Chapter3:kiss to you , because kiss to me.
第38話『弥終の跫音』と『風雲の深慮』
大聖堂から少しだけ離れた薄暗い建物でした。舞人は宵闇が街を包む中で蝋燭のような灯りの照明に左頬を照らされながら美しい女性の左隣に腰掛けています。
「でも本当に舞人は空統のことを問い詰めたりしなくてもよかったの?」
あの時に舞人が戸惑わなかったといえばそれはもちろんうそでしょう。すでにこの世界から消失したはずの青年がなぜか目の前に存在していたのですから。舞人としてはさすがに冗談だろという気持ちになりました。「ついに気が狂ったのか星宮? 死者はこの世界にいないはずだろ?」という答えを大湊という名の青年はあの時に返してきましたが、あながちそれも間違ってはいないのかもしれません。
しかし最終的に舞人があの時あの場で感情を抑えたのは、惟花さんが舞人を抑えるように左手を舞人の前に出して、大切なことを忘れさせなかったからでした。
守ってあげるべき立場にある旭法神域の信徒たちや少数派の派閥の人々に余計な不安を煽ってしまってはいけないというのはもちろん、今朝舞人が中庭で再会した少女が全てです。あの時に少女は舞人に“使い道が分からないから”という理由で不思議なネックレスを譲ってくれながらも、“この世界はどんな未来が待っていたとしても聖夜までしかもたないみたいよ”という言葉を残してくれたのです。
本日が12月21日。
つまり今日を含めて残り4日でこの世界は終わりを迎えるということなのです。
惟花さんは舞人からそんな話しを聞き、“今は必要のなんてない争いよりも舞人くんの記憶を取り戻すのが先でしょ?”という考えにいたってくれていたのでしょうが、舞人としてもそんな惟花さんの意見に反対する理由はみつかりませんでした。
「まぁでもなんかよく考えたら問い詰めたほうが良かったのかもね。そもそもぼくたちはあいつらがどこまで本当の事を言っているのかも信じられないんだからさ」
それでも舞人としてはもちろん教会や寺院の派閥への疑いを失ったわけではありません。彼らの提案を受け入れたというよりも断らなかったのが全てでしょう。光の都に訪れた彼らも追い返すことはありませんが、旭法神域のみんなに迷惑さえかけなければ、この街の好きなところにいればいいよという冷めた態度でした。
「それでも自分がどう思うかっていう事よりも惟花やみんながどう思うかって考えるようになれたのなら、舞人もほんの少しだけ大人になれたってことでしょ?」
舞人としてはもちろんこの誰も人が訪れるところなんてみたことのない幽霊の住処のような飲食店を営む女性と密会をしているわけでもありません。数えるほどもいない女性の友人として心を許す彼女には舞人の大切なものを預かってもらっていたのです。もちろんそれは瑠璃奈ちゃんを深いところで信頼しているのはもちろん、この幽霊屋敷の利便性を追及した結果でしたが、いまは“もしかしたらこれからはそれが必要かもしれないからよろしくね?”と告げに来たのでした。
「どうせぼくはあいつらから逃げられないなら踊らせなくちゃ損なだけだよ」
第39話『濁世の星宿』と『微笑の允許』
舞人が料理屋の魔術師のもとへと赴いている時とほどんど同時刻でしょうか?
大聖堂の中でも南西地区の“魔法の間”の廊下を桜雪ちゃんは歩いていました。
そちらの第4階にある図書館には歴史的な建築物のような空気が漂っていましたが、そんな音が忘れられた空間では本と絨毯の匂いが綺麗に踊っていたのです。
こんな時に悠々と図書館で読書に浸れるような人物は1人しか思いつきませんが、どことなくあの銀髪の魔術師のような青年が自らのお兄様に似ているかもしれないと思っていたのも、2人はどこか悪い意味で似ているからでしょうか?
「貴方も無事に探している本はみつかりましたか? こんな時に“芸術や美術の本が置いてあるようなところ”で何を探しているのかはまったくわかりませんが」
「本当はただここで貴女のことを待っていたんですよといったらどうします?」
「それはもちろん貴方はよほど暇な方なんだろうなと思って呆れてしまいますね」
何がそんなに楽しいのかお化け青年はこんな桜雪の素直な発言にも無邪気に笑うと、桜雪が訪れるのを待っていたようにして木の椅子を差し出してくれました。
第40話『韜晦の俯仰』と『夜風の諷意』
桜雪ちゃん的には長く話し込むつもりなんてないので顔を左右に振ります。
でもお化け青年は“まぁそうつれないことはいわず”にという感じで木の椅子を差し出してくれるので、このやり取りを何度も繰り返したくはないと想った桜雪ちゃんが諦念して着席すると青年も安堵したように左側の椅子に座りました。
手に持っている本は読まずに――、
《何か話したいことがあるならどうぞ》
という雰囲気を銀髪の魔術師の青年は出してくれます。
こんな青年の雰囲気が桜雪ちゃんにとってもありがたかったのは事実で――、
「――どうして貴方がこんなところにいるんですか?」
「それはどちらの意味ですか? 私が図書館内にいる意味ですか、それとも――」
「後者の意味です」
「そうですか。やっと貴女もわたくしの存在に気付いてくれましたか。それは嬉しい限りです。――でも気付くのが遅れてしまったからといって、それは決してあなたが無能なわけではありませんよ。私が有能すぎるだけでしょう」
「嫌味な人ですねぇ」
「褒め言葉として受け取らせてもらいます。――でも今回の貴女の質問には、『私にも色々あるんです』としか応えられませんね。舞人様や惟花様にはもちろん迷惑をかけませんのでご心配はなく。本来はあなたとも対立する立場なのかもしれませんが、あなたが舞人様と惟花様に付き従う限りは仲良くやっていけますよ」
「わたくしはいろいろと思い出した。忘却をさせられていた記憶の数々を。それでこの世界の真理にまですでに気付いているといったら――貴方はどうします?」
「感動をします。貴女は神よりも素晴らしい。――でもそれはうそでしょう?」
「もしも全てを思い出していたら用なしの貴方のことは殺していますからね」
「それはご名答だ」
自分の素性を桜雪ちゃんに悟ってもらって青年はよほど嬉しいのかもしれません。でも桜雪だって彼の気持ちがわからないといえばうそになりました。こんな状況で類族とも呼べるだろう存在に出会えて嬉しくないはずはありませんから。
ひとしきり笑うお化け青年も桜雪がそのまま二の句を告がずに好きなだけ笑わせていると――美頬を引き締めました。そしてお互いの《本質》へと切り込んでくれた桜雪への見返りとして自分が所有している会話の鍵も提示してくれます。
「実はなんだか嫌な予感がしているんですよ」
「それはこうしてわたくしと――同じ空気を吸っているからではないですか?」
「確かにそれもありえなくはないですが――もっと広い範囲での嫌な予感です」
「何かの計画を進めていたつもりが、実は誰かの手の中で踊らされていたと?」
「そうかもしれませんし――そうじゃないかもしれません」
「お喋りな癖にははっきりとものをいいませんねぇ」
「あなたの方こそ何か隠し事をしている。なのに私から全てを教えられません」
「――わたくしは何も隠し事なんてしていませんよ。あなたのほうこそ今回のことの発端に何も関わっていないのですか? 疑うなというほうが無理ですけど?」
「私は舞人様と惟花様を苦しめるようなことは望みませんよ。お2人の味方ですから。――むしろ私としてはあなたの後ろにいる存在が怪しいと思っています」
「冗談ですか?」
「冗談ではありませんよ。社交辞令です。でも余計なことはいわないで下さいね?」
「どうしてですか?」
「私が怒られてしまうからです」
「非常に馬鹿馬鹿しいですね。怒られるってわかっているなら、余計なことをいわなければいいでしょう。貴方のようなふざけた態度が余計な対立を生むんです」
「なんと失礼な。少なくとも私は友好的ですよ。貴方の背後にいる存在が何を考えているのかは、私のような立場の人間にはわからないのかもしれませんけどね」
別に青年が意地っ張りな性格にはみえません。柔軟な性格はしているでしょう。
なのにこの事柄に対して意見を変えないということはそういうことです。
桜雪としてももちろん思うところがなかったわけではありませんが、銀髪の魔術師の青年の飄々とした言葉振りには意も削がれてしまい、彼の意見に納得をしたわけではありませんが、あえて争いの流れにも持ち込もうとはしない中で――、
「でもまぁ今はそんなつまらない話しは置いておいてたとしても、貴女が唯一無二の存在として大切にしていた風歌様の話しをぜひしておきたかったんですよ」
「貴方は風歌の何かを知っているんですか?」
「残念ながらまだわたしは何も知りませんが、おそらく貴女は風歌様の事を試しに調べてれみればなぜか何もわからずに、よくよく考えればなぜか彼女との紡いだはずの一部の記憶も欠け落ちてしまっているから――不安なのでしょう?」
「……どうして貴方は――」
「確かに貴女にとって風歌様の命運が気にかかるのは当然ではありますが、風歌様の心配はいりませんよ。舞人様ならもう貴女におっしゃったのだろう通りに風歌様には瑞葉様が付いていますから。それに風歌様があなたに置き手紙で伝えたのはごめんなさいだけではないはずです。“自分の心配はいらないということと、舞人様の守護と、この街の守護”。風歌様が現在のあなたの心中まで想定をしてそれらの言葉を残してくれたのなら――貴女がすることは1つでしょう?」
桜雪にとってもどうしてこの魔術師の青年がこうも風歌ちゃんのことについて知っているのかわかりません。世界が疑いによって染まる前でも疑われてしまうような発言でしょう。でもなぜか今だけは桜雪もこの銀髪の魔術師の青年には疑いの目を向けられません。彼が本当にただの兄のようなお人よしだからでしょうか?
第41話『充溢の躍動』と『迂曲の燃犀』
お父さんとお母さんの交友関係が広いおかげで冬音ちゃんは、自分が何かしら困ってしまっている時に助けてくれる少女たちが一国のお姫様のようにいました。
大聖堂の中を歩いているだけでも、「冬音ちゃ~ん!」や「冬ちゃ~ん!」や「冬姉~!」と元気に挨拶をしてもらえて、みんなたくさん優しくしてくれます。
冬音ちゃんも冬音ちゃんで挨拶をしてくれたみんなに律儀に話し返し、さらには大好きなお喋りを自分からもしていくので、いつも隣にいる智夏ちゃんが――、
「これじゃあいつになっても目的地につかないじゃないの~~~!」
と悲鳴をあげるのも珍しく正論でした。
そしてそんな冬音ちゃんの面倒を両親以外でよくみてくれたのは――、
舞人の妹である桜雪ちゃんと、瑞葉くんの妹である風歌ちゃんでしょうか?
お馬鹿さんだった人形姉妹にも桜雪ちゃんたちは舞人と惟花さん並みに根気よく接してくれたので、冬音ちゃんと智夏ちゃんにも愛情は伝わっていました。
……でもあの不思議な恐い人たちがいる中で、瑞葉お兄ちゃんや風歌お姉ちゃんや――お化けのような奈季くんだって本当になんともないんでしょうか……。
……なんだかとても不安なような気がします……。
冬音ちゃんとしては瑞葉くんや奈季くんも何か想うからこそ昨日のようなことになったと理解しているので2人に怒っているわけでもありませんが、そんな2人や風歌ちゃんのことはもちろん、まだあまり知らない月葉ちゃんのこともなんだか心配なので、こんな水晶のように綺麗な感情を抱いていたのでしょうが――、
「大丈夫ですよ冬音ちゃん。そもそも瑞葉くんや奈季くんはこんな状況でも問題ありませんから。それに奈季くんの傍にいるなら月葉ちゃんも問題はなく、普段はお馬鹿な事ばかりやっている瑞葉くんもいざという時は頼りになるでしょう?」
英才で信服する桜雪ちゃんにこう言明してもらえればなんだか安心できました。
時計の針はまだ午後9時前後なのでさほど眠気に襲われるわけでもありません。
だから冬音ちゃんもまだこうしてお布団の中には入っていなかったのですが、急に頭の中にもたげてしまっていた心配事が消えると絵本を読むことにしました。
冬音ちゃんは世界で一番尊敬する舞人から――、
『本は速く読んだりせずに、ほかの人に内容を語れるぐらいに、じっくりと読む』
と教わっていたので決して飛ばし読みをしたりはせずに丁寧に読んでいきます。
読めない文字はさすがにありませんが時たま出てくる絵本の中の光景で「???」と思う部分は桜雪ちゃんに尋ね、しっかりと理解を深めていきました。
そして時間をかけて絵本を読んだ桜雪ちゃんは涙を流します。感動したのです。
「桜雪ちゃん。『おっちょこちょいなサンタクロース』はとても感動的です。サンタクロースのお兄さんの子供たちに夢を届けようとする熱意と、それを支えるサンタクロースの美人なお姉さん、そしてクリスマスを壊そうとしている『可愛そうな王様』のやり取りがとても素敵です。――わたしも将来はサンタクロースになろうと思いました。とりあえずロザリアにお願いをして、サンタクロースのなり方を教えてもらいます。そしてわたしもみんなに優しい夢を届けてあげます!」
「そうですか。それは偉いですね冬音ちゃん? 冬音ちゃんがサンタクロースになってくれたら喜ぶ子供たちがたくさんいてくれるはずですよ? でもサンタクロースになったからって、美人なお姉さんに出会えるとは限りませんからね?」
「! それはどうしてですか桜雪ちゃん!? この絵本はうそつきなんですか?」
「うそつきではありませんけど――サンタクロースさんだってたくさんいますから、中には舞人くんみたいな男の子のサンタさんもいるよということです」
「……そうでした。確かにそれは桜雪ちゃんの言うとおりです。でもわたしはそれぐらいでは諦めませんよ桜雪ちゃん! クリスマスプレゼントを楽しみにしてくれている子供たちがどこかにいるなら、わたしはサンタクロースになります!」
これには舞人も涙してしまうでしょう。
あの冬音ちゃんがサンタクロースという立派な職種に就こうというのですから。
どうやら冬音ちゃんにとっての鹿さん役はあの犬さんが担ってくれるようです。
一緒に絵本を読んでいた彼女も冬音ちゃんと同じく感動をしたらしく、まるで鹿さんになったように冬音ちゃんと一緒に走り回っていましたから。彼女は冬音ちゃんから、太陽の匂いがするから「お日様ちゃん!」と名付けられていました。
でもこんな冬音ちゃんなので、あと4日で世界が滅ぶといわれても、いまいちぴんっと来ないのです。クリスマスをみんなと過ごすことだけで頭は一杯でした。
あの《負鳴る者たち》が大変な存在だという事はさすがに理解できていますが、お父様とお母様ならなんとかしてくれるだろうと冬音ちゃんは考えていたのです。
第42話『霏霏の恋心』と『霄壤の清歌』
大聖堂の北西部。そこに龍人や歌い子のための演舞の間はありました。
演舞の間の第4階部分には龍人や歌い子のための会議室があって、第3階部分には“武器貯蔵庫”や龍人や歌い子が鍛錬を積むための“騎士の間”や“歌人の間”、第2階部分には龍人や歌い子が団欒をするための“祝福の広間”や“食堂”があり、第1階部分には、許可さえ取ればどんな利用方法もしてもいい“憩いの間”でした。
そんな演舞の間の第2階部分の南東にある“祝福の間のブライダルベール”というところには、合計で300名近くの人を入れることができたのでしょうか?
現在時刻は午後9時近くでした。
本来ならテーブルの7分の1も埋まっていないでしょう。
それでもあくまでも今回はこのような状況なので残ってもらっていたのです。
旭法神域が現有する龍人と歌い子が合計で4500名ほどでしたので、“ブライダルベール”にはその15分の1ほどの戦力が顔を揃えてくれていました。
でもそれ以外の龍人や歌い子には演舞の間での待機を夜間は舞人も強いません。
自宅で休養を取るようにと直接思いを伝えていたのです。もしも何かあった場合は舞人が時間稼ぎをするので、戦闘待機状態でもなく完全な休養の願いでした。
「本当にいいの舞人?」
という拍子抜けと嬉しさがある感じでみんなは問いかけてくれましたが――、
「クリスマスが近いんだもん。みんなにだっていろいろあるでしょ?」
数千人の信徒たちにも舞人がお節介を焼くと彼らは感謝をしてくれます。
「やっぱり舞人って最高!」という唱和もみんなの中から溢れ出てきました。
舞人が自作してみんなに教えていた賛歌も、ほぼ全員が歌詞を間違えているという奇跡を起こしながらも、とりあえずリズムに釣られて歌ってもらえました。
そして舞人は爽やかに微笑みながらも、自分にとっては愛弟子のような存在の奏大くんと一緒に万が一のことが彼らにないように見送ってあげると、みんなが待ってくれている“ブライダルベール”へと2人で舞い戻っていきます。
第43話『懈怠の眠気』と『黄昏の飛電』
舞人が奏大くんと出会ったのは舞人が10歳前後の桜が咲く頃でしょうか?
その時は将来的にも旭法神域の中枢部を形成することになった舞人や瑞葉くんや奈季くんが運命的な出会いを果たしてから、ちょうど数年ほど立った頃でした。
そんなある晴れた昼下がりに舞人は惟花さんから勉強を教わっていたのです。
桜雪ちゃんと風歌ちゃんは2人で市内へと出かけていたので姿がありません。
風歌ちゃんと桜雪ちゃんがお出かけするとまず舞人はお昼寝をしましたが、お昼寝から目を覚ますと、惟花さんは舞人に林檎ジュースを渡してくれながら――、
『ねぇねぇ舞人くん? 桜雪ちゃんや風歌ちゃんが帰ってきてくれるまでには、まだ少しだけ時間があるだろうしさ――その前に少しだけお勉強をしようか?』
黒髪を撫でながらこう提案されると舞人は寝ぼけていたので頷きました。
本日のお昼ご飯として山ほどある焼きたてのメロンパンを食べた舞人は――、
「今日はぼくはお昼寝をするからさ、うんち臭い奈季はどこかで遊んでこいよ」
とあらかじめ奈季くんに遊ぶのを断っていました。
でも奈季くんは舞人がお昼寝から起きた頃合を見計らって姿をみせたのです。
普段の舞人なら――、
「うわぁ。お前ぼく以外に遊ぶ人いないのかよ。寂しいやつだなぁ」
と煽りますが、今は右手にハリセンを持った惟花さんに勉強を教わっています。
声帯は動かさずに瞳だけ動かしました。
「なんだよ舞人。今度は惟花に勉強を教わってたのか。じゃあ仕方ないな。お前は馬鹿なんだから、惟花にちゃんと勉強を教われよ。――終わるまで待つからさ」
なんてことを無駄に上から目線でいい、絨緞の上へとあぐらをかいた奈季くんは、舞人が惟花さんから勉強を教わっていたことを絶対にすでに知っていました。
だからこそ彼は、これ以上ないほどにわざとらしく携帯ゲーム機を弄りながら、おやつとしてプリンまで、わざと舞人に目が入る位置で食べているのでしょう。
奈季くんは舞人にちょっかいを出さないと死んでしまう病のようでした。
……あいつこの勉強が終わったら絶対にあのセーブデータ消してやる……!
奈季くんに大きな義憤を感じた舞人が拳を震わせながら思っていると――、
『じゃあこの漢字さんはなんて読むかわかるのかな舞人くん?』
奈季くんのほうばかりみている視線をローテーブルの上へと戻され、罪なき漢字ドリルへと鋭い視線を飛ばした舞人の瞳に、「金魚」という二文字が映ります。
もう少しで勉強が終わりだったこともあり、珍しく舞人も一生懸命に考えて、「金魚?」と首を傾げながらいってみたら、奈季くんは爆笑をしてきたのでした。
今までの苛立ちが熟成した左ストレートを奈季くんへとぶち込んでやろうとすると、新たに部屋に入って来た馬鹿三銃士の最後の砦の瑞葉くんに止められます。
第44話『黙諾の胸奥』と『喃語の陶酔』
どうやら瑞葉くんは舞人に用事があって、部屋を訪れてくれたようですが――、
《教会の管理区である静岡県で心配な事が起きている。中規模の宗派だった七翼教会の温厚な司教がまるで善導を嘲笑い始めたように虐殺や迫害の噂がある》
という情報が入ったことを教えてくれました。
もしかしたら旭法神域にとっても心強い援助者になってくれるかもしれないと思っていた人物のことに、さすがの瑞葉くんも驚いているようなので舞人は――、
「ふぅん。じゃあぼくがそこにいって詳しいことを調べてきてあげようか?」
と瑞葉くんの思いを推察してあげました。
白き血が流れる舞人は武勇に秀でたのはもちろん索敵からの逃亡にも長けていたので、瑞葉くんのために忍者になってあげることは舞人のお仕事だったのです。
心優しい瑞葉くんだからこそ舞人に危ない橋を渡らせてしまう時はいつも不安げですが、舞人はとても大切に想っている友人の瑞葉くんの右肩を元気よく叩いてあげると、明日早速静岡県へと向かうことにしたので、とりあえずは必要な物を準備したあとに、いつもとは変わらぬ様子で普段通りの夕食を取ったあと――、
「お兄様。お兄様」
「???」
「何が起こるかわかりませんからは気をつけてくださいね? 過信だけは禁物ですよ? お兄様には白い血が流れていても、相手はもっとすごいかもしれませんし」
不遜な態度なんていっさいみられずに現在の冬音ちゃんのように舞人を愛慕してくれている桜雪ちゃんが、まるでお姉さんのような様子で注意してくれました。
微笑ましくなった舞人が柔らかい表情で頷いてあげると、《静岡県》という場所がどんな風に危険なのかということを、桜雪ちゃんは熱心に説明してくれます。
初めは舞人も真剣に聞きますが、舞人にはあまりにも小難しい話しすぎて、こくこくとする中で、誰かが舞人のおでこへとスーパーボールをぶつけてきました。
「!!!」
いったい何が起こったのかと舞人が目を点にする中で、俯く奈季くんが声を出さずに笑っていると、瑞葉くんと風歌ちゃんが舞人たちの部屋へと姿をみせます。
そしてそんな中で風歌ちゃんは――、
「……あの舞人くん? ……もしもよかったらなんですけど――」
「うわぁ。ありがとう、風歌。めちゃくちゃ嬉しいなぁ。これってお守り?」
舞人の顔に向日葵が咲きました。
風歌ちゃんがお守りをくれたのです。
小さな宝石でした。南国の海のように透明感のある、青色の宝石です。
誕生日プレゼントをもらった子供のように舞人が感謝をすると、喜んで受け取ってもらえるか不安そうだった風歌ちゃんにも、同じく笑顔が咲いてくれました。
そんな中で彼女の兄上である瑞葉くんは絨緞に落ちていたゴム玉を拾い――、
「はいっ。僕からもお守り奈季くん」
とふざけると――、
「どこからどうみてもスーパーボールじゃねえか。ふざけんなよ瑞葉」
奈季くんが瑞葉くんに投げ返すのをみて――舞人も「!」になりました。
「お前こそふざけんな屑! さっきぼくにスーパーボールぶつけてきただろ!?」
怒りを爆発させた舞人は奈季くんへとスーパーボールを投げ返しました。
そんな舞人に応じて奈季くんも投げ返してきます。
一番損な役割は両者の間にいるだけで無実に迎撃される瑞葉くんでしょう。
そして翌朝舞人は現在のように大聖堂が光の都へと出来る前に本拠地としていた旧魔法学校の出口まで見送ってくれたみんなと元気よくお別れをしたのでした。
第45話『戦塵の秘史』と『稠密の慊焉』
数ヶ月前から御前崎市周辺で行方がわからなくなる人々が現われ始めて、それが最終的には静岡県全域で確認され、最近に至っては御前崎市内を中心に活動している七翼教会が抱える信徒内で虐殺が起きているという噂まであるとしても、七翼教会全体で隠しているためかそんな情報は外部にまでは漏れていないようでしたが、数万人近くの人々を情報統制すれば自然とわずかな綻びは出てしまいます。
でも瑞葉くんにとってこのような流布を収集してくれている人々の役割はここまでで、これからの役割は舞人と惟花さんがしてあげることとなるのでしょう。
曇り空の中でみた御前崎市はどことなくですが陰鬱な空気に染まっていました。
舞人と惟花さんの足も水路上の架け橋の前でぴたりっと止まってしまいます。
『……なにこれ、惟花。……この先だけこっちの世界とは隔離されているの?』
『やっぱり舞人くんもそう感じる? わたしも同じことを思ったんだけどさ』
『……でも今回の事を教えてくれた紅乃からはそんなこと聞いてないんでしょ?』
御前崎市の情報がなぜか漏れてこないとは聞いていましたがその理由はわからなかったはずです。ではこの空気が外部からの干渉を遮っているのでしょうか?
舞人と惟花さんだけ気付けた理由も謎ですが、そもそも2人は特別な存在です。
それでも何はともあれ御前崎市は危険に満ちていることを承知したので――、
「仕方がない。じゃあとりあえず様子をみてきてよ惟花。ぼくは外で待ってるね」
エージェント舞人は恥も外聞もなく敵前逃亡を行いました。
根性なしの鏡でしょう。
まったく悔しくなさそうに足を返した舞人の左手を惟花さんは掴むと――、
『もうっ。ダメだよ、舞人くん。舞人くんも一緒に行くに決まってるでしょ?』
力でかなわないとわかっている舞人は駄々をこねるという戦法をしますが――、
『もうわかった。そういうわがままな舞人くんにはね夕御飯、お魚だけにしちゃうからね? 舞人くんは大人だからお魚の骨さんも自分で取れるんでしょ?』
まるで閻魔のような脅しに舞人は借りてきた猫のように大人しくなりました。
御前崎市に入る時はさすがに何か反応があるかと思います。
しかし橋を渡りきって御前崎市内に足を踏み入れてみても何も起こりません。
血生臭い香りではなく優しい海の香りが街中を包んで、雰囲気も荒涼的ではなく活気的で、石造りの平屋にはカモメの鳴き声や人々の笑い声が反響しています。
ゆっくりと時間が流れているなぁという感想を舞人は抱いてしまいました。
ちなみにですが七翼教会が主な収入としていたのは鉱石です。
太平洋に謎の水中都市が眠っているのは、舞人でも知っているような有名な話しでしたが、その水中都市が“幻石”と呼ばれる特殊な材質で造られていたのです。
でも当時の舞人は幻石という単語から、奈季くんに“幻石の偽者”を掴まされ、お小遣いを失ったことを思い出し、唇を噛んでいると――、
「!」
手を繋いでいる惟花さんまでもなぜか表情を少しだけ険しくしていました。
惟花さんが眼差しを送っているのは視界内の何処かではありません。
御前崎市内全体に第六感を廻らせてこのような表情をしているのでしょうか?
あくまでも瞳の中に映る光景だけでいえばなんともない街並みをみても――、
『――ねっ? だから大丈夫だよっていったでしょ、舞人くん?』
と笑いかけてくれないということはつまりそういうことなのでしょうから。
惟花さんは大切な舞人のことを心配してか足がここで止まってしまうので――、
「――大丈夫だよ惟花。ぼくと惟花なら問題ない。だから一緒にいこう?」
今度は舞人のほうから手を引いてあげると、最初は驚きの色に染まった惟花さんもすぐに頬を緩めてくれました。成長をしている舞人の一面を喜ぶようにです。
まず惟花さんは《市内の散策》を第一に提案してくれたので舞人も頷きました。
幻石の加工品が提示してある美術館や、飲食店や雑貨屋が並んでいる大通りや、市民の居住区や、図書館や聖堂や、街の外れにある公園に足を進めていきます。
こうして御前崎市内のありのままを肌で感じてみた舞人の感想としては――、
「う~ん。空気はどうあれさ、やっぱりみんなの生活はすごく普通じゃない?」
手の平で雲を掴むような感覚に舞人と惟花さんは首を傾げてしまいました。
でも首を傾げたところで天命に導かれるわけでもありません。
日課のお昼寝が出来ずに眠たげな舞人を惟花さんは不憫に思ったのか――、
『でもまぁとりあえずは、紅乃ちゃんが予約をしておいてくれた民宿で少し休もうか? それでまた人が多くなる夕方頃にもう一回街中を見て回ってみよう?』
と提案をしてくれたので舞人は下がっていたまぶたを跳ね上げて頷きました。
第46話『密密の賦活』と『背理の笑壷』
精神的に幼い舞人は惟花さんとお話しするだけで地図なんてみないので、惟花さんが地図担当になって今晩から自分たちがお邪魔する民宿をみつけてくれます。
舞人たちがこれから泊まる部屋は《洋室》ではなく《和室》のようでした。
舞人は畳というものにあまり接する機会がないので瞳を燦々と輝かせます。
舞人はそのまま30分ほど夢の世界へとお邪魔してしまったのでしょうか?
それから舞人と惟花さんは夕陽が顔を出し始めた頃に民宿から出ると、再び御前崎市内の街中へと繰り出して、今度は夕方時の様子を見聞することにします。
つい数時間前もうろちょろをして今回も何も買わないのは不自然なので、飲食店ではクレープを購入して、雑貨屋さんではみんなへのお土産を探しました。
桜雪ちゃんと風歌ちゃんには幻石の部分的な使用が特別に認められているアクセサリーをみつけて、奈季くんには迷わずに“ご当地のヤドカリキーホルダー”をいつも通りに買ってあげて、瑞葉くんには『恐竜の卵』を贈ることにします。
もちろん卵の中には《恐竜の玩具》が入っているだけですが、舞人は――、
「えぇ!? これって恐竜の赤ちゃんが入ってるの!? すげぇ!? こんなの買ってあげたら瑞葉大喜びじゃん! 恐竜ってこの世界にいたんだね、惟花!?」
馬鹿としかいえない勘違いをして1人で声を興奮させていました。
真実を知る惟花さんも野暮なことはいわないで――、
『どんな恐竜さんが生まれるかはわからないけどさ舞人くんも欲しい?』
と尋ねてくれたので、頭が吹き飛んでしまうほどの勢いで、舞人は頷くと――、
「――恐竜バトルをするからさ、奈季の分も買ってあげていいでしょ、惟花?」
戦闘狂のような一面ばかりある舞人は奈季くんの分も購入してあげました。
まぁこんな調子で舞人たちは学生や買い物中の主婦が多い御前崎市の大通りや居住区や、図書館や美術館や、日本海を望める公園を再び見て回ったのです。
しかし「!」と感じるような出来事にはやはり遭遇することができません。
最後に舞人たちは市内の中心部に位置する《聖堂》に顔を出そうとしました。
橙色に燃える富士山を左方向の視界に入れながら、舞人と惟花さんが郷愁的な感情でいると――ついに白き血が唸りをあげます。不穏な気配を察したようにして。
第47話『無惨の蔑視』と『鬼門の枢要』
御前崎市に満ちている墓所のような雰囲気。
そんな街の厄病の首根っこを掴めるまさにこの瞬間を渇望し続けていたのです。
舞人は惟花さんを伴ったまま街中を駆け抜けると、外観からは不審な様子のみられない一軒の民家をみつけて、そこの屋根の上へと音もなく飛翔していきます。
この状態ではこの民家の中で何が起こっているのかもわからないので、舞人は屋根の中央付近から白き刀を突き刺して、建物の内部へと五感を差し出しました。
建物内の状況を視認した時から舞人は心理的な悪夢に殺されてしまいます。
どうやら建物の中では食人が行われていたようでした。
瀕死状態で生き悶えている数十の人間とたった1人の《人食い》です。
人肉を噛み千切るときの独特の音や、人の脳を噛み切ったあとに口内に残る美醜なる感覚、さらには紅唇を濡らす鮮血の味が、舞人の脳裏へと鮮明に映ります。
食べたものを全て嘔吐してしまった舞人は白き刀まで落としてしまいました。
白き刀は鋭い音を立てて建物の床へと落下してしまいます。
赤黒い血肉と臓腑で口許を染めている食人鬼の瞳が天井を向いた瞬間には――、
「……!」
舞人を左腕で抱いたまま惟花さんが屋根を打ち壊していました。
空想でもみているような速さで食人者へと右手の白き槍の軌跡を衝突させます。
しかし化け物は美貌が半分ほど欠けている少女を壁にして攻撃を防いできます。
最悪でした。
図らずも惟花さんはまだ生命が残る少女の体を真っ二つにしてしまったのです。
今まで人間だった少女の返り血で舞人と惟花さんは全身を抱擁されました。
食人鬼は喜びの大波で心が犯されたようににやりと笑います。
そして彼は舞人たちに出来た一瞬の隙のうちに背中を向けてしまうと――、
「『!』」
原始的としか表現できないような四足歩行でそのまま何処かへと逃亡しました。
惟花さんもここで追いかけられないわけではないのでしょうが一歩が出ません。
赤く染まった白き槍をみて心に矢でも刺さったような表情をしていたのです。
直接的な原因は惟花さんになくても少女の息の根を止めたのは事実でした。
いい気持ちはしないでしょう。
それでも冷静さが心に眠る惟花さんは残りの人々を救おうとしましたが――、
「『!』」
人食いが消えたあとの彼らは苦悶をしながら血反吐を吐いて死に絶えます。
もう全てが遅かったということなのでしょう。
第48話『断想の鬱々』と『瀰漫の志操』
民宿の中へと戻っても舞人は先ほどのように畳の上に横になったりはしません。
惟花さんに手を引かれここまで帰っても無機質に立ち竦むだけなのです。
黒いストッキングで畳を踏む惟花さんは舞人のことをまずは座布団の上へと座らせてくれると、すぐ前に並べてある座布団へと自分も座ってくれました。
『……なんていうかごめんね、舞人くん? ……もしもわたしが最初から気をつけていれば、舞人くんに嫌な思いをさせることもなかったはずなのにさ? わたしが注意不足だったせいで、舞人くんには嫌な思いをさせちゃったよね……?』
舞人は顔を左右に振ります。舞人のほうこそ惟花さんには申し訳なさを感じていたからです。自分のせいで惟花さんの手をあんな風に煩わせてしまったのはもちろん、舞人があの時に白き刀を落とさなければあの場の人々を救ってあげることも不可能ではなく、惟花さんに悲しみを背負わせることもなかったのかもしれません。
「……ぼくのほうこそごめんなさい。惟花に嫌な想いをさせちゃったでしょ?」
こうして舞人が素直に謝ると舞人の落ち込みを気にかけていたらしい惟花さんは偽りなんてみえない優しさで舞人を抱き寄せてくれながらも、もう舞人もこの時となっては何も知らずにこの街から帰れないと心の深奥で思い始めていました。
第49話『聡慧の薫染』と『魑魅の霊域』
人食い鬼の気配がどこに逃げたのかということは舞人の白き血もある程度は知っていましたが、“せっかくならみんなが寝静まった頃にまた動いてみたほうがいいんじゃないのかな?”という薫染なる助言を惟花さんは与えてくれたので、あくまでも大胆な行動はよろしくないと理解する舞人は惟花さんの思いに従いました。
舞人と惟花さんが民宿の窓を飛び出したのは、髪が揺れるような春の寒風が吹いていて月明かりが地上の夜桜を煌かせている、午前零時頃だったでしょうか?
4足歩行の化け物は街の大聖堂内に入ったきり息を潜め続けていたのです。
白き血のベールによって自分たちの存在を懸隔していた舞人と惟花さんは、御前崎市内の中心部にある大聖堂にも自然と到着することができました。
この大聖堂は第1階部分が礼拝堂的な役割をしているのに対し、地下1階から地下3階までは七翼教会の政務者や龍人や歌い子の《居住地》であるようでした。
七翼教会の聖堂内の地図は瑞葉くんから渡されています。
でも路地へと足音を落としているだけでも不審な人物と見紛われてしまうような深夜帯ではさすがに聖堂内も開放されていないので不法侵入するしかありません。
舞人が大聖堂の扉へと触れていくと暗号としか思えない数字や文字の羅列が白き血の中に収集されていき、白き血も白き血でそれらの分析をそのまま始めました。
そして“数秒間は白き血の感知に目を瞑る”ようにと幾千の命令内に加えます。
結界を消失させてしまえば訝しがられるでしょうが、幾千もある結界内の命令にこんな1つの情報を数秒間だけ生み出しても、即座に怪訝は呼ばないでしょう
第50話『悠揚の抱懐』と『傀儡の熾火』
七翼教会の大聖堂の第1階部分には彼らが信仰する神を祭祀するための純白の祭壇が最奥にみえ、建物を支える柱や長椅子は建物の中心部に集まっていました。
聖堂の門扉を通り抜けたあとに舞人たちは大聖堂内の寂寞な空気に溶け込んでその姿を掻き消してしまう中で、聖堂内の壁沿いには5つの炎が漂っています。
手にランタンを持った信徒たちが内部の見回りをしているのかもしれません。
いくら姿と気配を隠していてもあまりにも近づかれてしまえばボロは出ます。
舞人と惟花さんは音もないままに長椅子が密集しているほうへと歩みました。
自分の心音と巡回者たちの足音が大きくなるのを感じながら息を潜め続けます。
それでも特に何も起こったりする事はなく今まで通りに炎は流れていきました。
『……何あれ惟花。どうしてあの人たちはさ、メリーゴーランドみたいに壁の近くを歩いているのかな? 前の人との距離が詰まったり離れたりしてないよね?』
『……そうだねぇ。あんなに規則的ってなると、少し不思議な感じがするよね?』
まるで何らかの儀式でもしているように炎の動きは一定なのでした。
地下へと繋がる扉は炎が廻っている聖堂内の北西部と北東部にあるようです。
そちらに目を向けるとそれぞれの扉で2人の守護者が舞人の瞳を侵犯しました。
彼らは一定周期で内部を見回る巡回者とは違って完全なる番人のようです。
『……でも困ったねぇ惟花。地下に繋がる扉の前には石像さんが2人もいるよ?』
『う~ん。確かにどうしようね? 変に舞人くんの力を使って、あそこをどいてもらっても、あの扉の前の番人さんたちには気付かれちゃうかもしれないし――』
舞人の右手を優しく温めてくれている惟花さんは、視界内に入っている周囲の状況を改めて捉え直してから、わずかに黙考をして、こう結論付けてくれました。
「「……」」
巡回者たちが至純の守護者として壁沿いを歩き続ける中で、舞人たちの左斜め前にみえていた巡回者のランタンの蝋燭が神の息吹に吹かれたように消えたのです。
もともと寿命が近かった蝋燭を誤差の範囲で舞人たちが早く消したのでした。
これまでは渦のように回っていた橙色の炎も自然と静止します。
扉の守護者たちも蝋燭の命を消したランタンの主へと視線をぶつけました。
光りを失った青年はローブのフードで覆われた顔を申し訳なさそうに下げながらも一度歩行通路の内側へと入ってほかの巡回者の周回の邪魔立てを防ぐと、ローブのポケットへと入れておいた予備の蝋燭を手にして新たな生命を与えます。
でも今の舞人と惟花さんにとってはそんな情報ももうあまり価値がありません。
2人とも長椅子の場からすでに離れ、目的の扉の中へと入っていたのですから。
地下への扉の守護者たちが例の角灯の主を視線で撫でた―――その瞬間でした。
彼らの間に自然と現われた“虚なる一瞬”を狙って、氷のように冷たい石床の上を飛ぶように瞬間移動し、扉の守護者たちの間も疾風のように通り抜けたのは。
舞人と惟花さんはすぐ後ろにある扉に背中をつけたまま安堵の吐息を漏らすと、大聖堂の心臓部へと繋がる階段を姿と気配を透明化させたまま下っていきました。
薄暗き地下内でもどこにどんな部屋があるのかということは瑞葉くんの地図のおかげで把握できていましたが、実際にその部屋で何が行われているのかは不透明です。《龍人と歌い子の憩いの間》で悪事が練られている可能性もありますから。
でもそれぞれの部屋の中の様子は、舞人の“白き血の力”を間接的に譲り受けている惟花さんが石壁に右手を触れさせてくれれば外側からでも掌握できました。
こうして舞人たちがいつしか巡回者たちの足音も背景音の一種として聞こえるようになった頃には、地下1階と2階にある《龍人や歌い子のための空間》も調べ終わり、続けて重役者たちの居住地でもある地下3階へと向かい、《歴史の広間》と呼ばれる、世界中の知識を秘める本たちが保管された資料室を覗いた時でしょうか?
第51話『扞格の鼓吹』と『霧消の節奏』
『――少しあれをみてみて舞人くん。とても不思議な宝石さんがみえるでしょ?』
歴史の間と呼ばれているほどなのですから、この世界に現存する偉大なる知識の大半は入手できるようですが、部屋の大きさはそれほどのものではありません。
20畳ほどでしょうか?
でもそんな歴史の間の中に明らかに歴史を逸した赤き宝石が息していたのです。
何の支えもなく宙に浮遊しているそれは大きさとしては人の心臓ほどで、歴史の間の中では唯一の光りの源となっていて、本や絨毯を赤く濡らしていました。
『確かにあれは不思議な宝石だね。あの宝石は間違いなく生きているよ惟花』
『――じゃあ何か特別な魔法が隠れて眠っているよってことなのかな?』
ここでもしも舞人たちがあの“赤き宝石”の全容を調べようと直接触れたりすれば、今までの幽霊ごっこも全てが水の泡になってしまうと考えるべきでしょうが、よくよく考えてみればすでに舞人たちもあの宝石とは目が合っていました。
こうなっては積極的に行動するのが惟花さんのスタイルのようです。
舞人と惟花さんはもしもの際に遅れを取らないようにと、《今まで建物内に残した足跡を一瞬で辿り地上へと戻れる魔法陣》を用意したあと、行動を開始します。
『うわぁ。あいつずっとこっちみてるよ。早く惟花が確かめてさ、外に出ようよ』
『もう。わかったからわたしの後ろに隠れたりしなくても大丈夫だよ、舞人くん』
『ビリってなれ。惟花があれに触ったら、ビリって静電気が惟花の右手に入れ』
『――わたしにビリってなったらね、舞人くんだってビリってなるんだからね?』
『……離してよ惟花! ぼくの右手を離して! 一生のお願いだから離してよ!』
未知の存在にえらい勢いでびびる舞人が駄々をこねる中で、惟花さんは舞人の右手をぎゅっと握ってきたまま、自分の右手を赤き宝石へと触れさせていきます。
どうやら惟花さんには恐いものなんてないのかもしれません。
……そもそも惟花がお化けだしなぁ……。
なんて失礼なことを舞人が思っていると、赤き宝石は微笑みを披露しました。
惟花さんから一方的に情報を搾取されても彼からは恨み言がありません。
それどころか舞人たちとの交流を逆に歓迎しているようにさえも思えました。
自分たちの目の前で光る“赤き宝石”は本当に何者なんでしょう?
このまま時間さえあれば、“赤き宝石”の情報も惟花さんなら把握できるはずでしたが、舞人たちのそのような行動を忌み笑う存在もこの地下内にはいました。
「「……!」」
大人しく舞人が惟花さんのことを待っている中でなぜか少し真剣な瞳をした瞬間に、直下から大規模な爆発が起こったような衝撃と轟音が襲い掛かってきます。
鼓膜が割れるような衝撃と轟音の中で本棚の本は落下していく中で、舞人は惟花さんのことを庇ってあげるように、惟花さんを押し倒して絨毯へと倒れました。
……こんな震動に襲われたら大聖堂全体も壊れ始めているんだろうなぁ……と、どこか舞人は他人事に思ってしまいましたが――これは完全に予想外でした。
まさか建物が崩壊するとは思っていなかったので、脱出計画も狂います。
すでに姿を消す余裕さえもなく、いたるところで蝋燭の焔で扉が燃え始め、天井は崩れ落ちる中で舞人は惟花さんの手を取りながら、一心不乱に駆けました。
それでも巡回者たちはこのような状況でも与えられていた職務に忠実で、舞人と惟花さんの行く手を防ぐように漆黒のローブの少女が現われてきます。
雷撃を纏わせた杖を携える彼女が視界のあらゆるところへと雷撃を這わせてくる中で、先に石床を蹴った舞人は惟花さんを右腕で抱えながら飛翔すると、舞人と惟花さんを狙って放たれてきた“雷撃の波動”を純白の刀をぶつけて相殺します。
そのまま少女は衝撃で吹き飛ばされましたが、舞人は自然の摂理で足元が雷撃の床へと落ちてしまう前に左手に握っている白き刀を身代わりに差し出しました。
網膜まで黄色くにじんでしまうような電撃が舞人の左腕へと集中します。
これで左腕の機能は一時的に衰退しましたが両足を失うことにはなりません。
雷撃が消え去った廊下に着地をした舞人が惟花さんを抱えたまま足音を響かせていくと、ここにきて始めて舞人たちの前に行き止まりが登場してしまいました。
なりふり構わずに舞人はその鉄扉へと先ほど吸収した電撃を打ち込みます。
趨向を揺るがせるような大爆発と轟音が轟き渡りました。
爆発の余波によって黒髪とコートを揺らしながら部屋の中へと侵入します。
薄暗い部屋でした。壁や天井に吊るされている蝋燭だけが唯一の光源です。地下の崩壊がまるで幻のようにしんっとしている空間でした。床や壁はまだ温かい人間の血肉で汚染されています。独特の臭気が舞人の身体へと溶接しました。
下呂を吐いてしまわなかったのは幸いだったかもしれません。
やっぱりなぁというのがありのままの感想でした。
司教が監禁されている事に望みを託していましたが、それは夢物語のようです。
彼自身が主導者になって、御前崎市を悪夢で包み込もうとしていたのですから。
第52話『漸次の照破』と『緋桃の耿耿』
七翼教会の司教はさすがに地下が崩壊している影響を受けているかのように左右に揺れるシャンデリアの下でも、古びた木製の椅子に優雅に腰掛けながら突然の訪問者である舞人のことも驚きなく受け入れ、悠然とした態度を貫いてきます。
手の中で踊らされているなぁと舞人は思いました。
司教の前には彼を守護するように青年と少女もいます。
でも舞人が彼らの委細を調べる前に鼓膜へと嫌な音が触ってきました。
廃墟を連想させるような薄暗い蝋燭の炎に照らされている部屋の片隅では、血肉が刻まれた床へと死ぬ間際の人間が投げ捨てられていて――1体の食人鬼です。
死にかけの人々の怨嗟に包まれながら、醜い背中を舞人に向けて、脳味噌が半分ほど滲み出た幼い少女を貪っていた4足歩行の化け物へと白き鉄槌が下ります。
左腕が不自由だった舞人は流星の如き回し蹴りを叩き込みました。
しかし化け物は岩山の如き皮膚の硬さをしていたために首は弾き飛びません。
にやりとして大口を開きながら背後を振り向くと――、
軸足だった舞人の右足へと毒々しく濁った牙を立てようとしてきました。
舞人は右足だけをバネにして飛竜の如く後方へと飛び下がります。
攻撃が空振りした化け物は赤黒く滲んだ口許を拭うこともなく這い迫りましたが、狂った虎の如き俊敏さで地を滑る奇人の攻撃を舞人は上に跳んでかわします。
でもこのジャンプの直後辺りから舞人の頼りの左足には異変が生じ始めました。
化け物の首へと触れた左足首が焼け付くような腫れと痛みを持ち始めたのです。
まるで骨の変わりに溶岩を流し込まれてしまったような耐え難い痛みでした。
左足に治癒の光が生じると同時に化け物の牙も迫ったので間一髪でかわします。
ダッフルコートの裾の部分が裂かれたので腹を食いちぎられるところでした。
それでもこのまま一転して攻勢には出られません。
天空の女神の加護が付与された白き刀は左腕の麻痺で使役できませんし、四肢を使用した攻撃で化け物と相対していては先ほどの二の舞になるだけですから。
4足歩行のくせに化け物は脳神経がいかれているとしか思えないスピードで這い回るだけではなく、4足歩行という特性から予想外の動きまでしてきました。
狂気しか感じさせない化け物の連撃には舞人も劣勢に沈みかける中で――、
「……!」
沈黙していた左腕についに待ち望んでいた感覚がやっと戻ってくれます。
白き発光を一転してけたたましく振るう舞人も、目も当てられないほどには阿呆ではないので、先ほどまでの戦いで化け物の攻撃パターンは見定めていました。
恐るべき乱舞をした白き刀は悪夢の対象だった化け物の首も刎ね飛ばします。
しかしここで舞人は手を休めません。
白き刀を振るった勢いを利用したまま南東部へと身体の正面を向けたのです。
今まで無視せざるおえなかった七翼教会の関係者たちが視野に入りました。
言葉さえもなく舞人が感情のまま彼らにも制裁を加えようとすると――、
「「……!」」
白き心臓が霹靂にでも怯えたように大きく高鳴ってしまいます。
赤き宝石でした。
いつの間にかあの時の赤き宝石が七翼教会の司教の手へと渡っていたのです。
人間にとっての胸の鼓動が速まるように赤き光りの明滅を強めて、苦しげに喘いでいる“彼”は羞恥なんてなき強引さで神秘なる力を引き出されていました。
赤き宝石から何千の人間の怨嗟が零れ落ちて、空気が恐慌して震え始めます。
白き血が死んでしまいました。
比喩でもなく虚偽でもなく舞人の白き血が死んでしまったのです。
予想外の事態になすすべのなかった舞人はその場へと膝付くしかありません。
第53話『恭敬の芳恩』と『凄烈の悲嘆』
地獄の象徴のような“赤き吹雪”が降り注いだ瀕死者たちは骨の髄にまで染みるような呻き声をあげなげら、四足歩行の化け物へと退化していってしまいます。
さすがにこれは舞人たちにとっても絶体絶命でした。
しかしここで舞人たちへと、“救世の光り”が欣然と微笑みます。
ネックレスとして首元へとかけておいた風歌ちゃんがくれたお守りでした。
舞人たちの危機に反応したように“紺碧の光り“がその力を孵化させたのです。
浄化の青き光りは穢土たる赤き粉雪を誅殺しました。
風歌ちゃんのおかげで舞人の白き血も命を取り戻します。
しかし舞人たちに与えられる驚嘆はこれだけでは終わりません。
むしろ今までのは余興で最後の一手こそが全てなのでした。
この場の支配者の司教までも愕然としていたのが全てなのかもしれません。
「よくわからないけど助かっちゃったわね。これも神様からの一種の慈しみ?」
「かもしれないね。――だとしたらお2人さんが神が使わした使者様なのかな?」
つい瞬き1つ前までは“魂なき騎士”のように泰然としていて司教を守護する立場にいたのだろう少女と青年が、本当に先ほど前まで彼らが纏っていたはずの近寄り辛さが全て偽りだったような友好的な表情で微笑みを奏でてくれたのでした。
これにはさすがの舞人も自分は“ドッキリ”でも仕掛けられたのかと疑います。
それでも彼らが化け物たちをみる瞳は決して演技なんかではありません。
映画の中ではなく本物の戦場にいる人物の瞳を2人はしていましたから。
「でもそんな君たちをせわしなくさせて悪いね。状況が状況だし許してもらえるかな。――今はこの光景をみてくれただけで十分だと思う。だからもうここから逃げ出してくれ。俺とこの子で周りのあいつらと親父のことは止めてみせるからさ」
「あともしもあなたたちが、これ以上わたしたちなんかにも微笑んでくれるなら――この街のみんなとわたしたちの弟のことを、任せてもよかったりする?」
舞人はもちろんですが惟花さんまでも今はただただ受け手になっていました。
もともと「?」が多かった事柄に最後の最後でうそのような怒涛の展開です。
いかなる賢人であったとしても状況の理解は至難の技だったでしょう。
「……なんなんだ、お前たち。さっぱり意味がわからない。状況を説明してくれ」
「意味はわからなくてもいいよ。残念ながら俺たちも意味はわからないからさ」
「でもあなたならその意味がわかる時がいつか来るのかもしれない。だから今はこの現実をみてくれただけで十分なの。いつか必ず助けになるはずだからさ」
?が連続している舞人でもさすがに命のやり取りの嗅覚までは衰えていません。
こんな地獄へと彼らを見捨て置くのは《見殺し》と同じ意味だと理解できます。
たとえ勝算があったとしてもそれは確実に自滅込みのものでしょう。
しかし今は舞人だって白き血が弱体化したせいで万全の状態ではありません。
たとえここに自分が残ったところで全滅してしまうのが物語の結末でしょう。
それほどに今回の記憶が大切だというのなら、それは最悪の結果のはずでした。
『舞人くん。今は2人に甘えさせてもらおうよ。それしか方法がないからさ』
こういう時も惟花さんは相手の立場に立って物事を考えられる人でした。どのような選択がお互いにとって本当の幸せかも優しさを捨て結論付けられたのです。
床へと膝付いている舞人は地面へと叩き付けかけた拳を強く握り締めました。
「お前たちの信徒はどうあれ、その弟もすぐわかるところにいるんだろうな?」
「いるよ。でも君ならそれぐらい簡単に探せるだろ?」
「ただじゃないよ。人の大切なものを預かるのはすごく苦労するんだからさ」
「また会ったら必ず今回の恩は返させてもらうよ。楽しみにして待っててくれ」
「待ってるよ。たぶん一時も忘れずにさ」
白い霧を身体へと遍満させた舞人の言葉に2人は微笑みました。
そして化け物らが身体を抑圧させていた青き光りから支配権を取り戻すと――、
「「――飛んで、神の子たち!」」
青年と少女の言葉が重なりました。未来への悲観ではなく未来への希望を乗せ。
こんなにも彼らから託されれば舞人だって無心になり上方に突破口を求めます。
景気付けるようにして足元からは爆発が発生をして完璧な助力を受けました。
崩れ落ちていく瓦礫を神の手のような勢いで跳ね返して建物外へと脱出します。
そしてそのまま舞人が地上5メートルほどの高さにまで浮上すると――、
「「……!」」
今まで舞人たちに対して不干渉を貫いていた世界が絶叫しました。
つい先ほどまで舞人と惟花さんが潜んでいた場所から大爆発が起きたのです。
……来る……!
と思った時には、何千度の熱気と浮き世を粉砕する衝撃波が倶発しました。
舞人は白き血をベールにすることによって苛烈なる炎の嵐を防ぎます。
たった一度の爆発で直径で数百メートルもの空間が残骸の混沌となりました。
純白の霧を取り払った舞人が大きく息を飲んでしまう中で――、
「「……!」」
心理が慟哭をするほどの悪寒というものが胸の中を陵辱してきます。
舞人は右斜め下へと視線を向けました。
破壊の二文字を蔓延させた爆発からも生き残った悪魔司教と――瞳が通じます。
彼は赤き宝石を爆破の寸前に心臓へと埋め込み生を繋いでいたようでした。
第54話『途轍の闕漏』と『舟艇の帆影』
全てが瓦礫となった虚空に1人で佇んでいる“悪魔”は何かを言葉にします。
耳朶ではなく脳漿まで染み渡ってくるような奇奇怪怪な言語でした。
どこかでぼんやりと聞いたことはありますが意味までは聞き取れません。
先に動いたのは悪魔司教でした。
眩暈を覚えてしまうようなスピードで殴りかかってきた真紅の刀を舞人が左の5本の指に納めている白き刀で紙一重で受け止めると、甲高い音が鳴り響きます。
そのまま刃と刃は数え切れないほどに殺し合いました。
でも舞人が常に優勢だった剣戟にも悪魔司教はまったく気圧されずに付いてきて、刀から生じる衝撃波に舞人が先に耐えられずに眼下へと叩き落とされます。
舞人は受身を取れないまま建物へと背中を打ち当て痛撃を与えられました。
どうやらあの悪魔司教の紅刀は“可能性の取捨選択”でも授けているのかもしれません。だから彼は舞人の刀の速さに追いつけないという現実を全て排除して、舞人の刀の速さに追いつけているという可能性ばかり選んでいるのでしょう。
全てを終わらせるように悪魔司教が上空から放ってきた衝撃波を白き血の力を限界まで解放させて回避すると、新たに化け物としての産声を上げた舞人が彼を圧倒しましたが、感情で動いていたからこその一瞬の隙を悪魔司教は逃しません。
舞人の上半身が大嵐のような衝撃波によって引きちぎられてしまいました。
悪魔司教は紅刀をこの好機に乱舞します。
肉片どころか一滴の血飛沫さえも紅刀の餌食にされて飛び散ってしまいました。
惟花さんと白い刀だけを残してあの舞人が存在の全てを失ってしまったのです。
勝ち誇った悪魔司教が最後に天空へと高々と笑った瞬間に――、
「!」
そんな悪魔司教の心臓を背後から何者かが白き刀で突き刺していました。
幻覚のような素早さで身体を再構築していた舞人の左腕です。
あえて舞人は紅刀の衝撃波の嵐に殺されて白き刀の中に生命を隠したのでした。
灯台下暗しは世の常識であり、舞人の残力自体もわずかでしたし、そして何よりも今回は彼に可能性を取捨選択する機会も与えなければ――ということでした。
これで悪魔司教の息の根もついに止まったはずですが、なんとか勝利しただけの舞人の意識は朦朧とする中で、胸に白き刀が巣食う司教の雰囲気が変わります。
あえてたとえるなら死者が生者に変わったような空気の変貌ぶりでした。
舞人は馬乗り状態をやめて彼の傍へと膝付きます。
「……ありがとう、2人とも。君たちのおかげで、やっと僕たちは救われた……」
呼吸をするということさえも苦しいのか口許から鮮血を逆流させながら、穴が空いた心臓部からは赤黒い血を溢れさせる中年司教がお礼をいってくれました。
とても残念なことに舞人の治癒魔法は白き血が流れる存在にしかききませんし、だからといって白き血の輸血だって現実的ではありません。白き血の残りがどうこうというよりも、白き血は《選ばれた者》しか受け付けることがないからです。
彼の結末に気付いた舞人と惟花さんの顔色が悲しみに染まってしまう中で――、
「……君たちの名前は……?」
2人を励ますように自分の苦しさを隠す彼が柔らかく微笑んでくれました。
「……こっちが惟花で、ぼくは舞人だよ。星宮舞人だ……」
「……舞人と惟花か。いい名前だね。それに星宮って苗字はたぶん――」
心臓を失ったならたった一語話すだけでも五蘊が震える苦しさでしょう。
舞人は自分の左手によって彼の冷えかけた左手を力強く握り締めながら――、
「――何が起こっていたんだ、あなたたちに?」
おそらく彼にとって最善だろう最後の問いかけを耳元に囁いてあげました。
七翼教会が何らかの存在に乗っ取られていたのは間違いないのです。
そして七翼教会の中心者たちは隠蔽され続けた事実の伝聞を望んでいました。
舞人が顔を近づけると司教は苦しげにしながらも唇を震わせてくれます。
最後の抵抗としてか悪魔が釘打ちしてくる生々しい痛みを乗り越えながら。
「……僕たちだけじゃない……。……人類全体に危機が迫っているんだ……。……でも君たちは、そんな僕たちの最後の希望なのかもしれない。……その可能性は十分に見させてもらったよ。……もしかしたら君は人間じゃないのかい……?」
「……ぼくもよくわからない。ただ白い血が流れていることだけは確かだけど」
「……そうか。でもそんな悲しい瞳をする必要はない。君はもしも人間じゃなくても心は綺麗だ。瞳でわかる。だから何も恥じ入ることなんてない。胸を張って生きなさい。誰かのために優しくなれる人はそれだけで誰よりも美しいから……」
司教はすでに力なんてない左手で舞人の冷たい左手を握り返してくれました。
本当は苦痛に歪めたいだろう容貌を思いやりの色で染めてくれながら。
黒き髪で顔を覆っている舞人の横顔が悲しげで儚い色に染まってしまいます。
「……もうあんたは全てを終わりにしたいか……?」
「……どうだろう。まだ僕にだってこの世界に未練はある。恥ずかしいけどね」
「……何も恥ずかしくはないだろ。最後の一瞬まで優しい顔でそういえるなんて、ぼくはあんたが羨ましいよ。……だからそんなあんたの大切なものは、ぼくが一端だけ預かっておく。今は何も心配したりせずに、少しだけ休んでおけよ……」
第55話『七彩の翕然』と『善美の雨飛』
無言のまま舞人は風の音を覚えてしまうほどに、その場に膝付き続けましたが、舞人だって幼い面ばかりではないので、自分に与えられた使命を思い出しました。
御前崎市内を包んでいた衰運な空気もすでに霧散しています。
最後に舞人は悲しみと虚無に満ちていた聖堂の跡地を歩き回って、先ほどの司教の愛息と愛娘の形見だった“幻石の刀”を鞘ごと1本ずつ拾うと、瓦礫の上に寝かせていた司教の身体を丁寧に背負ってあげて、海辺の近くにあったからこそ無事に何の被害もなかった“別棟の小さな礼拝堂”まで連れていってあげました。
惟花さんが奏でるオカリナの優しい音色が届く中で舞人も神へと祈るように瞳をつぶります。神が悪戯に人を傷つけるのなら、神が悪戯に人を救うことも願い。
でもこうしてお互いに鎮魂を済ませると、建物の裏手側に立っていた桜の木の下へと向かい、月明かりに照らされる黒き海を一望しながら、舞人はずっと心配してくれているのだろう瑞葉くんのところへと、まずは電話をかけてあげました。
舞人が発信を終えると瑞葉くんはモグラ叩きでもしているかのような速さで応答してくれます。今か今かと連絡を待ちずっと手の平に電話を納めていたように。
『! もしもし、舞人くんと惟花ちゃん!!』
仮にも電話越しだというのに、やまびこでも期待するように馬鹿でかい声が、やっぱり届いてきました。耳元に携帯電話を当てておかないで正解でしょう。
惟花さんと目を合わせる舞人は無意識のうちに微笑みを零しながらも――、
「だから毎回いうけど瑞葉は電話なのに無駄に声がでかいんだよ。なんでいつもと同じ調子で話すんだよ。もう少しボリューム抑えろ、電話越しなんだからさ」
「抑えてるよ舞人くん! 僕はこれでもボリューム2だよ! 普段はボリューム5だけどね、電話の時はボリュームを3つ下げてるの! いつも舞人くんに――」
「もう本当にやだ。瑞葉はそれでも声が大きいから桜雪か風歌に代わってよ。2人にも聞こえているんでしょ? なら瑞葉から電話を取って、ぼくと話してよ。あと野蛮人はそこでお菓子ばかり食べてないで瑞葉の事をちゃんと静かにさせろよな」
「……なんでお菓子のことがわかるんだよ、あのマザコン。マジで気持ち悪いな」
奈季くんは心奥から気持ち悪そうでした。声音でわかってしまいます。
でもそんな奈季くんも、瑞葉くんの襟首を高貴に掴んで電話口から離すと――、
「舞人くんと惟花ちゃ~ん! ちゃんとボリューム抑えるから、僕と電話を――」
というまったくボリュームを抑えられていない、叫び声が響いてくる中で――、
「――お兄様と惟花様?」
桜雪ちゃんの天使のような優しい美声が鼓膜へと恵まれてくれました。
桜雪ちゃんの声音はとても弾んでいるので自然と舞人も微笑んでしまいます。
「……でもお兄様と惟花様はもう心配ないのですか?」
電話越しの桜雪ちゃんが発露した不安げな言葉に、舞人は安心させてあげるように穏やかな様子をしながらも惟花さんから教えられていた通りに自分たちの現状を教えてあげたあと、《七翼教会の人たちを預かれるような手はずをなるべくすぐ整えてあげてもらえるかな?》という瑞葉くんへの伝言もお願いしておきました。
了承をしてくれた桜雪ちゃんがその思いを瑞葉くんへと伝えてあげる前に――、
「――舞人くんと惟花お姉ちゃん?」
見事な愚兄を持つ哀れな風歌ちゃんが続けて電話に出てくれました。
瑞葉くんの妹とは思えないほどに艶やかな声音が左耳をくすぐってくれます。
無邪気で純真な笑顔が舞人の表情にも生まれてしまいました。
そして舞人は風歌ちゃんや桜雪ちゃんに“旅先で舞人たちが感じた面白いこと”などを語ってあげたあとに、とても心優しい風歌ちゃんと桜雪ちゃんは舞人と奈季くんの両方に気を使ってくれたのか、彼のことまで呼んでしまいましたが――、
「うわ奈季かよ。お前は虫歯マンだから切るぞ。寝る前にちゃんと歯を磨けよな」
奈季くんが面倒臭そうな感じで電話に出るや否や廃滅の一撃をぶち込みました。
爆笑をする舞人の奇襲口撃に、奈季くんは当然怒鳴り返しますが、舞人はちゃっかりと電話を切ってしまいます。徹底的に奈季くんのことを煽るようにして。
奈季くんがどれだけ怒鳴り散らそうと舞人の返事は《ツーツーツー》です。
地団駄を踏む奈季くんの事を考えただけで舞人は丸まって笑ってしまいます。
みんなと会話をしたおかげで舞人の表情ももうだいぶ安らいでいました。
惟花さんにとってもそんな舞人の表情が何よりなのかもしれません。
第56話『桎梏の鋒鋩』と『衷心の欣快』
そうして舞人が七翼教会の司教たちの想いを受け継いで、結果的に出会ったのが舞人にとっては愛弟子のように大切するようになった奏大くんなのでした。
あの時に舞人が“淡い雪色のような霧の結界に守られていた民家”から連れ帰ってあげたのは、当時の舞人よりも2歳前後ほど年下の美童なる少年だったのです。舞人としてはいい意味で驚いたのかもしれません。少年が自分よりも年下で。
そして舞人は少年が目覚めるのをずっと待ってあげていたのですが――、
「「……!」」
舞人が彼と出会ってから数時間ほど立った午前9時ごろでしょうか?
ついに奏大くんにも目覚めの時が訪れてくれました。
舞人と少年は自然に瞳と瞳が合いますが、少年は舞人の瞳をみつめ「?」となってから、小さな首を左右に向けて自分の知らない部屋をみて、より「?」を強めてしまいました。寝起きで霞む視界を青色の洋服の袖で拭ってから、再度周囲の状況を確認しても、少年の視界には自分がまったく見知らない光景なのです。
少年の眠気は微粒子ほども残らずに宇宙の彼方へと飛び立ったことでしょう。
もっとも身近にいる舞人と惟花さんに助けを求めるのは当然の反応でした。
生まれたての天使のような一滴の穢れさえもない瞳で――、
《お兄ちゃんとお姉ちゃんは誰なの?》
という想いを奏楽してくれたのです。
でもこれは塵1つの突っ込みどころさえもないほどに正論でしょう。
舞人は惟花さんから促されていた通りのことを少年へと優しく伝えてあげます。
「急に驚かせちゃってごめんね、奏大くん? ぼくたちは奏大くんのお父さんたちのお友達だよ。――実は奏大くんのお父さんたちがさ、ほんの少しだけ急な用事が出来ちゃったから、その間奏大くんをお願いできるかなって、頼まれたんだ」
これが今の舞人たちの精一杯だとはいえ随分と穴のある説明でした。
でも奏大くんは疑問を吹鳴したりせずに、うんと純粋に頷いてくれます。
勢いに任せて舞人が自分と惟花さんの自己紹介までしてしまうと――、
『舞人お兄ちゃんと、惟花お姉ちゃん?』
奏大くんはこう復唱してくれて舞人と惟花さんの方を振り向いたまま、自分の名前まで教えてくれます。瑞葉くんから伺っていた通りに露橋奏大くんでした。
何はともあれ奏大くんは舞人と惟花さんを胡散臭くは思っていないようです。
もしも何か不信感があるならすでに多少なりとも警戒をするはずですから。
でもそんな奏大くんも間もなくすると綺麗な瞳に澄んだ雫を浮かべながら――、
「……でもさ舞人お兄ちゃんと惟花お姉ちゃん?」
「『?』」
「……ぼくのお父さんやお兄ちゃんやお姉ちゃんたちはどこにいっちゃったの?」
もともと準備は出来ていた質問ですし、その時に返すべき言葉も舞人と惟花さんと考えていたのに、いざ本番になると、とても気まずくなってしまいました。
3人の間に蕩けていた時がぴたりっと止まってしまいます。
それでも舞人の心音だけは幻のように鳴り続けてしまう中で――、
「じゃあさっきのは夢じゃなかったのかもしれない」
胸の中に通せん坊していた思いを奏大くんが越境させてきてくれました。
「……お父さんやお兄ちゃんやお姉ちゃんや――お母さんまで一緒にね、僕にごめんねって謝ってくれたの……。……『少しだけお出かけをしないといけない所が出来ちゃったから、今は僕の傍にいれないよ』って。……でもまた絶対に会えるから、今は舞人お兄ちゃんと惟花お姉ちゃんと一緒に居てっていってた……」
奏大くんは健気に涙は流したりはしません。
お父さんたちを心配させないためなのか、舞人たちを心配させないためなのか、はたまたその両方かは不明ですが、彼が涙を堪えているのだけは確かでしょう。
舞人は思いました。
奏大くんはとても心が強くてとても心が優しいのかもしれないと。
こんな時でも自分よりもほかの誰かのことを考えてあげられるのですから。
そしてそんな中で奏大くんは舞人に感謝もしてくれます。
お父さんたちやぼくのことを守ってくれてありがとう舞人お兄ちゃんと。
奏大くんが父親たちからどのようなことを聞いたのかは不明ですが、舞人としては“最悪の中で最低の結果”を残せただけなので、誇らしさなんて覚えません。
それでも自分の目の前にいる少年が感謝をしてくれているのは事実でしょう。
舞人は夢を壊さないように“どういたしまして”と返してあげながらも――、
「……でもごめん。お父さんたちと分かれさせちゃってさ。たぶんそれにはぼくにも原因があるよ。……だからこれからは、遠慮なくぼくのことを頼ってくれ。奏大くんのお父さんたちとばくは、奏大くんを守るって約束をしているからさ」
と誓約して上げると、奏大くんは微笑みながら感謝の言葉を伝えてくれました。
そして奏大くんは五感と声帯を失っている惟花さんの事も恐れたりせずに――、
「たぶん惟花お姉ちゃんは恥ずかしがり屋さんなんだよ。だからみんな隠れちゃったの。――でも舞人お兄ちゃんの事は大好きだから、みんな隠れないんだよね?」
と驚きの超解釈をして、初対面では気味悪そうにする人がいる中でも、優駿な適応力をみせました。優しさと聡明さが融合した結果なのでしょうか?
また奏大くんは司教の息子だといっても、他の宗教の跡継ぎたちのようにどこか歪なわけではなく、真っ直ぐ育っていたので――趣味嗜好は年相応です。
ゲームや玩具遊びが趣味で戦隊物のテレビ番組が大好きなようですから。
奏大くんは舞人が白き血の力で《変身》をできるということも知ると――、
「! すげぇ。舞人お兄ちゃん。変身できるの、変身!?」
と撒き餌が撒かれたお魚さんのように食いついてくれたわけです。
この頃から奏大くんは舞人のことをヒーローとして慕ってくれていたのでした。
そして瑞葉くんは瑞葉くんで、戦隊物が好きという奏大くんのためにヒーローの“ミズハーン(瑞葉くん本人)”と“ナギーズ(奈季くんの名前を勝手に使った怪人)”を使ったアクションを前触れなく旧魔法学校で始めましたが、ミズハーンの演技が上手いというよりもナギーズの役を演じてくれている旭法神域のみんなが迫真の演技をしてくれたので、舞人も気になるほどには引き込まれる中で――、
「さようなら、奏大くん! ミズハーンはすぐにお腹が痛くなっちゃうけど、困っている人とトイレのあるところには、必ず現われるヒーローだよ! だから奏大くんのお家のトイレにも、ウォシュレットがある限りは必ず現われるからね!」
何を思ったのか瑞葉くんは最後にこんな決め台詞を残して去っていくので――、
《なんだよ、その決め台詞。人の家のトイレを勝手に使う気まんまんじゃねえか》
という舞人の心の台詞は惟花さんでさえも思ってしまったことでしょうが、奏大くんだけは微笑ましくなるほどにミズハーンに羨望の眼差しを送っていました。
でも何はともあれ舞人は当時の執務室へと向かって自分に近しい人たちにも、奏大くんのことを紹介してあげて、お互いに交流を深めてもらっていると――、
「あっ。ごめんごめん、みんな。待たせちゃったかな?」
着替えたミズハーンが登場したので舞人はいかにも呆れてしまいました。
「始めましてかな、奏大くん? 僕がこの街の司教をやらせてもらっている、城崎瑞葉だよ? 舞人くんやお父さんたちから――僕のことも聞いているかな?」
奏大くんは頭を下げました。瑞葉くんのことをミズハーンだとは気付かずに。
そして瑞葉くんは奏大くんの前に膝を付いて目線を合わせてあげながら――、
《何も不自由なことがないように、奏大くんや七翼教会の人を全力で支援をする》
という思いを奏大くん本人に伝えてあげています。
奏大くんにとってはいまの瑞葉くんもヒーローのようにみえたのでしょうか?
奏大くんは1人の司教の息子としても素直にお礼を紡いでいました。
それでもやはり奏大くんにとっては舞人があまりにも特別な存在なのでしょう。
いつからか舞人も奏大くんのことは実の弟のように鍾愛していたので、自分が教えられることは全て奏大くんに伝授してあげることにしました。
功を奏したのは奏大くんが師匠の3馬鹿よりも賢い少年だった点でしょうか?
舞人や奈季くんから教授してもらった体術や剣術を妙技で習得できたのはもちろん、瑞葉くんから教えてもらった魔術までそれらに応用していけたのですから。
奏大くんは舞人たちでさえも感動するような勢いで成長してくれたので、翌年に設立された魔法大学学校に瑞葉くんの計らいで入学して、学内でも奏大くんは最優秀の成績を残し、卒業後も奏大くんは旭法神域に身を捧げてくれていました。
奏大くんも舞人たちとは別の立場からこの世界の平和を望んでいたのでしょう。
第57話『夏日の慰撫』と『幸甚の恋歌』
でもこのような記憶を舞人が鮮明に思い出すと、思い出さないようにしていた瑞葉くんや奈季くんと紡がれた何気ない記憶まで自然と甦ってきてしまいました。
その捲られた記憶の物語のページの序章はなんとも舞人らしい始まりでした。
とある8月上旬の雲一つない快晴の日でしょうか?
太陽から恋心を抱かれた樹木では何がそんなに楽しいのかセミたちが真夏の大合唱をする中で、現在から数年前ほどですでに青年だった舞人は大聖堂の王の間にある遊戯の間にいて、智夏ちゃんがクワガタのために開けたゼリーを智夏ちゃんが食べるゼリーだと勘違いした舞人はさも当然のようにぺろりっとしていました。
……? ……この葡萄ゼリー何か変だなぁ……とさすがの味覚は発揮しても、結局は頭が弱いためにごくんっとしてしまう中で、こんな暑さの中では団扇になってもらうのがびったりでは思えるほどに翼で強く風打つシェルファちゃんと――、
「ふははっ! すごくちょっとだけお久しぶりよ、みんな!」
と夏バテなんて言葉さえ知らないようなロザリアが遊びに来てくれました。
賑やかな面子が勢ぞろいする遊戯の間の窓から、ロザリアは突っ込んできたのですが、そんな遊戯の間の中では、つい先ほど匍匐前進をしても到達できるような近さにある小川へと赴いて、《水草》を入手してきてくれていた奈季くんや、夏の風物詩である《風鈴》を机上で作成する瑞葉くんが歓迎してあげる中で――、
「みてください、ロザリアとシェルファちゃん!」
「!!!」
「昨日お出かけをした時にお父様とお母様に買ってもらったんですよ!」
と椅子から起立した冬音ちゃんは、奈季くんのことをパシって取ってきてもらった水草をちゃんと入れてあげた、《色鮮やかな金魚さんが3匹ほどぷくぷくしている金魚鉢》を、中身ごと飲ませるような勢いでロザリアに自慢していきました。
「わかったわ、冬音ちゃん! わかったから、そんなに余に近づいちゃダメよ!」
でもこれにはさすがの魔王様も腰が引けていて、同じく両親から買ってもらったクワガタと舞人のお鼻をなぜかしきりに見比べる智夏ちゃんを盾にしていました。
再会そうそうロザリアは冬音ちゃんの玩具でしたが、こうして遊びに来てくれると親戚のお姉ちゃんのように、舞人の愛娘たちにお小遣いを与えてくれます。
お金の香りはしなくてもロザリアの匂いだけはいつもいっぱいの桃色のビリビリ財布をビリッとしたロザリアは、一目みただけで全ての中身を把握できるだろうある意味で合理的な《小銭入れ》を何度も確認していたのですが、ロザリアの左肩に座っているテディベアシェルファちゃんは仮にもご主人様を馬鹿にするように「×」と両手で作っていたので、つまりはそういうことなのかもしれません。
ロザリアは夏場で大好きなアイスをたくさん食べ、お金たちが死去したのです。
それでも心優しいロザリアは、たとえお財布がそれだけの重さになっても、いつも通りにお小遣いをくれるので、冬音ちゃんは何か心に引っかかったのか――、
「!!! もしもロザリアにお金がないなら、牛さんのおっぱいからアイスを作ればいいんですよ! それならロザリアも、好きなだけアイスを食べられます!」
ロザリアの両手を扇風機のように振り回しながら、こう提案してあげました。
目が回る勢いで腕を回されるロザリアも瞳には、アイスクリームマークです。
「! 超天才だわ、冬音ちゃん! さすが舞人と惟花ちゃんの子供ちゃんだわ!」
まるで恋人のように仲良く手を繋ぎながら幸せそうに回転して、お互いの名前を呼び合う馬鹿2人のことを智夏ちゃんは自分も同じくもらった百円玉を手の上で遊ばせながら呆れの瞳でみていたのですが、暇つぶしの一種かそれとも慈愛の一種か、2人に協力を申し出たようなので、電車を乗ることさえも心もとない2人は頼りになる引率者を得て、酪農地がある
栃木県の北部まで早速向かいました。
第58話『駘蕩の牧場』と『白妙の氷菓』
お出かけする前に智夏ちゃんは惟花さんに外出の旨を話すと、もちろん惟花さんは優しい笑顔で了承してくれたので、「でもさお母さん? 今から行くと少し遅くなっちゃうかもしれないけど、必ず連絡だけはするから」という約束をしたあとに、暑さでゾンビのようにうだる人間たちが根城にする大聖堂内を爽やかに退出すると、市内の中心部にある駅舎へと向かい、県北へ繋がる列車に乗車しました。
またちょうどこんな時期だからこそ列車内では夏休みの学生たちが談笑していてある意味でとても“夏”らしい空間になっていたのですが、何がそんなに楽しいのか冬音ちゃんは左隣に座るロザリアと右隣に座る智夏ちゃんに引っ切り無しに話しかけていて、実はそんな列車の中には怪しい2人組みの青年もいました。
舞人と瑞葉くんです。
どうして舞人と瑞葉くんが冬音ちゃんご一行を追跡してきてしまったのかというと、お手洗いに男2人で仲良く連れ立ってから遊戯の間へと戻る時に木の扉越しに、「おっぱい」という冬音ちゃんの単語が透過してきたので、何か楽しげなイベントがある事を確信した2人は、暑苦しい廊下の中で有権者に握手する政治家のように手を握り合うと、こういう時ばかり驚くような行動力を発揮したのでした。
それでも現実は非情というか馬鹿たちに下されるべき当然の結末というか、冬音ちゃんたちは川遊びにいくわけでもなく、那須の牧場に到着をして大喜びです。
海のような青さをする蒼天。見渡す限りの原っぱ。山地特有の心地よい風の冷たさ。ただその場に立っているだけでも草の香り。もぉという牛さんのなき声は、のどかな雰囲気にとってはこれ以上ない音楽隊かもしれません。
おっぱいの意味を舞人も瑞葉くんもさすがに察します。
でも2人はおっぱいなら人でも牛さんでも大歓迎なので、いざ喜んで乳絞りをさせてもらおうとすると、呆れの瞳をする智夏ちゃんもこう誘ってはくれました。
「はぁ。せっかくあなた達も来たなら、乳絞りぐらいは手伝っていきなさいよね」
「なになにちなっちゃん。Eカップだから、おっぱいも揉んでEじゃんってこと?」
「うんっ。別にいいわよ、舞人。――もしもこの手で揉めるならね?」
黒髪を風になびかせる少女と樹木の下で向かい合うというなんともお洒落な状況で、調子に乗った舞人の右手は智夏ちゃんの左手によってくるっと回転しました。
折檻を行った智夏ちゃんが長寿の大木のように厳かな雰囲気をする中で、舞人は愛すべき惟花さんのもとまで届いてしまうような大絶叫をあげていて、全ての現場を見届けた瑞葉くんは背筋を正しながら智夏ちゃんへと敬礼をしていました。
弱きは見捨て、強きは見逃すとは、小物の鏡でしょう。
もしも瑞葉くんが走れメロスのメロスになったら、内気な妹の結婚式に行くことさえも途中でお手洗いばかり探して間に合わなさそうだなぁと思っていましたが、この小物振りをみる限りは邪智暴虐の王に身分不相応の発言をした挙句、自らが処刑されるとなったら竹馬の友の舞人のことを身代わりに差し出し、可愛い自分は遥か遠くに高飛びをしてしまうという未来さえ想像できてしまいました。
木陰にある芝生の湿っぽい肌触りを頬に感じながらものたうち回る舞人が瑞葉くんへと恨み辛みをぶつけるも、媚売りしか考えていない瑞葉くんは自分の飲みかけの林檎ジュースを智夏ちゃんへと謙譲していて、当然智夏ちゃんからはその林檎ジュースを遥か遠くへと遠投されてしまう中で、テディベアシェルファちゃんはどんまいとでもいいたげに舞人の左肩を叩いてくれて、牧場の王女のお姉さんから牛さんの色々を説明をされている冬音ちゃんとロザリアは、いちいち「えぇ!?」とテレビ番組のレポーターさんのような素晴らしい反応をしていました。
友人に話しかけるような気安さで舞人に鳴き声を届けてくれている牛さんたちの前で代表して舞人が事情を説明すると、牛さんのように大きなおっぱいで上品な彩衣に身を包む牧場のお姉さんも快く了承してくれて、いっこうに懲りない舞人が隙あらばEカップネタを使おうとすると、可愛らしく嫉妬した智夏ちゃんから右足を踏まれる中で、ログハウスの建物を往復した牧場のお姉さんは、“いろいろ準備をするからそれまで待っていてね?”と、バニラアイスを差し出してくれました。
開始早々バニラアイスを食べさせてもらえて狂喜乱舞するロザリアと、そんなロザリアに触発されたのかいきなり芝生上で盆踊りをし始めた瑞葉くんの首根っこを掴みながらも、爽やかな夏風に深緑を揺らしている樹木の下のベンチで、《新雪のように色濃く、香りだけでも甘いアイス》を舌の上で転がし、馬鹿5人と1頭が歓喜していると、「お父様と瑞葉お兄ちゃん! お父様と瑞葉お兄ちゃんはいつから付いてきていたんですか! ――忍者ですか、忍者?」と少し考えれば誰でもわかりそうな事を、難しい事は考えない冬音ちゃんに尋ねられていました。
そんな中で牧場の看板犬である犬ちゃん(雌)が森の中から現われると、舞人たちの来訪に感激するように駆け寄ってくれましたので、この頃から動物さんのことが大好きだった冬音ちゃんが犬さんと一緒に海のように広い芝生上を駆ける姿を温かい瞳で眺める中で――ズボンの右ポケットが震えました。電話の着信です。
木陰では太陽のように目立つ携帯を確認すると、桜雪ちゃんからの電話でした。
なんだか嫌な予感しかなかった舞人はあっさりと着信を拒否してしまいます。
臆病者の鏡でした。
しまいには終わりなく鳴り響く電話を恐れて、電源まで切ってしまう中で――、
「舞人くんと冬音ちゃんと智夏ちゃんとロザリアちゃんとシェルファちゃん! このアイスは風歌たちにも買っていってあげようよ! でも僕と舞人くんはお金がないから智夏ちゃんが出してね? 僕と舞人くんはお土産を運んでいくから!」
と貧乏丸出しの発言をする瑞葉くんは、いつの間にか蚊(美少女)に一目惚れされてしまっていたようで、なぜか吸血をする時に唾液の注入を忘れられてしまったために、無駄に上手いセミの鳴き真似をしながら風歌ちゃんにメールを打っていた瑞葉くんの右脚には針を刺した時の痛みがそっくりそのまま響いたので、「いたっ!」と瑞葉くんは酸っぱい梅干しでも食べた時のような顔をしていました。
左隣に座る舞人がさっきのお返しとばかりにお腹を抱えて爆笑をすると、牧場のお姉さんも準備が終わったようなので、舞人たちもいざ牛さんの乳絞りでした。
第59話『破竹の激走』と『濛濛の愛情』
久しぶりの太陽の眼差しに眩しげにする舞人たちとしては、右斜め前にみえている牛舎へとこのまま連れていってもらえるのかなと思いましたが、なぜかそういうわけでもなく、牛舎の裏手の《放牧の区域》へと案内をされてしまいます。
野球場のような広さでした。真ん中に立ったらセミさんの声もさぞ小さくなりそうです。……ここの芝生は太陽の優しさを存分に受けているから天ぷらにしたら美味しそうだなぁ……と貧乏の卓越者らしい思考を舞人と瑞葉くんはしました。
乳絞りをさせてもらう牛さんを自分の足で探すことがまずは第一のスキンシップなのかと舞人たちが解釈をする中で、もう随分と懐かれていた犬ちゃんの名前を冬音ちゃんから聞かれ、嬉しそうに教えてあげていた牧場のお姉さんは――、
「……実はねみんなには少しお願いしたいことがあるんだけど」
とせっかく大きなおっぱいをしているのだから舞人のことなんて自由に使ってしまえばいいのに、なんだかとても申しわけなさそうに何かをいいたげにしました。
惟花さんが右隣にいたら正座をさせられる勢いで舞人は敬礼をしてあげます。
波のように芝生が揺れる中で、舞人からの答えに嬉しそうに微笑んでくれた牧場のお姉さんは、日焼けなき右手を穏やかな風に泳がせ、ある一点を指差します。
天空でゆったり動く雲とは対照的に、まるで雪崩のような轟音とともに大地を削り上げながら突進してくる牛さん(美少女)の姿が、舞人の瞳には映りました。
「えぇ! なになに! あの子めっちゃぼくのほうを目掛けて走ってくるんですけど! てか逃げないで! なんでみんなぼくの事を置いて逃げるのよ! 深彩さん! 深彩さんまで逃げないでくださいよ! なんですか、あの子は!」
「舞人くん! 可愛い咲優のことを舞人くんの大きな愛でなんとか愛して――!」
百歩譲って少女たちが背中を向けるのは諾諾しますが、瑞葉くんの逃亡は絶対に許せないので、舞人が大きな牧場の中心で瑞葉くんの名前を叫んでいると――、
「!」
食パンを咥えている女子高生(美少女)と道路の曲がり角でお見合いした時の衝撃を軽く100倍はした勢いで、牛さんの突進を背中に喰らってしまいました。
舞人はまるで海老のように身体を反らせたまま、”甲子園のレフトスタンドへと吸い込まれていく白球”のような美しさで、那須の大空へと吹き飛んでいきます。
カーカーとのん気に鳴くカラスも、今だけは舞人を馬鹿にしているようでした。
「おめでとう、舞人くん! これでフラグゲットだね!」
仮にも親友のことを見捨てておきながら、自分は芝生上で笑い転げる瑞葉くんに対し、風船のように頭をかちわりたくなるほどの殺意を覚える中で、最後の最後まで舞人のほうを振り返りながら牛さんがどれだけ近づいてくるかを実況してくれていた冬音ちゃんはふわふわの芝生上に倒れる舞人へと人工呼吸と称して、息を送り込むのではなく逆に大切な酸素を吸ってしまいむしろ舞人の死を早めるための処置をする中で、あれほどの全力疾走をしても尊敬をするほどに息を乱していない智夏ちゃんはどうせ舞人なら心配ないでしょと考えてくれているのかそれとも冬音ちゃんに可愛らしく嫉妬しているのか、先ほどまでの興奮がうそだったように平然と牧草を食べる牛さん(美少女)に瞳を向ける中で、こういう時ばかりはご主人様に都合よく寄生して無事なシェルファちゃんとそんな現金なシェルファちゃんを叱るロザリアも、「このままじゃ舞人が死んじゃうからアイスを食べさせてあげなくちゃ!」と考えてくれて、牧場のお姉さんは牧場のお姉さんで、いつまでも芝生上に笑い転げて舞人を笑い者にする瑞葉くんの態度にさすがに噴き出していました。
不死身の名に相応しくゾンビのように復活した舞人が、舞人の愉快な悲劇がこの世界の何よりも楽しそうに芝生上で笑い転げる瑞葉くんのことを一度は地獄に叩き落そうかと思いましたが、2人の間に割って入ってくれた牧場のお姉さんから止められ、「お父様お父様。お父様が牛さんに突かれたのはお尻ですか背中ですか?」という死ぬほどにどうでもいい確認ばかりする冬音ちゃんとは対称的に、智夏ちゃんが舞人の純白の髪に付いた芝生をなんの気まぐれか取ってくれている中で――、
《あの危険な牛さん(美少女)が突進をしてしまうのは自分が気になった人だけなので、あの子から随分と気に入れられているらしい舞人がデレデレさせてくれ》
というのが舞人たちへの望みなんだということを、さすがに突進まではされなくてもツンツンをした態度は取られている牧場のお姉さんは教えてくれました。
しかしなんてことでしょう。「ツンデレやっほー」といっているうちにこの国は、牛さんまでツンデレになってしまっていたようでした。世も末とはこのことです。
でもツンデレといわれれば不思議とあの牛さんのことも可愛いらしく思えます。
細かいことを考えなければ智夏ちゃんと似たようなものでしょう。
とはいえ智夏ちゃんの扱い方は心得る舞人も、さすがに牛さんの口説き方は未知の領域なのですが、『おっぱいを絞らせてあげることの素晴らしさを教えてあげればなんとかなる』と、牧場のお姉さんは教えてくれたので、《世界を救うのは愛じゃなくておっぱいだ教!》に属するほどにおっぱいの無限の可能性を信じる舞人は、お姉さんの穴だらけの理論も信じて牧場のお姉さんの手駒となりました。
午後3時というおやつの時間帯。決闘に相応しい微風が木々を揺らす中で、広大なる芝生の上に佇む舞人たちが牛さん(美少女)と向かいあう中で、セミさんや小鳥たちは“頑張れ~”といいたげに応援してくれ――お笑い決戦も始まりました。
第60話『霊妙の星屑』と『雄偉の笑劇』
それでも神様はよほど舞人たちのお馬鹿ぶりを楽しみたいらしく、舞人の親近者たちの中でも馬鹿代表ばかりをこの戦場に集めてしまったせいで、「お父様お父様! 無理やり咲優ちゃんのおっぱいを触ろうとするから咲優ちゃんは怒っちゃうんですよ! だからここはまずお父様から裸になって――」と牛さん(美少女)の突進によって自分のミニスカートが揺らされようとも、とりあえず舞人のことを脱がそうとする冬音ちゃんと、「ねぇねぇ深彩ちゃん! 余はねバニラアイスが超大好きなんだけどね、今日はねチョコレートアイスとストロベリーアイスも――」とまだそのアイスのあてがないというのに、こんな土煙の中でも最高の笑顔でアイスの話しばかりしていたロザリアが、あっさりと星屑になってしまう中で――、
「! あっ! そうだよ、みんな! コスプレだよコスプレ! 僕たちはさ咲優ちゃんと同じ牛さんの恰好をしないから――こんなに攻撃されちゃうんだよ!」
息を吸うだけでも喉が痛くなるような土煙の中でも、1人だけお化け屋敷にいる女子高生のようにきゃぴきゃぴして、早く死なねえかなぁと舞人から思われていた瑞葉くんが、舞人の心中へと雷撃を打つような良案を思いついてくれました。
「なるほど瑞葉っ! 確かにそうだな! でも今はそのコスプレのあてが――」
「大丈夫だよ、舞人くん! 風歌に力を貸してもらって、僕が急いで作ってくるから! 3分だけ持ちこたえて、みんな! 3分後には絶対に戻ってくる!」
さすがの瑞葉くんも牛さん(美少女)の突進をかわすコツを掴み始めたのか、牛さん(美少女)の頭突きを怯え腰ではなく華麗に避けたので、野次馬の少女たちからは歓声と笑いが巻き起こる中で、予想通り調子に乗った瑞葉くんが連続回避をしようとして、ぎりぎり回避を出来たというか、むしろ左のお尻を軽くど突かれ、「いたっ!」と蚊に刺された時の比ではないほどに痛そうにするので、今度は野次馬の少女たちの声が全て笑声になる中でも、戦線の離脱のために少女たちのほうへと避難する瑞葉くんが、“やってやったよ、みんな!”という感じでなぜか両手をあげながら走り寄るので、牧場のお姉さんだけでなく舞人もさすがに噴き出しました。
またもちろんですが好きな人に恋のアタック(物理的)をしてしまう美少女牛さんをコスプレによって惚れさせて、おっぱいを触らせてもらうのは舞人と瑞葉くんの仕事ではありません。冬音ちゃん亡きいま、それは智夏ちゃんでしょう。
ドドドッという効果音で土煙を引き裂いてくる牛さん(美少女)を舞人が闘牛士のように美しくさばく中で、舞人が智夏ちゃんにその旨を伝えようとすると――、
「ねぇねぇ舞人! そのコスプレってさ、まさかわたしがしないといけないの!」
やっとの思いで攻撃を避けたかと思ったら、目を疑うほどの早さでUターンしてきて、すでに背後で土煙を荒げる牛さん(美少女)のツンデレ突進も智夏ちゃんは華麗に回避すると、冬音ちゃんとは違って乱れたスカートを直しながら、もっとも危険な立場にいるのになんだか楽しそうな舞人の右横に並走してくれます。
「なになにちなっちゃん。もしかして恥ずかしいの?」
「恥ずかしいから舞人が着てよ! 着ないとね全部お母さんにいっちゃうから!」
「君は鬼か! そんな脅しをしてお父さんに牛さんコスプレをさせるなんて!」
あくまでも外野からみれば、牛さん(美少女)に追いかけられている中でもイチャイチャしている仲良し親子にみえたのかもしれませんが、舞人にとっては死活問題なので数年ぶりの真剣な表情になってしまう中でも、下手すぎる愛情表現をする牛さん(美少女)は、こんなどたばた騒ぎなんて日常茶飯事だからか、牛さん(美少女)と舞人たちとの追いかけっこにもまったく動転していずに気持ちよさそうに芝生上でお昼寝している羊さんたちがいる中で、突撃し続けてきました。
「お待たせ、みんな! でももうだいじょうぶだよ! 僕が帰ってきたから!」
天が気まぐれに吹かした風のおかげで徐々に土煙が薄れる中で、野次馬の少女たちや森の動物たちの声援に押された瑞葉くんが、ついに戦場へと戻ってきます。
状況的にこの場にいる全ての瞳の注目を瑞葉くん1人が集める中では、さすがの牛さん(美少女)も地を揺らすことをやめて瑞葉くんに注目する中で、彼女よりも先に瑞葉くんのほうをみた舞人たちの眼前には、なぜか面白い光景でした。
一瞬だけは瑞葉くんの姿を探してしまった舞人たちも、1秒後には全てを理解して、実は少女たちや森の動物たちは声援を送ってくれていたのではなく、お腹を抱えて笑ってしまっていたからこそ、それが声援に聞こえたんだとも気付きました。
緑の芝生上に一匹で佇む親友が笑われてしまっても、舞人は瑞葉くんのために怒ってあげることもできなければ、だからといって瑞葉くん自身に怒りを抱くわけではありませんが、瑞葉くんのような人物を親友に持ってしまった自分に対しては確かなむなしさを覚えながらも、舞人はしっかりと突っ込みを入れてあげました。
「いやっ! ちょっと待てよ瑞葉! なんでお前もちゃっかりと牛の着ぐるみを着てるんだよ! そうやってすぐネタに走るのをいい加減にやめろよ、瑞葉は!」
冷静に考えなくても親友があんなにも馬鹿だということはとても恥ずかしいことなので、牛さん(美少女)のことをそっちのけで舞人が叱責してしまう中でも、瑞葉くんは着ぐるみという声が篭る環境でも自慢の発声で声を届けてくれました。
「だってさ僕も本当はすごく怖いんだもん舞人くん! ドドドッという音で走り寄ってくる咲優ちゃんがすごく怖いの! だから僕さっきは逃げちゃったんだ!」
「この軟弱者め! てか瑞葉! 危ない危ない! 今すぐ正面に向かって走れ!」
牛さんの着ぐるみを着て4足方向で飛び跳ねる瑞葉くんは、何がそんなに楽しいのか、それとも何も楽しくなくてもあのテンションの高さなのか、相変わらずきゃぴきゃぴしていました。さすがの風歌ちゃんだって今の瑞葉くんをみたら、「もっとしっかりしてください、瑞葉くん!」と、ハリセンで頭をぺしんっでしょう。
でも悲しいことにそんな瑞葉くんへとも最後の時が迫っていたのです。
牛さん(美少女)でした。牛さん(美少女)があまりにも舞人と親しげに話す瑞葉くんを恋のライバルと勘違いして、あの世へと吹き飛ばそうとしていたのです。
牛さん(美少女)が明らかな激おこモードとなっても、「???」の瑞葉くんをみて、「あっ。終わったな、これ」と、この場にいる全員が悟ってしまいました。
どすんっというよりはち~んという瑞葉くんの死亡音が、舞人たちの心には鳴り響く中で、牛さん(美少女)の暴れぶりに激昂したのがシェルファちゃんです。
相変わらずのテディベア姿でもっとも勝ち馬だろう舞人の左肩に座っていて、仮にもご主人様のロザリアの死亡にも両手を叩きながら爆笑していたテディベアシェルファちゃんが瑞葉くんの死亡にはぶちきれたのです。牛さんの着ぐるみを着ていた瑞葉くんを、変身出来る自分と重ね合わせてしまったのかもしれません。
シェルファちゃんは自分自身も正々堂々と龍の姿に変身すると、瑞葉くんの仇だといわんばかりに突っ込もうとしますが、さっさと突っ込めばいいのに意味もなく前脚だけで地を蹴って威嚇していたために、ずっと舞人の肩に乗っていたことで妬かれていた牛さん(美少女)に脳天をどつかれ、大気圏外へおさらばです。
愛すべき馬鹿たちは馬鹿らしい最後の一瞬を刻み、どんどん死亡していきます。
さすがに舞人ももうダメかと思いました。
そもそも奇跡的な役立たずたちを貴重な戦力に考えていた時点で舞人たちに勝ち目なんてなかったのかもしれません。死んでいった馬鹿たちの笑顔。馬鹿たちは死に行く最後の一瞬まで、最高の笑顔で笑っていました。馬鹿なのでたった一秒後の未来まで予測できていなかったのでしょう。遺影でまであんな笑顔をされていたら、舞人はお葬式の時に笑ってしまうことを我慢できる自信がありません。
でもそれは本当にいきなりだったのです。
第61話『臥竜の閉幕』と『絶佳の斜陽』
舞人たちにとっては東方にみえる森の中からでしょうか? 何がそんなに楽しいのか、何も楽しくなくてもあのテンションの高さなのか、はたまたまさかの瑞葉くんリスペクトか、相変わらず楽しげな旭法神域のみんなが登場してくれたのです。
おそらく先ほど瑞葉くんは電話越しの風歌ちゃんに頼み、“自分に何かあった時のための保険”として旭法神域のみんなを呼んでおいてくれていたのでしょう。
ここで舞人がみんなから牛さん(美少女)の事を守ってラブロマンスなのです。
舞人と同じく状況を理解してくれた牧場のお姉さんは妙案だとばかりに手を叩き、なぜか智夏ちゃんは先ほどの羊さんのほうをみる中で、牛さん(美少女)が行動をしてしまう前に、早速舞人も応戦しようとすると――よくよくみればみんなの総大将は奈季くんでした。金色の髪で美形なので、いい意味で目立ちます。
どうせなら奈季くんのことをコテンパンにしてやろうと――舞人は考えました。
子供としかいえません。
忍者のように前傾姿勢になりながら、舞人がうきうきな表情で突っ込むと――、
「「「えぇ! とりあえず逃げて舞人! もうどっち側でもいいから早くっ!」」」
「死んだだろ、さすがにこれは」
どうやら舞人もギャグキャラの運命からは逃れられなかったようでした。
舞人が奈季くんの嘲笑に憤怒を感じた時には、寝起きで寝ぼけていたのか、それとも舞人を追いかけっこする遊びでも始まったと思ったのか、とても楽しそうに芝生上を爆走していた羊さんに、お尻をドンッと攻撃されてしまったのです。
柵の向かい側の少女たちはもちろん、智夏ちゃんや牧場のお姉さんまでさすがに笑ってしまう中で、誰よりも舞人の喜劇を間近でみていたはずの奈季くんは、『安心しろよ舞人。お前の悲しみなら俺が全て受け止めてやるぜ』という親友なら持って当然だろう男気なんてみせてくれずに、ボーリング玉状態の舞人を軽々と飛び避けてしまう中で、奈季くんなんかとは違って優しさだらけの旭法神域のみんなは舞人のことを受け止めてくれようとしましたが、変なところで瑞葉くんリスペクトをするみんなは、先頭の少女が倒れてしまうと、それが津波のように波紋していき、最終的にはボーリングのピンのようにみんなで仲良く倒れました。
ストライクです。
最後の最後に待っていたまさかの展開には芝生さんまでも笑ったかのようにゆらゆらと揺れ、羊さんに至ってはやってやったぜとばかりにウイニングランをする中で、サメの浮き輪を右肩に背負いながら芝生上を駆け抜けていった奈季くんはついに牛さん(美少女)の前にも現われましたが、右手に木の棒を装備した智夏ちゃんの美しい剣捌きによって、奈季くんも斬り倒されてくれました。
こうして智夏ちゃんに守ってもらえた牛さん(美少女)は智夏ちゃんを思慕し、おっぱいを絞らせてもらうこともできたので、めでたしめでたしとなったのです。
黄昏の風に揺れる芝生や木々が夕焼け色になれば、先ほどまでは大騒ぎだった牧場の動物たちも、さすがに疲れたように各々が好きな所で休憩し始めました。
旭法神域のみんなも広々とした原っぱの中で夏バテから回復したように和気藹々しながら、牧場のお姉さんからもらったアイスの美味しさに感激しています。
そして誰よりも牛さん(美少女)のために走り回ったはずなのに、全ての努力が報われるだろう“最後の一瞬”を智夏ちゃんに奪われた舞人が、甲子園で敗れた高校球児のように号泣している中で、大気圏外からもあっさりと生還した冬音ちゃんは、「お父様お父様。羊さんに突かれたのは背中ですか、お尻ですか?」と死ぬほどにどうでもいい確認ばかりしてくるので、涙は滝のように溢れました。
そんな中でも奈季くんはなぜにいちいちそうお洒落に振る舞う必要があるのか、木の下のベンチに高貴な感じで足を組んで座って無駄に上品な感じでチョコレートアイスを食べていたのですが、「そうよ、奈季! もう超最高なの! 余はねいっぱい頑張ったから、“なになに牧場に遊びに来ればいつでもアイスを食べれる券”をもらったのよ!」と、牧場のお姉さんからもらった《アイス食べ放題券!》という手作り満載の小さな紙を一億円でもみせびらかすようにロザリアは自慢してきたので、「すげえな。ロザリア。アイス食べ放題なのかよ。千円で売ってくれるか?」「!!! えぇ! 奈季! これをあげたら千円くれるの?」「いいぞ。その食べ放題券となら交換してやる」「じゃあ! 1秒で交換する!」といたいけなロザリアを屑らしくからかっているので、牧場のお姉さんからぺし~んっと金髪を叩かれていました。
そして馬鹿三銃士の最後の1人である瑞葉くんは、芝生に両膝を乗せた智夏ちゃんが牛さん(美少女)に慕われている中で、智夏ちゃんの邪魔をするように、だいぶ気に入ったらしい牛さんの着ぐるみでうろうろしていたので――、
「あっ。風歌風歌。瑞葉ならここにいるわよ。あとはお願い」
どれだけご機嫌なのか、はたまた今回の件でもともと緩んでいた頭のネジが外れてしまったのか、なんとも楽しそうに鼻歌を歌いながら、智夏ちゃんの周りをうろうろしていた瑞葉くんも、これには「!」となります。ビビリの鏡でした。
でも淡いブラックのロングスカートを夕陽に透けさせている風歌ちゃんは、どうしようもない兄上のもとへと向かう前に、舞人の高校野球ごっこに付き合ってくれるようにカメラマンごっこをしている冬音ちゃんのお尻を叩いてくれました。
「もうっ冬音ちゃん。そうやって冬音ちゃんもふざけてばかりいちゃダメですよ。――そもそもどうして冬音ちゃんはこんなにスカートが乱れているんですか?」
「!!! 風歌お姉ちゃん! 風歌お姉ちゃんもいつから、この“おっぱい牧場”に来ていたんですか! ――もしかして風歌お姉ちゃんも忍者ですか?」
「忍者ですよ。冬音ちゃんがお馬鹿なことばかりしているから忍者になるんです」
「じゃあ風歌お姉ちゃんはカンチョウが得意ですか?」
「どうしてですか?」
「忍者はいつもカンチョウのポーズをしているからです!」
たとえ本当にわずかでも隙があれば、すぐにお馬鹿な話題に持っていこうとする冬音ちゃんにはさすがの舞人も酷く落胆する中で、瑞葉くんは逃亡しました。
臆病者らしく牛さんの群れに混じってどさくさに紛れようとしますが、厄介事に巻き込まれたくない牛さんたちも逃げるので、白黒レースが突如開演します。
一番最初に瑞葉くんの珍行動に気付いた冬音ちゃんに風歌ちゃんは瑞葉くんの追跡をお願いしたので、武人のように威勢よく敬礼した冬音ちゃんですが――、
「さすが瑞葉お兄ちゃんです! 忍者だからどの牛さんだかわかりません!」
どこからどうみても一匹だけ怪しくお尻を左右に振る牛さんがいるのに、1人で笑顔を振り撒く冬音ちゃんには、舞人と風歌ちゃんもため息を落としました。
そして冬音ちゃんが本物の牛さんのことを捕まえ、“これが瑞葉お兄ちゃんですか?”と楽しげに顔を覗いている様子をみて、舞人がうな垂れてしまう中でも、風歌ちゃんは舞人の両手の汚れを手持ちの青いハンカチで拭いてくれながら――、
「でも舞人くんもダメですよ? あんまりふざけてばかりいちゃ」
と一点の曇りもない正論をいうので、舞人が素直に頷くと、風歌ちゃんは――、
「本当に反省しましたか?」
「本当に反省しました」
「ならよろしいです」
女神のように慈しみのある笑みを浮かべながら、善言を与えてくれたのでした。
対価を求めずに人を許せる風歌ちゃんは人間の鏡でしょう。
そんな中で冬音ちゃんも3度目の正直として瑞葉くんのことをぎゅっとして御手柄をあげると、これから瑞葉くんに刻まれてしまうだろう悲劇の事もよく理解していずに、満面の笑みで風歌ちゃんのところへと連れて帰ってきてくれました。
瑞葉くんは牛の着ぐるみから顔を出したまま風歌ちゃんの前で正座をさせられてお説教を受けると、舞人とは違って牧場の動物たちへの奉仕も命じられます。
まぁなんていうか瑞葉くんらしい結末でしょう。
夕陽で背中を温める風歌ちゃんからの厳格な指令に、殊勝に敬礼した瑞葉くんが牧場内を全力疾走する中で、旭法神域のみんなも司教の奮闘に協力を申し出ますが、むしろ足手まといになって苦労を増やすので、牧場内は笑いの渦でした。
そんな心地よい喧騒に包まれた牧場の光景を舞人は温かい瞳で眺めながらも、いったい何を考えているのか、それとも何も考えていないのか、風歌ちゃんの香りに満ちたハンカチを口元に巻きながら、《おっぱい》というたった4文字に引き寄せられ、牧場内を笑顔の海で満たしている旭法神域の信徒たちの姿をみて――、
「やっぱりおっぱいってすごいなぁ。だっておっぱいはこんなに多くの人を笑顔に出来るんだもん。ぼくはもしも生まれ変われたら女の子のおっぱいになりたい」
という必ずや門外不出にしてもらいたい、しょうもない教訓を得ていました。
「はぁお兄様。いくら周りに人がいないからと、おっぱいを連呼しないてくださいな。どこで誰が話を聞いているかわからないんですから。本当にお兄様は反省しませんねぇ。……てかなんで風歌のハンカチを口元に巻いているんですか……」
美麗なる夕陽にも本日のさよならをいうときが近づいてくる中で、奈季くんのことを馬鹿にしてはいけないほどに気取っていた舞人が、「……」になりました。
桜雪ちゃんです。
何かを感じたように舞人が後ろを振り返ると、白いミニスカートを風に揺らしながら呆れ顔をしている桜雪ちゃんと、淡い水色のロングスカート夕陽に染めながら頬を風船のように拗ねさせている、ふざけた惟花さんと目があったので――、
「――逃げていい?」
初っ端から赦免なんて放り投げた舞人が、卑怯者の汚名を被ろうとするとーー、
『もしも逃げたらね、明日は一日牛さんのコスプレで過ごさせちゃうからね?』
さすがは智夏ちゃんのお母様です。畜生らしく卑劣極まる脅しをしてきました。
小鳥のように可愛い心臓の舞人は、狼に睨まれたように鳥肌を立てちゃいます。
第62話『到頭の謝罪』と『吹鳴の事実』
でも舞人にとってこんなみんなとの思い出が甦れば儚い感情がなかったといえば嘘なのでしょうが、それでも今だけは少し優しい気持ちで微笑めたように――、
「でもみんなには本当に謝らないとね。もしも瑞葉や奈季や風歌がこの場にいたりしたらせめてもっと笑えたはずなのに……それも全部ぼくのせいだからさ?」
月夜に星空が輝く帰り道で舞人が左隣の奏大くんにこう本音を伝えると――、
「僕たちに謝るのなんてやめてよ舞人兄。舞人兄は何も悪くないんだからさ。それに瑞葉兄たちがどんな風に想っても、たぶん舞人兄のそんな顔は喜ばないよ?」
奏大くんは舞人へといつもと何も変わらない優しく慕っている様子で微笑みかけてくれたので、芸術品のような白い髪に顔を隠す舞人も小さく微笑む中で――、
「……?」
もう少しで大聖堂というところで、なぜか奏大くんが急に足を止めてしまったので、舞人も同じく立ち止まり“どうしたの?”と尋ねてあげようとすると――、
「……でも舞人兄はさ急にいなくなったりしないよね?」
奏大くんが寂しげな表情をしてきたので、舞人は息が止まりそうになりました。
舞人だってもしも自分が奏大くんの立場なら、瑞葉くんや奈季くんのことからはもちろん、いつかの七翼教会の出来事から大切な家族を失ってしまったように、何かの拍子に舞人にまでそれが及んでしまわないか不安になったのでしょうが、どうして舞人が奏大くんとそんな約束を簡単にしてあげられたというのでしょう。
未来のことは誰にもわからない。それはもちろん舞人だって例外ではないのに。
「……いなくならないよ。ぼくはもともと幽霊みたいな存在だしさ?」
奏大くんに悲しい顔をさせたくない恐い舞人はこうして笑いかけてしまっても、本当に舞人には“この世界の最後の聖夜の果て”にも未来はあるのでしょうか?
舞人がこの時から人知れない不安を感じていたのだけは確かな事実でした。
第63話『鳳雛の相違』と『莞爾の関係』
でももしも怜志にとっても“過去と現在”を対比してみるとどうなのでしょう。
いまこの時も怜志にとっては優しい日々だといえるのでしょうか?
いいえっ。そんなことはありません。
現在は世界から光と優しさが忘却され、闇と冷たさが世界の支配者ですから。
「でも本当にこのままなんとかなりそうなわけ?」
怜志としてはちょうどカフェオレが飲みたいなぁと思っていた時に静空ちゃんが自分を訪ねながら手土産として持って来てくれたカフェオレなので、彼女に一言断ったあとに意気揚々と頂こうとしましたが、景気よい感じでかちっとプルタブを起こした怜志へと、静空ちゃんは媚情なる瞳を注いできました。
「なんとかなるんじゃない。まぁ俺にいわれてもわからないけどね」
「本当に頼りないわねぇ。うそでも“なんとかなる”っていえばいいじゃない」
「なんとかなるよ。まぁ俺にいわれてもわからないけどね」
「そういう意味で私は言い直してっていったんじゃないわよ馬鹿」
さすがに静空ちゃんも呆れの意思表示をしますが、何も怜志がこの世界に無関心なわけではなく舞人を信頼しているからこその余裕だとは理解しているので納得はしても、たまには頼りがいがあるところをみせなさいよという話しですが――、
「仕方がないよ仕方がないよ。大福と違って舞人は馬鹿なんだから」
となんでもかんでも舞人のせいにしてしまう――白インコが割って入りました。
大福というのは白インコの名前です。舞人がいちご大福を食べている時に邪魔ばかりすることと、彼の身体が白いことからこの名称がつけられたのでした。
白インコは偶然か必然か場の雰囲気を和らげてくれます。
「まぁなんとかなるでしょ。俺と静空が力を合わせればだけどね」
第64話『揺籃の両親』と『鼎座の双子』
まるで絵画の世界のようにお洒落な智夏ちゃんの部屋をなんとも楽しげに定時の巡回するお日様ちゃんの尻尾に、冬音はなんとも熱心な視線を注いでいました。
……あんなに楽しそうに私と智夏を守ってくれるお日様ちゃんはすごいです!
冬音は大好きな舞人と惟花にお日様ちゃんの観察日記をみせてあげようとしているので、寝台に座りながらそんなお日様ちゃんの様子を色鉛筆で記す中で――、
「??? もしかして智夏は疲れて寝ちゃっているのですか?」
瑞葉くんや奈季くんから謝罪の手紙をもらっても冬音は《別に気にしないでください瑞葉お兄ちゃんと奈季くん。わたしはぜんぜん怒っていませんから。でも瑞葉お兄ちゃんと奈季くんは今日の夕御飯は何を食べましたか?》とメールでも送るようにとても気安く、いつ訪ねてくれるかわからない月葉ちゃんに手紙の伝達役を頼もうとしていたのですが、“あいつら本当に反省してるの?”と対する智夏ちゃんは見事な疑惑の目つきで、2人からの謝罪の手紙を見下ろしていたのですが、そんな智夏ちゃんが先ほどから固まっていたので冬音は横顔を覗いてみました。
「……別に寝てなんてないわよ。少し考え事をしていたの」
「??? 何を考えていたんですか?」
「冬音には教えてあげない」
智夏ちゃんは相変わらずの素っ気のなさでした。
さすがの冬音ちゃんもがーんという気持ちになってしまいます。
でもそんな中で冬音と智夏ちゃんのやり取りを立ち止まって眺めていたお日様ちゃんがわんっと可愛らしく鳴くので、冬音も真似してわんっと鳴いてみました。
すると智夏ちゃんはなんだか馬鹿らしくなったのか”想い”を教えてくれます。
「……はぁ。なんかあなたにはいいたくなかったのよ。だって冬音は舞人とお母さんの事が大好きでしょ? ……もちろんわたしも2人の事は嫌いではないつもりだけど、冬音も色々と思ったりはしないの? ……もちろん全部が全部舞人とお母さんのせいではないはずだけど、今回の事だってわたしたちはお互いに大変な思いはしているでしょ? そういうのはさすがの冬音だって何か思わないの?」
「……じゃあ智夏はお父様とお母様のことが好きじゃないのですか……?」
なんだかんだいっても冬音が相手だからこそ本音を吐露してくれる智夏ちゃんも色々と葛藤はあるようで、決して舞人や惟花さんへの非難がみられるわけではなく、どちらかといえば申し訳なさを抱いているような感じだったでしょうか?
「でも確かにそうですね。智夏のいうとおりかもしれません。そもそもわたしと智夏はお人形ですもん。お父様とお母様のために作られたのは間違いありません」
「……あなた本気でいってるの?」
「本気ですよ。わたしはずっと前から気付いていましたもん。わたしと智夏が大変な思いをしているのも全てお父様とお母様のせいでしょう。もしもわたしと智夏が別のところに生まれていたら――もっと違う未来だってあったはずですから」
「……そんな考えは間違ってるでしょ?」
「何が間違ってるんですか?」
「全部間違ってるわよ!」
舞人と惟花の事が誰よりも大好きだった冬音による意外な言動に最初は驚いてしまっていた智夏ちゃんも、あまりにもな言葉を続ける冬音にはさすがに思うところがあったのか、あの智夏ちゃんでさえも始めてみせるような勢いで怒ってしまうと感情のままにそっぽを向いてしまい、“もう冬音となんて一生口を聞いてあげないからね!”という雰囲気を背中で語ってきたので、冬音は満面に微笑みました。
「智夏智夏。智夏もお父様とお母様に意地悪をいわれると怒るんですね? でも怒るっていう事は智夏もお父様とお母様が大好きだからですよ? そんな風に思わせてくれるのもお父様やお母様がわたしたちの事が大好きだからなんですし、ただわたしたちはお父様とお母様と一緒にいれれば何も心配なんていりませんよ、智夏!」
冬音は智夏ちゃんの黒髪に気安く手を置き、お日様ちゃんは自慢のもふもふの尻尾を嬉しそうに振っている中で、先ほどまでの冬音の真意にも気付いた智夏ちゃんは“冬音に一本取られてしまったこと”と“舞人と惟花への思いを知られてしまった恥ずかしさ”のせいで顔を真っ赤にしたまま沈黙してしまいました。
冬音はそんな智夏ちゃんを可愛がるようにいい子いい子してあげる中で――、
「??? もしかして智夏はどこか痛いのですか?」
「……冬音が馬鹿だから頭が痛いのよ」
「本当の本当に智夏はなんともないのですか?」
「……本当の本当に智夏はなんともないですけど?」
「じゃあ智夏は嘘をついたら聖夜に一緒にサンタさんになってくれますか?」
第65話『愁色の不安』と『至純の安心』
麗しいように整頓された風歌ちゃんの机を見下ろしている桜雪の瞳には、風歌ちゃんのお気に入りだった絵本が並べられている小さな本棚や、読みかけだったからかそのまま開かれたままで置いてある恋愛小説が映り込みましたが、桜雪にとってはどうして自分と風歌が文通を始めたのかという“とても大切だったはずの記憶”が欠け落ちてしまっているので、やっぱりそのことで不安を覚えてしまうと――、
「思い出って美しすぎるんだよね。桜雪の瞳と同じくらいにさ。でも思い出は美しいものだから少しずつぼくたちは美しくない思い出を忘れちゃうのかもしれない。でも大丈夫だよ桜雪。君と風歌の想い出は天使のように甘いだろうからさ」
桜雪の3歩ほど背後――つまりは風歌ちゃんの寝台辺りから“有名な詩人の母親がいながらもパッとしない三流詩人の放蕩息子”のような声が届いて来ました。
「……どうやってこの部屋の中に入ったんですか、お兄様?」
「桜雪がいる所ならぼくはどこにでも現れるよ。ぼくは君のヒーローだからね」
「……世が世なら通報されてしまってもおかしくない発言じゃないですか……」
兄上の神出鬼没さに呆れないといえばうそになりましたが、その一方では桜雪も舞人の存在を感じると、不思議と落ち着きを感じたのもまた確かな事実でした。
「でもやっぱり不安? 風歌の事とか、風歌の事とか、風歌の事とか?」
信用に足るのかどうかというもっとも大切かもしれない点はひとまず差し置いても魔術師の青年からは“風歌ちゃんの事は問題ない”といわれていましたし、そもそも桜雪も舞人のために余計な気苦労をかけてしまいたくはなかったので心の奥へと封じていた不安にも、舞人はいい意味での無遠慮さで触れてくれました。
舞人は桜雪の事もまるで自分の事のように考えてくれているのでしょうか?
「でも大丈夫だよ。心配はいらない。君はぼくの妹なんだからね」
「……そこまでお兄様は人格者でしたか?」
「おそらく桜雪以上には」
第66話『嗟嘆の水都』と『誣言の本心』
無秩序で満ち溢れてしまった世界にも秩序だった大聖堂は芽吹いていました。
神水教会を象徴している地区である神奈川の横浜市は街中全体が芸術品のような雰囲気に包まれていて、あらゆる所に水路がみられるような街並みのために、300を超す橋が街中に乱立していましたが、そんな水路の所々には舟が浮いていることもあって、とても幻想的で絵本の中の世界のような街並みだったのです。
こんなにも穏やかな色彩をする横浜市をみていると、負鳴る者なんていう異形な存在が国内に跋扈している事実に現実味が湧かなくなってしまいますが、いくら現実味がなかろうと現実は現実に変わらないので、奈季はすでに負鳴る者になってしまった人や、今なおも彼らに抵抗する人を想い、“この世界の人々の本当の居場所はどこにあるのか?”という、哲学的な疑問を心の中に宿していました。
そんな中で奈季が月明かりを受けるように窓辺に立っていた中で、白いマフラーを首元に巻いている月葉ちゃんは、20畳ほどの広さはあるだろう部屋の中央に置かれた椅子に黙々と座り込みながら、机の上に小さな宝箱を広げていました。
芸術的な椅子に座り込んで、思慮深げな横顔の奈季にもまったく興味を示さなかった彼女が意識を傾倒させ続ける宝箱は、奈季が瑞葉くんから拝借したものです。
宝箱の中には数ミリサイズの魔宝石が数百個ほど嬋娟としていました。
月葉ちゃんはそんな天然の魔宝石を磨いたり削ったりして形を整えてからそれらを連結させ何か魔法の装飾品を作り出しているようでしたが、とある理由から月葉ちゃんとの心の距離を取ってあげている奈季は透明な窓硝子の反射越しに彼女の様子を伺ってあげているだけでしたが――本当にふとした瞬間でしょうか?
月葉ちゃんの手が止まったのです。何か思うところがあるように俯いて。
事情が事情なので今だけはお互いに近くにいても、月葉ちゃんの気持ちを考えて奈季は必要以上には親しくならなかったからこそ、今の月葉ちゃんの悲しげな表情の意味も理解できましたが――でもだからこそ奈季は見てみぬ振りをします。
何か冷たい想いがあるわけではなく、それが奈季なりの優しさなのでしょう。
しかしこんなにも間近にいる月葉ちゃんに悲しげで寂しげで不安げな表情をされれば、奈季の心の中でも心苦しさが形を持ってしまって、結局は振り返りました。
白きマフラーです。
月葉ちゃんの白きマフラーが決意を固めたり、揺らがせたりしているのでした。
本当に厄介でしょう。あの白いマフラーは。
「なんだよ月葉。あまりにも不器用すぎて細かい作業をするのが嫌になったのか」
「……不器用な人がこんな完成度の高いものを作れると思う?」
今まで市街に瞳を注いでいた奈季が、いきなり自分の方を振り返るので月葉ちゃんは「!」となりながらも、自身の動揺を隠すような言い返しでした。
奈季は苦笑いしながらも、彼女の手元の作り掛けのアクセサリーをみて――、
「赤と白ってクリスマスカラーだろ?」
「……何よ。馬鹿にしてるの?」
「馬鹿にはしてないよ。ただ面白いなぁって思っただけ。それなら願いも叶うよ」
「……どうせお世辞でしょ?」
奈季の碧眼から守るようにして、魔法の装飾品を胸元付近に置いていた両手へとそっと隠してしまった月葉ちゃんも内心では嬉しくて仕方がないようでした。
だから今だけは奈季も、月葉ちゃんと同じ色合いの微笑みを零しながらも――、
「でもさ月葉。あまり難しいことは考えるなよ。たぶん冬音や智夏や桜雪なら月葉のことも自然に受け入れてくれるよ。あの3人はそういう女の子たちだからね」
「……」
「あとそもそも何か悩み事があるなら遠慮なく舞人と惟花に話せばいい。あの2人はお節介なぐらいに手を貸してくれるだろ。舞人が役に立つかは甚だ疑問だけど」
月明かりを反射している金髪を左手で遊びながらの奈季くんの”舞人への信頼に溢れた言葉”に、きつく口許を閉じながら自らの膝もと辺りへと視線を送っていた月葉ちゃんも微笑んでくれました。天使の羽が舞い落ちたように柔らかく。
奈季にとっても月葉ちゃんが笑ってくれるならそれが何よりでしょう。
「……でも奈季だけはさずっと舞人の友達でいてくれるでしょ?」
「たぶん友達だよ。舞人が友達をやめたがらないしね。これ以上ない災難だけど」
さすがに少し照れるような奈季の言葉に月葉ちゃんは嬉しそうに微笑みます。
やはり月葉ちゃんはいい子でした。
どれだけ自分が悲しい運命にいても舞人のことを思ってあげれるのですから。
舞人はとても幸せ者なんでしょう。
たぶん彼はあまりにも多くの人に笑顔を届けて、これからもこの世界に――。
第67話『旧懐の幻想』と『泰斗の思慕』
瑠璃奈はぱらぱらとめくっていた日記をゆっくりと閉じると、そのまま空色の髪を優しく撫で上げながら、木の椅子の背もたれへと深く寄りかかります。
世界の終焉の足音はまぶたを閉じればすぐそこに迫っているようでした。
白髪の青年に黒髪の青年への勝ち目はあるのでしょうか?
どれほど贔屓目にみたとしてもそれは限りなくゼロに近いでしょう。
頂点になれる存在と一度でも頂点を極めた存在では話しが違いますから。
でも瑠璃奈にとっての舞人は自分が憧憬し続ける女性の愛息なのです。
ならもう今さら迷う必要なんてないのかもしれません。
支配者たちへと抵抗する。それが瑠璃奈の導き出した答えなんでしょう。
瑠璃奈が静かな色の天井へと瞳を注ぐ中で、とある気配の近付きを感じました。
……あの屑本当に最低。全部わたしだけに放り投げるなんて……。
という大湊氏への本音だって自然と零れてしまいます。
……でもたぶんわたしたちがあれこれ考えて、あの子にやりたい事をやらせてあげないのは酷なのよねぇ。それこそ滑稽な話しになっちゃうんだろうしさ……。
瑠璃奈の瞳はそんな想いで飲食店の入り口の扉へと向かいました。
2回こんこんっとノックされたあとに、それは軽く軋みながら開いてきます。
やっぱり瑠璃奈の瞳には瑞葉くんでした。
瑠璃奈からは自然な微笑みが零れてしまう中で――、
「……実はなんとなく瑠璃奈ちゃんの顔がみたくて――」
「わたしなら風歌を助け出す方法も知ってるってあいつから聞いたんでしょう?」
テーブルの上へと両肘を乗せるように瑠璃奈が身体を前に差し出すと、瑞葉くんはいきなり核心を突かれても大きく表情は変えずに、ただ小さく頷きました。
やっぱり彼らはただ自分の守りたいもののためだけに一生懸命なのです。
守りたいものは違っても、守りたい意思はみな同じなのでしょう。
でもだからこそあの3人には“ただ1つの絆”がみえるのもかもしれませんが。
第68話『絶後の天空』と『遼遠の地上』
天国と地獄の狭間。
そこで至上者が眠っていました。
彼が目指すは“白き罪人”たちへの報復です。
侵略者は黒ではありません。侵略者は白でした。
愚かなる罪人たちは気付いていないのです。
死は人にとっての終焉ではなく、死こそが人にとっての起源に過ぎないと。
いつかは彼らも気付くのでしょうか。
目の前に広がる全ては夢の中で、本当の自分はすでに死んでいるという事に。
そして人々の夢を語り続けられる存在は自分のほかにはいないという事を。
第69話『秘鑰の白翼』と『月影の大空』
羨ましかったのかもしれません。
自由なる翼を持っている白き青年のことが。
憎ましかったのかもしれません。
自由なる翼を持っている白き青年のことが。
確かに白き青年は何も悪くありません。
でも彼は”この世界でたった1人の罪人”なのです。
彼らは青年の全てを知っていました。
だから白き翼をさらってしまいましょう。
そして翼に“神の名”を刻みましょう。
世界はこんなにも広いのです。
漆黒の神々は翼を背負った時にどれほど自由にこの大空を飛べるのでしょうか。
第70話『流星の魔王』と『想到の夜空』
どうやら魔王とは世界を征服する存在のようでした。
だからアイスを食べてにこにこしているのなんてまさしく論外なのでしょう。
でもロザリアにも言い分はありました。
“勝手に魔王様として生んでおいてどうしていちいちみんなの当たり前に従わなくちゃいけないのよ。アイスばかり食べてにこにこ生きようが余の勝手じゃない”
でもロザリアが生まれて初めての正論をいったところで、みんなロザリアのほうがおかしいのよと思っているからか、誰かに同情してもらえるわけではなく――、
「ははーん! もうわかった! いい加減に余も超怒ったわ! 今さらあなたたちがやっぱりごめんなさいって謝っても、もうアイスは分けてあげないからね!」
とカルシウム過剰摂取だろうロザリアが生まれて始めてぶちきれたのですが、どう考えても負け馬であるロザリアからあっさりとシェルファちゃんは逃げて大勢派に付こうとしたので、ロザリアはそんなシェルファちゃんを抱きかかえ彼らのもとを去りましたが――さすがに呆れてしまったみんなも天罰を与えたように、いつの間にか“知らない世界”へと飛ばされていたというのが悲しい真実でした。
これにはロザリアも号泣です。
でも知っての通りにロザリアは能天気ですし、自分の大切なお友達のシェルファちゃんもとりあえずは一緒だったので、異世界に飛ばされた数時間後には――、
「!!! この世界は超美味しいアイスが一杯あるから、超最高の世界だわ!」
と切り替えていて、自分が魔王様という事実さえもすっかり忘れてただアイスを食べ歩いていたのですが、いつからかロザリアも舞人たちと出会うことによって心を刺激され、ロザリアも“自分なりの魔王様”をみつけたということでした。
でもすごく恐いイメージがある故郷のみんなに――、
“余はお友達たちと超仲良くしたいわ!”
なんていったら本当にお説教されそうですが、すごく困っているらしい舞人たちにへっぽこロザリアが出来る事といったら、今の自分の思いをみんなに伝え――、
“余のお友達たちが超大変だから助けて頂戴よ、みんな!”
と他力本願することぐらいなのです。
ちゃんと確認してもらっているのかさえも不透明ですが一応はロザリアも近況報告として定期的に“絵日記”を自分の世界に送っていたので、今回はそれに乗せて“想い”を伝えようとしましたが、仕上げに必要な色鉛筆がみつかりません。
「超大変だわシェルファちゃん! あの色鉛筆がなかったら最後のサインが――」
ロザリアが編んであげた赤色のセーターをもふもふの毛の上に着てるテディベアシェルファちゃんは、「これ?」という感じで緑色の鉛筆をみせてくれました。
「ありがとうよシェルファちゃん。でも悪戯ばかりしちゃダメよお馬鹿ちゃん」
と意外にもあっさりと真実にたどり着いたロザリアはテディベアシェルファちゃんの頭をぺちんっと叩きながらも、最後に自分のフルネームである“ロザリア・ネイリル・クリスティア”という横書きを魔法紙の右下にゆっくりとサインをして、その魔法紙を紙飛行機の形に折り――星々が煌く夜空へと投げ飛ばしました。
ロザリアとしても自分の想いがみんなとの決定的な亀裂を作ってしまうのではという不安はありましたが、“魔王様としての自分の想い”をはっきりと伝えたことで、ほんの少しだけみんなの仲間入り出来た気がしていたのも確かな事実でした。
「シェルファちゃん! もしお姉ちゃんたちが来てくれて今までの絵日記分のお金もくれたら、シェルファちゃんの欲しい物をクリスマスには買ってあげるわよ!」
《えぇ!? なんでもいいの!?》
「シェルファちゃんは超可愛いからもちろんなんでもオッケイ!」
《じゃあ馬鹿ロザリアと離れられて、みんなと一緒に帰れるチケットが欲しい!》
「はいっ! シェルファちゃんは今年のクリスマスプレゼント無し!」
ロザリアとシェルファちゃんはこんないつも通りのやり取りをしていましたが、そんな2人の穏やかな空気を壊してしまうようにして――ロザリアとシェルファちゃんが座る木箱が置かれた路地へと、たった1つの足音が反響してきました。
ロザリアとシェルファちゃんがそちらへと瞳を向けると――、
「……??? ……あれは余……?」
黒色の髪の少女が笑っていました。
なぜかいまここにいるロザリアよりも大人びたロザリアが。
そして“優しい魔王様”は“悲しい魔王様”によって殺されてしまいました。
第71話『昧爽の鼓動』と『白弓の夢幻』
翌日でした。12月22日です。もう聖夜までも残り3日でした。
もしかしたら舞人は嬉しかったのかもしれません。
目の前に母親の鼓動があるような気がして。
もしかしたら舞人は恐かったのかもしれません。
目の前の白き弓に触れたら何か取り返しのつかない事が起きるような気がして。
『……やっぱり舞人くんはわたしのことが嫌いかな?』
瑠璃奈ちゃんに預かってもらっていた“大切な物”を大聖堂に持ち帰った舞人は、自らの書斎になぜか1人で閉じ篭っていましたが、そんな時に声が届きました。
白き弓のことを考えていた中での女性の言葉です。
舞人もまさかと思ってしまいました。
でも実際は――、
「……嫌いだよ惟花さんのことは。だって惟花さんはおばさんなんだもん……」
いつの間にか惟花さんが左隣にいただけなので舞人はとてもがっかりしました。
『手にとってみないの舞人くん?』
「……なんか申し訳なくてさ。ほらっ。ぼくって貧乏性だし……」
『でもそのお母さんの弓から舞人くんは何かを感じているんでしょ?』
お姫様のように優しい惟花さんの言葉はある意味で真理なのかもしれません。
でもなぜか舞人はこの母の白き弓に触れることが恐かったのです。舞人は本当はいったい何を恐れているのでしょう。母の白き弓を触れるということに対して。
でもそんな中で――、
「お兄様と惟花様。教会や寺院の方々がお2人のことをお呼びになっていますよ」
今度はちゃんと扉を叩いて入ってきてくれた桜雪ちゃんの声が届いてきました。
第72話『盈虚の愁思』と『運命の月輪』
ある決意をした舞人が怜志くんや静空ちゃんを連れて彼らのもとへ向かおうとする中で、“昨夜からなぜかロザリアの姿が見当たらない”ことは舞人も聞いていたので、確かにそれはとても気にかかっていたために、桜雪ちゃんや奏大くんには旭法神域のみんなにそのことを尋ねておいてみてとお願いをしておきました。
もちろん舞人が大湊氏たちと話すことといったら“負鳴る者”をどうするのかということしかありませんが、昨日と比べて状況が何か好転しているわけでもなく、この街にいる龍人や歌い子をどれだけ集めたところで、“龍人が5000名で、歌い子が13万名ほどしかいない”ことには変わりがないために、すでに“6000万人さえも突破するような負鳴る者”に勝利する展望なんてみえません。
舞人は施政の間の中でも教会や寺院の天上者たちである枢機卿や老師たちが一同に介せるような大きな部屋の1つにいましたが、そこに用意されていた席に座ることもなくただ壁に背中を付けて、まぶたを閉じたまま静かに俯いていました。
舞人は一晩立ったからこそ余計に冷めたように、“つい先頃までは群雄割拠に等しき状況でそれぞれの宗派がそれぞれの想いを抱きながら、処女よりも尊い人命が夢幻のように儚く散っていた泥沼のような世界だったのに、本当に全ての人の心がそう簡単に紐解けるものなのか?”と民衆の意見を代表していましたが――、
『まぁだからこそさ今だけは舞人くんみたいな相手を疑っちゃう“かもしれない”よりも、相手を信じる“もしかしたら”で世界が包まれたりしたらいいよね?』
と惟花さんがからかうように舞人に対して笑いかけてくれるので、これだけは舞人も面白かったように惟花さんだけに分かるように小さく微笑んであげました。
「――でも何はともあれまずは私たちが力を合わせられることが大切でしょう?」
銀髪の魔術師の青年は今までの舞人たちの話しをこのように総括してくれましたが、今の舞人にとっては“白き弓”を左手に握っていたことだけが全てでした。
やっぱり最後に舞人にその白い弓を手に取る決意させたのは、“大切な人たちや旭法神域のみんなを守ってあげないといけない”という想いでした。この先にどんな未来が待っていたとしても舞人と教会や寺院の中心派閥との関係が切れないように、この白い弓も舞人の運命からは切っても切り離せないものなのでしょう。
「……今度はぼくも戦ってみるよ。この白い弓を握って。――何か問題はある?」
「もちろん俺たちは問題なんてないが――」
世界が壊れてしまったのかと思いました。
世界の死神が舞人たちのことをみつめたのです。
友達のように優しく微笑みながら。
「やっぱり奴らは何か言いたいことがあるようだな」
第73話『霖雨の漆黒』と『焦眉の四季』
光の都へと天災のように“死を呼ぶ漆黒の軍勢”が流れ込んで来ていました。
それはうそのような恐怖とともに舞人たちの世界を壊していってしまいます。
即座に大聖堂の屋上へと転移した舞人の息が凍る中で、地上に広がった信徒たちにも、本当に来てしまったことへの悲運がとても重々しく染みていました。
大聖堂を守るようにして北方に舞人で東方に枢機卿たちで、西方に老師たちがいて南方に大湊氏でしたが、それぞれが統制をする予定の人々はあくまでも“自分たちの信徒たちを中心とした集団”であり、全てが自らの信徒ではありません。
それぞれが昨日までに失ってしまった龍人や歌い子の分を補うようにして、舞人でいえば“教会や寺院側”から一定の数の信徒たちを譲り受けていたからです。
それでも今回は負鳴る者の総数も数百万という単位に跳ね上がっているようで、前回を遥かに超えるような絶望感ですが、今は舞人たちにも守勢の備えがあります。
今回そのための中心的な役割は智夏ちゃんに担ってもらっていました。
舞人たちの使命はそんな智夏ちゃんのためにも一時的な”黒への堤防”を作ることなので、それぞれの信徒たちが協力して光の都を城砦化していましたが――、
「でもここで“まさか”の展開は起きてくれそうですか、お兄様と惟花様?」
「……まぁ確かに予想してた以上には効果はありそうだけど――」
舞人たちの目の前で白昼夢のように広がる大聖堂の1キロメートル四方では、魔風を纏った負鳴る者たちとも舞人たちが想像していた以上には拮抗できて――、
……もしかしたらこのまま……。
と数多くの信徒たちに淡い希望を抱かせてしまったのかもしれませんが――、
『いま起こる“まさか”は、やっぱりこっちの“まさか”になっちゃうよね?』
天地を漆黒で染める勢いで侵攻してくる負鳴る者たちは自分たちの損害なんて気にも止めずに絶望的なまでの破壊量で攻め寄せて来るので、“純聖なる人々はどこか一箇所に危機が生まれると、そこを守るために今まで万全だった箇所にも綻びが生まれ、結局はその綻びがさらに”……と雪崩式に逆境が生じ、舞人たちに一時はみえた希望の光りも負鳴る者の前では所詮“蛍の光”のような儚さでした。
第74話『柳営の白炎』と『懸絶の悪夢』
それでも舞人たちにとって幸いだったことは――、
「ごめんねみんな。もうそろそろ時間かな。――でももう説明した通りに今回は危険はないから、どうか思う存分に力を発揮してくれ。お友達とも喧嘩せずにね」
最悪になってしまう前には智夏ちゃんが無事に間に合わせてくれたことでした。
智夏ちゃんは“聖炎が宿る万年筆”を魔法書の1ページへと美しく躍らせます。
“始原から神々を守りし炎よ。その安らかなる性により我らに幸を与えたまえ”
という一文を智夏ちゃんが黒髪を風に揺らしながら暗唱すると、祈りを聞き届けたように暗黒の大地へと、“純白の炎の息吹”が流れ星のように降り注ぎました。
それでもさすがに智夏ちゃん1人の力では数百万はいるだろう負鳴る者の全ては浄化しき
れないので、“神秘の火種”へと息吹を送り込むように穢れのなき龍人たちも一斉に、前々から頼んでいた“首飾りの魔法陣”に命を咲かせてくれます。
『さすがは智夏ちゃんでしょ舞人くん?』
『この色々とぎりぎりな感じはぼくと惟花さんにそっくりかもしれないけどね?』
舞人たちの方が戦力的に劣っていたのはどう考えても覆せない事実でしょうが、今だけは“舞人たちの生存への希望のため”かはたまた“神の気まぐれ”か、負鳴る者たちも舞人たちの願い通りにどんどん劣勢に移るので、清純なる信徒たちの間にあった氷のような緊張感もわずかに解けて、温かい空気が生まれ始めます。
でもそんな中でもなぜか舞人だけは微笑みを浮かべられていませんでした。
もしかしたら舞人は嫌な予感がしていたのです。“――このまま力を合わせれば彼らに勝てるのでは?”と想ってしまった舞人たちを誰かは嘲笑っているようで。
第75話『漆黒の烽火』と『純白の星辰』
舞人がまさかと思ってしまう中で――世界が割れてしまったのかと想いました。
天地が分断されてしまったかのような衝撃です。
この場にいる多くが“……うそでしょ……”と思ってしまったことでしょう。
それでも目の前に広がった現実はなんら偽りのない真実なのです。
人々が匿われる地下から“存在をできないはずの負鳴る者”が生じたのでした。
舞人たちが地下に匿ってあげていた人々の総数は“瑞葉くんの龍人や歌い子ではない信徒たちの50万人ほど”はもちろん、たとえすでにこの世界までは信じられなくても、龍人や歌い子でない人々による負鳴る者への自然進化はまだ確認されていませんでしたし、彼らを見捨てるようなことは舞人としてもできなかったので、少数派閥の人はもちろんですが教会や寺院の一般信徒たちも受け入れてあげて、すでに500万人規模の一般信徒たちが光の都の地下にはいたはずです。
でも今はそのような500万人という底知れないほどに膨大な信徒たちの一部ではなく、ほぼ全てが負鳴る者に化け裏切ったような勢いで地底が崩壊しました。
一時は間違いなく勝利の女神に微笑まれていただろう舞人たちも完全に今は形成逆転されていましたが、それでも舞人が上空への非難を命じようとすると――、
「……!」
再び舞人たちにとっては“とても悪い意味で信じたくない攻撃”が起こります。
反乱の城となったのは大湊氏たちの信徒たちの姿がみえていた空間でした。
黒ではなく灰色の脅威が舞人たちの瞳へと悲しみの嵐を生んだのです。
終わりを詠うような“負鳴る者の登場”と“大湊氏たちの歪みなき反乱”によって聖なる人々は全滅必死の被害を受けてしまいましたが、そんな中でいまこの場にいて誰よりも“戦場を左右する力を持つだろう舞人”も沈黙するだけでした。
「問題ないだろ静空と桜雪? 舞人たちのことを頼んでも」
「……一緒に来ないの怜志は?」
「どうせ奏大たちのことを助けたらすぐに戻るからね」
さすがに理解の早い静空ちゃんや桜雪ちゃんは反論の唇はみせなくても、何が起こっているのかわからなくても大切なお友達たちのところに冬音ちゃんも怜志くんと一緒に行こうとしましたが、智夏ちゃんが彼女のことを止めてしまいます。
時間という絶対的な概念さえも崩れ去ってしまいそうな現実に自由を奪われた奏大くんたちのもとへと怜志くんがたった1人で向かってくれる中で、自分という存在の全てだったのだろう“瑞葉くんの信徒たちと光の都”が破壊されてしまうことで、これ以上ないような自己崩壊の衝撃を舞人も受けてしまう中で――、
「……。……。……」
今の自分にとってどうするのかが正解なのかは舞人だってわかりません。
そもそも今の自分に“光りのある正解”があるのかさえも舞人はわかりません。
それでも舞人はわかっていたのです。
どう足掻いても自分には誰かのために生きる道しか残されていないんだろうと。
だってもう舞人はいつからか自分の運命から戻れなくなっていたのですから。
『別に逃げちゃえばいいんだよ舞人。君の嫌な予感は何も間違ってないからね。もし君がその白い弓を放っちゃったらこの世界のみんなだけじゃなく、大好きな惟花にだって舞人は嫌われちゃう。舞人がいない世界をみんな望んでいるからね』
「……じゃあこの世界を君にあげるよ。だってなんか君は可愛そうだからさ……」
悲しみに恋されたような世界で“愛しさに恋された白雪”が空から降りました。
それと同時に“白き弓の宿主の青年”は本当に全てを失ってしまいます。
だって光と闇が相克した先にあるのは“たった1つの永遠”だったのですから。






