塵芥のような矜持(7)
「クリム。決行はいつだったか」
蛇沢たちが去っていった後、教室で俺は幻影に話しかける間抜けになった。
紬が馬鹿を見る目をしている。「未来が、見えるって……そういう意味……?」みたいな。俺を気狂い扱いするな。
透明人間は答えてくれた。
「今夜だったはずだ。恵稀もなかなか気が早い。嫌いではないがね」
「懸命な判断だ。遅すぎるくらいだけどな。蛇沢は放置すればするほど手駒を増やす。英を使わないのもそれが理由だろう。蛇沢はこの一年、英対策は念入りに練っているはずだ」
万が一ということもある。英が洗脳されたら手に負えない。
『改変後』の入学初日、蛇沢は英にこっぴどくやられている。一年なりを潜めていたのも英の存在が抑止力になっていたからだ。
「ふむ。恵稀も水樹の不殺を嘆いていたよ。こうなる前に手を打っておくべきだった、と」
「……野生の勘、か。こうなる、ってのは具体的にどういう意味だ?」
クリムは少し目を瞑って、心なし恥ずかしげに答えた。
「……どうやら、私が『最後のぴーす』とやらだったらしい」
抽象的すぎてわっかんねぇよ。カタカナが舌っ足らずなのはキャラ付けか?
「うるさい。くだらん茶々を入れてくれるな。恵稀は蛇沢何某をずっと警戒していたらしい。あの男の本質は何も変わっておらんよ。水樹を守りたい。そのためには何でもする。好ましい性質だ」
クリムは憂うような目で言った。人が人を好く。そんな当たり前の事を、もう自分には決して届かない高みのように語る。
「蛇沢何某は、『人類の幸福』と言ったな。問題は、人類とは何を指すかということだ。人間か、竜人か、それともその両方か?」
思い出すのは蛇沢の悪意。あまねくを見下し混沌を尊び、厚顔にも人々の幸福を望む歪んだ欲望。竜人としては生粋の善人。干支の名を冠する家の正統後継者。
俺は断言した。
「竜人だろう。干支の中でも蛇は特にその思想が強い。竜人に非ずんば人に非ず。生まれながらの支配者としての、竜」
「そうだ。そして蛇沢が私を調べれば何かしらのひんとを得られる、という点で恵稀の勘は当たっている」
英の故郷。村長の言葉が思い出される。
転校初日。蛇沢辰巳も言っていた。
『賢くも気猛き無珠の神よ。竜の祖よ。我らが罪を赦したまえ。我らが驕りを正したまえ』
『お前、人間ではないな?』
『偉大なる竜王よ。敬虔なる裁定者よ。神よ、其の名は──』
クリムが瞼を上げる。真っ赤な目だ。クリムゾンレッド。髪の毛と同じ色だ。毒々しくも美しいその色は、どこか爬虫類を思わせる。
「私はクリム・ナーベリウム・ナーヴァ。竜蛇の名を継ぐ、竜神の直系の一人なのだ」
○
賀竜市の夜道を歩いてはならない。
子供でも知ってる常識だった。今夜、それに逆らう曲者が若干三名。男が二人、女が一人。
男の一人が言った。竜胆恵稀だ。
「蛇沢の根城はこの先にある。離れの別邸だろう。使用者は蛇沢と椿、それから竜人が数名、使用人だか何だか知らないがいる」
最後の確認をするような口ぶりだった。竜胆は続ける。
「おそらく眠りにつく時は蛇沢の力が十全に発揮されない。謀反を防ぐために、最低限の人数で運用されている」
そうだろうな、と俺こと未紡愚も同意した。俺の予想が正しければ、竜胆の予想はそう外れてはいない。
「強固な洗脳には準備が必要なんだろう。そう多くはない。とすると、なんで卯水──椿がその中に入ってんのかはわかんねぇけどな」
「同じ干支の家でも分からないのか?」
クリムが最後尾を付いてきながら言った。俺は眉を顰めた。蛇沢と同類扱いされるのが癪だったからだ。
「干支は別に協力関係ってわけじゃあない。特に俺の家は紬の馬鹿がぶっ壊しちまったからな〜」
「卯と蛇は懇意の中だ。幼い頃から面識もあるだろう。その分、洗脳の機会もな。入学前は無意識下だったろうが」
何で俺より竜胆の方が詳しいんだよ。
夜道をかき分けて進むと、離れの別邸とやらが見えてきた。賀竜市の郊外だ。こんなところから毎日登校してきていると考えると同情する。敵が多いってのは大変だなぁ。
会話が減った。嫌な緊張感が辺りを支配し始める。静寂が虫の羽音を引き立てる。
もう春だというのにやけに寒い。今年は雪が降ったっけか。
正門を迂回して裏口へと回る。塀はそこまで高くない。労せず侵入することができた。別邸とはいえ干支の家だ。西洋を思わせる二階建ての館。裏口を抜けると階段横に出る。そのまま進むとエントランスである大広間があり、西に食堂、東に客間がある。間取り図通りだ。
「クリム、人の気配を感じるか。そいつらは俺たちに気付いているか」
竜胆が小声で言った。
「二階東館に二人。西館に二人。私たちにはまだ気付いていないようだ」
「思ったより少ないな。蛇沢を除くと三人か……能力の上限と考えれば妥当な数だ。人──特に竜人を操るとなると制約も多いだろう。索敵系の能力が一人くらいはいそうなもんだが……」
「いや、違う! たった今一人に気付かれた! 西館の男──」
バツッと。
クリムが小声で叫んだ途端、竜胆とクリムが消えた。まるで電波が切れたテレビ官のように。
そう、消えたのだ。いや、俺が転移させられた? 周囲の景色が変わっている。消えたのは竜胆達ではなく俺!
辺りを見回すとそこは遊戯室のようだった。異物はピアノくらいか。かなり広い簡素な部屋だ。
演奏者は男。ワルツを弾いている。お行儀悪くピアノの屋根の部分には女が座っている。
蛇沢や椿ではない。おそらく転移の竜災を持つ術者。
「お気に入りのクリムちゃんは譲ってあげたけどさー」
あどけない声の少女が不満を垂れる。俺なんて眼中にないといった態度だ。
「せめて私は竜胆くんでしょ! 透は椿ちゃんに甘すぎるのよ」
透──透照光か! 名前だけは聞いたことがあるが、さて能力はなんだったか。賀竜学園はあけっぴろげに竜災を開示する馬鹿や阿保ばっかじゃないからな。
だがしかし、ここにも少女が一人。会話から察するに、透照光は転移の竜人だ。おそらく戦闘能力はほとんどなく少女が護衛。戦闘系の竜人と補助系の竜人の二人! 帰りてぇ〜!!
「まあまあ、茜ちゃん。その人も干支の縁者だよ。あんまり目立った噂は聞かないけど……」
「そうなの? ラッキー! まあ──」
ここで少女が初めて俺を見定めた。目と目が合う。ぴょんっ、とピアノの屋根から飛び降りて言う。
「──侵入者、ってことでいいのよね? 私は西条茜。殺し合いとか、好きじゃないんだけど!」
嘘をつくな。爛々と輝く瞳と手指をわきわきと忙しなく動かす仕草。それから、とてつもない死臭。
西条茜。こいつは生粋の殺戮者にして、竜人。ステレオタイプ真っ只中を行く、護衛としては一級品の女だった。
○
「ちぃっ」
竜胆恵稀は冷静だった。転移が、館をどうにかする類の竜災であることにも気付いていた。間取り図を用意した竜胆には、侵入した時から微かな違和感があった。
分断された。ここは修練場だろうか。下手な学校の体育館ほどの大きさがある。ただし、大部分が氷に覆われて。
「こんな夜中まで修行かぁ〜? 流石は卯水のお嬢様ってな」
女だった。道場の中心、道着姿に木剣を構えている。凄まじい集中力だった。まるで背後の竜胆の声が聞こえていない様に木剣を振り続ける。
998。999。1000。
三度刀を振り終わり、女──椿凛花は大きく息を吐いて正面に構え、納刀。残心まで欠かさない。身体に染みついた所作だった。
おお〜、と竜胆がパチパチと拍手をする。椿はゆっくりと振り向いた。
「その名は捨てた」
「聞こえてんなら返事しろよ。それより良いのか? お前は蛇沢の護衛だと思ってたんだが……」
間取り図は覚えている。修練場は一階の筈だ。クリムが言っていた気配とやらと異なる場所。だが館内を自在に転移させられる竜人がいる以上、間取り図などもはや信用ならない。
しかし周囲に人の気配が無いのもまた事実。蛇沢と椿が逸れている。
「蛇沢様は私程度の力など必要としておらん。私を配下にしたのは見せしめの側面の方が強いだろうな」
「……そこまでわかっていてどうして従う。お前は聡明な女に見えたが……」
椿は愚問と笑った。どこでだったか、聞いたことのあるような言葉を残す。
「ただ一心に、夢がため。蛇沢様の目指す世界は私の理想と競合しない」
そうかよ、と竜胆が吐き捨てた。椿もまた剣を構える。木剣ではない。いつの間にか精製していた氷の剣だ。殺傷力は十二分。
最後の確認、とばかりに椿が呟いた。
「お前は、敵か……?」
返答は雷撃で以て示された。竜胆は椿の様子がおかしいことに気付いていた。ただし何も言わなかった。
ただ、もしも椿がそれを望んでいるのなら。
「弱い者いじめは好きじゃねぇんだがなぁ……!」
せめてもの情けは、一刻も早く蹂躙し尽くしてやることだ。
○
転移。クリムは失態を恥じた。攻撃に気付かなかったのはクリムの落ち度だ。紡愚はともかく、恵稀に探知は難しい。特に視界外からの攻撃ならば。
ここは寝室のようだった。
天蓋付きのベッドに、空いている扉の奥には書斎が見える。見るからに豪勢な寝室──とくれば、その部屋の持ち主は一人に限られる。
「おや、おや……」
よく通るくせに粘着質で気持ちの悪い声。
書斎の奥から顔を見せるのは、長い金髪を一まとめにし、片眼鏡をかけた美麗の主人。
「……蛇沢何某。私は招かれた、と見ていいのかな」
黙っていれば眉目秀麗な男は、不快げに、しかし口元をにやりと持ち上げた。
「招かれざる、しかし客には違いない。竜の祖よ。人ならざる神よ。お茶くらいなら出してやってもいいが?」
ぞくぞくと背筋が沸き立つのがわかった。興奮しているのか? この私が。人の心の機微には聡けれど、クリムは自分の生態には詳しくない。
これほどの怖気を発する竜は鋼竜以来か。紡愚め、蛇沢何某が一人では何もできないなんて真っ赤な嘘じゃあないか。護衛の人数は三人が上限だったのではない。三人で十分だったのだ。それすら趣味と言っていいれべる。
「嬉しいよ。時期こそ違えば同志になれたかもしれない──私は、貴様より先に紡愚と出会ってしまったからな」
「過去を遡られては、流石の俺も手を出せないなぁ……」
そこまで読めているのか。あるいは鎌掛けか。未紡愚と未紬は切っても切れない関係にある。姉弟だし。
身に纏う死臭など蛇沢辰巳の何を表してもいなかった。こいつの本質は深淵! その目だ。何者をも映さない真っ黒な瞳の奥を見透かすことが、竜神クリムを以てしても難しい。
「一杯だけ、頂こう。それで全てが決しようて」
「勿論、麗しのレディよ」
慣れた所作で蛇沢は戸棚に向かう。まるで映画の一場面のような美麗な仕草。顔だけは良い男だ。嫌に様になる。
こうしてクリムと蛇沢の戦いの火蓋は、静かに切って落とされた。




