7話 雨泥の魔女(4)
夢を、見ていた。
幼い──というほど幼くはないけれど。ちょうど十歳かそこらの頃。私の転換期。そろそろ世の中というモノがわかってきて、生まれてきた意味とか、死に場所を探し始める頃。
でも、心のどこかではいつか王子様に攫われるのに憧れてた。幼稚だなぁと笑う心と、それでも自分を偽れないところに私らしさを感じたりして。
ソレは最初、王子様に見えた。
悪い魔法使いに連れ去られたお姫様を、颯爽と駆けつけて助けてくれる王子様。
今にも竜に食べられそうな私の前に、身体を張って助けに来てくれた幼馴染。
轟音。とともに、バチバチと全身を帯電させながら、少年が獣のように笑ったのが見えた。しばらく見ていなかった彼本来の笑い方。
私の少女の部分が歓喜して、それを抑え込んだ理性の部分が口を出た。
「め、めぐみ!? な、なんで……!」
せめてこのまま死なせてくれたなら──私は仕組みのために死ねたのに。大義をもって死ねたのに。
「なんでもくそもあるかっ! 一丁前に死のうとしてんじゃねェよ、この馬鹿女がよォ……!!」
馬鹿だなんて、あなた。勝負事で私に勝ったことないじゃない。
それでも、めぐみの献身は嬉しかった。囚われの私を助けに来てくれた彼の誠意に応える用意はあった。私は私の価値と、世の中と、俯瞰してみるのは昔から得意だった。
だから私の理性の部分は叫んだのだ。
『なんでこの場に来てしまったのか』と。
いつのまにか、めぐみはめぐみに見えていた。私が理解してしまったから。突拍子もないところから現れた私に計り知れない王子様ではなく、いつも見ていた、等身大の幼馴染に。
私の乙女の部分がなりを潜めて、頭が彼を慈しむ。
あなたは昔から考えが足りないから、いつまで経ってもそうなのよ。
こうなるのなんて、自明でしょうに。
事が終わって静寂が訪れた。私は、この静寂がいつまでも続けば良いのにと思った。そんなわけあるはずがないのに、私の予想が外れてくれることを祈った。
そんなわけはなかった。
怒号は、今度は私たちに向けられたモノだった。
「……あ、ああ……竜神様が、お帰りになられた……」
「終わりだ、お終いだ……あのガキ、竜神様に手を出しやがった……っ!」
「世界の終わり、だわ──神よ、我々をお赦しくださいお赦しください赦して許して許して許して赦して──お前を絶対に、赦さない」
「ガキをとっちめろっ! 巫女もだ、もう一度儀式をやり直して、お怒りを鎮めねばならん!!!」
私はここで死ぬ。それも大義のためでもなんでもなく──ただ役目を果たせなかった無能者の烙印を押されて。ただ無意味に。条理の通りに、仕組みから逸脱した離反者として。
めぐみを責めることはしない。彼の想いは理解できるから。彼はまだ私と同い歳の幼児だから。そして、彼には不幸にも、生まれ持った竜災があったから。例えその力を与えられた意味を本人が測りきれなかったとしても、ただの不幸を責めるのはお門違いだ。
「──ァ、ガ」
バチィッ、と。
めぐみは不幸だ。不幸故に力を与えられ、幸運にも才があった。それをどのように使おうと彼の自由だ。でも──
「いや、は?」
──でも、でもでもでもでも──でも、ソレは違う!
満身創痍のめぐみの身体がバチバチと火花を散らし、強過ぎる出力に周囲の祭壇やら石畳やらが発火していた。見ている間にも、出力はどんどん上昇していく。
一度だけ、見せてもらったコトがある。名を『雷神』。相反する電荷を意図的に衝突させ、力の制御すら手放して大爆発を引き起こす──いわゆる、自爆技。
確かに──確かに確かに確かに確かに、理解はできる。大の大人が数十単位で私たちに押し寄せている。私は抵抗しない。めぐみは満身創痍。抗うなら──殺し尽くすしかない。向かってきたモノ全て。
でも、みんな顔見知りじゃんか! キレ症な山本のおじさん、棘があるけど面白い奥川のおばちゃん。キカイに詳しい八束のお兄さんに、物知りな岸本さん……
それだけじゃない。『雷神』は範囲攻撃だ。ここら一帯が更地になる。そしてここら一帯には、今は全ての村人が集まっているのだ。
「──アぁ、アガあ”ア”ァァ……!!!」
めぐみはもう白目を向いて、周囲の電気を集めるだけの現象になったみたいだった。見ている間にもどんどんと火花は増えていって──
「だ、だめ! それをやったら、私、めぐみのこと嫌いになっちゃう!!」
──静止の声など、届くハズもなく。
だけどどこからか声がした。周りには誰もいないのに。
「馬鹿が!! 嫌いになるもくそもあるかよ、英!!!」
遠く、群衆の向こう。でも、なぜかその声は耳元でこしょこしょと耳打ちされたみたいにハッキリと聞こえた。
「おまえが、やるんだ。誰かを守りたかったら、意思を通したいのなら。頭が回るのは認めよう。思慮深いのは敬おう。でも、だったら何故わからない! 行動に移さなかったら、それは何も考えていないのと同じなんだ!」
声に私はうっ、とした。私の理性の部分が、言い訳ばかり思いつく。
「で、でも……め、めぐみは私のために──それに、わ、私の『水』じゃあ、雷は……」
声は、笑った気がした。彼は一つずつ回り道して、私の逃げ道を塞いでいく。
「嘘をつくな。知ってるだろ、竜胆は自分のために、自分の意思を通しているだけだ。英も自分のために行動するんだ。できないだぁ?? それこそ嘘だ。お前は自分のできるコトを全くわかっているハズだ。信じている。強靭な意思──それは竜人にとって何よりも大切な資質だ」
例え俺が手伝ったとしても、当人が信じていなければ術は完成しない、と。
そして、真水は絶縁体だ。英水樹はソレを知っている。
「不安なら手伝ってやる。絶望なんて犬に食わせろ! お前ならできる! 俺の知る英水樹は馬鹿で愚かで無責任で考え無しだが──決して自分を卑下しない」
その声は、待ち望んでいた王子様そのものではなかったけれど。
突拍子もないところから聞こえる、私に計り知れない存在なのは間違いなくて。
そこで私は全てを思い出した。
「……あは。未くん、酷い言い様だなぁ……」
『雷神』。範囲攻撃。かつて私の生まれた村を焼き尽くした、絶望の化身。私の心的外傷。
どうしてかそれを覆せる時分にいるらしい私は、過去の私と決別する。
詠唱は短く。想像するのは常に最強の自分だ。
生きとし生けるものに敬愛を。齎された使命に崇拝を。死にゆく運命に哀憐を。隠し味には──罪悪感を。
こんにちは、他人よりもちょっとだけ優秀な私。
さようなら、凡人に憧れた誰よりも無能な私。
「『水族館』」
雷神如きが、私の『水』に抗えるわけがなくて。
「それでいい」
クヒッ、と、声が笑った気がした。
「前々から思っていたんだ。精神と能力が釣り合ってないってな。強靭な精神と貧弱な能力──自分が自分を信じてなくて、誰が手前を肯定するかよ」
貧弱だって! 未くんが、私の『竜災』を??
あんなにも頑なに能力を明かさない、自称『それだけでもう底が知れてる』未紡愚が?
だから私は思いっきり笑ってやった。
「あっははははは! 笑い方、きっも〜〜〜い!!」」
轟音は──雷神は、全く私の水に閉ざされ、吸収されて消えていった──
○
──ひゅん、と。
完全に放電して気を失った竜胆くん──めぐみを私が受け止めた時、視界が一新された。これは──転移? 瞬間移動?
『因果の逆転。自身の肉体の一部を以って「当然自身もそこにいるもの」として定義し、自らと入れ替えた──いや、入れ替えたのではないか。英水樹の肉体の一部もまた、未は保有していたのだろう』、とか。
この場にクリムちゃんがいたらそんな風に講釈してくれたのかもしれないけど、私はそんなコトはまだ知らない。
私に分かるのは、私とめぐみが群衆の只中にいて、隣にはお母さんがいるってことだけ。
群衆はまだ、私たちに気付かない。みんな祭壇の中央を、怒気と共に注視している。
最初に目が合ったのはお母さんだった。
「みつっ……!」
私の名前を呼ぼうとして、咄嗟に口を紡ぐお母さん。相変わらず頭が良くて優しくて、私の自慢のお母さん。かつては雷神で焼け焦げた彼女は、今はまだ生きている。
お母さんが、生きている……!
「……大丈夫。もう、大丈夫だよ」
慈しむようにそう言って、私は続けた。
「お母さんは私を捕まえなきゃ」
母ならばこれだけで理解してくれる。荒れ狂う群衆と失敗した儀式。俯瞰して考えろって教えてくれたのはお母さんだ。
「みっちゃん、待って!」
みっちゃんなんて呼ばれたコトないのに!
静止の声を無視して、私はだっと駆け出した。私はくすくす笑みが漏れるのを抑えきれないで、それでも何人かに気付かれたことに気付いている。
「あは、あはは」
お母さんにかくれんぼで勝ったことはないけれど。
それは、『竜災』を使わなかったらの話だ。
いつのまにか雨が降っていた。私の意思じゃない。いや、意思ではあるのだろうけど、意図していない──感情が昂って、チカラの制御が大雑把になっている?
雨泥に塗れた集落を、巫女服に裸足で駆け巡る。まるで年相応の子供のように。伸びてくる腕を右に左に避けながら、時に雨粒を操って。
私の役目は待つことだ。この世界がどこか知らないけれど──未くん『過去に行く』とか言ってたっけな──死んでしまうのはまずいだろう。帰り方は未くんに聞くしかない。
そして、私は目的の場所に辿り着いた。
未くんならわかってくれる。きっと容易く私を見つけてくれる。
私の役目は、待つことだ。村から出てはいけない。あくまで村の中で、この最終防衛ラインを維持すること。めぐみも、気分が良いから守ってあげよう。
群がる民衆。大の大人が数十単位で私たちに押し寄せている。私は、今度はちゃんと抵抗を選べた。
めぐみほど野蛮じゃないけれど、向かってくるなら容赦はしない。優しく包み込むように、抵抗してあげよう。
「あははははは!!」
雨の中。水に塗れて、妖艶に笑う魔女の姿があった。
この日この時、英水樹は完成したのだ。
○
私の地元、何もないよ。いつだったか聞いたその話は本当だったのだろう。
文字通り何もない。人間も、建物も。自然の大地も、何もかも。
先ほどの『雷神』──俺が見たことのある竜災の中でも破壊規模は随一だろう。あんなモノをぶっ放されたのなら、辺り一帯が焦土になるのは想像に難くない。
そして、英水樹と竜胆恵稀だけが生き残ったのだろう。英は無意識に全身を『水』で守って、竜胆もまた無意識の防衛機能が自身を傷つけなかった。
竜胆──なるほど光ちゃんあたりに拾われたか。龍崎の系譜と考えれば名前の類似にも辻褄があう。干支の名を持つ家系はこの世界では少々特殊な意味を持つ。そうそういるモノではない。
さて、英に渡したお守りと俺が持っていた英の髪の毛とを交換して祭壇の中央に転移したわけだが。英と接触していた竜胆も一緒に転移したのは僥倖だったな。
ほんで、なんで群衆は俺に襲いかかってくるんだよ!
「巫女とガキが消えたぞ!」
「探せ、まだ近くにいるハズだ!」
「このガキにも角が生えてやがる! 竜神に捧げろ、我らが神に恩赦を願え!」
ああそういう。大層な理由だが、数人も気絶させてやれば警戒して近寄ってこなくなった。これで良し。
さて、俺の使命はここからの生還と──
「一人、とっちめないといけねぇ奴がいるなぁ??」
──黒幕の撃破、だろうな。
コツ、コツと。民衆が波のように割れて、奥から歩み出てくる人影が一つ。
それは祭司服に身を包んだ村長だった。
「村長! 危険です、この子供は──」
「良い。下がれ。お前たちはそこで見ているがいい」
英の捜索に行かせないのか? 俺が村人を殺さないと見て肉壁に使うつもりだろうか。いや、流石に集落を治める者としてそんな判断はしないと思いたい。
英は逃げ切れただろうか。いや、むしろ村人の心配をするべきだろう。知人友人いるとはいえど、ハイになった竜人ほど信用できないモノはない。
「諦めて降伏するつもりはないか?」
「はて、降伏とは。儀式は失敗などしておらぬ。ここでお前を贄に捧げればな」
「余所者の血は口に合わないんじゃなかったのかよ」
ダメ元で聞いてみたが、やはり無駄だったか。
だが会話に応じてくれるのは良い。情報が増えるということは、勝率が上がるということだ。特に俺のような『竜災』の場合は。
「タネは割れてる。幻だろう。突然現れて突然消えた。出現は詠唱、退去は祭壇の破壊。他にもいくつか条件はあるだろうが──あれだけの虚栄はそう簡単には出せないんじゃないか?」
そう、幻。
竜が出た時には驚いたが、実体に比べて遥かに虚弱な出力だった。おそらく『見た目』に重きを置かれた張子──絵に書いた餅。
『竜災』は万能ではない。数多の家系が遥か昔より神秘を貪り尽くしても──未だ世界は壊れていない。人の身で神に至ったモノはいないのだ。いたらとっくに世界は征服されている。
それでも出力の強弱はあるが、こんな記録にも残っていない田舎の血筋だ。あんな神秘を思いの儘に操れるとは考えにくい。
そして騙しや幻、虚栄の類と俺の『竜災』は相性が良い。
果たして──
「はて、何を言っているのかわからぬが、私は竜神の代弁者だ。反旗を翻す無知な若者を教え導く義務があろうて」
──村長の背後に、大の大人の背丈よりでかい大蛇が現れる。
問答は終わりと。そしてどうやら俺の予想は当たっていたらしい。
「自分や息子の竜角もその竜災で隠してたのか。便利だな。幻の象徴は竜で固定か? いや、竜に限定することで出力を底上げしてるのか……」
「竜神の使いよ、この無礼な子供を捕らえ給え!」
村長の号令と共に大蛇が地を這って迫り来る。
俺は避けようともしなかった。こんな程度の虚栄、タネが割れればいくらでも『否定』でき──
「──消え、ない!? 実体が、ある!?」
ガギィンッ! と、咄嗟に懐からナイフを取り出して応戦できた。くそ、俺としたことが力に驕った! こんな貧弱な『竜災』を信用しちまった!
大蛇の牙と俺のナイフがかち合って、鈍い音を立てながら俺は吹き飛ばされた。わあっ、と歓声があがる。その巨躯に相応しい膂力──大蛇だ、見たまんまの。
「す、凄いぞ、さすが御使い様!」
「ああ、ありがとうございますありがとうございます。そしてどうか、我らをお赦しください……」
俺を吹き飛ばした大蛇はその場でぬらりぬらりとトグロを巻いた。ぐぐん、ぐぐん、とその巨体がより一層大きくなる。
ちぃっ、と口から血を吐きながら俺は立ち上がる。
「大きくなった……? どういう絡繰だ、できるんなら最初っからその大きさで出せや……」
いや、考えろ。思考を凝らせ。時間はあまりない。今にも大蛇は俺に飛びかかってくる。
「違いはなんだ。竜、大蛇、大きくなった大蛇……三匹見た。三匹の違いはなんだ。どれも唐突に現れた。幻に違いない。だが実体がある。竜は祭壇を壊されて消えた。大蛇は、俺を攻撃して大きくなった……」
大蛇の襲撃。今度は上手く受け流すことができた。真正面から受けずに力を右に逸らす──迫り来る尻尾も見えている。見えていれば躱せる……小さい身体も便利だな。
俺の未熟が原因か? もう一度『否定』する。やはり消えない。実体がある。『この場に存在しない』という仮定が失敗する。
わあっ、と、もう一度歓声が上がった。くそ民衆ども、ガキ甚振って喜ぶたぁ性根が終わってやがる……
「いかな幻とて、それが目に見えて肉を持ち、我々が観測できるのならば──それは本物と変わらぬ。そうは思わぬか?」
そして、大蛇がもう一回り大きくなる。村長はもう勝った気でいやがる。次は避け切れないかもしれない。やはり、時間制限はそう遠くない。
「さらに大きくなった……成長する大蛇? いや、必然性がない……歓声、民衆たち? 竜は大勢の人間が見ていた。今は祭典の四半数くらいか……村人の、信仰心?」
村長は言った。『お前たちはそこで見ているがいい』──英を捕らえには行かせず、見学を強要した。俺のような得体の知れないガキのために。
そして、目の前で神秘を目にすれば村人たちは信仰心を強めるだろう。文字通り、自分たちの神が使いを寄越しているのだから。だから大蛇は成長している。
『否定』できないのも納得だ。竜神信仰は根深いところはとことん根深い。俺の矮小な竜災では、信仰心そのものを『なかったこと』にすることはできない。
だが、そうと理解ればやりようはある。
「これは、もうこの場は安心ですな! 私は裏切り者のガキどもを捕まえてきまする!」
「私も同行します!」
「なっ、おい待て、まだだ! まだ儀式は終わっておらぬ!」
突然、村人の中から声が上がる。勝気そうな青年が村長の静止も待たずに駆け出した。
それに続く者が一人、また一人。村長は大蛇の制御も投げ出して村人たちを止めようとするが、決してその声は届かない。
「なぜだ、何故この場を離れる! 私の声が聞こえていないのか、やめろ! みつきやめぐみなどどうでもいい! この異分子を排除しなければ私の国に平穏が──」
「なるほど、異分子ねぇ。俺のような信心浅い人間の影響で、信者が減るのが怖かったのか。英を殺そうとしたのも納得だ。あいつは少々賢すぎるし──竜角を持ってやがるからな」
まあ、そんなところだろうとは思っていたが。英の思慮深さが、いずれ治世の邪魔になると思ったのだろう。
この感じだと『泉の毒』とやらもまやかしだ。体調不良は思い込み──泉の汚染は村長の力の浸透。『毒』を操る力とかも考えたが、それだと竜に説明がつかない。
まあ、どうでもいいか。村長の焦りようが答えだ。『我々が観測できるのならば、それは本物と変わらない』、と。集団幻覚──大勢が認識することで実体を得る。そういう縛りで力を増幅させたのだろう。
いつのまにか、この場にはもう誰もいなかった。文字通り俺と村長の二人だけだ。大蛇も消えた。
「なぜだ、どうして……」
「さあ、なんでだろな。たまたまこの場を離れたいヤツがいて、たまたまそいつに賛同するヤツしかいなかった。偶然にも帰りたい気分だったのかもしれない。全部、たまたまさ」
やはりいつのまにか、村長の側に小柄な犬っころがいやがった。確かに『観測者』がいなくなったわけではない。ここには俺と村長、2人4つの『目』がある。
だが──
「無駄だ」
──バシャッ、と。今度はちゃんと『否定』することができた。じゅわあっ、と制御を失った犬っころが、俺に届く前にふわりと宙に消えた。
「たまたま、抵抗する気力も湧かないだろ。絶望したか?」
項垂れる村長に、俺はゆっくりと近付いた。殺しはしない。これでもヤツには村を治める術がある。例え治世に『竜災』を使っていたとしても、邪魔な人間を生贄と称して排除していても。文明を廃した素朴な村を、自給自足だけで運営するだけの才があるのだ。
最後に、聞きたかったことがあったのを思い出した。
「なあ、ムラオサ。クリム・ナーベリウム・ナーヴァって、誰だ?」
しばし沈黙したのち、村長は絞り出すように答えてくれた。
「……誰も何も、竜神だよ。かつて神に成った現人神にして、救世の女神。我が家に代々受け継がれている伝承だ」
「……そうか」
俺は、それだけ言って優しく気絶させてやった。
記録にも残っていない村の、伝承。
それが竜胆恵稀に村ごと焼き尽くされて、人知れず絶えるなんてことも、あるのだろう。全ては、たまたまなのだから。
少し駆け足になってしまったので補足を。
村長の竜災は正確には『毒を操る程度の能力』。未の予想は当たらずとも遠からずって感じですかね。結果勝利しているので何ら問題はありませんが。
毒霧を散布して幻覚を見せています。『泉の毒』も村長の能力です。
代々儀式のために幻への造詣だけが深くなっており、その他の毒を用いた戦闘は不得手としています。『攻撃性の毒を使わない』縛りで幻覚に実体を与えているのかもしれませんね。
英を狙ったのは『水』を操る力と毒との相性が最悪だからです。狙われる理由こんなんばっかだな英水樹。
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