〔4〕
研究棟に繋がる渡り廊下は、天井が強化ガラスで出来たドームになっている。
外に見えるのは墓石に似た集合ハウスが立ち並ぶ、冷たく凍り付いた都市。
キーラが物心ついた頃から見慣れた景色だ。
人々の多くは、この世界で一番、温暖な地域に要塞のような集合ハウスを作り生活していた。外界の気温は暖かい日でも氷点下四十度を上回ることが無い。衣食住の全てを集合ハウスの中で完結させた人々は、外の世界に出ることも無くなった。
子供の頃キーラは、寒さをものともせず外で遊ぶのが好きだった。しかし年齢が上がるにつれ遊び仲間は外に出ることを拒むようになり、いつしか外の世界は忘れ去られていった。
キーラが軍人になったのは、外への憧れもあった。
「外の景色が好きかね?」
先を歩いていたスピナーが立ち止まり、キーラに声をかけた。
「窮屈な集合ハウスより、雪と氷と岩だけしかなくても外の世界が好きです。資料で観た、外にも緑の木々が繁り色とりどりの花が咲いていた世界が本当にあったとは思えないですね……」
「ふむ、きみは緑あふれる世界を実際に観てみたいと思うかい?」
「ええ、そんな世界があるなら……あっ、いいえ、思いません。自分はこの世界に満足しています」
キーラの返答に、スピナーは笑った。
「誘導尋問と思ったかね? 心配しなくていい。きみが半分マシンだからと言って、忠誠心を疑うつもりは無いよ。実は『アリス』が、ずっと歌を歌っていてね。何世紀も前から信仰の集会所で歌われている『聖歌』というもので『泉の水を求める鹿のように』と言う曲だ」
「えっ? それは私が『アリス』に教えた曲です」
驚くキーラに何かを確信したのか、スピナーは何度もうなずいた。
「この歌は、緑あふれる森の中、清らかな泉に水を求め集う鹿の光景にたとえて信仰の絶対的必要性を説いた歌だ。何か目的があって、この歌をプログラムしたのかと考えたのだが……そうか、きみが教えたのか」
「本当に、歌の意味は知りませんでした。亡くなった姉が、どこかで覚えてきて私に歌ってくれたのです」
「少女の姿で歌う機械か、興味深いね。この個体は一体、何のために創られたと思うかね?」
スピナーに問われ、キーラは困った。正直、何も予想できない。しかしキーラを見つめるスピナーの目は、何かしらの返答を求めていた。
「私にはよくわかりませんが……マシンボディを選んだ人間には子供が作れないから、子供を持ちたい人に代わりの個体を用意したのでしょうか?」
「ふむ、なるほど。『アント』はプログラムで姿形が自在になる。養育の疑似体験は、長く生きる時間の良い暇つぶしになるだろう。他に考えられるとすると、亡くした者の再現……」
スピナーの表情に、少し影が差した。
疑問に思いつつも問うことが出来ずにいるうちに研究棟に着き、キーラは『アリス』を監視するモニター室に案内された。
壁も天井も真っ白で、中央に椅子が一脚。『蟻の巣』で見た子供部屋とは違い、殺風景な部屋だ。
『アリス』は壁の一点を見つめ、小さな桜色の唇で何かを口ずさんでいた。スピナーの指示で監視員がモニターの音声を上げる。
「泉の水を求める鹿のように、わが魂は神なる御身を慕い求め……」
美しい声だった。しかも合唱のように、いくつものメロディが重なり合い完成された曲になっている。
肌が粟立ち、知らず目元が熱くなるのを感じた。
「心を揺るがす、美しい音楽だ。まぁ、何も役に立たないがね。ステイシー少尉が『アリス』の人工知能に与えた影響を検証するより、ボディの研究が先だと言ったのに本部司令官が解体を許してくれないのだよ。『アント』の弱点を発見し、今の体制を……」
微塵も心が動いていない様子のスピナーが不満そうに語り始めた途端、なぜか部屋の空気が凍った。
モニターではなく、入り口に注がれた研究員の視線を追ったキーラも身を固くする。
「スピナー少佐、きみの持論には賛成しかねるな」
入り口に立っていたのは二人の部下を伴った本部司令官、マイル・オーグリー大佐だった。
「これはこれは、本部司令官殿。自分としたことが、つい、珍しいサンプルが手に入り気が逸ってしまいました。決して本心ではありません」
「それが本当なら安心だがね」
オーグリー大佐は苦笑した。
短く刈り上げた白髪と屈強な体躯。幹部になるまでに多くの戦場を経験してきた生粋の軍人であるオーグリー大佐は、政府の主導権を穏健派に握られて以降、表だった戦争が減ったため一部過激派のテロ鎮圧が主な仕事になっている。
その迅速かつ人的にも物理的にも被害を最小限に抑える手腕は、本部内で多くの部下に信頼されていた。
「時間が出来たので私も『アリス』を見に来たところだが、丁度いいところでスピナー少佐に会えたな。実は、きみには残念な知らせがある。政府からの命令で、『アリス』をマシンボディ賛成派政府の活動本部に送り届けることになった。解体禁止は勿論、あらゆる検査も不許可だ。準備が整うまで指一本、触れてはならない」
「……は、了解しました」
オーグリー大佐の命令にスピナーは肩を落とし、キーラは安堵の息をついた。
キーラの中で、ある感情が抑えきれなくなっていく。
この国に生まれ、軍人として生きる上で許されない感情。
「気分が優れませんか、ステイシー少尉?」
様子がおかしいと察したグレイグが、心配して顔をのぞき込んだ。
「いや、大丈夫だ。私は用済みらしいから、病室まで連れて行ってくれるか?」
『アリス』の側にいると、心が掻き乱される。キーラは上官に許可を得てから、部屋を出る前にもう一度、モニターに目を向けた。
カメラは監視対象に解らないように設置されているはずだった。
しかし『アリス』はカメラ真正面に立ち、そこにいるキーラに向かって語りかけたのだ。
「キーラ、元気になったね。アリス、嬉しい」
スピーカーから聞こえた声に、キーラの感情は限界を超えそうになった。自ら車椅子を操作し、出し得る最大速度で部屋を離れる。
「少尉! ステイシー少尉!」
最大速度を出したとしても、車椅子だ。慌てて追いかけてきたグレイグが、すぐに追い付きブレーキをかけた。
「……なんだか、本当の子供みたいでしたね。攻撃してくるマシン野郎は容赦なくぶっ壊しますけど、ありゃあ、ダメだ。情が移る。二週間以上も一緒だった少尉の気持ちはわかります。まあ、スピーナーのやつに解体されなくて良かったじゃ無いですか」
「あぁ……そうだな」
グレイグに車椅子を任せ、病室のベッドに戻ったキーラの脳裏に『アリス』の歌が蘇る。気がつくと、無意識のうちに自分も同じ歌を口ずさんでいた。
「姉さん……わたし、半分マシンになってまで生きなきゃいけないのかな? 反対派と賛成派、どちらが正しいかなんて解らないよ……」
あふれる涙を堪える事も出来ずキーラは、マシンボディも涙を流すのだろうかと、ぼんやり考えた。




