塵芥のような尊厳(1)
さて、帰還条件も割れたな。英の生存、村人の生存、村長の打倒。全部クリアしたが、未だこの夢の世界にいるのはどうしてだろう。
まあ、最後の条件は『英との合流』だろうな。護衛任務じゃ良くあることだ。まさか野垂れ死んではいないだろう。
竜人は帰巣本能が強い。竜角が力を制御してくれているとはいえ、普通の人間より燃費が悪いからだ。
つまり、睡眠時間が長い。動ける時間が少ない。
そもそも人はなぜ寝るのか。それは寝る理由より、起きる理由を考えた方が早い。なぜ起きるのか。より適した環境へ赴き食料を得るためだ。だから光合成で事足りる植物は動く必要がない。古くは動いてない状態がデフォなんだ。それが熾烈な生存競争を経て、生物は覚醒を獲得した。
覚醒には2種類あった。短く強く起きるモノ。長く弱く起きる者。
つまり、竜人かそれ以外かだ。
竜人は当然のように生存競争に敗れた。絶対数の違いもあっただろう。しかし、いかに強力な『竜災』を持っていようと、『短く強く活動する種』と『長く弱く活動する種』で争った時、長期戦になればなるほど不利になるのは目に見えている。
それで発達したのが竜角──外付けの燃料機関だ。これの進化で今では普通の人より少し長い程度の睡眠時間で済んでいる。
だが、太古。そんな時代で竜角に頼らず台頭した竜人もいる。王族だ。一国を治める者。人間に与した、人を率いる王。前線に赴かない以上活動時間の短さは短所にならない。寝床で力を誇示しながら指揮を執る。そして人を治めるに『竜災』は強大であればあるほど良い。
英水樹は突然変異だ。より原初の竜人──王族の系譜に近い性質を持つのだろう。元素を操る能力だしな。竜角こそあれど、今でこそそれほど睡眠時間に差異は無くとも、彼女には強い帰巣本能がある。
この村で英水樹が帰る場所と言えば決まっている。
「あは。やっぱり見つけてくれた」
『水』を操る竜人が帰る場所と言えば一つ。
そこは俺が英と初めて遊んだ泉だった。英水樹はそこに下着姿で肩まで浸かっていた。周囲にふよふよと水球を侍らせながら、まるで人魚のように。
「泳げないんじゃなかったか、英」
少女は、魔女はくすりと妖艶に笑った。
「もう泳げるとか泳げないとかじゃなくなっちゃった。私の思った通りに『水』が私を運んでくれる」
「『人魚姫の王女様』──その名の通りってわけだ」
俺は周囲に横たわる数多の村人を見ないようにしながら、英水樹に手を伸ばした。まさか殺してはいないと思いたい。
「帰るぞ、英」
やはり、魔女は妖艶に笑ってその手を取った。まるで傅かれるのが当然のように、あまりに優雅な仕草だった。だったら何だ、俺は騎士か。姫なのか魔女なのかはっきりしろ。
「お母さんも英、だよ。紡愚くん」
言いやがる。お前は英水樹だよ。どうしようもないほど思慮深く、どうしようもないほど愚かしい天賦の女だ。
でも、あんまり誘惑してるとどうなっても知らないぜ。絶対に『竜災』は教えないしな。
英水樹が俺の手を取って泉から上がった時、世界が止まった。一瞬の後に、早送りのように季節が巡り始める。この場に時計はないが、あったらすごい速度で動いていただろう。
暗転する視界にも慣れたものだ。正しい時空に戻される感覚──来た時と違い心地良いソレに、俺は安堵しながら身を委ねた。
○
ゆっくりと、夢から醒めるような感覚。さりとて寝起きの様に頭が回らないわけでもない。状態としては転移に近いか。
パチクリと。目の前には目を瞬かせる英水樹。隣にはお淑やかに珈琲に口をつけている未紬。そしてここは昼下がりのカフェテラス。
未紬。『過去を変える程度の能力』を持つ──未家の最高傑作にして謀叛者。俺たちを過去に送り込んだ張本人。
少女は、大層満足そうに寛いでいた。珍しく上がる口角を抑え込めていない。俺たちの演劇がそんなに面白かったのだろう。
「大義、であった……」
そうして姉貴は立ち上がり、ふらふらとどこかへ行ってしまった。
そんな暴挙が許されるわけもない。俺は紬を物理的に止めた。
じろり、と紬は首だけ回して俺を睨む。
「……ん。気分、が良いから、許してあげる。今すぐコレを、解いたらね」
「馬鹿が。お前がコミュ障なのは知ってるけどな、使命を遂げた俺たちに何か一言あっても良いんじゃないか? あんな昔を『改変』しちまってよ、現在はどうなってる?」
コミュ障呼ばわりに紬は多少ムッとした様だった。
『過去改変』。紬の悪癖だ。夢と現実の区別がついていない。紬にとって、この世界とは容易く崩壊し、容易く創造されるモノだ。それこそ紬の意思一つで。
だから説明しない。言葉が足りない。説明してもしなくとも、『俺たちに説明した』という過去が変わってしまったら無駄になるから。
事実として俺と英は生きているらしい。英の服装も変わっていない。白のロングスカートに、傍に麦わら帽子が掛けてある。そう大して変わっている様には見えないが、あれだけ昔を『改変』したんだ。何が起こっているかわからない。
パリィ、と紬をその場に繋ぎ止めていた俺の『竜災』が弾かれる。この程度は足止めにすらならない。
だけど血縁の情か、一言だけ、紬は残してくれるらしい。
「紡愚兄さんは、私の力について誤解している。私の力は『並行世界』を創り出し、その結果を現在に反映することができる能力。故に『有り得たかもしれない日々』。……今回のように、過去改変を反映しないことも、できる」
言うべきことは言い切ったと、やはりふらふらと紬は去っていった。引き留める愚は犯さない。なぜならこの場にはもう1人、人外の魔物が存在するから。
魔物の名前は英水樹。さっさと環境に適応して、しれっとミルクティーを注文していた図太い女だ。
「あ、今失礼なこと考えてるでしょ」
無粋な勘ぐりには肩をすくめて答えた。それだけで事足りるし、俺の役目は言いがかりに目くじらを立てることじゃあない。
「紬の力は知ってるな? 過去を変える。結果として現在も変わる。お前の竜角をくっつけたみたいにな。そして、あいつは時々嘘をつく」
「嘘、じゃあないでしょ。『並行世界』を創り出し、その結果を現在に反映することができる……結果だけを反映する、現在を変える──部分的に反映することも、できる?」
英水樹は人差し指でトントンと机を叩きながら思案する。俺には想像もつかない速さで回っているだろう頭を眺めていると、英は照れたように顔を逸らした。
「……あ、あんまり見ないでよ、恥ずかしいから……」
馬鹿が。適当なコト考えてんじゃねーよ!
俺の役目は紬の情報を出すこと。考えるのはお前の仕事だろ!
ここ賀竜市で情勢を把握できてないっていうのは死活問題だ。敵がわからない。誰がいるのかわからない。俺たち弱者は紬のほんの気まぐれで死地に立たされている。
あ、違うのか。英水樹は別に弱者ではない。少なくとも今はもう。
たった今も、通りがかりに背後から英の竜角にちょっかいをかけようとした男を水球で窒息させている。おっかねぇ……いや相手が悪いか。獣でも獲物くらい選ぶ。
腹が立ったので俺は英を揶揄うくらいしかやることがない。高尚な議論の時間は終わってしまった。
「水樹は可愛いな、強いし」
「うぇっ?」
「こんなに綺麗に透き通った青髪の女はそういない。『水』を操るっていうのも洒落てるよな。五大元素は良い。シンプルイズベストってな。俺とは無縁の才能だ」
「あ、あっ、あっ……」
「目元もぱっちりしてるし、よく見たらまつげなっがいな……性格もさっぱりしてて気持ちいいし、水樹って名前も可愛い。水樹。英水樹。響きが良いよね。なあ、水樹。水樹?」
ぷくぷくと、周囲の水が不定形に形を変える。口元を覆われていた男が解放された。命を狙われたのに気絶で許してやるのか。英は優しいな。
『そんなの可愛くない』──と、竜角を水で覆う案は棄却されたが、英の防衛策は周囲に無数の水球が漂う形に落ち着いたらしい。英を傷つけようとする存在を半自動で迎撃する水球か……確かに見栄えは悪くない。
「……水樹?」
んっ、と。
俺は口を塞がれた。水で。呼吸はできる。だが声は出せない。どういう原理だ?
「もう知らない!」
英はわちゃわちゃと髪の毛をいじった後、苛立ちを隠さないままにミルクティーを啜った。律儀にストローを使うあたり育ちの良さが隠しきれていない。
「良いから記憶を辿ってみなよ! 私たちには二つの記憶がある──これまでの記憶と、この記憶」
瞬間、俺の脳内に溢れ出す、存在しない記憶──
お、おお? 確かにある。改変前の記憶と、現在の記憶。実感はないが、覚えている。紬の過去改変の仕様。実際に過去に赴いた人間は二つの記憶を持つ──今の今まで忘れていた。なにしろこれ程大規模の時旅は俺も初めてなのだ。
「大体、不公平だよね! 紡愚くんだけ昔の私とお話ししてさぁ! あの日私ったら夜通し泣いちゃったし、し、しし下着姿も見られちゃったし……!」
俺は言われた通りに記憶を辿った。何も知らない無垢な英水樹。根っからの悪ガキで、マセガキ。
俺はニヤリと笑って、上着を一枚脱いで椅子に掛けた。英はきょとんとして水球を解除してくれる。
椅子に座り直して俺は言った。
「……裸になると思った?」
「思い出さないで!」
きゃー、と顔をおさえて赤面する英水樹。可愛いな。誘ってんのか?
っと、脱線しすぎたか。記憶があるなら話は早い。というか終わりだ。覚えているんだから、考える必要もない。
「……にしても面倒なことになったな。多分この世界線では竜胆がそんなに暴れてないんだろ。正史では英が不甲斐ないからか? それとも村を壊滅させた負い目からか……あいつがあんなに派閥に拘っていたのは、英を守るため、か……」
英は首肯した。
「……うん。多分そう、なんだろうね。竜胆くんは、いつも私を守ってくれてた……。あの後──村が崩壊した後、どこからか光ちゃんがやって来たんだよね。その時も竜胆くんは私を庇って……私、1年ぐらい廃人みたいになってたから」
そして竜胆は龍崎家の養子になった。英も何かと面倒は見てもらったのだという。だが、特に能力開発だとか人体実験などをされてはいない。龍崎の方針は知らないが、おそらくそれらの『義務』は全て竜胆恵稀が受け持った。
「この世界線でも、竜胆くんは龍崎に引き取られてるみたい。『雷』は貴重だし、『光』とも相性が良い……私は、今、一人暮らししてる……? お金は、特待生の補助金と、親が、出してくれて……」
はっ、と英は携帯を取り出した。おそらく連絡先一覧でも見ているのだろう。
忙しなく動いていた指先が止まり、目を見開いたかと思うと、口を抑えて涙ぐむ。
「……い、いきてる……お、おお、お母さんが、生きてる……?」
俺は頷いて席を立った。お手洗いにでも行ってくるかな。感動の再会にしちゃあ風情が無いが──たとえそれが電話越しでも、英にとっては大切な儀式になる。
羨ましい、と素直に思う。死者の蘇生。それは俺や紬が今まで何年かけて成し得ていないコトか。
それで、その日はお開きとなった。俺たちは新しい生活に慣れなければならなかった。記憶があるなら俺もそれで不都合はなかった。もともと一人で考えるのは苦手じゃない。
冷静になってみても、面倒なコトになったな、と思う。
竜胆恵稀は自立している。英を守る必要がなくなったから、いや目はかけているのだろうけれど、この世界線では自分の人生を生きている。
それはあの地獄のような入学初月の、地獄のような派閥争いが起きなかったコトを意味する。
主要勢力は二つあった。片方はもちろん竜胆恵稀。電光石火の竜人。類稀な才能と知性とで抗争に勝ち切った暴虐の魔人。
そして、もう片方。
名を蛇沢辰巳。干支の名を冠する名門の生まれで、人を食ったような性格の好色漢。
結果的に退学となったが、奴は竜胆との直接対決で負けたわけでも、派閥争いにおいて竜胆に劣っていたわけでもない。
街に甚大な被害を与えたとして、学園を追放されたのだ。初月に退学した──いや、退学させられた同胞たちは、大体が蛇沢の被害者である。
『竜災』もまた、奴の性格を反映しているかのようにタチが悪い。
そう、蛇沢辰巳は──人を操る。人としての矜持や尊厳など、奴の前では塵芥に等しい。