8. 百剣と狂犬
夜通し歩き続け、儀式の終わりまで残り四日となった。
道中でもヘドロ人間が幾度となく襲ってきたが相棒の大鉈があれば、あの程度なら物の数じゃあない。力任せに大鉈の腹をヘドロ人間にぶつけて飛び散らせるだけで終わってしまう。
この魔獣の血に染まり続けた大鉈は、もはや魔獣を殺すのに特化した呪具に近い。血を吸うことでより硬くなり、今では私にもこれが折れるところが想像できない。
それにしてもここは酷いな。街を離れてしばらく行った先には、ヘドロ人間や妖混じり、それに神官戦士の亡骸がそこら上に転がっていた。どうやらここ辺は随分と激戦だったようだ。それに混ざれなかったとは……やはり遅刻したのは間違いだったな。
ともあれ、この先を抜ければゴーンド山だ。過去の例に倣えば、人の魔獣が出やすいのは王城か、火口湖の神殿か、逢魔の谷かということらしい。
それらはすべてゴーンド山の中にあるわけだが、ここから先を登るのは難しい。ゴーンド山は周囲すべてが崖になっているし、妖混じりなら登り切ることもできるだろうが、時間がかかりすぎる。
そうした地形もあって、ラナン聖王国は決して滅ぼすことはできぬ永遠なる国とまで言われていたそうだが、内側から潰れたのではどうしようもない。
今では城下町は死都へと成り果てているのだ。
ともあれ、ゴーンド山の中に入るには山の内部、ドワーフと巨人たちが用意した巨大な回廊を通る必要があった。
私は巨大な石の門をくぐり、カンテラの明かりを頼りに回廊を進んでいく。
途中、死体に漁る幽鬼と遭遇した。
その幽鬼はみすぼらしい聖衣を纏った姿で、おそらくは去年以前の巡礼者の成れの果てなのだろうと思われたが、まあ当然のことながら私は問答無用で背後から斬りつけてソレを殺した。
幽鬼が喰べていた亡骸は妖混じりのようで、ボロボロではあったが命を奪った傷は切り傷であったため、この幽鬼に殺されたものではないようだ。
周囲の魔獣に剣を使う者がいるのか、あるいは同じ妖混じりに殺されたのか。
横に捨てられていたバックパックには食料が残っていたのだが、かすかに毒の臭いがした。つまり、こいつを斬りつけたのはそう仕掛けられる者……人間ということなのだろう。
妖混じりを殺そうとしている者がいるというとヨナたちを襲ったチリアを思い出すが、或いはこいつがヨナの相棒だったのかもしれない。
まあ、どちらにせよ襲ってくるなら返り討ちにするだけのことだ。
そう思ってその場を去ろうとした私は、別の通路の奥から複数の声と金属音が響いているのに気付いた。
男と女、いるのはふたりだろうか。それもぶつかり合う金属音からして、互いに殺しあっているようだった。
それから興味を惹かれた私が音のする方へと歩いて行くと、そこでは案の定男女が戦っていた。
「これは……良い突きだな」
その光景を目撃した私は、思わずそう呟いてしまった。
女の方の突きの速度に思わず見惚れたのだ。
それは、ただ速いというだけではなかった。剣身自体が淡い輝きを放っていて、突きのたびに花が開くかのような光が見えるのだ。
無論、突きの速度も凄まじくはある。あれだけの腕を持ち、軌道を誤認させる蛍剣の使い手となれば女は間違いなく百剣のリシルだろう。
それとやり合う相手は細身の男だが、顔つきは女のようにナヨッとしたヤツで、見かけは男娼にはよくいるタイプだ。まあ、あんなまともじゃない目をできるヤツはそうはいないだろうが。
そいつは両手に剣が付いたガントレットを装備している。アレは確かジャマダハルとかいう印の国のものだったな。それと、これはなんというべきか……完全にイカれている格好をしていた。
何しろ、あの馬鹿はこともあろうに下に何も履いてないし、それどころかイチモツに穴を開けて鎖で繋ぎ、先に短剣を付けて振り回していたんだ。
端から見れば頭がおかしいとしか思えないし、実際にイカれているんだろう。
けれども妙な腰の動きで鎖を鞭のようにしならせているせいで、リシルも翻弄されているようだ。
あれが多分、狂犬チリアだな。
違うかもしれないが、可能性は高いだろう。しかし、ここまで関わりたくないと思った相手は久しい。このままリシルが殺してくれれば……とも考えたが実力はチリアの方に分がありそうだし、残念ながら決着もつかなかった。
「なんだ?」
「邪魔が入ったね。無粋なんだから」
両者がその場で距離をとって、そしてその場に鉄の塊のような人型の化け物が突撃してきた。
あれは魔獣じゃない。ドワーフが用意した番人か。確キカイヘイとかいうガーゴイルの一種だ。それが一体二体と増え、チリアはその場から逃げ出していった。得物からして、ありゃあ人間相手を想定したものだろうしな。
さて、であれば代わりに私が混ざろうか。キカイヘイと戦ったことはなかったから、少々楽しみだ。
「助太刀する」
「なんだ、お前は……いや、助かる」
私の登場に驚いたリシルだが、すぐさま状況を察して私には合わせて動き出した。なかなかに融通が利く娘のようだ。
では挑むとするが、このキカイヘイというゴーレムの弱点は鉄の心臓だ。それをコアとして動いているのだから、そこを破壊すれば止めることができるというわけだ。
ともあれ、まずは私は足に大鉈を振るって潰し、それから胸部の装甲を斬り飛ばした。
ぶつかればただでは済まぬであろう鋼鉄の巨体だが、キカイヘイの動きは鈍重だ。私の大鉈はそうした相手をするのに向いている。もっとも今回は花を持たせるつもりだが。
「譲るぞリシル」
「……いただくわ」
おお、見事に突き刺したな。そして鉄の心臓が雷を放って止まったか。話に聞いていた通りのようだ。であれば、他のキカイヘイに対してもやることは変わらない。私がある程度破壊し、リシルが心臓を貫く。それをさらに二度繰り返して戦いは終了した。
「助かった。礼を言う」
戦いを終えた後のリシルは、美味しいところだけ残しておいたのがお気に召さなかったのか多少憮然とはしていたがそれで礼儀を欠くことはなかった。
「お前ひとりでもなんとかはなっただろうがな」
「いや、あのままなら犬野郎に背中を取られていただろう」
「ああ、アレな」
私が視線を向けた先、若干離れた位置にチリアらしい気配があるのは分かっている。
「今出れば殺されるのは分かっているだろう。そういう匂いは分かってるヤツと感じた。それで、あんたは百剣のリシルか。バライア遠征軍を勝利に導いたという」
「懐かしいことを言う。そうさ。蟲憑きのリシルとも言われているけどね」
そう言ってリシルが自分の腕を見せた。それは蟲の魔獣に近く、ヨナの腕にも似ていた。剣を振りやすいように変化したわけか。
「それで、あの根暗はチリアだろう。狂犬の」
「ええ、恐らくは。本人も否定しなかったわ。それであなたは誰? それだけの腕ならば、名の通った戦士だろうと思えたけど」
「デミトリ。デミトリ・ドーガだ」
私の名乗りにリシルが目を細める。
「餓狼か。なるほど、噂に違わぬ剛剣ね」
「ははは、これだけが取り柄だ」
それだけで食ってきたのだからな。
とはいえ、それはリシルも同じだろうが。
「その腕を見込んで、この回廊を抜けるまで協力してくれると助かるが、どうだろう?」
「構わないさ。あの犬野郎もいるしな」
そう言って私が先ほどまでチリアがいたであろう場所へと視線を向けたが、今はもう気配を感じない。どこかへ行ったのか、あるいはこちらに感じさせぬほどに隠密の業に長けているのか。
それにあのイカれ野郎の標的は人の魔獣ではなく俺たち妖混じりのようだ。
それから私とリシルは互いに背を預けながら回廊を戦い抜け、そして外に出たところで別れることとなった。
リシルはなかなかの使い手だし、背を預けられるような相手は久々だった。去り際にリシルも名残惜しそうにはしていたが、それでも何も言わずに去っていった。
そして、私はまたひとりになった。
次に向かう先は城の城下町、今では死都と呼ばれている場所だ。
恐らくはこのラナン封印地においても異質な場所であるだろうし、正直に言って近付きたくもないが、中を通らねば城には辿り着けぬと聞いている。
はてさて、無事に抜けられるものかな。