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6話 雨泥の魔女(3)

 (つむぎ)時旅(ときたび)にはいくつかルールがあるが、紡の信条はそう多くない。


 その一つが『最大多数の(我が身が朽ちる)最大幸福(其の時まで)』。要は人々を幸せにしましょうねってことだ。人格破綻者こと(ひつじ)紡にしては真っ当な信条だが、それこそが『破綻』の一端であるためなんとも言えない。ここは既に紡の領域(テリトリー)であるため、それに背いた瞬間に俺は消されるだろう。文字通り歴史から抹消される。術を受け入れた時点で生殺与奪を紡に握られているのだ。


 村長(むらおさ)の来訪から翌日の朝。俺は未だ謎の多い今回の時旅のゴールを仮設定した。一つは(はなぶさ)水樹(みつき)の生存。もう一つは、なるべく死者を出さないこと。


 約束通り、朝と昼の間ごろに村長はやってきた。少年と二人。だが、村長は少年の方を見ようともしない。


「それでは」


 言葉少なに英を連れ去ろうとする村長に俺は言った。


「生贄とやら、俺ではだめか?」


 俺の力ならとりあえずの生存はできよう。生き延びることに特化した能力。賀竜学園でも通用した俺の力ならば。


 だが、やはりそう簡単にはいかないらしい。


「余所者の血は竜神様のお口に合わん。それにあの泉はかつて竜神様が飲水していたとされる泉だ。きっとこの娘の不敬にお怒りになられたのだろう」


 竜神信仰は根深いところはとことん根深い。都市部──特に竜人の無法加減を知っている人間が多い賀竜市では忘れそうになるが、やはり『竜災(ディトラ)』とは異能なのだ。異質な力は人々を畏怖させ、時にそこに神を幻視する。


 故に郊外の竜角持ちは迫害されるか信奉されるか二つに一つだ。最後には集団の秩序を守るために自由を奪われる。体良く危険人物を排除できる生贄は割とポピュラーな措置だ。


 俺は舌打ちを一つして英を明け渡した。これは秩序維持の茶番──儀式の一種だ。誰も居ない場所で密やかに処刑されたりはしない。村人に英の死をもって竜神の怒りを鎮めたことを喧伝しなくてはならない。


 そして、儀式が成功しない限り事態は収束しないだろう。俺が村なんか放って英と夜逃げしなかった理由だった。『最大多数の最大幸福』……俺には英だけではなく村人の幸福をも守る義務がある。だから俺が処刑されたフリをするのが一番丸かったのだが。


 何もせずに英を見送った俺を、立ち去らずに眺める人影があった。村長について来ていた少年だ。吊り目に金髪の、どこかで見たことのある顔。


 少年は名を岸彼(きしかれ)めぐみと言うらしい。英から聞いた。村長の息子だという。そして、事が起こるまで英と遊んでいた幼馴染。勝気そうな表情を、教育の仮面で押し殺している獣のような目だった。


「お前、水樹の何だ」


 獣少年はぶっきらぼうに言った。彼は仲間にできるだろうか。英の味方か、あくまで村長に従うか。子供の情緒など俺にわかるわけがない。


 俺は肩をすかして鼻を鳴らした。めぐみとやらはしばらく俺を睨みつけていたが、無言でいなすと去っていった。俺は不確定要素は信じない主義だ。


 方針は決まった。英は助ける。儀式も成功させる。そのための策は考えてある。俺は両方やらなくちゃあならない。


 不安そうに村長に手を引かれる英の左手には、小さなお守りが握られていた。



 ○



 昨夜夜通し英水樹を慰めていた時のこと。いや、もう泣き疲れて眠ってしまった英水樹の隣で、俺は思案していた。


 すやすやと眠る英水樹の寝顔は安らかなもので、とても死を覚悟しているようには見えない。


 そう、まだ幼く、しかし聡明な彼女は自分が死ぬことに納得している。理解しているのだ。それでも年相応に泣いて見せたのは、自分が死んだ後に泉の水を「きれい」にする人がいなくなってしまうから。お母さんが、死んでしまうかもしれないから。


 竜神信仰は、根深いところはとことん根深い。しかし彼女はソレを盲信しているわけではない。儀式を儀式として理解した上で、精神の安寧を図る機構としての信仰を尊重している。


 不作、不毛、流行病(はやりやまい)。その対処としての生贄に自分が選ばれたこと。竜角(エッジ)を持って生まれてしまった意味。その全てを飲み込んでしまえる度量を持つ女が、自らの死を受け入れているという事実。


「……全く、面白くない」

「……ぅ?」


「悪い、まだ起きてたか」


 俺の呟きに、英は身じろぎで返した。意識はあまりはっきりしていないようだ。俺は、その頭をそっと撫でてやった。まだ幼い英の髪の毛は梳く必要がないほど透き通っていて、その先には幼く主張する竜の突起がある。


 彼女の覚悟を、無駄にはしない。だから俺にはお守りを渡してやるくらいしかできなかった。小さな小さな、しかし彼女の想いに報いてやれるお守り。


「お前は必ず助ける。必ずだ」


 これは決意表明だ。俺は少なからずこの女を気に入っているし、そうしないと未来に帰れないからな。おのれ紡……。


 一頻り髪を梳き終わったころ、やはり英水樹は安らかに寝息を立てていた。



 ○



 そして、儀式が始まる。


 時は夕刻。茶赤の空を曇天が薄暗く彩る宵闇の間際。


 村人が広間の外周に集められる。田舎村とはいえ、全員が出張ると結構な人数になっていた。おそらく、百名以上いる。


 俺は英母と共に来ていた。英母は不安そうに広間を見つめていた。娘との別れは既に済ませてある。涙を見せたり意義を唱えたりはしない。信仰によるものか、水樹の覚悟を知ってか。おそらく後者だ。彼女もまた聡明な女性だった。


 しばらくすると、奥から村長と少女が出てきた。村長は広間の中心で立ち止まり、少女は跪く。英水樹だ。水樹は白装束を左前に羽織っており、死人のように青白い顔をしている。村長も祭司のような聖職着を纏っている。まるで罪人と神官だ。


「これより、生贄の儀を執り行う!!」


 ばっ! と村長が手を広げると、それに合わせるかのように広間を覆っていた蝋燭に火がついた。どういうカラクリだ? あまり発展している様子もないこの村だ。儀式用の竜装か?


 村長は、何やら祈祷のようなものを唱え始めた。先ほどまでガヤガヤと忙しなかった群衆も、声を潜めて見守る体制に入った。


 英母がはっ、と息を呑んだ。俺も目を見張る。


 嘘だろ、まさか、本当に?




 ()()()()()。どこからともなく、いや空から、空にはいつのまにか、竜がいた。




「賢くも気猛(けたけ)無珠(むたま)の神よ。竜の祖よ。我らが罪を赦したまえ。我らが驕りを正したまえ」


 村長の──神官の、祭司の祈祷は続く。それは詠唱と言って過言ではなかった。神父の言葉に合わせて、まるで大自然の使者のように、竜が空を闊歩(かっぽ)する。


 でかすぎる。東西に分けるなら東洋の龍だ。蛇のように細長い胴体は終わりが見えず、細長いとはいえ、大人が三人寄って手を回したとしても囲えないだろう太さはある。雲を掴む小さな前足。幼児一人、容易に丸呑みできるだろう大口。


 ウォォォオオオン──……


 悠々自適にたゆたうその竜は、まるで死神のように咆哮した。決して大きな音ではないのに──いや大きいのだが、竜はまるで声を張った様子もないのに──耳を、全身をビリビリと威圧する咆哮。


 村長の祈祷は続く。


「その体躯を以て山を鎮めん。その膂力を以て海を宥めん。牙を、爪を、尾を以て人を諌めん。恐れながら、汝の名を呼ぶ愚を許さん。偉大なる竜王よ。敬虔なる裁定者よ。神よ、其の名は──」


 其の名は。汝の名は。竜神の名前。神の、御身名。


 其の名を聞いて、俺は一瞬、意識が凍結(フリーズ)する。


「──クリム・ナーベリウム・ナーヴァよ」


 は?


「竜角が導きし巫女を以て、我らが春に栄光あらん」


 村長が、祈祷を終える。俺はそれを、どこか灰色の視界の中で俯瞰している。


「英水樹。忌み児として生まれた賤子ですが、どうか竜神様のお口に合わんことを」


 村長がその場をゆっくりと離れ、英水樹は立ち上がり、両手を広げて竜を迎え入れる。


 瞬間、どひゅん! と凄まじい速さで竜は頭から急降下する。其の下にはもちろん、鎮静の巫女が一人。


 だから、お守りを使う暇もなく、俺は見ていることしかできなかった──


「あ」



 ○



 着弾。轟音のその直前。俺には見えた。


 群衆から飛び出した人影が、神速で竜と英水樹の間に割って入った。轟音は竜の牙と人影の衝突によって生み出された、剣戟(けんげき)の音だった。


 俺は忘れていた。俺の介入がなくとも、史実で英水樹は助かっている。死んでいない。


 竜の牙と拮抗する人影ぇ? そんな出鱈目(でたらめ)があっていいのかとも思うが、人影は思ったよりも小さい。そう、まるで子供のような──


「め、めぐみ!? な、なんで……!」


「なんでもくそもあるかっ! 一丁前に死のうとしてんじゃねェよ、この馬鹿女がよォ……!!」


 金髪に吊り目のガキ。岸彼めぐみ。少年の額には、淡く煌めく竜の角──竜角(エッジ)が、確かにあった。


 俺の頭はこんな時でも冷静に状況把握に努めていた。まるで先ほど凍結(フリーズ)したのを恥じているかのように。


 この時旅のゴールは何だ? そして獣少年の竜角(エッジ)。何故だ? 昼に見た時はなかったハズだ……。


 村長の息子の額に光る竜角(エッジ)。隠蔽するに十分な条件だ。村長の後継が忌み児など示しがつかない。これについて思考する必要はもうない。


 考えるべきは竜の動向と、岸彼めぐみの『竜災(ディトラ)』。とても人の出せる速度じゃあなかった……全身がバチバチと発光している……竜の突進を押し返せるだけの膂力に、右手に握る雷の剣……!


「雷……金髪、吊り目……英水樹の幼馴染──竜胆(りんどう)恵稀(めぐまれ)か!!」


 気付くのが遅すぎる! ヒントはそこら中に転がっていたというに!


 困惑する俺や英を、人ならざる竜は待ってくれない。そして、それに相対する竜胆恵稀も。


「めぐみ! 戻れ、儀式の邪魔をしてはならない! ああ、駄目だ、今すぐ竜角(エッジ)を隠せ──」

「しゃらくせェッ!!」


 雷の剣を一振りし、竜胆は村長の静止の声を遮断する。曇天からもバチバチと雷光が見え、再度突進しようとした竜に降り掛かる。


 空。雲を使って雷を操る──そんなこともできるのか。能力を研ぎ澄ましている。あの歳で十全に扱えている、これだから天才は!!


 しかし、竜が小蝿を払うように尾を振ると、雷は跡形もなく消え去った。竜胆恵稀が舌打ちをする。再度、突進。今度は生贄を食べるためのソレではない。敵意を持った、攻撃のための突進だ。


 衝突。爆音は、どうしようもないほど畏怖を駆り立てる。


「ぢぃッ──!! ……う、うおおおおおお!!」


 そして、竜胆恵稀は防ぎ切った。自身の何十倍もの巨躯による突進を、攻撃を、雷の剣で逸らし、打ち返すことに成功した。


 ──ただし、残ったのは満身創痍の姿だった。


「はあっ……っんぐ、あ、がァ……ッ」


 足を引き摺り、右肩からは骨が見え、それでも雷剣を持ったまま竜胆は広間の中心に進む。まるでそこに何かがあるかのように。事の起こりを全て知っているかのように。事態を収束させるために。


 そして、竜胆は剣を、全力を振り絞ってそこに突き立てた。


 そこに何があったのか、俺は知らない。触媒か、竜装か。おそらく竜装だろう。『竜災(ディトラ)』の力が込められた礼装。竜の異能を増幅、行使する科学の結晶。こんなど田舎にあるハズのないモノ。



 途端、竜はまるで幻のように姿を消した。現れた時と同じように、まるで最初からいなかったかのように。



 俺はこの時点で事の真相をだいたい掴んでいた。そしてこの時旅の勝利条件も。


 残された村人と、広間に生き残った竜人が二人。それを呆然と見つめる村長。


 しばし、沈黙の時間が流れた後──


「……あ、ああ……竜神様が、お帰りになられた……」

「終わりだ、お終いだ……あのガキ、竜神様に手を出しやがった……っ!」

「世界の終わり、だわ──神よ、我々をお赦しくださいお赦しください赦して許して許して許して赦して──お前を絶対に、赦さない」

「ガキをとっちめろっ! 巫女もだ、もう一度儀式をやり直して、お怒りを鎮めねばならん!!!」


 怒号──その場は阿鼻叫喚の地獄絵図、だった。


 俺は、この場を収めねばならない。それもできるだけ人死を出さず。


 終わってる。あまりに膨大な作業を前に、俺は目の前がクラクラするのがわかった。

紡愚くんが異性の頭を撫でるのは昔からの悪癖。可愛いね

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