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〔5〕

『アリス』と再会してから十日後、退院の準備をしていたキーラの元にグレイグが現れた。

「荷物はそれだけですか、少尉。オレが運びます」

 これまでも毎日のように病室を訪れ、甲斐甲斐しく世話を焼いてきたグレイグに感謝しながらもキーラは呆れ顔になる。

「このバッグ一つだ、自分で運ぶよ。私は暫く自宅待機になるが、本部の様子はどうだ?」

 キーラの問いに、グレイグの顔が急に明るくなった。

「あっ! 一番に、お知らせするべきでした! 実は『アリス』の移送日が決まりましてね。オレがカーゴ(輸送機)のパイロットに指名されました。正確な日時は、まだ未定ですが多分……十日後くらいになると思われます!」

「そうか……良かった。少し、気になっていたからな。ところでその情報は機密事項では無いのか?」

 慌ててグレイグは辺りを見回し、キーラに顔を寄せると一本のメモリーステックを差し出した。

「機密には機密なんですが……スピナー少佐が、ステイシー少尉に教えてやれと言ったんです。あと、これを渡してくれと頼まれました」

「スピナー少佐が?」

 確かにキーラは、スピナーがオーグリー大佐の命令を無視して『アリス』を解体する可能性を危惧していた。キーラの不安を払拭するためグレイグに言伝を頼んだとしたら親切な上官だが、プライドの高さから虚勢を張っただけにも思える。

 グレイグがスピナーから預かってきたメモリーステックを疑わしげに一通り調べてから、キーラはプライベート用タブレットに差し込み現れたファイルを開いた。何かの映像のようだ。

『泉の水を求める鹿のように、わが魂は神なる御身を慕い求め……』

 映し出された映像と音楽に、キーラは戸惑った。

 白や黒のキーを叩き音楽を演奏する男性の前に全員が同じ白い服を着た幼い少年が立ち、奏でる旋律。

 メロディのリフレインの度に映像は変化する。

 少年達の映像が緑豊かな森の遠景に変わり、ミルク色の朝靄につつまれた木立になり、霧が晴れて青く美しい湖が現れた。

 湖の畔に集うのは、三頭の鹿。母鹿と二頭の子鹿だろう。

 湧き上がる感情を、キーラは必死に耐えた。部下の前で涙を流すなど無様な姿を見せるわけには……。

「うっ……ぐすっ、ひぃん……何ででしょうねぇ、少尉……オレぁもう、ナンか泣けてきちまって……すいません、こんな無様な顔で……でも我慢できませんで……」

「あっ、あぁ……何かに感動するのは悪いことじゃない」

 グレイグの泣き顔で感情の波が引き、キーラは冷静さを取り戻す。

 スピナーは何のつもりで、この映像を見せたのだろう? 

 嫌がらせか?

「グレイグ、最近のスピナー少佐は、どんな様子だ? 『アリス』の研究が禁じられて落ち込んでるだろう?」

 キーラの問いにグレイグは、顎に手を当て記憶を探った。

「うーん、落ち込んではいないみたいですよ? 以前よりオーグリー指令にべったりでご機嫌取りしてます。過激派認定で更迭されたら困るからでしょうね。あぁ、そういえばオレにも何かくれましたよ。上司とはいえ、男からアクセサリーをもらう趣味は無いんですが……」

 グレイグが見せてくれたのは、表面に文字が刻まれた銀のクロスだった。

「クロスだな。何人かの部下が御守りだといって、身につけているのを見たことがあるよ。何が書いてあるんだろう?」

 手渡されたクロスに刻まれた、小さな文字にキーラは目を凝らす。

『神よ。願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ』

「物事を変える勇気……か」

「なんて書いてあるんです?」

 思案顔のキーラを心配して、グレイグが手元のクロスを覗き込んだ。刻まれた文字を説明するとグレイグは、神妙な顔になる。

「凍り付いた世界は受け入れるしか無いと解っちゃいますけど、変えられる事なんてあるんですかねぇ……まぁ、変えられるなら、いま観た緑の世界を生きて観られたら最高に幸せなんだろうな。あ、別にマシンになってまで叶えたいわけじゃ無いですよ?」

 焦って弁解するグレイグにキーラは笑った。

 宗教観はよくわからないが、スピナーが何かしらのメッセージをキーラに伝えようとしている気がした。

 何を伝えようとしているのだろう?

 スピナー少佐に直接聞くわけにもいかず、意図の謎に頭を悩ませていたキーラに数日後、オーグリー大佐から呼び出しがあった。

 本部司令官直の呼び出しに緊張しながら、キーラはクラシカルな木製ドアをノックした。

 緋色の絨毯、今では貴重な木材で造られた重厚な執務デスク。壁には金色の額に納められた絵画が数点。大理石のチェスト。

 オーグリー大佐の懐古趣味で贅沢に装飾された執務室だ。

「キーラ・ステイシー少尉、きみには『アリス』の護衛を頼みたい。きみの半身がマシン体なのは、私も知っている。だからこそ賛成派の本部に『アリス』を送り届け、両勢力の橋渡しに貢献できるのはきみしかいない。私はこのような無意味な戦いを早く終わらせ、生身の身体で終末を迎えたい人たちに穏やかな日常を過ごして欲しいのだよ。この国にも、表立って言うことが出来ずマシンボディを希望する人々は多い。今後は賛成派諸国と話し合い、マシンボディ希望者が『核』移植しやすいように改革したいと思っている。力を貸してくれるね?」

 オーグリー大佐の言葉にキーラの胸は熱くなった。

「は! 微力ながら大佐のお力になれるなら光栄です。『アリス』の護衛任務、お任せ下さい!」

 キーラの敬礼に穏やかな微笑みを浮かべ、オーグリー大佐は退室を促した。

 その日の夜、移送の詳細が伝えられたキーラは出発前確認をするため輸送艇格納庫を訪れた。

 格納庫では、戦闘用重歩兵『フロッグ』輸送用カーゴを『アリス』移送用旅客機に改装しているはずだった。

 ところがキーラが目にした光景は……。

「なんだ、これは? どういうことだ?」

 次々と搭載されていく『フロッグ』の列に言葉を失う。

 手近にいた整備士を捕まえ問いただすと「オーグリー大佐の命令です」と答え、逃げるように離れていった。

 パイロットを命じられたグレイグなら、事情を知っているに違いない。

 急いでキーラはカーゴのコクピットに向かった。すると突然、目の前を巨体に遮られる。

「探しました、少尉。急いで逃げて下さい」

 巨体の主は、グレイグだった。

「逃げる? 一体何が起きているのか説明しろ!」

 グレイグは警戒するように辺りを見回し、キーラを格納庫の物陰に連れ込んだ。

「オーグリー大佐は反乱を起こすつもりです。『アリス』と半マシン体の少尉を囮に敵を安心させ、敵地拠点に攻め込む作戦です」

「まさか……そんな話、信じられるわけ無いだろう?」

「本当です、確実な情報なんです。信じて今すぐ逃げて下さい」

 グレイグの様子は必死で、嘘や冗談を言っているようには見えなかった。現に『フロッグ』の列は何機もカーゴの中へと消えている。

「……情報の出所は?」

「それは……」

「私も是非、聞かせて欲しいね。マシンと手を組もうとする穏健派こそ獅子身中の虫。この作戦の前に始末しなくては」

 聞き覚えのある声にキーラが振り向くと、銃を向けて立っていたのはオーグリー大佐、本人だった。

「大佐、グレイグの言ったことは本当ですか? 私に、賛成派との架け橋になって欲しいと言ったのは、嘘だったんですか!」

 悲痛な問いに、オーグリー大佐が笑った。

 執務室で見た、穏やかな笑みでは無い。残忍で冷たい、人殺しの笑み。

「ステイシー少尉、きみは反対派過激テロリストに攻撃された穏健派の死体を見たことがあるかね? 私は自ら現場に赴き、爆破された集合ハウスの瓦礫に押しつぶされ真っ赤な肉の塊になった死体をたくさん見てきた。美しい……これこそ、生ある者の死だと思ったよ。それに比べ『アント』とは何だ? 破壊しても黒い砂の山しかない。私は生粋の軍人だ、私の仕事は敵を屠ることだ。砂の山を造ることでは無い。私と同じ思想を持った部下を集め部隊をつくった。今こそ、敵の本拠地に乗り込むチャンスなのだよ!」

「あの人が言ったとおりだった、狂人め……!」

 キーラより先に、怒りを込めた声で呟いたのはグレイグだった。

「少尉、大佐はオレに任せてアリスちゃんと亡命して下さい。格納庫、十二番ハンガーに小型艇を用意してあります」

 言うなりグレイグはオーグリー大佐に飛びかかった。響き渡る、三発の銃声。

「グレーッグ!」

 体格の良いオーグリー大佐でも、大熊のようなグレイグが覆い被されば容易に抜け出すことが出来ない。流れ出る大量の血をものともせず、グレイグはオーグリー大佐を締め付けた。腹に突きつけられている銃から、二発の銃声が続いた。それでもグレイグは微動だにしない。

「オレ、綺麗な湖に立つ少尉を見てみたかったなぁ……きっと、女神みたいに綺麗に違いねぇ……だから逃げて、必ず生き延びて……くださ……い」

「……っ!」

 銃声を聞きつけたらしい。『フロッグ』と共にカーゴに乗り込んでいたオーグリー大佐の部下が次々と降りて来る。

 キーラはグレイグに言われた十二番ハンガーを目指し走った。

「あっ! 『アリス』はどこだ?」

 探しに戻るか、いったん亡命して救いに戻るか……?

 利用価値のある『アリス』を、オーグリー大佐がすぐに処分することは無い。なんとしても亡命し、救出手段を得ることを考えよう。

 覚悟を決めたキーラが小型機の見える場所まで来ると、そこに二つの人影があった。

「スピナー!」

 小型艇の搭乗口下に、『アリス』を伴ったスピナー少佐が立っている。

 キーラに武器は無い、絶望的状況だ。

「待っていましたよ、ステイシー少尉。おやダート軍曹の姿がありませんね?」

「……」

「あぁ、ダート軍曹に情報を流し、ステイシー少尉が『アリス』と亡命出来るように計らったのは私なんです」

 驚いてキーラは、全身の力が抜けるのを感じた。

「なっ……何がどうなっているんだ? いったい、私は……」

 床に座り込んだキーラに微笑み、スピナーが片手を上げた。すると武器を携えた三十人ほどの兵士がキーラの後ろに立ち、追っ手であるオーグリー大佐の部下に向かい一斉射撃を浴びせる。

「うん、まぁ、混乱させてしまいましたね。実は私、オーグリー大佐の動向調査のため、政府上層部穏健派に派遣された調査員なんですよ。大佐が貴女に語った両勢力の話し合いは実際、かなり進んでいるのですが過激派の動きを抑えるのが難しい状況でね。今回の件は過激派テロリスト壊滅に、とても有効でした」

「すべて……計画されていた?」

 では、グレイグの犠牲もか? 

 キーラの腹の奥で、怒りと悲しみの混ざり合った感情が煮えたぎる。

 スピナーはキーラの様子を気にとめることも無く、オーグリー大佐の部隊制圧の報告を受け取っていた。

「いまほど報告を受けました、ダート軍曹は残念です。しかし人類の未来のため、犠牲になれたことは彼にとっても……」

「人類の! 未来なんか! どうだっていい! みんなが自由に、生きたい生き方を選びたいだけなのにっ!」

 泣き崩れるキーラの頭に、『アリス』がそっと手を置いた。

「キーラ、悲しいの? キーラ悲しいと、アリスも悲しい」

『アリス』を抱きしめキーラは、声を上げて泣き続けた。

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