塵芥のような矜持(10)
幼い頃、卯の家の令嬢に会った頃がある。
まだ妹も生きていて、姉は壊れてなくて、俺は普通に落ちこぼれだった頃だ。
卯の家の理念は『矜持』。人より優れた存在としての竜人。個を突き詰めた先にある何かを追い求めていた。
今になって思えば、だから蛇に取り込まれたんだろう。蛇の上手いところはそれだ。辰も巳も似たようなもん。『平和』を理念とし、その手段として暴力を用いたり、弱さを用いたりして、信奉者を増やしていく。
未は『永遠』なんてありもしない幻想を求めていたから、蛇に睨まれることはなかったが。
そこは干支の社交会場だった。大人から子供まで皆んな着飾って、ダンスを踊ったり飲み食いしたりする。大人は大人同士で、子供は子供同士で挨拶し合っていた。自分が酷く場違いに感じていたのを覚えている。
俺はまだ七歳の妹をあやしながら適当に過ごしていた。つっても学年は一緒なんだが、俺は六月生まれで妹は早生まれだ。妹は普段はそうでもないのに、こういう場では離れたがらなかった。
卯水凛花が挨拶に来たのは、社交会が始まって半ばと言ったところだ。優先されたわけでも後回しにされたわけでもない。可もなく不可もない時間帯は、正しくこの頃の俺たちの立ち位置を表していた。
同年代ということで、どうぞよろしくお願いします。気立ての良さそうなお嬢さんはそんなことを言っていた。銀髪の少女だ。碧眼も相まって東洋人離れして見える。
妹が前に出たがらなかったので俺が応対した。卯水は顔には出さなかったが、社交に消極的な俺たちを疑問視しているみたいだった。普通に人付き合いが苦手なんだよ俺たちは。
「これはどうも、丁寧に。挨拶するなら姉貴のとこに行った方が良いぜ。次期当主間違いなしって話だ」
「先ほど伺いました。弟妹をよろしくとこと付けられております」
「犬猫かよ、俺たちは」
妹がきゃっきゃと笑った。妹が年相応に暮らせているのは姉貴が優秀だからだ。別にそこに何の感情もないが。感謝だとか、恨みだとか。
それに比べると、卯水の令嬢は随分と大人びていた。一人娘だとか。教育も熱心なものなのだろう。
「固っ苦しいのは疲れるだろ。つうか俺がまだできねえから、もう少し砕けちゃくれないか?」
では、と卯水は肩の力を抜いて俺たちの隣に座った。会場の端っこのソファだ。子供三人くらい難なく座れる。
卯水はしばらく黙っていたが、妙に俺の方を見てくる。妹も不安そうにしている。妹の頭を撫でてやりながら、視線で言葉を促した。卯水はばつの悪そうな顔をした。
「実は、未の長男には気をつけろと、お父様からは言われています……いる」
卯水は、砕けた口調の方が慣れてないみたいだった。だが合わせようとしてくれてはいる。敵意は、ない。
「まあ落ちこぼれって有名だろ。姉貴が姉貴だしな〜」
「気を悪くしないのか?」
目を向けると、少しだけ頬が赤くなっているのがわかった。だいぶ勇気を出した発言だったらしい。
「悪くするも何も、事実だからな」
「それは、違うはずだ。竜角を見ればわかる。紡愚様──さんは、少なくとも同年代では、決して劣っているとは思えない」
「おいおい、お世辞でもそんなこと言うんじゃない。蛇や虎に聞かれたらどうする」
このお嬢さんは、随分と目が良いらしかった。なるほど竜角でも見分けがつくのか。
真剣な目に気圧されて、俺は正直に答えてしまった。
「まぁ〜、強い弱いって、意味ないからな。人間に一対一で負ける竜人なんかいないし、かと言って兵器を持ち出されたら敵わない。俺は俺の手の届く範囲さえ守れれば──別に、それで」
卯水は難しそうな顔をしていた。他所の家の教育方針にとやかく言うつもりもなければ、未の放任主義に口を出されても決まりが悪い。俺は今の生活をそこそこ気に入っているのだ。
卯の家の理念は『矜持』。人より優れた竜人。個を突き詰めたその先にある景色を拝みたい。
「それは、卯とは相容れない思想だ。自己を研鑽するでもなく──悪評を、わざと広めたというのか、君は?」
個を突き詰める。強さこそ絶対正義。強い奴が偉い。戦闘狂の竜人は、たびたびこの思想に走りやすくなる。つまり犯罪者予備軍だな。
「否定はしない。でも、もし万が一があったとき、敵に侮られるに越したことはない。だろ?」
「む……」
「じゃあ、卯水は自分より強いやつに出会ったら、諦めて降伏するのか? 強さに絶対の指標を置いていたら、そういう時に身動きが取れなくなりはしないか? 自分の人生が、否定されはしないか」
卯水は押し黙った。顎に手を当てて目をぐるぐると回しながら考えこんでいるみたいだ。妹が何の話かわからずに俺の手を握ったり離したりしている。よしよし、かわいいやつめ。
「凛花」
白い燕尾服を纏った男が卯水を呼び止めた。お父様、と言って卯水は立ち上がる。
気付けば宴もたけなわといったところだ。そんなに長く話し込んだつもりはなかったが。
「紡愚様」
去り際に、卯水が俺の方を振り向いた。
「もしもその時は、私は一時は軍門に降りましょう。しかし必ずや、目にモノを見せてやります」
気品のある言葉遣いと、粗野な口調の混じった、悪戯っ気のある言葉だった。父親に見られないように、口元を少しだけ上げている。
「私は卯水凛花。生涯を賭して『最強』を追い求める、竜の一角ですから」
○
氷に塗れた修練場。もう春だというのにいやに冷える。邸の外縁に近いのか、鈴虫が鳴く声がする。
雷剣を振り切ったままの姿勢の竜胆と、足に氷を纏わせた椿が交差して静止していた。
「カハッ……」
斬られたのは椿凛花ただ一人。肩口から腹にかけて血を噴き出し、倒置した。
竜胆が振り向いた時、既に止血は終わっていた。床に染みる血がやけに少ない。傷口を凍らせたか。
しかし、動ける状態ではなさそうだ。残心というわけではないが、竜胆はため息をついて雷剣を消した。
「……私は、負けたのか……」
ぽつり、と。放心を吐露したみたいな声だった。
「こっちにゃズルい奴がいるんでな。まあ、あいつが何かしたとも思えないが……」
周囲の氷が溶けていく。能力が解除されたのか? 常温に戻っている? 勝手に氷が溶け出すとも思えない。制約か何かだろうか。
横たわる椿を、竜胆は何とは無しに眺めていた。好敵手とも純粋な敵対者とも言えない女だが、なぜかそうするべきだと思った。
うつ伏せに倒れているから、竜胆から椿の表情は窺い知れない。
「……そう、か。雷、静電気、電気信号……一時的に身体能力を爆発させた……か。速、すぎたからな……」
「…………」
正解。隠し玉という程ではないが、竜胆はそういうことができる。
椿が何もしなかったわけではない。氷を足に纏い、スケートのように突撃してきた。滑った椿と、走った竜胆。今回は竜胆の方が速かっただけだ。
「……だが、一歩間違えれば、自らの脳を焼き切り死の淵を彷徨うだろう……。覚悟が足りなかったのは、私の方か……」
「お前は、竜災なんかに頼らずに、俺と剣術をすれば良かった」
椿の技量は明らかに竜胆を上回っていた。竜胆の高速移動は短時間しか保たない。リスクが大きすぎる。そこだけ耐え切ってしまって、ジリジリと追い詰めれば良かった。
椿の額の竜角が、月明かりに照らされてきらりと光った気がした。双角。入学当初は一本角だったはずの椿凛花の竜角は、いつのまにか二本に増えていた。たしか一月が過ぎたあたりか。
「……そう、か。足りなかったのは、自信、か……。蛇沢に誑かされるわけだ……」
薄々当たりはついていた。人為的な双角。竜角の成長はもっと緩やかなものだ。乳歯が生え変わるように、少しずつ成長していく。椿のようにいきなり二本に増えたりはしない。
氷は完全に消えてなくなった。漏電しても面倒だし、もうこれ以上ここにいる理由もない。
再確認できた。蛇沢辰巳は危険すぎる。人を操る竜災。人為的な双角。やつに軍隊を作らせてしまっては、早々に賀竜学園が、ひいては水樹が危険に晒される。
「クリムを連れてきたのは失敗だったかもな……」
戦力としては申し分ないが、あいつは戦闘を楽しむ節がある。当人の不死身に近い性質がそうさせるのだろう。一度は相手の攻撃を喰らってみせる。紛れもなく悪癖だ。
沈黙した椿を背後に、頭をがしがしと掻きながら、竜胆は修練場を後にした。




