1話 その女、まさに
ここ賀竜学園は転校生や編入生が多い。今朝も扉から入ってきた見知らぬ顔に、俺はまたかと鼻を鳴らした。
ぎらり、と教室の空気が変わる。不躾な視線が侵入者に注がれる。教師はもちろん、新入りも狼狽えた様子はない。
その女は、まさにというやつだった。
病的なまでに白い肌。透き通りすぎてもはや背後まで透けて見えそうな、クリムゾンレッドの長髪。すらりと細くしかし筋肉質な足に、露出の多い制服に見え隠れする鱗。
教師に促されて女は頭を下げる。
「こんにちは。クリムと言います。クリム・ナーベリウム・ナーヴァ。趣味は読書、特技は生き延びることです。よろしくお願いします」
そして、頭部にはっきりと見える竜角。
「それと──さっきから殺気が漏れているそこの男。死にたくなかったらさっさと往ね。力の制御もできないのか?」
顔を上げたその女は、好戦的な無表情でそう言った。まさに、竜人。自信過剰に傲岸不遜。
チリッ、と空間で何かが爆ぜ、教室は瞬く間に死地と化す。逃げるモノ、面白そうに見守るモノ、そして我関せずといった風に余所見るモノ。
ここ賀竜学園は転校生や編入生が多い。
なぜならここは日本各地から竜人──いわゆる希少能力者が集う学舎だから。
○
教室にはクリムを除いて9人しか生徒はいない。当初は30はいた。だが、あの地獄のような入学初月を過ぎた頃には12にまで減り、もう一月で3人辞めた。
「新入りが最初にやることを教えてやろ〜か? 跪いて俺の足を舐めろ。それで命だけは助けてやる」
クリムの挑発を受けて、がたり、と男が立ち上がった。男は右足をクリムの方に突き出して言う。
居残った変わり者は2種類に分けられる。力が強過ぎて生き延びたモノと、生き延びるに特化した力を持つモノ。
竜胆恵稀。支配者然と教室の中央に座っていた男は前者だ。竜胆は力を隠さない。異能力者の集まるこの学園で能力バレして尚生き延びられるくらい、竜胆の『竜災』は強力だ。俺のようにこそこそと逃げ隠れるだけの力じゃあない。
「威張るしか能のない獣が吠えるなよ。私は目立ちたいわけじゃないんだ……お前、リーダー面をしているようだが、たったの9人も御しきれてない小物じゃあないか」
ちらり、とクリムは俺を見た気がした。
それにしても、たったの9人、か。クリムはあの地獄のような入学初月を知らないからな。残ったやつは俺のような紛い物を除けば、化け物ばかりだというのに。
この学園で生き延びるにはコツがある。長いモノに巻かれるんだよ。このクラスには少々あぶれ者が多いが、それでも半数は竜胆派だ。
竜胆のこめかみには、ピキピキと血管が浮かび上がっていた。
「……一度だけだ。許してやるのはなァ。これは親切心だぜ? 派閥ってェのがあるんだよ。この学園で弱者が生きたけりゃあ、誰かの庇護下に入るしかない。二度は言わねえぜ」
竜胆は、もう一度足を突き出した。
「……小物め」
クリムは鼻で笑った。
それが開戦の合図だった。
バチィッ、と火花が散った。竜胆の『竜災』は雷を操る。本人曰く、静電気というのは至る所に存在するらしい。竜胆はそれを感知、制御することができる……神速の一撃はまさしくクリムの頭を貫いた。
強過ぎて生き延びたモノ。どんな強力な力を持っていたとしても、コンマ何秒で飛んでくる雷に対処できなければ竜胆には勝てない。
が、クリムもまた竜人なのだ。ゆらり、と仰け反った身体を起こす幽鬼の様な姿は、まさしく化け物と呼ぶに相応しい。
「……衝撃……熱、なんだ? 速すぎて見えなかったな……なるほど口だけではないというわけか」
「チィッ! この竜胆恵稀を舐めるなよ!」
バチバチと火花が何度も散る。その度にクリムの身体が仰け反り、しかし倒れることはない。何度も何度も、まるで屍人のように蘇る。教師は端に避けて欠伸をしていた。
クラスの面々も様々だ。総じて端に避けてはいるが、心配そうに見守るモノ、興味深そうにクリムを見るモノ、無視するモノ。
「ねえねえ未くん。あの子の『竜災』がなんなのか、未くんならわかるんじゃない?」
『竜災』。竜人の力の総称。竜とかいう幻の名残。至る所に存在する幻想。人々のこうありたいという願いが、もしくは当人が持つカリスマが人々を錯覚させるのか──まあ、どうでもいい話か。
俺は話しかけてきた少女を視界の端に捉えて言った。
「英。お前は竜胆派の筆頭だろ。俺なんかに構ってないで竜胆を手伝ってやったらどうだ?」
「手伝う? 私が? 笑わせないでよ。そんなことしたらあの子、本当に死んじゃうじゃん」
英水樹。緑のパーカーで身体を覆い隠す少女は竜胆のお気に入りだ。目深に被ったフードからは竜人の例に漏れない挑戦的な眼差しが見えるが、彼女は頭が回る。恐怖に支配されたわけでもなく、打算的に他者に付き従えるというのは、竜人にとっては稀有な才能でもある。
一口メモ。竜人は基本好戦的。脳筋ばっかだ。
「それに、竜胆くんは私の助けなんか必要としてないよ。殺す気もないみたい。クリムちゃん、確かに可愛いけど、そんなに気に入ったのかな〜」
確かに、いつぞや見た時よりもだいぶ出力を落としているらしい。あの地獄のような入学初月には教室が保たなかった。まああれは相手が相手だったというのもあるが……
だが、段々と威力は上がっている。何度やっても死なないクリムに業を煮やすのは時間の問題に見えた。焦りもあるだろう。竜胆も何やら探りは入れているようだが、情報戦では圧倒的に負けている。相手の力がわからないというのは何より恐ろしい。
「嫉妬か? あの英水樹が?」
「……それこそ笑わせないで。それで、未くんでもクリムちゃんの力はわからないの? さては不死身とかかな。身体強化なら珍しくもないけど」
「怖い顔をするなよ。竜胆に嫌われても知らないぜ──おいおい冗談だって。悪かった」
じろり、と睨みつけられて俺は真面目に返してやった。
「つっても、俺もわかんねぇけどな。今のところ防御に徹してるみたいだし。あと、どさくさに紛れて俺の竜災を探りにくるな。お前の『水』、竜胆が暴れてる今は凶器だろーが。何度も言ってるが俺のは大した力じゃないんだよ」
英の探りに抵抗しながら、俺はじぃっと視線で訴えた。
てへ、じゃないんだよてへ、じゃ。お茶目で包丁を振り回すやつがあるか。最悪死ぬぞ、俺が。
英水樹は何かイベントがあるといつも俺に絡んでくる。大方竜胆にでも言われているんだろう。力を突き止めろとかな。幸いなことに俺の力がクラスメイトにバレている様子は、まだない。
「またまた〜。私、その気になれば人間の血液を沸騰させることもできるんだけど? なんであなたは死なないのよ。それこそ不死身なの?」
がちで危ねぇことしてんじゃねーよ!
冷や汗をかきながら俺は反論した。
「馬鹿が。能力バレしてないってことはそれだけでもう底が知れてるってことだろーが。無駄に警戒されるしな。本当に強くて賢いのはお前みたいなやつだよ。上辺だけバラしといて、奥の手を隠してやがる。俺のは大したことないからそんな芸当もできないの。バレたら終わる」
「んー……それもそっか。でも未くんは誤解してるよ。私は誰かに頼まれてるわけじゃなくて、普通に未くんのことをもっと知りたいだけなのに」
上目遣いでそんなことを言うな。ちょっとドキッとしただろうが。
これは策略、これは策略……。気があるなんて思うな未。お前の目的はこの学園を無事に過ごすことだろう。そして──
「おい、愛しの竜胆が何かするみたいだぜ」
「だから違うって──あ、あれ、あ、やばい未くん。あれもしかして本気でまずいかも?」
視線の先では、竜胆の身体がバチバチと火花を散らし、強過ぎる出力に周囲の椅子やら机やらが発火していた。見ている間にも、出力はどんどん上昇していく。
「お前……死なねェからって避ける素振りも見せねェたぁ、俺も随分舐められたもんだなァ。いいぜ、遊びは終わりだ……死んでも恨むなよ」
「……なるほど。先ほどまでのは威圧行為だったわけか。力を誇示し恐怖で支配──やはり小物だな」
「殺すッ!!!!」
何やら格好いい口上と共に新たに開戦の狼煙が上がったようだが、俺はそれどころではなかった。
英水樹がいきなり俺に抱きついてきたからだ。
「ちょ、おまっ」
「やばいやばいやばい助けて助けて助けて! あれ竜胆くんの『雷神』! 範囲攻撃だよ〜私がちで死んじゃう! 水じゃあ雷は守れないじゃん! 感電死を早めるだけだよ〜!!」
「入学初月はどう守ったんだよ! 俺も無理だって今すぐ逃げろ!」
俺一人ならなんとかなるが、英を守れるかどうかは怪しいところだ。さっさと離せよ俺も死ぬだろ!
「あの時は近くに紬ちゃんがいたんだって〜お願い! 私絶対離さないからね『雷神』ってまじで範囲馬鹿広いの! もう逃げられない!」
「だぁ──わかった! 水出せ水! 俺たちの周囲を隙間なく囲むくらい!」
「ア、『水族館』ッ!!」
動転しながらも、英が指示通りに水の牢獄を形成した瞬間だった。
無差別に、『雷神』の裁きが下る。
○
轟音。爆音。硝煙が香る破壊はざっと3分は続いていた。隣で英がひぃ〜とかきゃあ〜とか言ってるから正確にはわからないが、おいやめろ太ももを触るな集中してんだよこっちは!
ようやっと喧騒が収まった時、水の牢獄の外は酷い有様だった。
まず無事な備品が一つもない。机も椅子も教壇も、ことごとくが粉々になるか、焼け落ちている。黒板もだ。
校舎もひどい。一年の教室が一階で良かった。崩落していないのは幸運か。窓ガラスも床も天井も、焦げたり消滅したりしている。上の階には人はいないんだったか。
そして、教室の中央に佇むただ一人無傷の男は、蹲る赤い女に唾を吐きつける。
「……ったくよォ……何も殺すつもりはなかったんだがなァ……」
竜胆は、先ほどまでの激情が嘘だったかのように凪いだ様子だった。嘘をつくな。完全に殺す気だったろキレ症が。だがこの傲岸不遜こそが竜人のステレオタイプだ。
それよりも竜胆の様子が気になる。周囲にパチパチと散る火花もだいぶ控えめだ。出力が感情に影響される……? 元素を操る『竜災』に顕著な傾向だが、竜胆もそのタイプだったのだろうか。
がたり、と、するはずのない方向から音がした。
「……それはそれは、手緩い歓迎もあったものだな……」
教室前方。
ゆらり、と。
まるで幽鬼のように立ち上がる少女は。
クリムゾンレッドの長髪を靡かせて、ズタズタになった制服に淫靡に彩られながら。
「だが、面白い。郷に入っては郷に従おうか」
傷一つない肢体をくねらせて、クリム・ナーヴァは一本立てた人差し指を、まるでタクトのように振り上げた。
○
ズゥン、と、遠くで重苦しい低音が響いた気がした。
何かまずいな、と俺は思った。英には悪いが、ここで俺は、俺だけは生き延びる決意を固めた。
「な、なにぃ……? なんで生きてるの私ぃ」
「そんなことはどうでもいい。逃げた方がいいぜ、英。何かまずい予感がする。根拠はなくて申し訳ないが、あの竜人、あまりにも竜人が過ぎる……!」
無表情に見えるが、違う。竜人クリムのその目の奥にある光は、明らかに好戦的で、嗜虐的で、愉悦の色に染まっていた。
教室は異様な雰囲気に包まれていた。誰も言葉を発せない。竜胆ですら唖然としていた。誰かが動き出せば容易く決壊する、張り詰めた糸のような静寂だった。
沈黙を破ったのは、赤髪の少女だった。
「そう、緊張しなくとも良い。郷に従うと言ったろう。私も力を見せるだけさ。殺しはしない」
この世で最も信用できないのはテンションの上がった竜人の言葉だ。
少しだけ緊張が緩和した空間で、英が俺にこそこそと耳打ちする。良い匂い──じゃなくて! こいつ度胸あるな……。
「なんで、わたしは、いきてるの」
耳がこそばゆい! こそこそ喋るな英水樹!
俺も仕返しに思いっきりこしょこしょと耳打ちしてやった。
「まみずは、ぜつえんたいだ。ちょっとだけ、おまえを、てつだった」
「はぅぅ……!」
ぶるるるっと英の身体が震える。少し顔が赤くなっているし、俺の企みは成功したと見ていいだろう。
クリムはそんな俺たちを見て──何を思ったのか、大きくため息を吐いた。すっ、と人差し指がひらめいた気がした。指を差しただけかもしれない。
「……はあ。興が削がれた。竜胆とか言ったか? グラウンドを見ろ。窓の外だ」
クリムが指差す方向に、誰もが自然と視線を向けていた。ちょっとした強制力──いわゆるカリスマが、少女の挙動にはあった。
「何も、起きねェじゃねーか……」
「黙って見てろ」
静かな空間では聴覚が研ぎ澄まされる。いつか聞こえた重低音は、心なし段々と大きくなっているようだった。
いや、確実に大きくなっている。何かが飛来してきている? しかしこれだけの威圧感と音圧を持っているモノとはなんだ? 並大抵の大きさではない……。
あ、あれ、と誰かが呟いた。
ヒュオォォォ、と凍えるような寒々しさと極大の熱気を伴って、それはグラウンドに着弾した。
「……隕石、か」
先ほどの『雷神』に負けず劣らない轟音が教室を──いや、学校全体を支配した。
その日、賀竜学園のグラウンドには大小五つのクレーターができた。
あれが校舎に落ちていたらと思うとぞっとしない。
「威圧行為──なるほど戦わずして配下を増やすというのは、効率的だな」
とんでもないことをやらかした張本人だけが、呑気に腕を組んでいた。




