プロローグ
「ヒイラギタツミよ、誠に哀れなことですが、あなたは死んでしまいました」
幾度となく小説で読んだ光景、自分もそうなりたいと夢見た光景、しかし実際自分がそうなるのは案外不愉快なものだった。流石に一度といえど死ぬのは痛かったからだ。
しかし今では痛みも全く感じず、周囲を見渡す余裕もある。果てしなく広がる雲の上、奇妙なことに風はなく、明るいのに太陽も出ていない。現実味のない光景。あるいはそれは、すでに死んで魂だけになっているから身体の感覚がないことも理由の一つだろうか。
いや、確かに交通事故でふき飛んだはずの右腕は付いているし、動かすことも出来る。俺は手を握っては開いてそれを実感した。どういうわけかわからないけどトラックに跳ね飛ばされてこっぴどく死んだはずの自分は身体を持って生きているし、また恐らくそれは目の前にいる、輪っかを背中に背負った異国風の美女がしてくれたことだろうとは簡単に予測がついたし、更に言えばこの女性の正体も、後に続く会話の流れも想像できた。
「もはやこの世界にあなたが生き返ることは叶わず、本来ならばこのままあの世へといくのをただ待つ身です。しかし……」
「代わりに他の世界に転生させることなら出来る、っていいたいんでしょう?」
女性が笑う。ギリシャ風ともオリエント風とも言える、その中間のような出で立ちの輝く衣装すら色あせそうな美しい微笑みだった。
「話が早いですね。ええ、あなたにはこれよりフラスティア……平たくいえば、あなたから見て異世界へと旅立ってもらいます。ですがフラスティアは剣と魔法が支配する世界。他方、この世界はそのようなものは歴史から消えて久しく、あなたがそのままいったとしても苦難のほうが多くなることでしょう」
「それで能力とか、いろいろなものを俺に与えてから転生させると」
「タツミ、あなたは本当に賢いのですね!自らの死を経験してなおその冷静さと理解力、やはりあなたを見込んだのは正解でした」
「い、いや別に……」
いや、単にそういう小説をたくさん読んできただけですよ。とはまさかいえない。
「謙虚でもいらっしゃるのですね。ええ、あなたはこの女神、リティアンシアの権能により、いかなる苦難にも立ち向かえるスキルを与えて蘇らせます。しかし残念なことですが今のフラスティアは平和な世界であるとはいえません。強き力を持って蘇ることは、そのままあなたがあの世界を覆う脅威と戦うということになるでしょう」
「う、うーん、こう、ギリギリ普通の一般人くらいのスキルで転生して平穏無事に一生を過ごすとかは、こう……ていうか脅威って?」
「出来ません。正確には不可能ではありませんが、今のフラスティアでただ普通の人間として生き返っても、いずれトラブルに見舞われれば、対処できず為す術もなく死んでしまうことでしょう。そしてフラスティアで次に死んではこのリティアンシアといえど、もはやどの世界でも蘇らせることは出来ないでしょう。そして今ご質問いただいた「脅威」についてですが……」
どうも気楽な異世界暮らしは到底望めないようなハードモードな世界に俺は飛ばされるようだ。これはしっかり説明を聞いておかないといけないだろう。俺は固唾をのむ。
「っ!これは……!?」
瞬間女神さまの表情が一気に険しくなった。あ、すっげーやな予感!
「タツミ、申し訳ありませんが悠長に説明をしている時間はないようです。あなたには今すぐフラスティアへと赴いて戦ってもらいます」
女神さまが虚空を杖でトン、と叩くと同時に魔法陣が現れる。そうであってほしくないが多分転移魔法陣なんだろう。
「この転移魔法陣に乗ってください、さすればフラスティアであなたは第二の生を受けるでしょうがんばってください!」
言いながら目にも止まらぬ速さで背後に回ってきた女神さまがグイグイ背中を押してきた。ちょ、ちょっと待って!いくら緊急事態でも説明ぶった切りすぎでしょう!抵抗を試みるが、背中に押し付けられたなんだか柔らかいものの感触を感じて哀れクソ童貞のままその生涯を終えた俺はすぐ力が抜けてしまう。しかしそれでも言葉だけは放ってみせる。
「せ、せめて敵が何なのかだけでも教えてくださいよ!いきなりなんだかわからないやつと戦うなんてできないって!」
「魔族!魔族ですぅうう!!!えいっ」
大して情報量がない言葉だけ残して女神さまは俺を押し飛ばし、俺は転移した。