6. 出会いと別れ
「よお、旦那」
次に私が目覚めたとき、目の前にいたのは一人の男だった。戦士というには貧相な身体つきであったが、けれども油断ならぬ気配がその男からは漂っていた。
「お前……誰だ」
私の問いに、男は「ご同類だよ」と返してきた。
「この時期にここに来るのは、妖混じりか気狂いの信徒ぐらいだろう」
男の言葉に俺は頷く。
好き好んで魔獣の巣のような場所に向かうヤツなぞロクなヤツではないのは当然だ。ともあれ、なぜ私はここにいるんだ? というか、ここはどこだ?
そう思ってキョロキョロと辺りを見回す私に、男が話を続けていく。
「ゴーレム相手にひとりで突っ込むとは無茶をする。それで倒れちまうんだからな。まったく、ここまで担いできた俺の身にもなれよ」
「少々不覚を取ってね。助けられたようだが、何故だ?」
「あん? 倒れてたんだ。そりゃあ、助けるだろう」
「どうかな。金目のものだけとって放っておけばいいだろうに」
善意などを期待するには少々厳しい場所だ。漂う魔獣の臭いを考えれば、この男も妖混じりだ。いわば人の魔獣を取り合う敵も同然。だが、男は少しだけ自嘲気味に笑うと、私の問いに言葉を返してきた。
「まあ、相棒が殺されてな。俺は腕っ節は大したことないから、慌てて逃げてたところに、強そうなあんたがいたってだけさ。だったら、分かるだろ?」
「大したことがない? お前も妖混じりだろう?」
「まあな。けど、ほれ。俺は別に血を浴びたわけじゃねえんだ」
そう言って男が見せた右腕は、蟲のように甲殻で覆われ、薄い毛がびっしりと生えていた。
「昔、噛みつかれてよぉ。そんで成っちまった。まあ、俺みたいな半端者でもそれなりに戦えるようにはなるし、これはこれで便利なんだがそろそろダメっぽくてな」
そう言って男が腕にはめている腕輪を叩いた。なるほどな。大地神の腕輪の力で侵食を抑えているのか。だが、その腕輪では抑制しかできない。むしろ押さえつけている分、進行は早まってしまうものだ。とはいえ、戦士でなき者が妖混じりになったのであれば頼らざるを得ないのも分かる。
「大枚叩いて妖混じりの護衛を相棒として雇って来たんだが、あの馬鹿。とっととくたばりやがった。とんだ役立たずだったってわけだ」
まあ話は分かった。となると……
「つまりボディガードをして欲しいというわけか?」
「察しがいいね兄さん。どうだい? ここじゃあ助け合うことも必要だとは思うんだが……」
「私はひとりで十分だがな」
どう見ても腕に覚えがありそうもない相手だ。足手まといになるのは間違いないが、助けてくれたことに感謝はあるし、この男が寝首をかこうとしてもどうとでもできるだろう。
「だが、まあいいさ。借りはすぐに返す主義でな。デミトリ・ドーガだ。足手まといにならなければ、同行させてやる」
「デミトリ? おいおい、まさか戦狂いの餓狼か。俺は屍体食いのヨナ、ここに来る連中の中じゃあ大した名もない男さ」
屍体喰いのヨナか。その名はたまたまだが聞いたことがある。
名前の由来は本当に人を食っているわけではなく、こいつが死体剥ぎ専門の妖混じりだからだ。自ら戦うことはせず、戦が終わった戦場で金目のものを漁る妖混じり。逃げ足の速さだけは定評がある男だと聞いている。
「いや、お前の名は聞いたことがある」
「ははは、餓狼の旦那に知られてるたぁ嬉しいね。ロクでもない噂なんだとしてもね」
その言葉に私が笑う。確かにロクでもない者だから耳に入ってきたのは事実だ。
「ハァ、けど旦那は他の連中とは違うな」
「他の? 会ったのか?」
「まあ何人か。俺の相棒を殺したのも魔獣じゃない。妖混じりだよ」
「ほぉ、誰だ?」
「多分だが狂犬だよ。手配書の顔そっくりだったからな。あのド腐れ野郎。いきなり襲って相棒を殺しやがった。俺も即座に逃げ出してなけりゃあ、相棒の横で死んでいただろうよ」
「それは厄介なヤツと出会ったな」
妖混じりの中でも随分と頭のおかしいヤツであるとは聞いていたが、ここで同じ妖混じりを殺しているわけか。
「ところで、ここはどこだヨナ?」
壁の間にわずかに開いた穴から差している光を見るに、今はまだ日が昇っている時間帯のようだが、松明の明かりがなければ見えぬほどにはこの部屋の中は暗い。
「トゥーレの街の地下回廊だ。まあ、ここらじゃあ唯一の安全地帯だって話だ」
「地下だというのに安全なのか?」
都市の地下というのは通常、負の念が降りて染み付いている。
魔獣にとっては居心地の良い場所のはずで、人がいるときでもスライムやドロフリザードなどが生息しているときがある。
「まあ、ほらここは石の壁に囲まれて魔獣もこれないし、それにここは王族専用の死体保管所なんだよ」
「死体を置いていた場所か。不浄の溜まり場だな」
私はそう口にしたものの、周囲に邪悪な気配がないことは感じている。
死霊がいればすぐに分かるはずだが、この場はまるで神殿のごとき清浄なる空気に満ちていた。
「王族専用って言ったろ。墓所に移動するまでの一時的な保管所な上に、聖句が部屋全体に刻まれている。見たところ、一度も使用されていないのかもしれない」
「そういうことか。いい場所を見つけたもんだなヨナ」
私の返しに「だろう」とヨナが笑って頷いた。
「ま、魔獣はここには来れねえ、それ以外から寝首さえかかれなければ安全な場所だよ」
そう言ってヨナが苦い顔をする。雇った妖混じりのことと狂犬のことを思い出しているのだろう。だが私も目を覚ました以上、ここでノンビリしているわけにはいかないのだ。今回で時間を余計に消費した分、すぐにでも探索を再開しなければならない。
「そうか。だが私はすぐにでも先へと進みたい。ヨナ、これ以上は遅れてはいられない」
私がそう言って立ち上がると、ヨナも笑いながら入り口の扉の前へと歩いていく。時間がないのはヨナも分かっていたのだろう。いや、私が目覚めるまでずっとヨナは焦りを覚えつつも待っていたはずだ。
だからヨナは少し急かすように扉を開いて外へと向かい、
「じゃあ、ここからは一緒に行こうと……」
ザブンと天井から落ちた何かを被った。
「ああ」
思わず私がうめいた。ヨナが被ったのはスライムだ。
負の想念が形になった魔獣の一種。それがヨナの全身に降り注いだのだ。
おそらくは私を担いでここまで来たときに尾けられていたんだろうが、見事に全身を覆われている。これではもう助からない。
「だ……旦那、オプッ」
そしてヨナが力を振り絞ってスライムの中から顔を出したが、その顔もすぐにスライムに覆い尽くされて飲まれていった。こうなったらもうお終いなの。体内に入ったスライムを除去するのは難しい。内側と外側の双方から喰われていき、そのまま溶かされて消えていく。
「すまないなヨナ。せっかくの共闘だったが、こうなってはな。私は辞退させてもらう。じゃあな」
私はそう返し、壁に掛けてあった松明をすぐさまスライムへと投げるとドアを閉じた。このままスライムが燃え尽きるまで待つしかないが仕方ない。
時間は惜しいが、今はここで休息するとしよう。
それと今後の問題は大鉈と盾だ。ヨナは私を担いで連れてきたものの、私の武器までは持ってきてはいなかった。まあ、ヨナでは私の大鉈の両方を持って移動するのは確かに難しかったのだろう。しかし装備がなければ、この先の戦いは厳しい。
幸いなことに大鉈の位置なら分かっている。霊的に繋がっているというのはこういうときに便利だ。
そして、感覚的にはまだ谷から離れてはいないのだろうと感じている。
やむを得ないな。戻るしかないか。