チキンサルサ
「クソ!人間じゃないか!」
「実験動物だ。人の形をしているが人ではない」
ケンの頭には軍隊の医者のことが浮かんだ。秘密裏に捕虜を使って行われた人体実験は、医療を飛躍的に進化させた一方で多くの善良な人間を壊していった。
医者と被験者の双方だ。医者は捕虜を『実験動物』と呼んで残飯を食わせたという。
意識せずケンの右手が拳銃に伸びる。すでに拳銃は安全装置を外され、いつでも撃てるようになっていた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。あの説明書を読んでいないのか?」
「読んでいない」
あの分厚いファイルのことを言っているなら、話す相手が悪い。
「本当に人ではないんだ。『アレ』には母親も親戚もいない。言葉だって理解しない。ただの肉の塊だ」
「……言葉を少しは慎んだらどうだ」
目の前の試験管の中に納まる少女は、不思議そうに俺達を見ている。
良く晴れた日の青空みたいな色をした目が、涙にぬれる。
「見た目に騙されるな。この研究所に来てから一カ月しかたっていないのにすでに警備員が5人食われている。目の前のこいつに」
「は?」
「そうだ、理解できないだろう。だが事実だ」
研究員は事件の概要を言葉に詰まりながら話し始めた。
「最初、連れてこられた時は失語症の少女という事だった。ここは一般の隔離施設と違い、特殊な患者を受け入れるために作られている。だ、だからこちらも警察で鍛え上げられた隊員を5名警備につけた。その日の晩から、一人ずつ行方不明になった」
「それだけでこの子が殺したとは限らない」
「見つかったんだよ。遺体が」
「食われていたのか?」
「一人は目を抉られた状態で見つかった。そいつは目がクマのぬいぐるみと入れ替えられていた。その『実験動物』に与えたおもちゃだった。大切そうに抱えてこっちを見ていたよ」
やがて研究員はあらかたの説明を終える。
「それから最後に、最終防衛手段としてここは水に沈む」と不吉な言葉を残してニヤリと笑い出て行った。
冗談だろうと思った。さすがにこれだけの施設を水に浸けるのは勿体ないことだ。そうとも。それにそれをしたら彼らが呼ぶ『実験動物』も水に沈んでしまう。
ケンはため息をついた。研究者が出て行ったドアには内側から開けるための取っ手もドアノブもタッチパネルも何もない。まるで、自分は生贄だ。
研究者は、自分の命可愛さに次の犠牲者を連れてきたという訳だろう。
警備が殺されれば次は自分たち。そう考えるのは普通だ。
しかし、ケンにはどうにもあの少女が人を殺すようには見えなかった。
細すぎる手足はまるで元気のない枝葉のようで、指は関節がボコボコと浮き上がって見える。
彼女を包む透明の檻には、天井に僅かな空気取りの穴があったが、ケンの指がわずかに一二本入るかどうかの大きさでしかなく、小柄な少女がいくら体を小さくしたところで通り抜けられるようなものではない。
誰か、人殺しをしてその罪をこの少女に押し付けたのだろう。人間には時々そういった思考をする人間が混じる。こんな地下施設では気が参って当然だ。彼女にとってはとんだ災難である。口をきけず、薄気味悪い白髪と来れば、犯人に仕立て上げるのにこれ以上は無かったのだろう。
一人くらいそのことに気が付かないのかと思った。
頭を使って腹が減ったので、背中のバックパックから戦闘糧食を取り出す。
24種類のメニューの中で、今日引いたのはチキンサルサだった。
戦闘糧食の良い所は、水さえあればいつでも温かい食事をとることができることである。緑色のレトルトパウチに包まれている姿は食欲を誘わないが、シュウシュウと音を立てて湯気が上がる様は、まるで出来立ての料理を連想させる。
この食品を支給されたという事は、しばらくここで生活をしろという事なのだろう。
さながらTレックスのケージの中に繋がれたヤギだ。
幸い目の前の『Tレックス』はハリボテらしい。
メインのチキンサルサを開けると、トマトの酸味と顔を包み込むような湯気が立ち上る。これで製造年月日は2年前。信じられないことに我々人類の技術はここまで来ている。
赤いスープの中にゴロゴロと転がったトマトの果肉をスプーンですくい上げると、ふと視線に気がついた。
ちらりとそちらをみるとさっと顔を下げる。
一度スプーンをパウチに戻し、再び持ち上げるとまた視線を感じる。
サッと見ると、今度は銀髪が風もないのにわずかに揺れた。
飯は、食べさせてもらえないのだろうかとケンは思った。
不思議と、戦地で見かけた戦争孤児とダブって見えた。
現在の在籍者と被害者
研究所在籍職員3621名 内、行方不明4 死亡1
収容動物2匹




