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深淵の呼び声



 真実を知ることは、どうしてこんなにも苦しいのか。


 俺の知るかぎり、この世で最も慈悲深い事。


 それは日々活動を続ける冒険者たち――彼らが自分たちが戦う意味について疑問を持たないでいられることだろう。


 魔物たちの侵攻は日々激しさを増していたが、諸々の分野で研究を続ける教会の努力によって、魔物たちの牙が俺たちに害を為すことはこれまでほとんどなかった。


 俺たち人間の住む領域は女神カミラの張り巡らした巨大な結界に守られている。

 広大で美しく、実り豊かなその世界から出て、わざわざ危険な結界の外を探索するような理由もなかった。

 

 しかし、魔物たちはなぜ新種が次々と現れるのか。

 なぜ、それと示し合わせたかのように新しい武器が次々と開発され、ガチャに投入されるのか。

 そして、結界の外には何があるのか。


 バラバラになったこれらの事実が一つに統合されたとき、ある恐るべき仮説がにわかに真実味をおびてくるのだ。


 これは、まったく馬鹿げた仮説である。人に話せば、まず笑われるだけだ。

 どんなひどい酔っ払いでもこのようなことは言わないだろう。


 だがあの日、俺が結界の外、あの場所で見た光景が今も頭から離れない。

 あれが、俺の見た夢か何かだというのならどんなにいいだろうか。


 今になって思えば、死んでいった仲間たちは幸せだったのかもしれない。

 彼らは理想と正義に燃え、何も疑うことなく、そして何も知ることもなく冒険者のまま死んでいったのだから。


 戦う意味など考えなくてもよかったことが、いったいどれだけ幸福なことだったのか。

 失った今となっては後悔しかなかった。



 今日における教会の権威。

 それに疑問を持つ者はヴァルナ大陸にはいないだろう。


 崇高なる女神カミラの威光は大陸の隅々までいきわたり、今日も数多の冒険者たちが彼女の名を唱えながらガチャを回しているだろう。


 これは極めて当然のことだ。


 なぜならガチャで排出される強力な装備と、女神カミラの結界。

 そして【イベント】と称して不定期に教会から冒険者に配布される様々なアイテムの助けが無ければ、毎日のように新種が現れる魔物の相手など出来ないからである。


 教会があるから魔物たちは今日も退けられる。

 魔物たちがそれでも来るから教会は権威を持ち続ける。


 この事実にまったくおかしいことは無いように思える。


 もしも魔物がこの世界にいなかったら……とか、魔物たちを全滅させ完全な平和が達成されたらどうなるか、などと考えるのはきっと意味のないことだ。

 

 女神カミラの結界によって俺たち人間の活動できる領域が実質的に決められているのも、何か特別な理由があってのことではないのだろう。


 そう、こんな事を考える必要はない。


 別に魔物がいなくても、ガチャを引く必要がなくなっても、女神カミラも教会も、きっと今と変わらず敬意を集めることに変わりはないのだから……






「はあはあ……」


 荒い呼吸と共に、俺が目覚めたのは居間の椅子の上だった。

 

 やれやれ、どうやら眠ってしまっていたらしい。

 俺は全身にびっしょりと寝汗をかいていた。



 カラカラカラカラ…………


 部屋の隅、ペットのネズミを乗せた車輪型の遊具が回りながら音を立てている。


 俺から見ればあのネズミは同じところで回転しているだけで全く前に進めていないが、あのネズミにとっては猛スピードで前進しているように思っているのだろうか。


 だとすれば、あのネズミは幸せなのかもしれない。

 たとえ実際は狭い檻に閉じ込められていたとしても、ああやっているうちはそれを忘れられるのだから。



 俺の名前はナガト・ハイルーク。


 あの日、サマーキャンペーンがあった日からおよそ一年が経っていた。

 

 夕暮れから降り出した大雨が窓に激しく打ち付けている。


 空になった酒の瓶が、床のあちこちに転がっている。

 読まれなくなった本がテーブルの上で埃をかぶり、その上を小さな蜘蛛が歩いていた。


「くそっ、もう酒がねえのか」


 机の上の酒瓶に手を伸ばすが、中身はいくらも残っていない。


 あの日、結界の外のあの場所に行ってからというもの、俺はまともに眠れなくなっていた。


 唯一の救いだった酒は、あいにく切らしてしまった。


 外は土砂降りのひどい雨だ。

 これでは買いに行くこともできない。

 

 今では強い酒を瓶で二本は飲まないと、眠ることができないのだ。

 おそらく今日は朝まで寝付けないだろうことを考えて、憂鬱になる。


 最近の俺は、何かを考えることがひどく恐ろしかった。


 常に酔っぱらって思考力を下げておかないと、どうしてもあの事を考えずにはいられない。



 あの仮説はあまりにも冒涜的であり、想像することすらためらわれた。



 この世界の(ことわざ)に『鳥が尽きてロングボウ廃れる』という言葉がある。


 これは獲物である鳥を狩り尽くしてしまうと、それに重宝されていたロングボウが使われなくなって廃れてしまう、といった意味だ。


 もし、ロングボウに人間のような意思があったとしたらどうだろう?

 ロングボウの立場なら鳥を全滅させたいと、はたして思うだろうか。



 また、これもこの世界で有名な童話で『七人の騎士』というお話がある。


 これは食い詰めた没落騎士たちの話だ。

 彼らは毎日、白パンを腹いっぱい食べさせてもらうことを条件に村の用心棒を引き受ける。


 だが、村人たちに戦い方を教えて、村を襲うゴブリンどもの巣穴を掃討した彼らはもう用済みだと言われて村から追い出されてしまうのだった。


 さて騎士たちは、本当はどうするべきだったのだろうか?



 そして、この世界には教会という組織がある。


 彼らは女神カミラという存在を祀り、魔物たちを退けることに貢献することで権威を得ている。


 もし教会が今の権威を永遠のものと欲するならば、やるべきことはなんだろうか?



 激しい雨風に煽られて、木の枝が窓枠を叩く音が聞こえる。

 

 それにしても頭が痛い。

 まるで割れそうなほどだ。


 くそっ酒があれば……

 

 俺はどうにもならない現状にいら立ち、何かが変わることに期待して腰を上げた。


 手に持つのは三枚の銀貨だ。


 部屋の一角に静かに佇むのは女神カミラの小さな像である。

 それはいつも変わらない慈愛に満ちた視線を落としている。


 俺は震える手で銀貨を像の前の小皿に置いた。


 かつてはあれ程に高揚し、心を高ぶらせた【ガチャ】だが、今の俺にとっては自らの精神の平衡を保つための手慰みに過ぎなかった。


 あれほど冒涜的な考えを頭に浮かべておきながら、まるで形だけは敬虔な廃課金か何かのように像の前で首を垂れるこの俺の矛盾に満ちた滑稽な姿を、今も女神カミラは天上から見下ろしているのだろうか?


 手のひらに落ちてきた青白いクリスタルがその形を変えていく。



ーーーーーーーーーーーーーーーー

【シルバーナイフ】

   

武器:短剣

レアリティ:SR

レベル:1/30

突破段階:0/3

攻撃力:228

スキル:ストライクエッジ(スキルレベル:1)

    クリティカル確率上昇(中)

ーーーーーーーーーーーーーーーー


 

 俺の手の中にあったのはずっしりとした質感の短剣だった。


 その切っ先はよく磨かれていてとても鋭く見えた。


 普通ならSRの武器はすぐに【武器スキル】上げの餌にしてしまうので、こんなにまじまじと観察したりはしないのだが、今の俺にはこの短剣が何か別の意味のある物に見えたのだ。


 

 突如、俺の左肩にズキリとした鋭い感覚。

 そうだ、これは一年前のあの日の夜。ライザに包丁で刺された場所だ。


 傷は【回復(ヒール)】の魔法で完全に癒え、服の穴も塞いだのになぜか今になってズキズキと痛み出した。


 あの時の鋭い痛みの感覚を思い出す。

 あれは刺されたのが肩だったから致命傷にはならなかった。

 

 だが、違う場所ならどうだろうか?


 遠くで雷の落ちる音が響いている。

 窓から差し込んだ稲光が、俺の横顔を照らした。


 

 このナイフは、もしかすると女神の与えた慈悲なのか。

 これを喉に突き立てれば俺はこの苦しみから解放されるのだろうか?


 俺はナイフの切っ先を吸い込まれるように覗いていた。



 その時だった。


 突如、俺の家の戸が外から激しく叩かれた。

 

 俺は心臓が早鐘のように鳴るのをおさえながら立ち上がる。


 来客の予定はなかった。

 あったとして、こんな土砂降りの雨の夜に一体だれが訪ねてくるだろうか。

 

 扉の向こうに何かがいる。

 その何かはますます強く戸を叩いている。


 どうやら俺の、身に不相応な好奇心を清算する時が来たのかもしれない。


 

 だが、その前にどうしても隠しておきたいものがあった。

 

 俺は机に置かれた黒い表紙の本を手に取る。

 これは俺の日記だ。 


 俺は床板の一枚を持ち上げる。

 床下の隠し収納スペースに日記を投げ入れて封をした。



 もう心残りはないだろうか。


 もしこの日記を読む者がいるなら心してほしい。


 ここに書かれているのは他でもない。

 俺が結界の外で見てきたことのすべてである。



 ーー事の始まりは、ある夏の日のギルドでの出来事だった。





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