426.遅くなっちまったが、ここまで来たぜ
アンナが自分の執務室に戻ると、机の上に整然と置かれていた四年半前のファイルが置かれていた。
静かに手を伸ばし、ぱらぱらとページをめくっていく。
背後の棚には、歴代筆頭大将たちがまとめ上げた重要書類が、年次ごとに几帳面に並んでいる。その一冊一冊が、国の命運を左右してきた重みを帯びていた。
だがアンナは、筆頭大将となってから、これらの資料にじっくり目を通す余裕もないほど忙殺されてきた。
書類の束を追いながら、合間を見てきちんと読まねばならない──そう何度も思いはしたものの、それを実行できた日はほとんどない。
自嘲めいた思いを胸に抱きながら、アンナはページを目的の箇所まで飛ばした。
(あった)
手を止めた先に記されていた内容は、先ほどトラヴァスから聞いた話とほぼ同じだった。
少なくとも、〝ティナが死んだ〟とされているところまでは。
前筆頭大将であるアリシアは、ティナが生き延びていたという事実を、どこにも書き残してはいなかった。
なにかの拍子に、シウリスの目に触れることを恐れたのだろう。
あるいは、次の世代の筆頭大将に、〝なにも知らなかった〟を貫かせるためだったのかもしれない。
(母さんはきっと、資料に残せないことを色々抱えていたんだわ……)
今さらになって、十八年もの間、筆頭大将の座にあり続けたアリシアの重圧がひしひしと胸に迫ってくる。
そんなことはものともせず、豪快に笑っているような人物ではあったが。
アンナが筆頭大将となって、三年と少し。
十八年君臨し続けたアリシアと比べれば、まだまだ未熟で、ヒヨッコにすぎないと自分でもわかっている。
それでも、アンナにははっきりとした目標があった。
本来ならば、グレイが継ぐはずだったこの地位を、今は自分が担っている。
空の上で見守っているであろう二人に、情けない姿を見せるわけにはいかなかった。
必ず、ストレイア王国に豊かさと平和をもたらす。
そのために努力を惜しまぬことを、仲間たちと共に誓ってきた。
アンナはファイルを静かに閉じ、深く息を吐くと、あらためて胸の内で決意を固める。
誓いを改めて、そっと心に刻みながら。
***
アンナが部屋を出ていき、カールと二人だけになったトラヴァスの執務室で。
「なぁ、トラヴァス」
声を掛けられたトラヴァスは、いつまで経っても出ていきそうにない親友へと視線を向けた。
「どうした、カール」
「お前昔、俺が将になったら話すことがあるっつってたよな。駆け上がってこいってよ」
不意に顔を上げたトラヴァスの視線が、カールとぶつかる。
その視線を正面から受け止めたカールは、胸を張った。
「遅くなっちまったが、ここまで来たぜ。あの時トラヴァスが言えなかったこと、教えてくれ」
それは、もう六年も前の出来事だった。
カールがまだオルト軍学校に所属していた頃、トラヴァスから打ち明けられた話がある。
トラヴァスは実は──今は亡き第二王妃ヒルデに、蹂躙されていたと。
その告白と同時に、自分は第三王子フリッツ派であり、いつか彼を王に据えるつもりだという決意も聞かされた。
さらに、カールにもフリッツ派に加わってほしいと、遠回しに誘われていたのだ。
その時のカールは、まだ決め手に欠けると感じて、答えを出さず保留にしていた。
だが、トラヴァスのシウリスに対する嫌悪が普通ではないことは、その頃からはっきりと伝わっていた。
今ではカール自身もシウリスに似た感情を抱いているが、それ以上に、トラヴァスの中には根深いなにかがある──そう察している。
その理由は機密のため、〝カールが将になった時には言う〟と約束されていたのだ。
そして将となった今、ようやくカールは、それを聞ける立場になっている。
トラヴァスは、まっすぐ向けられた親友の視線を受け止め、氷のように澄んだアイスブルーの瞳を静かに返した。
「よく覚えてくれていたな」
「忘れるわきゃねーだろ。いつ言ってくれんのかって、待ってたんだぜ」
カールの言葉に、トラヴァスは一瞬だけ、ほんのわずかに口元を緩める。
しかしすぐに表情を引き締め、いつもの無表情な真顔へと戻った。
「では、聞いてくれ。私が、フリッツ様を推す理由を」
そう前置きし、トラヴァスは静かに語り始める。
「カール。前王であるレイナルド様が崩御された時のことを、覚えているか」
問いかけられ、カールの脳裏に当時の新聞の見出しが蘇った。
王族が立て続けに命を落とした、あの衝撃的な報道。
あの頃、王都は騒然としていた。
「ああ、もちろん。確か死因はショック死だったよな。その前に第二王女のルナリア様が暗殺されてよ……」
トラヴァスは、その答えに静かに頷いた。
「実は、一連の王族崩御の裏には関わりがある。最初から話そう」
そう告げると、トラヴァスは淡々と、しかし一語一語を噛みしめるように、これまでに起こった事件の経緯を語り始めた。
機密とはもちろん──
シウリスが前王レイナルド、ヒルデ、ルトガーという三名の王族のほかに、ルナリア殺害の実行犯である二名までも、独断で処刑していたという事実である。




