塵芥のような矜持・エピローグ
「俺に考えがある。ま〜クリムが蛇沢を縛り首にしてんのが一番楽なんだがな」
寝室に踏み入る前。階段を登り切った時、俺はそう切り出した。
俺は女の位置を確認した。竜胆は殺してはいないと言った。
すぐに戻ると言って、俺はその場を後にした。
たどり着いたのは、修練場か。酷く寒い。深夜とはいえ春先だ。目的地に違いなかった。
中に入ると、かまくらのようなものが目に入った。覗き込むと体育座りでしょげている女が一人。
椿凛花。またの名を卯水凛花。
「おうおう。竜胆にこっ酷くやられたか。見るからにいじけやがって、それでも名家の出身かぁ?」
俺は、出来うる限り軽薄に話しかけた。まるで昼下がりのコーヒーブレイク中のように。旧知の友人に、偶然居合わせたみたいに。
ちらり、と椿は──ここでは卯水と呼んでやるか──腕の隙間から俺を垣間見た。
「……名家、か。卯水は滅びた。蛇沢が、取り込んだ」
何を言っているんだと思った。俺は卯水と初めて会った時のことを思い出していた。
「まだお前がいるじゃねぇか」
卯水は体育座りのまま、地面に指で丸を描いていた。雪でお絵描きしてんじゃねぇよ。
「……その私も、この有様だ。笑いたければ笑えば良い」
らしくない、と思った。正直なところ、竜胆が卯水に勝てるとは思っていなかった。俺の知る卯水ならば──幼子にしてあれだけの意思を見せたこの女であれば。
それが何だ。随分と腑抜けている。ここへ来たのは確認のためだった。
『もしもその時は、私は一時は軍門に降りましょう。しかし必ずや、目にモノを見せてやります』
俺の知る卯水凛花であれば、洗脳されようとも、脳を弄られようとも、粛々と反撃の機会を伺っていると思っていた。何か蛇沢の弱点や、それを突く武器を携えていると思っていた。
俺は少し集中して未来を見た。沢山の未来を見た。体感時間で言うと二時間が経過したころ──俺は、か細い糸を紡ぐように、望む未来に辿り着いた。
膝に顔を埋める卯水。その額には長さが不揃いの竜角がある。長い右角は卯水本来のもの。短い左角は──
「悪さをするのは、こいつか」
──キン、と。抵抗する暇など与えなかった。
「……え?」
そのまま、卯水は事切れた。竜角を斬られたのだ。意識が昏倒するのは想定内。
しかし偽物の竜角を切除したところで命に別状があるわけもなし。
これは賭けだった。目を覚ました時、卯水がどんな行動に出るかはわからない。わからないと言うならば確定させて見せよう。『観測』して見せよう。
あるがままに望むままに。
あの日見た気高い女を。強靭な意思を孕んだ幼子を。肯定こそせずとも、あの頃の俺たちを否定しなかった卯水の跡取りを。
旧友を。俺は少しだけ手伝ってやるだけだった。それしかできねぇしな。
○
さくり、と。
蛇沢の首が切り落とされる。既に動ける状態ではなかった。身体の芯まで凍らされていたのだろう。斬首したのは、まあ卯水の気分の問題か。既に絶命は必定だったろうに。
真白い女は、ゆらりと俺を振り向いた。俺もしっかりと目を合わせてやった。女は、ふっと頬を緩めて微笑んだ。
「目が、覚めたような。頭の中から雑念が取り払われた。生まれ変わった気分だった」
「……そうだろうな。蛇沢の竜災は『竜角を操る程度の能力』というらしい。お前、あの竜角、蛇沢に付けられたものだろう。いくら出力が上がっても蛇沢に脳を弄られるんじゃプラマイマイナスだっつ〜の」
双角。それは本来、俺たちが何十年と修行を続けて至る境地だ。人工的にそれを為した蛇沢には驚嘆するが、それで『意思』が弱まるのなら意味がない。
「全くだ。恐らく能力の発動条件は、接近。会えば会うだけ、私の思考は侵されていった。気がつけば竜角が増え、もう言いなりになるしかなかった。というより、蛇沢様の為になるのが、当たり前だと思っていた……」
「おいおい、亡骸に様付けかぁ?」
事後処理は任せる。そんな意味を込めて、俺は会話を切り上げた。
卯水はにやりと意地悪く笑った。
「私がこんなに砕けて話す干支の者は貴方だけよ、紡愚様?」
言うようになった。もう俺の知る箱入り娘ではないのだろう。過去にどんな修羅場があったのかは知らないがね。卯水は滅びたとかも言ってたな。俺は干支の事情には疎いからな〜。
もうこれ以上この屋敷に用はあるまい。蛇沢の研究にも興味はない。いや、何かを忘れているような気がするが……
そのまま立ち去ろうとした俺を呼び止める声があった。
「……お、おい、俺を助けろ。っつうか椿、寒いってか俺の時手加減してやがったな? とりあえずこの凍結を解けや」
「私も頼む。自力で蘇生するのは骨が折れる」
ああ、竜胆。ついでに生首。
俺はにっこり笑顔でサムズアップ。そのまま親指を真っ逆さまにゴーシュート。
「契約終了、ってね!」
クリムはテメェ、わざと俺の目の前で死にやがったこと忘れてねぇからな。
奴らに捕捉される前に、俺はさっさと逃げ帰ることに決めたのだった。距離さえ取ってしまえればこっちのもんだ。逃げに回った俺を捕まえられる奴なんて紬ぐらいしかいないのだ。
○
後日談というか、今回のオチ。
蛇沢は死んではいないらしい。どういうことかと思っていると、卯水は難しそうな顔をして言っていた。
「あれは、いわばスペアの肉体だそうよ。戸籍の問題があるから、しばらくは学園に手を出すこともできないと思う。研究の都合上、蛇にとっては痛手でしょうね」
賀竜市は竜人、もとい犯罪者予備軍の巣窟だ。政府によって厳しい統制が為されている。たとえ名家、干支の者であろうとも。
地獄のような入学初月、その結末も似たようなものだったのだろうと俺は思った。きっと竜胆は『蛇沢辰巳』という肉体を破壊したのだ。本体がどこに居るかは卯水も知らないらしかった。これだから傀儡使いは厄介なんだ。
だが、前の世界のことも考えると、一年しばらくは平和が続くだろうと思われた。
竜胆も「次に手ぇ出してきたらまた殺してやる」と闘志を燃やしていた。英の前で格好つけた手前、自分で仕留められなかったのが相当に悔しいらしい。あと、隙を見つけては襲いかかってくるので気が抜けなくなった。捨て置いたのは悪かったって。
クリムは無事だった。「ふむ、愉快な見物であった」とかなんとか抜かしていた。こいつだけ目線が違うんだよな。蛇沢は本当にこいつを御し切れる気でいたのかねぇ。
続いて、西条茜と透照光。こいつらとの因縁は精算しておこうと思った。俺は目立ちたくないのだ。
「ああ、いや、怒ってないよ」
とは、透照光の言葉だった。何言ってんのよ最悪よもう一回! タイマンしよ! と校庭で喚く西条を手で抑えながら透は続けた。
「蛇沢さんが人に恨まれるコトをしてるのは知ってたからね。お互い恨みっこなしで行こう。左腕は大丈夫?」
「ああ。そういうコトなら俺から言うことはない……ん? お前らは蛇沢に洗脳されてた訳じゃねぇのか?」
透は一瞬目線を逸らした。西条がこくりと頷く。木陰から周りに人がいないことを確認して、それから声を潜めて言った。
「……私、能力の副作用なんだけど……たまに人を殺したくてたまらなくなるのよ。一通り暴れたら満足するし──そうじゃなくても、辰巳くんは私の力を抑える術を知っていたから」
「僕は、茜ちゃんにあんまり乱暴して欲しくなかったし」
なるほど。殺人衝動。蛇沢が『使いにくい』と言うわけだ。
そして『竜角を操る』蛇沢ならば、殺人衝動を抑制することも可能だろう。利害関係が一致していた。
暴れたいし殺したくない西条茜と、護衛とできるだけ多く竜角のサンプルが欲しい蛇沢辰巳。
「……聞いたわね。聞かせたんだけど。そういうことだから、私が理性を失ったらあんたんとこ殴りに行くから、そん時はよろしく」
西条が意地悪く笑って言った。
「は、はあ? 何言ってんだ、お前」
「しょうがないでしょ。辰巳くんはもういないし、透はあんまり戦闘向きの竜災じゃないし……事情を知ってて戦えて死なないくらい強い人、あんたくらいしかいないのよ」
「友達いね〜のかよ、この脳筋が!」
俺は逃げた。いざとなったら竜胆に押し付けようと思った。
ああ、ちょっと待ちなさいよとか何とかほざいていたが、逃げに回った俺を捕まえられるわけもなし。
そして、最後に卯水凛花。
卯水はクリム同様、もう完全に正常な思考を取り戻したらしい。だが、あの夜に見せた絶対零度ほどの出力を再現できるわけではないようだった。
「怒りとか、悲しみとか、悔しさとか……操られている時に抑制されていた感情が織り混ざって、あれだけの激情を発揮できたんだと思う……やっぱり感情がトリガーって使いにくいわよね……だから剣を習い始めたんだけど……」
卯水は酷く物憂げな表情で、明後日の方向を見ながら言った。浸ってやがる。多分、厨二病ってやつだ。
贅沢な悩みだと思った。感情がトリガーってことは、限界がないってことなのだから。
悔しいから伝えないでおいた。安心しろよ、卯水凛花。お前はまだまだ強くなれる。俺が保証する。
「ああ、そういえば」
言って卯水が顔を上げた。
真っ直ぐに俺の目を見つめてくる。端正な口元が柔らかく微笑んだ。
「まだお礼を言っていなかった。改めてありがとう、紡愚」
「別に。少し早まっただけだろ? 蛇沢を腹の中から食い破るのが。あと紬とごっちゃになるからあんまり名前で呼ぶな」
「いいえ、私は貴方達を違えたりしないわ。紬さんも、紡愚も、紡柄ちゃんも」
ハッ、と俺は鼻で笑った。
「紡柄ってぇのは誰だ?」
あれ、と卯水は顎に手を当てた。
眉を顰めて考え込むが、ついに思い出せなかったようだった。
「すまない。私としたことが……誰だったかな、年下の──女の子、だった気がするんだけれど……」
正解。記憶というのは曖昧なもので──というより、紬の『過去改変』が曖昧なものなのだ。稀にこんな感じで『異なる世界線』の記憶を覚えているやつがいる。
そいつは大体意思が強いやつだが──こんなことが起きるのは、紬の力が強まっていることを意味している。
「そろそろ行くよ、じゃあな」
と言って、俺は久しぶりに実家に帰ることにしたのだった。




