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塵芥のような矜持(2)

 ()()()()()()


 あの日、酷い落雷があった。水樹が処刑されようとした直後。俺が竜を祓った直後。村のおやっさんが、優しいお母さん方たちが、俺たちに群がった直後。


 俺はほとんど何も考えられなかった。ただ水樹を守る。それだけしか、それだけを考えていた。


 直後に、落雷があった。耳をつんざくほどの轟音と、全身を震わせる衝撃とで、俺の視界は暗転した。


 俺が目を覚ました時、水樹は光のない目から乾いた涙を流していた。


「……水樹ッ! いっつ……よかった、無事だったか──」


 痛む身体を押さえつけながら彼女に近寄ると、ひぁ、と小さな悲鳴が聞こえた。まるで怯えているかように。俺たちは生まれた時から一緒にいるのに。この村で唯一の同年代。必然、俺たちは何をするにしても一緒だったのに。


 水樹のためなら俺はなんだってやれるのに。


「……ひ、」


 続く言葉で。


「……人殺し……」

「……え」


 俺は両手を見下ろした。周囲を見渡した。


 さっきまではなんとも無かったのに、俺の両手はまるでトマトを握り潰したかのように真っ赤な血に塗れて見えた。


 俺の周囲には、焼き焦げた人影が無数に存在していた。いや、あれを人影と呼んでいいのか? 肉の焼ける嫌な匂いと硝煙とで吐き気を催した。焦げ尽きて塵になっているモノもある。まさしく、屍の山だ。


 同時に理解した。俺は超えてはいけない一線を超えてしまった。何よりも守りたかった存在を、誰よりも無惨に壊し尽くしてしまった。


 光のない目からは、以前の聡明さや可憐さの欠片も見られない。


 わかっている。現実逃避は止めろ。


 酷い落雷──()()()()()()()()()()()()。水樹は壊れた。俺が、壊した。


「あ、あっ、あ、ああああああああ──ッ!!」


 それを理解してしまった時、発狂しなかったのは奇跡だった。俺も一緒に壊れてしまっても不思議ではなかった。


 駄目だ、だめだダメだダメだだめだ! 俺も壊れてしまってはダメだ。いつもの水樹を思い出せ。何度も聞いたろ、言われてるだろ、よく考えろって──


 考えろ、考えろ、誰よりも深く、水樹がこの場にいたらどうするか考えろ……


 そうしてどれだけの時が流れたろう。一分かもしれない。一時間かもしれない。もしかしたら、一日が経過していたかもしれない。


「……守らなきゃ」


 結論は、出た。


 せめて──せめて命だけは、俺が守らなければならない。俺の命に替えてでも。たとえ心が壊れてしまったのならば、精神が崩れてしまったのだとしても、命がなければ。


 俺たちは幼すぎる。甘い誘惑に乗っかってはならない。すなわち──俺たち二人も村の人たちの所に行く、っていう。


 生きていれば、いつか回復するかもしれない。いつか生きていて良かったと思う日がくるかもしれない。これが問題の先送りに過ぎないのはわかってる。だが、結論を出すには早すぎる。俺たちはまんま児戯(ガキ)なんだ。


 そして俺には責任がある。水樹の心を壊したモノとして、英の命を守る責任。


「……あー、これは酷いね」


 いつのまにか、背後に人が立っていた。物音ひとつしなかったハズだ。まるで瞬間移動でもしたかのように、その女はそこに現れていた。


 俺は冷静だった。後ろ手に英を庇いながら女を睨む。


「……誰だ」

「……これ、君がやったの? 何人殺したんだろうね、裁判にかけたら一発だね」


 無粋な女だ。腹を立てるな。冷静になれ。自分を殺せ。水樹の──英のように考えろ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「質問してるのはこっちだ」


 女──金髪碧眼の、西洋人形(ビスクドール)のような女だった。気だるげに長い前髪を指先でくるくると弄びながら、憂うような表情はひどく神秘的に見える。


 今思えば、どうせただ眠かっただけなのだろうが。


「……私? 私は龍崎光。光ちゃんって呼んでね」


 女は──光ちゃんは、見た目よりもよっぽど底が浅い人間だった。


「学校に興味はない? まあ断る権利は無いんだけど。『雷』は貴重だから()()してこいってじじばば達がうるさくて」


 パリィッ、と俺の電撃は空を舞った。避けられた。やはり瞬間移動か? そんな力もあるのか。いや、親父のように幻覚を操るのか?


 声は、またしても背後から聞こえた。


「……私は力づくでもいいけど」

「条件がある」


 バチバチと発電しながら、俺は抵抗の意思を見せた。


 考えろ、めぐみ。


 女は『回収』と言った……『竜災(ディトラ)』が貴重なのはわかってる。親父に勉強させられた。村の外にはブンメイと呼ばれるモノがあって、キカイやらカガクとやらがあるのだとか。


 俺には利用価値がある。そしてキカイやらカガクやらは電気に弱いらしい。俺に抵抗の意思があるというコト自体が、向こうからすれば好ましくないハズだ。


「俺の名前は恵稀。そんでこっちが英水樹だ。彼女の安全を保障してほしい。それで俺は抵抗しない」

「ふぅん」と女は訝しげに目を細めた。「一丁前に交渉するんだ。いいよ、そっちの子にも竜角(エッジ)があるし、一緒に連れて行ってあげる」


 差し出された手を、俺は躊躇なく握った。


 これからだ。まだ始まったばかりなんだ。


 反対側に英の手を引くと、彼女は虚ろな目のままに立ち上がった。何も考えていないみたいだった。条件反射で動く人形か何かに見えた。


 俺は命に替えても彼女を守らなくてはならない。


 命があれば。生きてさえいれば、いつか生きてて良かったと思える日が来るかもしれないのだから。



 ○



「……生きてて良かった……!」

「朝っぱらからはしたない真似してんじゃねェよ。早弁か?」


 教室で憚りもなくおにぎりを頬張る女に、それを機嫌悪そうに嗜める男。


 女の名前は(はなぶさ)水樹(みつき)。水を操る『竜災(ディトラ)』の持ち主。その圧倒的な制圧力と持ち前の頭脳とでこの賀竜学園を生き抜く女傑。天真爛漫に見えるが見た目よりも頭がキレるんで、できれば関わりたくない女だ。


 男の名前は竜胆恵稀(りんどうめぐまれ)。雷を操る『竜災(ディトラ)』の持ち主。誰とも群れず組せずこの賀竜学園を過ごす一匹狼で、強いて言えば英派。英とは幼馴染らしく、何かと突っかかっている。口調こそ粗野だが根が真面目なんだよな。まあ、関わらないにこしたことはない男だ。


「いやぁ、たまに無性に親に感謝したくなる時期が来るんだよねぇ。最近は特に。()()()()()()()()()()()()、ってさぁ。何でかはわかんないんだけど」

「知らねェよ、()()。お前の早弁とどう関係があるんだよ」

()()()は子供だなぁ! これ、昨日お母さんが送ってくれたやつなの!」


 二人して能天気に過ごしているが、それはあいつらが異常と言っていいレベルで強いからだ。自らの力に絶対の自信を持っているからだ。


 ここ賀竜学園は転校生や編入生が多い。なぜならここは竜人──特異能力者が集まる学園だから。


 そして今朝もまた一人、教室の扉をくぐる新顔がいる。若干()()を除いて教室の空気はピリピリしている。


 まあ、慣れたものだ。俺は鼻を鳴らした。鬱々とした緊張感。品定めのような、舌なめずりするような静寂音。歓待というには不躾すぎる観察眼。


 教師に続いて入ってきた新入りの、女。


 その女は、まさにというやつだった。


 病的なまでに白い肌。透き通りすぎてもはや背後まで透けて見えそうな、クリムゾンレッドの長髪。すらりと細くしかし筋肉質な足に、露出の多い制服に見え隠れする鱗。


「こんにちは。クリムと言います。クリム・ナーベリウム・ナーヴァ。趣味は読書、特技は生き延びることで──ッ!」


 そして、そんな女の顎に手を、キスすらできそうな至近距離で目を覗き込む男が一人。


 いきなり現れたわけでもない。その男はゆっくりと歩いただけだった。


 ただ、静かに。誰にも悟られず這う蛇のようにするすると、男はクリムの懐に潜り込んだ。


「……ふむ。良い目だぁ……。夜空に浮かぶ月のように何者も寄せ付けず、星空のように深く呑み込まれてしまいそうな漆黒の……お前、()()()()()()な?」


 慣れたものだ。蛇沢辰巳の奇行なぞ。


 英水樹や竜胆恵稀に匹敵する、このクラスの支配者の一人。


 中性的な顔の男だ。『人を操る程度の能力』の持ち主。金髪を長く伸ばしているから、後ろ姿だけだと光ちゃんと区別がつかない。制服で男であるコトはわかるんだがな。


 いつもはにやにや笑っているのだが、この時の蛇沢は無表情だった。面だけは良いから、そんな男が美麗の転校生を顎に手をやっているのは、絵面だけなら乙女ゲームの挿絵に見える。


「……私の瞳は、黒ではなく赤に見えると思うのだが」

「な〜んにも分かってないんだなぁ。まあ許そう。俺は目を見ればそいつが分かる。そして俺の目で見えるモノだけが全てではない……匂いや味、感情や境遇──気に入ったぞ、クリム。お前、俺の派閥に入らないか?」


 派閥。この魔の学園で生き延びるには、誰かの庇護下に入るのが手っ取り早い。特に力の強くないモノほど。


 このクラスには現在二つの派閥がある。蛇沢派と──もう一つは英派閥。


 英派は、派閥とはいえ消極的なモノだ。来るもの拒まず去るもの追わず、助けを求めるモノにできる範囲で手を差し伸べる。そして英水樹は化け物すぎて、大抵のコトならなんとか出来てしまう。それ故の英派閥。


 対する蛇沢派は真逆だ。積極的に拡大を続ける蠱毒。来たくなくとも(いざな)われ、逃げ去りたくとも囚われる。蛇沢辰巳もまた化け物すぎて、一度捕まればそう簡単には逃げられない。


 だが、クリムもまた竜人。唯我独尊の傲岸不遜こそ竜人のステレオタイプだ。


「……未だ勝手の分からぬ身だ。派閥とやらが何なのかは知らないが──与するには、お前は少々死臭が強すぎるな」

「こ〜れは手厳しぃ……。だが俺はお前を気に入ったんだ。気に入ってしまったんだ。こんなに綺麗に闇を讃えた瞳を見たのは久方ぶりだ……一体どれだけの時を──同胞を悠久に捧げてきたんだ、化け物よ」


 クリムの素っ気なさを意に介さずに蛇沢は周りを這う。舐め回すような視線でクリムを観察する。


 身の毛もよだつその仕草を、クリムは無表情で受け流していた。


 これは俺の──未紡愚の記憶だ。クリムが転校してきた初日の。


 俺には二つの記憶がある。過去を改変し、『英水樹が化け物に成った後』の記憶と、改変する前の記憶。これはそのうち、前者のそれだ。


 直後、バチィっ、と電撃がクリムを襲う。コンマ何秒で飛来する雷──竜胆恵稀の異能(ディトラ)


 だが電撃を放った張本人である竜胆は、呆気に取られたような表情をした後、蛇沢辰巳を睨んだ。がたり、と音を立てて行儀悪く立ち上がる。


「……蛇沢てめぇ……殺されたいのか?」

「おや、おや。転校してきたばかりのか弱い少女にいきなり攻撃するなんて、可哀想だとは思わないのかい、竜胆恵稀ぇ?」

「てめぇが()()()()()んだろがよ、畜生がァ。殺されたいなら素直にそう言えや」


 ゆらり、と。火花を散らして交錯する二つの視線の最中、幽鬼のように立ち上がる化け物が一人。


 クリム・ナーベリウム・ナーヴァ。真紅に透き通る髪を靡かせながら、焼け焦げた制服に淫美に彩られながら、女はゆらゆらと立ち上がる。


「……衝撃……熱、なんだ? 速すぎて見えなかったな……それよりも、攻撃の()()()が何も感じ取れなかった……この私が?」


椿(つばき)

「はい」


 いつのまにか教室の後方に移動していた蛇沢が声をかけると、臣下のごとく側に侍る女が蛇沢の前に立ち塞がる。


 椿凛花(りんか)。『氷を操る程度の能力』の持ち主。蛇沢派筆頭の──蛇沢辰巳の第一の被害者。


 ふふふ、と蛇沢の笑い声だけが教室に木霊する。異様な緊張感だけがこの場を支配していた。あの竜胆恵稀ですら雰囲気に呑まれていた。


「とまあ、こんな風に。この教室にいる全員が俺の()なわけだが……それでも降伏する気はないかな、クリムぅ?」


 さりげなく俺を駒に入れてんじゃねーよ。


 蛇沢の挑発に、やはり不敵に笑うのは竜人クリム。この女も大概戦闘狂の脳筋なんだろう。それでこそ竜人。


「悪くない。本当に悪くない気概だ……その性根さえ曲がっていなければお主の軍門に降るのもまた一興だったろうな」


 返答は、決別。気の狂った竜人の言葉の真意など俺に分かるワケもなし。


「……哀れにも蛇に絡め取られた人の子よ。死にたくなければさっさと往ね」

「はい、そこまで!」


 パン、と手を叩いて二人の会話に割って入ったのは、やはり人外こと英水樹だった。


 むむぅ、と不服そうな表情のクリムや、やはりにやにやと笑っている蛇沢を無視して英が言葉を続ける。


「ここは私に免じて、一旦お開きにして良いかな? 私、死人が出るのは好きじゃないんだけど」

「……貸し一つだぜ、英水樹ぃ?」

「ばかね、私が蛇沢くんに貸し一つよ。私が一体何人の──あなたの言う駒を救ってあげたと思ってんの」

「そいつらを俺が惜しむと思ってるのか? だとすれば期待外れも良いところだが……ま、姫の言うことには従うさ。今はまだ、な……」


 そう言って蛇沢は教室から出て行った。椿凛花もそれに付き従う。


 少しだけ弛緩した空気の中で、英はクリムに笑いかけた。


「クリムちゃんもそれで良いかな? もし消化不良だったりするならうちのめぐみが相手をするけど」

「……お前がやれや」


 竜胆恵稀の意見は黙殺された。


 クリムはそんな二人を見て、深くため息をついて言った。


「……はあ。興が削がれた。まあ、郷に入っては郷に従うさ。面倒事は早めに済ませておきたかったのだが」


 まあそうだろうな、と俺は思った。


 蛇沢辰巳。奴は、放置すればするほど周到に外堀を埋めてくるタイプの人間なのだ──



 ○



「──ふむ」


 全てを察したような表情だった。


 俺と英が過去を改変した次の日の朝。クリムは俺の前に立っていた。


心を読む能力(クソみてぇな盗聴)』──ッ!! 終わってやがる、この女ッ!


「私の記憶が変わっていたのもそれか。ふむ。色々言いたいこともあるだろうが、私はあの後、竜胆恵稀に紳士的に派閥入りに誘われ、快くそれを了承したことになっている。すまんがそういう理由で表立って其方と仲良くはできんのだ。派閥の()()()とやららしくてな。共に死線を潜り抜けた身であるというに」


 それだけを伝えたかった、とばかりにクリムは満足げに頷いた。いや待て、この世界線では竜胆恵稀は一匹狼だったハズだろう? それが派閥なんて作ってどうするつもりだ?


「……ああ。どうやら転校初日の件が相当腹に据えかねたみたいでな。恵稀は、蛇沢何某と全面戦争するつもりらしい」


 ナチュラルに心を読むな。いやそれよりもおい、待てって。そんな、嘘だろ?


「そんなの──あの入学初月の再現じゃあないかッ!」


 あの地獄のような、入学初月。当初30はいた同級生のうち、21人を退学に追いやった抗争。


 俺がどんな思いで生き延び、生存の未来を掴み取ったかってんだよ!

時系列が何度か前後してますね。一応改変前の竜胆恵稀→改変後のクリム転校初日→改変後の改変の翌日(クリム転校翌週の月曜日)なのですが、分かり難そうなら後で修正します。

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