3話 その女、まさに(3)
「ところで其方、名をなんと言う」
古風な話し方の少女は、呑気に歩きながら言った。
「未紡愚。紬とごっちゃになるからみんな未って呼んでるかな」
未家は、一応それなりに名の知れた家だ。竜婚──『竜災』の強力さで伴侶を選び、より強い『竜災』を子に残そうとする婚姻──を繰り返し、完全な実力主義が敷かれている。俺のような落ちこぼれも学園に通わせてくれるくらいの金もある。
「紬の兄上か」
「弟だよ。ところで本当にこの道で合ってるのか? 急かすわけじゃないが、時間はそんなにないぜ」
クリムは立ち止まり、少しの間目を閉じた。きっと、一秒に満たないくらい。
その所作があまりに美麗で、俺は見入ってしまった。ので、覗き込むような形になっていて、目を開いたクリムとばっちり視線が交差する。
「どうした」
「……いや、別に……」
「ふむ。行く道に違いはないよ。私の『万物の声を聞く能力』は、聞きたくない言葉も聞こえてしまうのだ。力に指向性を持たせるには少々コツがいる」
ぶはっと俺は飲んでいた水を吹き出しそうになった。
「……んぐっ。だから、『竜災』をあまり言いふらすなよ。今までどんな環境で育ってきたんだ?」
「? 未は敵ではなかろう」
人の口に戸は建てられないんだよ。俺が敵じゃなくても俺を通じて敵に知られる。状況によっては俺も敵になる。
だが、伝わる気がしなかったので言わなかった。代わりに今のうちに紬に罰を与えてやることにした。
「そう、俺は味方だよ。だからこれはリップサービス。お近付きの印にってな。紬の『竜災』は──」
「『過去を変える程度の能力』、か?」
「!?」
ドンピシャ当たっている。名称まで。俺は不覚にも驚き過ぎて、声を出すことすらできなかった。片手に持つペットボトルを慌てて取り落としそうになったところで意識を取り戻す。
確かに、先ほど英を治療するのを目の前で見ていただろう。確かに、バレても問題ないくらい強力な『竜災』だと当たりをつけることはできるだろう。だが、これは余りにも──
「『可哀想』で、『不公平』だから、私に妹の力を教えてくれるのか。未は優しいな」
だから姉だって。
──しかし、なるほど。俺は、大体を理解した。
「言ったろう。『聞きたくない言葉も聞こえてしまう』、と。不公平というのなら、私の方がよっぽど不公平だ」
「それは違う」
だから、続く言葉を自信を持って否定することができた。
「『竜災』っていうのは、俺たちが生まれ持った権利であり、義務だ。存在意義そのものでもある。文字通り災いとするか、善行を為すかは、俺たちが決められるんだ。確かに俺たちは化け物だが、それだけは──普通の人間みたいに」
クリムは、少しだけ目を細め、黙って聞いていた。
「私の力が強過ぎてごめんなさい、ってか? 不公平だから貴方達にも教えてあげます? あまり舐めるなよ、クリム・ナーヴァ。俺たちは──少なくとも紬は、そんなに弱くない」
クリム・ナーヴァは、恐らく強い。万能のようにも見える『竜災』を持っている。不死身だし、雷も効かないし、どう言う原理か知らないが隕石を降らすこともできる。
だが、それでも彼女が軽率に『竜災』を言いふらすことで、損をする日は必ずやってくる。救えない命が必ず現れる。そしてそれは、もしかしたら彼女自身かもしれないのだ。
「黙ってりゃ良いんだよ、黙ってりゃ。もっと自分勝手に生きて良いと思うぜ」
竜人クリムは、しばらくの間黙っていた。踏み込み過ぎたか? 確かに、初対面で説教かましてくる異性とか迷惑すぎる。
ハラハラしながら見守っていると、クリムは顔を上げてくれた。
「……其方は──未はその貧しい『竜災』で、何をおいても守りたい存在がいるのだな。立派な志だ」
貧しいってなんだよ。それなりではあるだろ。
俺はぽりぽりと頭をかいた。心が読めるっていうのもやりにくいもんだな。
だが、彼女が俺の『竜災』を言いふらすようなことは無いだろうと。そんな、不思議な確信があった。
○
私ことクリム・ナーベリウム・ナーヴァは人里離れた山奥に住んでいた。限界集落どころではない。ひとっこ一人寄りつかない神殿の祭壇で、私は目を瞑っていた。
「そんな過去がもう懐かしく感じるよ。現世は存外、面白い」
何か言ったか、と問う男に、なんでもないと返す。
未紡愚。優秀な姉を持ったことに腐らず、研鑽を怠らないモノ。そして類稀に強靭な意思を持つモノ。
男の視線は前方倉庫に向いていた。視線で再三確認してくるから、私はもう一度力強く頷いてやった。間違いないよ。あそこに賊は居る。
道中、世間話といった体で未が教えてくれた。
「なんで英が狙われたのか、っていうのが解せねぇ。偶然じゃない気がする。これは俺の勘だが……」
「最後尾を歩いていたからじゃないのか? 学園に恨みを持つ竜人は多いと、紬らが教えてくれた」
「だったら俺が狙われてる。英はフードを被っていたから、無差別なら俺の方が狙いやすい。竜角が目的なのは当然として、他に英が狙われた理由があるはずだ」
なるほど話しながら情報を整理するタイプらしい。『万物の声を聞く程度の能力』でも、未が今凄まじい速度で頭を回しているのがわかった。
「では、英とやらの情報がバレている点は確定で良さそうだな。家柄や容姿、最悪能力まで……。その上で狙われたとなると、個人の恨み辛みなどは──」
「それもない、はずだ。だったら竜角を奪わず殺している。竜角ってのは竜人の誇りそのものだ。それをこれ見よがしに生徒から奪った犯人の目的は、学園を虚仮にすることで間違いない……となると、一番ありそうなのは『竜災』絡みだな」
「──『竜災』の相性が悪い、ということか」
「ああ。英は特に力を隠しちゃいないからな。どっかから外部に漏れてても不思議はない。……ちっ、余計なことに頭使っちまったぜ。敵の『竜災』なんて、心が読めるクリムが居れば丸裸も同然だってのに」
未は心から苛立たしげに頭を掻いた。
頼ってくれるのは嬉しいが、私の力はそう万能ではない。釘を刺しておいて損はないだろう。
「……そうでもない。力に指向性を持たせるのにコツがいると言ったろう。接敵から五分程度、私は使い物にならないと思っておけ」
「たった五分で良いのかよ! がちで便利だなお前のそれ!」
警告のつもりだったが、未は嬉しがっているみたいだった。
確かに、相手の『竜災』がわかると言うのは大きなアドバンテージだ。
だが、五分もあれば敵を殲滅することができるが故に、『竜災』は災いと呼ばれているのだ。
未紡愚。貧弱な──本当に貧弱な『竜災』で、生き抜いてきた男。そして、他人のために我が身を顧みず動くことのできる男。
私は、悟られぬ様にぺろりと唇を舐めた。
「お手並み拝見、だな」
ちらり、と倉庫を覗き見る未。私は慎重に進む未の後ろに続く。
倉庫は暗闇に包まれていた。だが、未が中を進んでいると、唐突に電気がついた。
「ちぃっ、トラップを踏んじまった。何か水の様なモノに足が触れた……それが電気のスイッチに繋がっていたんだろう。これで俺たちの侵入は気付かれた」
未は、丁寧に私に聞こえるように現状を説明してくれる。底抜けに優しい男だ。
倉庫の中にはゴムタイヤが無数にあった。他にもドラム缶や鉄骨など、遮蔽物には事欠かない。
「私に気を遣わなくてもいいよ。生き延びるのは得意だ」
「わぁってるよ」
わかっていない。今も私を気遣った立ち位置を維持している。私に何かあってもすぐ助けに入れる様に。
はあ、とため息を吐いた。これは多分この男の性分だ。これ以上指摘しても仕方あるまい。
試しに、『攻撃』を避けないでやった。
「っ!」
ほら、助けるじゃないか。
それは黒い飛来物だった。私の顔を狙って放たれたソレは、未が伸ばしてきた腕に阻まれた。
「……気をつけろ」
黒い液体? はべちゃっと未の腕に張り付いた。やはり水──液体で間違いないようだ。水を操るという英水樹がいたら、すぐに主導権を奪えるだろう。
黒い液体は、未が腕を確認した時には、ゴキブリのようにカサカサと動いて背中にまわっていた。未が怪訝そうに腕を見るが、既にそこに液体はない。
後ろからだと、背中へ回った液体がよく見える。私がそれを未に知らせてやろうとした時だった。
「未、背中に──むぐっ!?」
私がその存在を知らせようとした時、液体が、私の口に入り込んだ。ぴゅん! と早過ぎて反応できなかった。油断した。私の『万物の声を聞く能力』で防げない、だと?
身体に異常は──今のところ見当たらない。
「クリム? どうした?」
「いや、今未の背中から私の口に、『黒い液体が飛んできた』」
!? 私は今、何と言った? 私の口が発した言葉は??
私は今、「黒い液体が飛んできた」と発言しようとした。すると、私の口は実際には『何も飛んでこなかった』と言った。
「……? そうか」
未は胡乱げに呟いて前を向いた。私の様子がおかしいことに気付いている様子はない。
「待て! 『異常事態だ!』 私は敵の攻撃を『受けている!』」
やはりだ。私が敵に都合の悪い発言をしようとすると、舌が勝手に動く!
「……? どうしたクリム、お前は敵の能力を暴くことに集中しろ」
いや、舌だけじゃない。私はいつの間にか、身体の主導権を奪われていることに気付いた。指一本動かせない!
私の右手が、左肩を触る。まるで他人に触られているみたいだ。ぞわぞわと悪寒が背筋を駆け上る。右手は、そのまま下へ下へと指を這わせる。フェザータッチで、まるで何かを探しているように。
「あっ、んっ、ん── ッ!」
私の身体が、手が、私を蹂躙する。あっ、あっ、やめろ! 変なところを触るな私の手! あんっ!
胸、腋、お腹、脇腹……自分でも触らないようなところを、私の手は無造作に弄る。自分で触るのと、他人に触らせられるのとでは痒みが桁違いだった。次にどこを弄られるのか全くわからないからだ。
私は左手で口を押さえて声を漏らさない様にしていた。もちろん敵に操られてだ。どうやら敵も操っていることを未にバラしたくはないらしい。
未は構わず索敵を続けていた。倉庫内に特に変わった様子はない。敵はまだ見つからない。
『ちっ、武器は持ってねぇのか。肉体じゃなくて能力で戦うタイプか? 運が悪りぃな』
ふと、どこからか声が聞こえた。私は周囲を見渡すが、それらしい人影はない。
未も声に気付いた様子はない。
『察しが悪りぃな。ここだよ、ここ。お前の口ん中だ』
「!? 私の舌が勝手に喋った、だと? 操られて喋らされている? ……ちぃっ、要件はなんだ」
いきなり、私の舌が聞いたことのない声で喋り出した。口の中で骨伝導することでようやく聞こえるくらいの小声で、未には聞こえていない。
操り声は、唸るような笑い声をあげた。
『くっくっ、理解が早くて助かるよ。俺の目的はより多くの竜角だ。転校生のお前ではなく、未紡愚を操った方が学園のやつらに警戒されないだろう。目の前の男を殺して差し出すなら、お前だけは助けてやる……』
「……私に、仲間を売れと言うのか」
『なぁに、簡単さ……! 今から俺がお前の身体を操って男を殺す。お前は黙って見てるだけでいいんだ……決して能力で邪魔しようなどとは考えずに、な!』
じり、と私の身体は、私の意思に反して、未の方に歩き始める。
じり、じり、じりと。決して未に気付かれないようにゆっくりと、音を立てないように忍び寄る。
一歩、また一歩。残り三メートル、残り二メートル。
私は、未に聞こえないように口の中で呟いた。私の身体が動きを止める。
「……お前の邪魔をしなければ、ほ、本当に、あの男を差し出せば助けてくれるのか……?」
声は、自分の口から出たとは思えないほど震えていた。
まさか、怖いのか? この私が? たかが竜人一人を怖がっているのだろうか?
奴は、くつくつと押し殺すように笑った。
『ああ〜、約束するよ。お前の命と引き換えのギブアンドテイクだ……わかったら黙ってろ。すぐに終わる……』
ところで、だ。
私の『万物の声を聞ける程度の能力』は、他者の心の声を聞くだけの能力ではない。
声を聞けると言うことは、声を聞かせられるということだ。会話だよ、相互理解さ。一方通行だなんてフェアじゃあない。本を読める人間が、字を書けないハズないだろう?
聞こえているだろうか。未、そしてまだ見ぬ敵対者よ。私の声が聞こえているか。そして、聞こえていたとしても既に手遅れなことに理解は及ぶか?
口を、身体を、自由を奪われたところで、私の声は閉ざされない。
『……ま、まさか。きっ、貴様ァぁぁ!!!!!!』
この気高き竜神が。クリム・ナーヴァが。
まさかこんな程度の低い能力で。
未よりも尚貧しい『竜災』如きで。
この程度の脅しに、この私が屈すると思うなよ!
「未紡愚! 敵の能力は『血液を操る程度の能力』だ! 体内に侵入されると身体を操られるぞ!」
『馬鹿がッ、ちぃっ!!!』
私の念話が未の心に届いた瞬間。
未が私の方を振り向いた瞬間。
最後の瞬間、私は笑顔を作れていただろうか。
バシャッ!! と音を立てて、私の身体は弾け飛ぶ。まるで全身の血管が破裂したかのように。万力で締め上げられたトマトのように。
○
未は、私の様子がおかしいことに気付いていた。気付いて泳がしていたのだ。おそらく初対面だから。私が素で気が狂っている女である線を追ってやがった、この男。ふざけている。
私が適当な発言をした時も、服を脱ぎ捨てて公開自慰行為を始めた時も、忍び足で接近していた時も、彼は私の動きに注視していた。
だが、私は仕事を完遂した。たとえ私が敵の術中にハマっていたとしても、その結果この身が内側から弾き飛ばされようとも、私が敵の『竜災』を暴き切ったという事実は変わらない。
そして、未紡愚は義理堅い。態度に似合わず古風な誇りを持っている男は決して功労者を見捨てない。
「手間かけさせやがって……」
その意思の強さに彼の『竜災』も応えるのだろう。ここは未の射程範囲内。目の前で死者を出す事を、未の存在意義は決して許さない。
まるで巻き戻しのように血液が、肉片が、人の姿を形作る。一秒後には私は無傷で佇んでいる。知らず口角が上がる。因果の逆転を体験したのは久しぶりだ。
「助ける必要はないと言ったのに」
「性分なんだ。目の前に助けられる命があれば助ける。これを怠ってしまえば、助けられる命も助けられなくなりそうだから」
知っている。私はもう用はないとばかりに踵を返した。もともと道案内だけのつもりだった。
「後は任せて構わんよな」
男がこくりと頷いたのを見て、私は帰路についた。能力には相性というモノがある。未は底の見えた相手には滅法強い。
私はきっと墓まで彼の秘密を持っていくのだろうな。少なくとも彼がその目的を遂げるまでは。
自覚する。私はあの男を気に入ってしまった。悪癖の自覚はある。相変わらず私は惚れっぽい……。
十分と待たず、未は倉庫から出てきた。
その手には当然、眩く光る竜の角が握られていた。
未の能力バラしたいな〜
↓
せや、心読める奴視点にするか
↓
「私はきっと墓まで彼の秘密を持っていく」!?
どうしてこうなった…