9. 死都
死都までの道のりは想像以上に難所であった。
何しろ道中にドラゴンの巣があったのだ。それも死霊に汚染され尽くし、全身が人間を集めて塊にしたかのような姿になった異形種だ。
本来であれば死ぬような呪いと死霊の群れに侵されていたが、竜種としての強靭な生命力が死を許さなかった。
最強と謳われた竜種といえど、そうなっては哀れな生き物でしかない。とはいえ、それ自体は恐るべき怪物だ。
私は隠れてそいつが地面に降り立つのを待ち、奇襲して翼を斬り落とし、片足を砕いて地を這いずらせ、火を吐くための器官である喉袋を貫き、さらにはひたすらに斬り刻み続け、切り刻んだ肉塊が変異した腐食鬼たちをも殺し尽くし、すべてが動かなくなった朝まで戦い続けた。
何度も死を覚悟したし、これまでの戦いでも早々ないほどに手間取った。
もっとも、それでも戦いは私の得意分野でのことだ。
正直に言えば、血が滾り、心が踊った。そうだな。今のように心の底から凍りつくような想いをするよりは、再びあのドラゴンと対峙したほうがマシであると断言できる。
私は歩いているのは、実に穏やかな街だった。
行き交う者たちの誰もが笑みを浮かべている。生を謳歌していると感じられる良い笑顔だ。
そして、この場で行われているのは光祝祭か。
光の神が世界を作った七日間をなぞらえた祭りだ。
私もガキであった頃は、その祭りに参加することに憧れたものだ。もっとも親なしのスラムの餓鬼が混ざれば衛兵に追い払われるか、最悪殺されることもあるから、薄汚れた裏路地からしか見ていられなかったがね。
「お兄さん、どうだい? うちのカカラ豆のスープは絶品だよ。何しろあたしの娘が作ってるんだ。どうだい?」
「すまないな。先ほどたらふくダラガ焼きを食ったばかりなんだ。それにトーガの団子もな。みな目移りしてつい食い過ぎた」
「ははは、お祭りだからね。ま、腹が空いて気が向いたら戻ってきておくれよ。まだ光祝祭は続いていくからね」
そうだな。何せこの祭りは『こうなってから』終わったことがないはずだ。だが私はそんな心の言葉を口にすることはなく、元気そうな老婆に愛想笑いを返すと、その場を離れた。
「お母さん、あの人たちどうしたの?」
「お疲れなんでしょうね。あまり見るんじゃありませんよ」
道ゆく親子がそんなことを話しているのが聞こえた。彼らの視線の先を辿れば、まあ……なるほどというものが転がっている。
祭りのある大通りから伸びた路地裏の先、そこには積み上げられている無数の亡骸があった。
妖混じりか神官戦士か。不浄の気配が嗚咽を誘うほどに感じられる。
どうやら何人かはまだ生きているようだが、あれは生き餌だろうな。目を合わせれば私でも引きずられかねない。それほどに強力な力がこの場には働いている。
だから私は再び、なんでもないように大通りを進んでいく。
途中、音が止んだ。
ザワリと全身が総毛立ったが、すぐにその気配は消えた。
私が何かしらをしてしまったのではないかとも思ったが、そうではないらしい。街のどこかで誰かが何かに引っかかって、恐らくは捕らえられたのだろう。
恐ろしい。ああ、私はもうこの世には怖いものなど何もないと思っていたが、ここは誰にとっても恐ろしい場所だ。生きている者にとっては決して逃れられぬ、本能の上での恐怖の本質がある。
そうこうしている内に私は街を抜けた。どっと汗が出て、鉛のように重かった足取りが軽くなった。それから一息ついて後ろを見る。ああ、本当に……それはどうしようもなく薄ら寒い光景だ。
境界を出て街の支配から離れた今なら、私にもそれが正しく見える。街は完全な異界であった。
あの陽気そうな祭りを行い続けている街は、外から見れば崩れた街並みを青い炎が蠢いているようにしか見えないのだ。そこは本当の意味での死都なのだ。
そして、街の中心から上空に向かって巨大な蒼い炎が伸びているのがここからであれば確認できる。
その炎の中で時折白いウェディングドレスを纏った骸骨が踊っている姿も見えた。
それは知らぬ者などそうはいない存在で、いずれは誰も彼もが一度は出会うことになる相手だ。
名をモーデス、死を司ると言われているまごうことなき真性の神。
ソレがあの街に降臨している。
つまるところ死都とは、神が管理する隔離された世界。生前に死を感じる間も無く死んでしまった住人たちが、永劫に日々を送るあの世なのだ。
巻き込まれた魂は異界を受け入れるか、異界を回す薪となるしかないのだという。
それが罰なのか、祝福なのかは私には分からない。ただ、そんな世界に囚われるのは正直ごめんだ。
そう思いながら、私は死都から背を向けてゆっくりと城に向かって歩き出す。
今回の旅ももうじき終わるのだろう。それまでに私の望むものが見つかれば良いのだけれども。