4話 雨泥の魔女
クリムの様子がおかしいことには気付いていた。だが、こいつとは初対面なんだ。素で気が狂っているのか、まさか敵に操られているのか、判断がつかなかったから泳がせた。
急にあべこべなことを言い始めたと思ったら、露出癖に目覚め公開オナニーを始め、忍び足で俺に接近したかと身構えると、いつの間にか彼女は仕事を完遂していた。敵の『竜災』を暴き切ったのだ。
そうして振り向くと、目の前で弾け飛ぶ様に死ぬんだから、迷惑極まりない。
「……手間かけさせやがって……」
クリムは、俺の『竜災』を知っている。目の前で死んでくれるならそれを助けられるということも。
まるで巻き戻しのように血液が、肉片が、人の姿を形作る。一秒後には無傷で佇む竜人は、心なし嬉しそうに言う。
「助ける必要はないと言ったのに」
それも知っている。クリムの『竜災』は万能だ。
性分なんだよ。目の前に助けられる命があれば助ける。これを怠ったが最後、助けられる命も助けられなくなりそうだから。
くすりとクリムが笑った気がした。やはり心が読めるってのはやりにくい。
「後は任せて構わんよな」
クリムはそう言って踵を返した。俺が頷くと本当に帰りやがった。まあいい。もともとクリムは道案内だ。それが敵の『竜災』まで暴いてくれるんだから儲けも儲け。
敵さんとやらも、クリムに相当虚仮にされたらしい。倉庫の奥、怒り心頭で佇む男がいた。
狐のお面。間違いない。
「もう逃げ隠れるのはやめたのか?」
「ふん。俺ァ非効率なことが嫌いなだけだ。スマートに、ってやつだ。女をどこへやった? あいつには地獄を見せてやる……!」
俺は鼻で笑った。
「何がおかしい? テメェ、勝てると思ってやがるな。バレたところで、俺の『血液を操る程度の能力』が最強なことに変わりは──」
「俺が笑ったのは英だ。お前みたいな小物にしてやられるんだから、田舎育ちも考えものだな」
英水樹は中学までを地方で過ごしている。曰く、友達になるよりも他人になる方が難しいど田舎なんだとか。根本的に危機感が足りないんだよ、危機感が。東京の片隅──ここ賀竜市は魔都だ。明日には地図から消えていても不思議じゃないってことをあいつは理解していない。
空見しながら少し煽ると、敵さんは再度激昂した。クリムとどんな会話を交わしたのか知らないが、冷静さを失った竜人ほど御し易いモノもない。
黒い液体──血液が飛んでくる。狙いは顔か。体内に侵入されると面倒なコトになるらしい。
だが、血液は俺の目の前で弾け飛ぶ。決して俺に到達することはない。
俺はゆっくりと歩を進める。敵さんはがむしゃらに血液を飛ばしてくるが、そのどれもが俺に当たらない。脇をすり抜け、直前で霧散し、地面のシミと化す。
俺はゆっくりと歩を進める。まるで先ほどのクリムのように、忍び足でゆっくりと。
手が届くほどの距離まで接近されて、ようやく敵さんは異常に気付いたらしい。
尻餅をついて後ずさる敵さんの両肩に、優しく手をかけてやる。
「……あ、ありえない……! 俺が血液の制御を誤る、だと……!? そんな、月に一回あるかないかの出来事が、こうも連続で……?」
「月に一回もあんのかよ。道理で『否定』しやすいと思ったわ雑魚が」
その間にも血液が俺を襲うが、まるで当たらない。
血液の雨を意に介さず、俺はゆっくりと手を首に当てる。抵抗は可愛いモノだった。事ここに至っても、まるで現実を信じられない様子だった。
「ちぃっ! 『活人血』!」
お面の男の全身が赤黒く躍動する。凄まじい速さでバックステップ。だが、途中ですっ転んで頭を打ちつけた。間抜けめ。
「っ!? また、操作を誤った……? お前は活人血中の俺の速さにもついてこれるのか!?」
血行を速くする身体強化か。しかし、俺が直接邪魔したわけじゃあない。
俺は空いた距離をゆっくりと詰める。
「たまたまさ。たまたまお前は力の制御を誤って狙いを外すし、たまたまお前はすっ転んだ。今も、偶然にも抵抗する気力は沸かない。そして偶然、お前はポケットの中身を落とすんだ」
目の前。俺が狐の面を放り捨てるのを、男は戦慄しながら静観していた。
俺は首をゆっくりと締め上げながら敵さんを持ち上げる。小太りの髭面が段々と青白くなり、ようやくじたばたと暴れ出す。
コロン、と音がした。竜角だ。敵さんが暴れた拍子にポケットから落ちたらしい。良かった、傷はないようだ。
抵抗するには遅過ぎた。やがて、パタリと男は事切れた。死んではいない。意識を失っただけだ。
たまたま、俺は気分が悪くなかった。脳裏によぎるのは女の顔だ。俺が生き返らせてやった時、まるで全てを見透かすかのような笑みを浮かべた女。
「全部、偶然だ。俺がお前を殺さなかったのも、お前が今日の日を毎晩夢に見て、今後学園から手を引くことも、な」
たまたま俺の気分が良くて、たまたま敵さんは運がなかった。
それだけのことなんだ。だが、胸に残る苦い感触は、気分でどうにかなる類のものではなかった。なんの権利もなく、他者の人生を土足で踏み躙る感触。
くしゃり、と心が壊れる音がする。命まで取らないのは──いや、取れないのは俺が弱いからだ。弱くて弱くて、目を逸らさなくてはいけない。
やっぱり大したコトない『竜災』なんだよなぁ、俺のコレ。まあ良いか。門限には間に合いそうだ。
○
あれから数日が経った。今日も竜胆はいない。たったの九人しかいないクラスメイト、その半数は不良生徒だ。曰く、戦うことしか能がない人間が勉強して何になる、と。
英水樹の様子も変だった。妙によそよそしいかと思えば、今も俺の隣に座っている。席は無数に空いているというのに。
視線を向けると目が合った。かと思えば、凄まじい速さで目を逸らされる。話しかけても逃げられるし、俺は無視を決め込んだ。授業中だしな。
俺が黒板に集中すると、また隣から視線を感じた。しばらくすると、先生の言葉の合間を縫って声がする。
「ひ、未くん。あの」
「……授業中だろ、不良生徒め」
涙目で見つめてくるな。光ちゃんが怒ったら困るのは俺たちだろ。まあ欠席率を考えれば私語程度で怒るとも思えんが。
いつものようにぼーっとした顔で光ちゃんは教鞭を取る。竜人の歴史。いつ頃からか存在する異能者。莫大なエネルギーを秘める竜角。その存在が遥か昔から確認されている事実と、最近になってそれが公になったコト。
「たぶん、隠しきれなくなったんだろうね。どこかで偉い人が話し合って、もう公然のコトとした方が都合が良いってなったんだ。私のとことか未くんのとことか、家探ししたらとんでもない蔵書が見つかるかも」
あ、これって言って良かったんだっけ。まあいっかぁ、等。光ちゃんはいつも適当だ。
龍崎光。龍崎の家は未家同様、竜人一家の名門だ。多分俺の知らないコトも知っているし、俺たちとは違う世界を見ているのだろう。きっと、俺たちとは違って特に隠しごとをしなくてもいい世界。
竜人は、昔はひっそりと山奥で探求していたらしい。テーマは様々。人間を超えるとか、新世界を創るとか。くだらない。そのせいでかつては魔女狩りの対象になったらしいという話も聞いた。
授業が終わると、英はしばらく黙っていた。体良く逃げ出せる口実も見つからず俺も黙っている。
「ひ、未くん。今週の日曜日は、空いてますか?」
ようやく口を開いたかと思えば。
「……あー、どうして?」
「お、お礼、したいなって……。また助けられちゃったし」
「言ったろ。礼ならクリムか紬にしとけ。俺は何もしていない。それに日曜はちょっと用事があってな」
「兄さん。別に私は三人でもいいよ」
いつのまにか、紬が傍に来ていた。どうにも客人が多い日が続くな。クリムが来てからか。
英が面食らっている。紬の表情も相変わらずぼーっとしているし、俺が説明しなければならないのか?
「日曜、紬と旅行に行くんだよ。あー、英も来るか? 別に礼とかはいらないから。紬もこう言っていることだし」
「あっ、そうなんだ……。じゃあ、お邪魔しようかな……」
どうにも歯切れが悪い。元気のない英なんて活発な光ちゃんみたいなもんだ。
結局その日は何も話さなかった。集合場所と時間だけ伝えて、放課後まで。
○
日曜日、時間通りに着くと誰もいなかった。紬はともかく英まで。まるで俺が楽しみにしていたみたいじゃないか。朝から不快な気分になる。
「……の」
時計台の下、周囲を見回して時間を潰していると、何やら知らん女が話しかけてくる。無視だ、無視。
「あの、未くん!」
あんまりにもしつこいので振り向くと、よく見ると英水樹だった。いつもと装いが違う。
「誰だ、お前」
「誰だは酷いよ! ちょっとだけ楽しみだったのに、私」
見違えるのも無理はないだろう。いつもはパーカーしか着ていない英は、今日は随分と華やかに見える。白のロングスカートと帽子。動きやすい服装で来いって言ってなかったっけか。
気の利いたことも言えずにいると、英は少しだけ不貞腐れたように言った。
「紬ちゃん、来てないね」
「あいつの遅刻癖はいつものことだ。二時間は来ないと思った方がいい」
「に、二時間も二人っきり……!? あ、いや、仲良いんだね、兄妹」
「仲が良いとかじゃない。埋め合わせだよ。俺が紬に『竜災』を使ってもらったら、一日あいつを楽しませにゃならん」
「『竜災』を使ってもらった……? あっ、私の竜角……」
しまった、と思った。まるで英に恩を着せてるかのような言い方をしてしまった。別に間違ってはいないが。
「そう、それだよ。お前の竜角をくっつけたのは紬だ。協力しろよ英。お前は今日、あいつを楽しませることだけを考えるんだ。紬は我儘だぞ」
「うん。また私の不注意でこうなっちゃって。一回目の時言ってくれたよね、竜角は竜人の弱点なんだから隠しとけって。パーカーじゃ足りなかったみたい」
「俺が英なら常に水で膜を張っとくよ。見栄えは悪いかもしれんが」
「悪すぎるよ! そんなの、可愛くない」
「可愛くないだぁ〜? じゃあ常に気を張っとくんだな。四六時中寝ている時も、前後左右どこから襲われても良いように。慣れれば簡単──でもないけどな。疲れるぜ、これ」
「そんなことやってるんだ……厳しいお家は大変だねぇ。もしかして紬ちゃんも?」
「あほか。あいつは俺と違って優秀だからな──っと、始まったみたいだぜ。今日は随分早いな、英に気を遣ったか?」
「始まったって、え、え、え?」
ぴたり、と時計の針が止まる。朝の喧騒も、慌ただしく出勤するサラリーマンや学生も微動だにしていない。
雨が降っていれば壮観だったんだがな。止まった雨粒は、結構趣深い。
「旅行って言っただろ。どこに行くかは言ってなかったっけか?」
止まった時の中、動いているのは俺と英の二人だけ。
聞いてないよ……とおろおろしている英は落ち着きがない。初めてだし仕方ないか。俺も慣れるまでは不快だった。地面に足がついていないような、左手と右手が入れ替わったようなぐにゃぐにゃした感触。ともすれば心臓を鷲掴みににされているような。
時計の針が動き出す。ただし、反対方向に。
「俺たちは過去に行くんだ」
気張れよ、最悪死ぬぜ。
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