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騎士アンナは、それでも愛する人を守りたい 〜あなたを忘れる方法を、私は知らない〜  作者: 長岡更紗
カルティカの涙〜フィデル国の異母姉編〜

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352/496

350.降りたりしないよ……あたしは……

 ザイレンは泣きじゃくるクロエの髪を、まるでガラス細工でも扱うように、優しく撫でていた。

 その掌の温もりに慰められると同時に、どうしようもない現実がクロエへと突きつけられる。

 アグライア家の人間として、感情を露わにするのはいけない──そう教え込まれてきた。

 泣くことは弱さ、感情は隙。そう刻みつけられてきたはずなのに、今だけは、抑えが利かなかった。

 胸の奥から込み上げる嗚咽は止めようもなく、涙が頬を伝い、床を濡らしていく。


 三年後には、見知らぬ誰かに身体を奪われる。

 それが定めだと、頭では理解している。

 だが、理解と納得は別のものだ。

 仕方がないと何度も心に言い聞かせても、体は拒絶するように震え続けていた。


「クロエ……お前はもう、降りろ」


 低く落ち着いた声が、涙に濡れた空気を切り裂く。

 その言葉に、クロエはゆっくりと顔を上げた。

 視界の端で滲んでいた光が揺れ、涙の向こうに、ザイレンの心配そうな瞳が映る。

 真剣なその眼差しには、責めも軽蔑もなく、ただ深い優しさと痛みがあった。


「降り……る……?」


 かすれた声で問い返すと、ザイレンは静かに頷いた。


「ああ……見てられねぇよ。クロエには弟もいるだろう。まだ幼いが……今から教育すれば、ミカヴェルの補佐として十分見込みがある」


 その言葉が耳に届いた瞬間、クロエの体が硬直した。

 弟に任せれば、確かに例の訓練を受けずに済む。

 だがそれは同時に、自分が補佐として相応しくないと判断されたことを意味する。

 ミカヴェルの傍に立てなくなる。

 彼の隣で、夢を語る資格を失うということだ。


 これまで積み上げてきた努力が、全部無駄になる。

 夜も昼も惜しまず勉強し、訓練を積んできた日々が、ただ「降りろ」の一言に頷くだけで終わってしまう。

 喉の奥が焼けるように熱くなり、唇が勝手に震えた。


「降りたりしないよ……あたしは……」


 クロエはぐっと奥歯を噛み締めた。

 ミカヴェルのために努力してきた日々。

 眠れぬ夜も、血が滲むような努力も、すべては彼に認められたい一心で耐えてきた。

 五聖執務官になると、あの時、彼に誓ったのだ。

 その誓いをここで破るわけにはいかない。


「あたし、努力してきたんだ……認められたくて……ミカヴェルの傍にいたくて……降りたら、全部終わるじゃないか……!」


 絞るような叫び声に、ザイレンの表情が曇る。

 クロエの痛みも、彼自身の苦悩も、きっと同じくらい深い。


「クロエ……」

「訓練なんて、いっときのものだろう? そんなの……そんなの、平気さ……!」


 クロエは自分に言い聞かせるように、必死で笑ってみせた。

 強がりしかないその笑顔にザイレンは眉をわずかに顰め、沈痛な面持ちでクロエを見つめていた。だがすぐに、意を決したように表情を引き締める。


「……そうか、わかった。だが、ひとつだけ忠告しておく」


 低く落ち着いた声に、クロエは息を呑んだ。

 ザイレンの手がクロエの肩を掴む。その指先には、迷いのない力がこもっていた。


「俺たちは、ミカヴェルの駒だ。どんなことでも、策のために役目を全うする──それが駒としての生き方だ。拒まず受け入れろ。命だって、役目を果たすための一手に過ぎない。ここで逃げないなら、やり切るんだ」


 その言葉に、クロエの心臓がぎゅっと締め付けられた。

 ──駒として生きる。

 その現実を、今までどこかで否定してきた自分に気づく。


 体を使った交渉など、汚らわしいものだと思っていた。

 けれどそれもまた、国のため、家のため、そしてミカヴェルのための〝役目〟なのだと。

 クロエは、駒になる覚悟ができていなかったのだ。ザイレンはそれを見抜き、諭してくれた。

 彼がどれだけの重圧と恐怖の中で揺るがずに立っているのかを思い知らされ、胸の奥が熱くなる。


 クロエはゆっくりと視線を落とし、震える手を固く握った。爪が掌に食い込むほど強く。

 震える体を、心の奥底で必死に制する。恐怖も嫌悪も、怒りも悲しみもすべてを押し込め、ただ前を向く。


「……わかった、ザイレン……」


 声は小さく、しかし確かに響いた。


「あたしも……覚悟するよ。駒として……役目を全うする……逃げない……やり切る……!」


 ザイレンは静かにクロエの言葉を聞き、ゆっくりと頷いた。

 それは仲間としての共鳴であり、未来を受け入れる覚悟の合図でもあった。

 クロエは心の奥で誓う。

 たとえどれほどつらく、痛く、理不尽なことが待っていようとも、駒として生き抜くのだと。


 三年後の自分を想像すると、胸が締め付けられるほど苦しい。

 それでも──決めたのだ。

 ミカヴェルの傍で生きるために。

 彼を支えるために。

 女性初の五聖になると、約束したのだから。


 ザイレンの手が、そっとクロエの髪を撫でる。

 指先が通るたび、涙で濡れたオレンジ色の髪が微かに光を反射した。


「お互い、大変な家系に生まれたもんだな」


 静かに笑うザイレンの声には、どこか哀しみが滲んでいた。

 クロエは目を細め、涙の名残を拭いながら微笑む。


「だけど、アグライア家に生まれてなきゃ、あたしは二人に会えなかったよ。それだけは、感謝してる」


 その言葉に、ザイレンの表情がわずかに緩んだ。

 強い光を宿していた瞳が、ふっと穏やかな色に変わる。


「そうだな……俺も、クロエに会えてよかった」


 二人はそっと視線を合わせた。

 その一瞬に、言葉にはできない重さと絆が宿る。

 覚悟、やるせなさ、まだ十代の心では抱えきれない未来の悲しみ。

 それでも──二人は前を向く。

 ミカヴェルのために、自分たちの存在を捧げると決めたのだから。


「……俺たちが駒だってこと、忘れるなよ」

「わかってる。あたしは支え続ける。ミカヴェルを……この命が尽きるまで、ずっと。約束するよ、ザイレン」


 クロエの声は震えていたが、その響きはまっすぐで、どこまでも強かった。

 この先なにがあっても、策に、役目に、命を懸けて立ち向かうのだという決意。


 ──どんな運命が、二人を待っていようとも。


 それは、言葉を交わさずとも理解し合える、同じ覚悟を背負った者だけの絆だった。


「俺もお前に誓おう。この命……グランディオルの、ミカヴェルのために使うと」


 静かな誓いが落ちた。

 クロエはゆっくりと頷き、目を閉じた。

 深く息を吐く。

 胸の奥で渦巻いていた恐怖も、不安も、痛みも、覚悟という名の静けさに包まれていく。


 そして二人は、互いの決意を胸に、未来の闇をまっすぐに受け止めるように──

 そっと、肩を寄せ合った。


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