中で、リーダー格の生徒が得意げな表情を浮かべている。


「火の霊素は完全に操れるようになったな。これなら、高等部に上がっても周りの連中から一歩リードできるぞ、お前」

「当たり前だろ。なんなら、大概の先輩連中よりも実力はあると思うぜ」


 意気揚々とはしゃぐ同級生達。


「………」


 僕は、地べたに寝転がりながらそんなやり取りを聞いてる。


 これが、陰陽梁学院中等部における、今の僕の扱いである。


 同級生からも下に見られている。


“あの”伏馬家の出身となれば、普通は一目置かれるものだが、僕が家から見放されているのは周知の事実。


 なので、こんな行為をされても彼等はお咎め無しだ。


 不条理な力関係が平気で成立している。


「よし、次は俺が――」


 三人組の中から進み出たもう一人が、続けて僕を実験台に術を使おうとする。


 その時だった。


「ねぇ」


 一人の少女が、僕と同級生達の間に立った。


 僕が言える立場でもないが――表情の乏しい少女だ。


 風を受け靡く長い銀髪。


 背は低く140㎝くらいしかないが、整った顔立ちと均整の取れた体付きの、目を引くような美少女である。


 ジッと無言で佇む姿は、強い存在感を放っている。


(すず)……」


 僕は、彼女の名を呼ぶ。


「あ、涼……」

「私、忍に用事がある」


 僕の前に立ち塞がったまま、同級生達をジッと見詰める涼。


 やがて、同級生達はすごすごと退散していった。


「涼……助けてくれてありがとう」


 体を起こし、ボロボロになった上着をはたく僕。


 そんな僕を振り返り、涼が頷く。


「忍、行こう」




 ■ ■ ■




 ここは陰陽梁の管轄する学院施設。


 その中等部校舎の敷地の端に、一件の木造小屋がある。


 元々は物置だったのだが、今では使用されなくなって打ち棄てられた小屋だ。


「涼、そっちに一人行った」

「おっけー、キルるキルる」


 現在――その小屋の中で、僕と涼は一緒にテレビゲームをやっていた。


 廃小屋は、僕と涼の秘密基地に改造している。


 放課後、ここで一緒に遊ぶ。


 それが、すっかり僕と涼の日課となっていた。


 涼とは、中等部に入学した後、ひょんな事から偶然出会い、友達になった。


 彼女とはとても気が合う。


「今日も、虐められてたね」

「仕方が無いよ。この世界では才能が全てだから」


 同級生達の間では才能がないため軽んじられ、何かあれば雑用を務めている。


 教師陣も、当然助けてはくれない。


 そんな僕の境遇に、涼は表情を変えることなく……しかし、苦言を呈してくれる。


「でも最近、益々エスカレートしてきてる」

「みんな、高等部進級が迫ってピリピリしてるからね」

「心配」

「大丈夫、鍛えてるから」


 僕が言うと、小屋の中に転がっているダンベルや筋トレ道具を、涼が一瞥する。


 先程も言ったが、僕の唯一の取り柄は体が健康な事だ。


 その取り柄を伸ばすため、鍛えて強くしている。


 涼に心配を掛けないため。


 何をされても耐えられるように。


「大丈夫? 本当に?」

「本当に大丈夫だよ、死ぬような扱いは受けてない。それに、涼とこうして一緒にいれば、辛い事も忘れちゃうから」

「……私も」


 僕の言葉に、涼は小さく呟き、小さく頷いた。


「でも、もうすぐ中等部も卒業する。そうなったら、忍とはもう……」

「………」


 学院の高等部は、中等部とは違う。


 完全にプロの世界になる。


 ここまでは惰性で通ってきたが、才能のない僕が踏み込める領域ではない。


 というかそもそも、万年落第生の自分には進級自体が無理だろう。


 だから、残りわずかの、この限られた時間だけは守りたい……そう思っている。


「あ、ランクアップ。涼、国内30位だって」

「いえい、いえい」


 ダブルピースする涼。


 僕も涼も表情に乏しく、独特なテンポで生きている。


 だから、一緒に居るとなんだかローテンションでぐでぐでした空間となってしまう。


 でも、ピリピリした世界の中から抜け出せているその瞬間だけは、心地良くいられる。




 ■ ■ ■




 ――そんなある日のことだった。


「おい、無能」


 その日、涼は用事があるとかで中等部校舎には登校していなかった。


 それで僕はというと、今日もいつもの同級生達に絡まれていた。


 今日は授業も無く、午後は空き時間となっている。


 涼もいないし寮に帰ろうとしたところで、彼等に呼び止められたのだ。


「今から、杉草山(すぎくさやま)の廃病院に行くから、お前も付いてこいよ」

「……あんな場所に、何しに行くんです?」

「決まってんだろ。今、上でも噂になってる廃病院の“悪霊”を祓いに行くんだよ」


 自信満々に、リーダー格の生徒が告げる。


「毎日、忍相手にしててもつまらないからな。高等部に進級する前に、本格的に腕試しに行くんだよ」




 ■ ■ ■




 彼等の言う杉草山の廃病院とは、ここから数㎞離れた山の奥にある廃墟だ。


 そしてそこには、現在、凶悪な悪霊が発生していると情報が流れている。


 陰陽梁所属のプロの陰陽師達が対策を打とうとしているんだとか。


 ここで問題になっている悪霊を討ち取れば、箔を付けて高等部に進級できる。


 廃病院に向かう道中、彼等はそんな発言を交え、自信満々に笑っていた。


 結局、彼等に逆らうわけにもいかない僕は、荷物持ち兼、緊急時の囮役を務めるため彼等に付いて行く。


 そして、草木の生い茂る山道を進み――一時間程。


 遂に、問題の廃墟に到着した。


「おお……流石、結構雰囲気あるな」


 (ひず)んだ空気を醸す廃病院を前に、同級生達は息を呑む。


「な、なんだよ、ビビってんのか?」

「ビビってねぇよ! よし……行くぞ」

「おい、忍、先行けよ」

「はい」


 三人に急かされ、僕が先頭に立つ形となった。


 懐中電灯を付けて、僕等は廃病院を奥へと進んでいく。


「へへっ、荷物持ちを連れて来といてよかったな。最悪、盾にもなるし」

「ああ。今日は涼がいなくてよかったぜ。あいつがいたら邪魔されてただろうしな」


 暗い廃病院の中を進んでいく内に、同級生達がそう言い出した。


「そういや、なんで今日いなかったんだ? 涼」

「さぁな。お前も、飼い主がいなくて寂しかったんじゃないか?」

「……飼い主?」


 その発言が僕に向けられたものだと、理解するのに数秒を要した。


 僕は立ち止まり、振り返る。


「飼い主だろ、お前の」


 小馬鹿にしたような顔で、同級生達が言う。


 涼を貶しているということがわかった。


「学校で友達が出来ないから、自分の言うことを聞く犬と一緒にいるんだよ、あいつ」

「ま、友達とか無理だろ。無愛想だし、性格も冷たいし。顔は良いんだけど、何考えてんのか分かんねぇし」

「そう考えると寂しい奴だよな」

「………」


 僕は一歩踏み出す。


 そして、三人組の中のリーダー格の前に立った。


「なんだよ?」

「撤回してください」


 僕は、自分が怒っているのだと理解した。


 随分久しぶりに抱く感情だったため、一瞬わからなかったくらいだ。


「涼は優しい。無能な僕を守って、一緒に居てくれる」

「なんだぁ、お前……一人前に俺に楯突く気かよ?」


 リーダー格の生徒が、僕の胸倉を掴んできた。


「ふん」


 僕は、彼の胸に平手を突き出した。


 胸の真ん中を、掌で押すような動き――張り手に近い。


「ぐへっ!」


 瞬間、リーダー格の生徒の体が想像以上に派手に吹っ飛んだ。


「な……なんつぅ、力……」

「お前っ!」


 床に倒れたリーダーの姿を見て、別の仲間が殴り掛かってきた。


「ふん」

「ぶはっ!」


 彼も突き飛ばす。


「調子に乗るなよ!」

「ふん」

「だばっ!」


 もう一人も同じく突き飛ばす。


「な、なんだ、こいつ……無駄に強ぇ!」


 この状況に驚いているのは、僕も同じだ。


 確かに陰陽術が使えない分、今まで体は鍛えてきた。


 実際に喧嘩になったのは初めての事だが、予想以上に膂力が備わっていたようだ。


「はっ……多少力があるから何だよ!」


 瞬間だった。


 リーダー格の生徒が立ち上がると、両手を合わせる。


 指と指を交差させ掌印(しょういん)を結び、呪文を詠唱――すると、彼の前方の空間から炎熱の塊が発射された。


 火行(かぎょう)の陰陽術だ。


 その一撃を食らい、今度は僕が地面に横たわる。


「く……」


 かなりの衝撃と激痛に襲われ、体が動かない。


 やはり……陰陽術を使われると、体術の差なんて簡単に覆されてしまう。


「へっ! 思い知ったかよ!」


 倒れた僕の元へと同級生達が近寄って来る。


 リーダー格の生徒が、僕の頭を踏み付ける。


「いい気になってんじゃ……」


 その時だった。


 威勢良く言葉を吐こうとしていたリーダー格の生徒が、切り落とされたかのように声を止める。


 空気が変わった、のがわかった。


 気付くと、すぐ傍に“それ”がいたのだ。


 おそらく、陰陽術に反応したのだろう。


“それ”は人型の体をしており、汚れたナース服を着ていた。


 首から下は人間の体をだが、頭部に当たる部分には風船のように大きな赤黒い塊が浮かんでいる。


 その塊には目も鼻もない代わりに、大量の口がある。


 唇の無い、歯が剥き出しとなった口という口。


「おはようございまぁすぅぅぅ」「サイケツしますねぇぇぇ」「なかむらさぁぁぁぁん」「バイタルあんてぇぇ」「もうしおくりをぉぉぉ」


 歯の隙間から漏れる声が、あちこちから響いている。


 一目で分かった。


 これが――陰陽梁で問題になっている、廃病院の悪霊だ。


「う、うわああああ!」


 最初に動いたのはリーダー格の生徒だった。


 咄嗟に繰り出したのは、先程僕に放った炎熱の攻撃。


 その一撃が、悪霊に直撃する。


「お前等もやれ! 早く!」


 リーダー格の生徒に急かされ、仲間の二人も陰陽術を繰り出す。


 必死に攻撃を叩き込む彼等。


 しかし――。


「う、嘘だろ……」


 攻撃の余波が晴れた後に現れたのは、微動だにする事無く佇む悪霊の姿だった。


「ゲラゲラ!」「ゲラゲラゲラ!」「ゲラゲラゲラゲラ!」「ゲラゲラ!」「ゲラゲラ!」「ゲラゲラゲラ!」「ゲラゲラ!」


 大量の口が、次々に舌を出して笑う。


「なんだよ、これ……ど、どうするんだよ……」

「うるせぇ! こうなったら……」


 狼狽する仲間を怒鳴りつけ、そこで、リーダー格の生徒が懐から一枚の紙を取り出した。


 白い紙はどこか犬の形に切り取られており、表面には呪文が書き込まれている。


「高等部進級まで取っておこうと思ってた、最大の隠し球だったんだが……」


 呟き、彼が念じると、紙が宙に浮き発光する。


式神(しきがみ)冥獣陸号(めいじゅうろくごう)――《餓狼(がろう)》!」


 数秒後――その場に現れたのは、蒼白の毛並みの狼だった。


「す、すげぇ、式神(しきがみ)……使えたのかよ」

「家に無理言って一体貸してもらったんだよ! 行け!」


 式神は、陰陽師の扱う術の中でも高等技術の一つだ。


 学院に通う生徒の中でも、扱える者はほとんどいない。


 放たれた狼の式神は、素早い動きで床を蹴り、悪霊へと飛び掛かる。


 鋭い爪が体を切り付け、牙で体の一部を囓り取っていく。


「よし! いいぞ、行ける!」


 戦いは優勢と思われた――だが。


「キォォオオオ!」「ォォォォォオオオ!」「キキキィィィィィ!」「ヒィィィィィィイイイイ!」「キィィィァァァアアア!」」


 悪霊の口という口が、悲鳴を上げた。


 その悲鳴は途轍もない高周波となって、周囲を戦慄かせる。


 地面が揺れ、壁にヒビが走る。


 皆が耳を押えて蹲り、式神の狼も怯んで動きを止める程だった。


 そしてその瞬間、怨霊の伸ばした両手が式神の体をガッシリと掴んだ。


「あ……」


 拘束された式神の体が持ち上げられる。


 そして次の瞬間、悪霊の口という口が、式神の体に食らいついた。


 ブチブチと全身を噛み千切られ、式神の体が消滅していく。


「あ、ああ……」


 同級生達は、もう戦意喪失していた。


 恐怖の念を受ければ受けるほど、悪霊は満たされ力を増す。


 なので、悪霊はできるだけ残虐な手段で相手を嬲るのだ。


 式神を惨殺した悪霊は、そんな同級生達の反応に喜び、そして襲い掛かる。


 ――刹那、僕は床を蹴って体を起こす。


 近付いてきた悪霊の体に、不意打ちで拳を叩き込んだ。


「キィ!?」「キキッ!?」「ギグッ」「キィィィイイイ!」


 隙を突いたつもりだったが、やはり、そこまでダメージは与えられていないようだ。


 霊力を纏わない攻撃は、悪霊相手には大した威力を持たない。


 単純に、悪霊は怒りの雄叫びを撒き散らしている。


「逃げてください」


 僕は、腰を抜かしている同級生達に言う。


「僕が時間を稼ぐので」

「は、は……え?」

「早く」


 悪霊が標的を僕へと定め、襲い掛かってくる。


 僕は、悪霊と交戦する。


 その隙に、同級生達は一目散に逃げていった。


 それを確認し、僕もタイミングを見計らい逃げようと考えるが――。


「くっ……」


 やはり、単なる身体能力で悪霊に立ち向かうのは無理だった。


 悪霊の放つ拳も蹴りも、まるで鈍器を打ち込まれているようだ。


 命中した箇所から、体が破壊されていくのがわかる。


 ……生まれた時から才能が無く、家でも虐げられてきた。


 見放され、学院にこそ入ったが中等部を卒業したらその先はない。


 努力しても全く才能は開花せず。


 悪霊に手も足も出ない。


「……あれ」


 気付くと、僕は悪霊に頭を掴まれ宙に持ち上げられていた。


 今一瞬、今までの事が頭の中を巡っていたような……。


「……もしかして、走馬灯?」


 思った瞬間、閃光のような衝撃が体を貫く。


 悪霊の腕が、僕の胸を貫いたのだと理解した――。




 ■ ■ ■




「……うん?」


 気付くと、知らない場所にいた。


 夜と朝の中間のような、仄昏い空間。


 足下には砂利。


 周囲を見回すと、チラチラと光る何かが空気中に靄を作っているのがわかる。


 白く舞うそれは、あたかも雪のように見える。


「なんだ、これ……」

「《霊素れいそ》じゃ」


 振り返ると、そこに一人の女性がいた。


 長方形の石塔の上に腰掛けている。


 白い着流しを着て、金色の髪、切れ長の目。


 頭の上に一対の耳が生えている。


 どこか、人と狐が混じったような……そんな外見の人物だった。


「お主達……現世の異能達が謳う霊力という力の源じゃな」

「あなたは……」

「ワシは九呼(くこ)。生と死を司る神の一柱じゃ」


 生と死を司る……。


 その言葉に、僕は『まさか……』と思う。


「あの、ここはどこですか?」

「ここは生と死のハザマの世界。言わば、黄泉の国の入り口じゃな」


 なんとなく察しはついておろう? ――と、九呼と名乗る女神は笑う。


「お主は、これから死後の世界に行く」

「そうですか……」


 やはり、僕はあの悪霊との戦いで死んだということだろう。


 僕は死ぬのか……。


 死ぬとわかり、改めて色々な事が脳内に浮かんでは消えていく。


 家のこと。


 辛い半生。


 しかし、やはり主に思い出すのは……涼のことだった。


 ……この数年、自分の人生が最悪よりも多少マシと言えるものだったのは、涼がいてくれたからだ。


「涼に一言くらいお礼と……お別れの挨拶をしたかったな」

「……ん? ちょっと待て」


 そこで、九呼がこめかみに指を添え、何やら驚いたような表情を浮かべる。


「ほう……お主、中々運が良いな」

「? というと?」

「お主、まだ死なないようじゃ」


 九呼が言う。


「体が丈夫だったのじゃな。瀕死じゃが、九死に一生を得たとはこのことよ」

「はぁ……ありがとうございます」

「反応うすっ。まぁ、とはいえ、今蘇っても重傷を負った体で死に際に立ち戻るだけ。改めて、あの悪霊に食われて死ぬだけじゃろうがな」


 どうじゃ? と、九呼は首を傾げる。


「どうせ苦痛を味わうなら、このままサクッと死んどくか? あそこを渡れば完全に黄泉の国じゃ」


 そう言って、親指をクイッと自身の後方に向ける。


 気付くとそこに、大きな川が流れていた。


「あれ、三途の川って奴ですか?」

「まぁ、そういうものだと思ってもらって構わんよ」

「……あの」


 そこで僕は、九呼に質問する。


 今の自分の状況を一旦信じるとして……気になることがあったのだ。


「今蘇ると、あの瞬間に戻るんですか?」

「そうじゃ」

「結構長いこと話してますけど」

「ふむ……言わばここは今際の際。体感時間と現世の時間はイコールではない。ここで流れている時間は、現世ではほんのわずかな間での事なのじゃ」

「……もう一つ、いいですか?」


 一度は死を受け入れたからか、思考が冴えて冷静でいられる。


 九呼の言葉を聞き、僕は一つの仮説を思い付いた。


 ここは黄泉の国の入り口……霊の世界。


 陰陽師が武器とする陰陽術……その力の根幹を司る世界。


 そして、現世では一瞬のことでも、ここでは長い時間に換算される。


 ならば……。


「………」


 このままただ死ぬだけなら。


 無能のまま蘇るだけなら。


 わずかな可能性に賭けてみたい。


 僕は、女神に相談する。


「例えば……この生と死のハザマの世界で、陰陽術の修行は可能です? 数年……いや、数十年……なんなら、数百年単位で」



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