Chapter1:kiss to memory, because kiss to lost.
第1話 『夢現の世界』と『忘却の彼方』
小さな教会の一室だったのかもしれません。
部屋の窓際にみえる日に焼けた寝台へと1人の青年が背中を預けていました。
もしかしたら青年は悪い夢をみていたのかもしれません。
何千回と心の中で紡がれ続けた悪い夢が“終わりの鐘”を望んでいたために。
でもどんな時だって悪夢はいつか終わりがくるからこそ悪夢なのです。
酷く荒い呼吸を落ち着けるようにして淀んだ空気を胸一杯に吸い込んだ青年は割れるような痛みの頭痛を押し堪えながらも、煤けたカレンダーが床に落ちて机の上の生け花は完全に枯れた荒廃的な寝室へと、未だに怯えが残る瞳を配ります。
でも青年にとってはここがどこなのかわかりません。
舞人が世界を忘れたように、世界も舞人のことを忘れたようでした。
呆然とする舞人の瞳へと“雪色の刀”が映り込みます。
あれは過去に舞人が自らの左手のように愛していた刀のはずでした。
外套が埃で汚れることさえも厭わずに舞人は四肢で絨毯を這うと、終わりなき永久の砂漠の中で一滴の水にすがるようにして、その白き刀を手に取ろうとします。
でも舞人にとってはこれが終わりの始まりでした。
世界を闇で包もうとする漆黒の軍勢。
刀に触れた瞬間、“世界を闇で包もうとする漆黒の軍勢”が心に映ったのです。
“そのまま永遠に眠っていなよ舞人。だって君がいる世界はあまりにも舞人にとって悲しすぎるからさ。舞人はみんなに嫌われて1人ぼっちなんだ。もちろん舞人は一番大切な人にだって嫌われちゃう。舞人はとても悪いうそつきだからね。
舞人が“何よりも恐れている未来”の到来を不思議な少年は予言する中で――、
“もうっ。ダメだよ舞人くん。そうやって私から逃げると抱っこしちゃうよ?”
“少しじゃなくてずっと手を繋いでいてあげる。それなら恐くないもんね?”
“舞人くんは泣いてくれるの。もしも私が隣からいなくなっちゃったらさ?”
舞人が誰よりも愛していたはずの“少女の白い声”が胸に響いてくれました。
「それはそれで悪くなさそうだよ。この世界への未練もやっとなくなりそうでさ」
絨毯へと膝付いていた舞人が左手の白き刀を一閃します。
空中へと美しき弧を描いた白き刀からは見事な桜吹雪が零れ落ちていきました。
そしてそれが引き金だったように舞人の全身にも何かが流れ込んできます。
暴力的としかいえないような命の波動でした。まるで数千の悪鬼に体内が食い破られているようです。気持ちが悪いというより気味が悪かったかもしれません。
それなのになぜか舞人は微笑んでしまいます。
これが舞人にとっては最後の宣戦布告でした。
この世界を支配する負鳴る者と呼ばれた“何千万にも及んだ漆黒の軍勢”への。
第2話 『純潔の悪魔』と『漆黒の海霧』
「……逆に美しいのかな。ここまで世界も真っ黒に染まっちゃっているとさ……」
光りの神々から溢れんばかりの加護を受けているはずの教会の管理域がまるで悪魔の手先のような“闇色の影”たちによって漆黒の大海原にされていました。
記憶喪失さえも抜きにしても舞人は“負鳴る者”という存在が初めてです。
左手の愛する刀を握って本当に生まれて始めて彼らの存在を知ったのですから。
「……ていうかこの十字架って『栃木』のでしょ……? ……さすがに瑞葉は問題ないだろうけど、ほかのみんなのことはやっぱり心配だよねぇ……」
関東北部の栃木県の心臓部である光りの都《旧宇都宮市と旧日光市の合併地区》。
どうやら舞人はそんな街中でも大聖堂と呼ばれる建物がある中央区域にいたようでしたが、50万人前後いた一般の信徒の気配もなぜか周りからは感じません。
……もしもみんなが無事にどこかへ逃げ出せているならそれでいいんだけど。
舞人の再帰した記憶は告げていました。現在の日本では教会や寺院を筆頭とする宗教組織が台頭していて、それは“神の愛”と呼ばれるものが誕生したからだと。
そしてその“神の愛”を宿した者たちは、“龍人”や“歌い子”といういずれかに分類をされ、”空を舞う龍人“が魔法使いなら、”地上で詠う歌い子“は魔方陣に等しき存在なので、歌い子が傍にいない限り龍人は戦うこともできないのです。
どうやら舞人は歌い子ではなく龍人のようでしたが、妹である桜雪ちゃんが“自ら紡ぎだした歌声を自らの魔力に変換できてしまう”という世界でも比類なき一面を持っていたように、兄上である舞人本人も“手段は問わなくてもただ自分自身に歌い子たちの歌声さえ届いていればその歌声を自らの魔力に変換できてしまう”という――世界で舞人だけの力を持っていたようでした(本来は龍人と歌い子というものはあらかじめ“奏の誓約”を交わす必要があったのに)。
悲しみが詠う戦場。そこには数千の歌い子たちによる美歌が響いていました。
こんなにも多くの少女たちから歌声が届くのなら舞人も死地へと身を投げることは出来るのでしょうが、舞人に宿る能力も決して難しいものではありません。
白き血でした。
赤い血の代わりにそのようなものが流れていれば身体能力は当然素晴らしきものとなりますし、白き血は“肉体の神格化”だけではなく、“白き刀(天姫・あまひめ)の超越化”や、“桜吹雪を媒介する擬似的な魔法の創造”もできました。
その気になれば舞人に出来ないことなんてこの世界にはないのかもしれません。
舞人が歌い子の少女たちへと祈りを捧げることで白き血の目覚めを促す中で、眼下を流れる闇色の濁流から漆黒の半月を描いてきた太刀。それが舞人の右腹部を捉えかけましたが、間一髪の身のこなしによって回避した舞人はそのまま自らの残像を切り裂いた黒き太刀を右の瞳で捉えたまま、身体を捻ることによって白き刀を放ち返します。無防備だった太刀使いの左腹を殴り打ちつけるようにして。
吹き飛ばされた人影は路地を黒く染める数十の負鳴る者を巻き添えにしました。
そのまま舞人が民家の屋根上に着地した時にはすでに“狙撃銃を右手に構える黒き影が撃ち放ってきた雷撃を纏う水晶が7つ”と、“黒き影たちの群れから突如姿を現してきた竜の顔が8つ”――深呼吸の間も入れずに再び舞人は飛翔します。
見惚れるような奇跡を舞人の左手によって描かれた白き刀は7つの宝玉を美しい音で弾き返すと、その7つの宝玉は吸い込まれるように7匹の竜の瞳を貫通し、最後まで残っていた龍の頭は舞人が着地しながら白き刀を突き刺して終わりです。
正直にいえば舞人自身でも想像以上でした。
こんなにも使い慣れていない感じがする身体もこうも問題なく使役できていますし、応急措置でしかない聖美歌を聞くだけでもこうも満足に戦えていますから。
頬からは笑顔が零れてしまいます。
でもさすがに黒き影たちにも龍人や歌い子という分類はあるようですが、どうやらみんな同じ力や歌声というわけではなく固有の魔法や歌声を持つようでした。
仮にいま光りの都を支配する黒き影たちのうちのおよそ8割が歌い子で残り2割が龍人とすると、どれだけ少なく見積もってもおよそ“5万人以上の黒き影の龍人”がこの光りの都の中心域だけでも存在するということになったのでしょう。
お互いの質という点ではさすがに舞人が圧倒的に優勢ながらも、数という点では舞人のほうがどう考えても劣勢だからこそーー、
「……でもマジで数が多すぎるよねぇ。これじゃあさすがにらちがあかないなぁ」
さすがの舞人も実感してしまった現実に顔色は曇ってしまう中で――、
「……!」
背後から“全身の細胞を恐怖させるような咆哮と威圧感”が届いて来ました。
舞人の黒き髪と外套が熱気のようなものによって激しく煽られてしまいます。
第3話 『謎々の乙女』と『逆様の結界』
「……えっ……。……もしかしてあれってドラゴン……?」
龍へと捧げられている美歌。あれはこの国の歌とは根本的に何かが違いました。
そして何よりもあの迫る龍の色は“黒色”ではなく“銀色”なのです。
「……てかあの子ってシェルファちゃん?」
でもそんな中で失われていた舞人の記憶がまた1つ絵になりました。
もしかしたら舞人はあの銀色の龍と旧知の仲なのかもしれません。
むしろ友人と呼べるほどの仲でしょう。
「久しぶりシェルファちゃん! やっぱりシェルファちゃんも無事だったの!?」
『おかげさまでね舞人。でもなんていうか舞人はこんな時もやっぱり舞人なのね』
黒き影たちによって染められた世界に1人でうろついている怪しげな青年。
シェルファちゃんが思わず笑ってしまうのももっともではあったでしょう。
「最高の褒め言葉だね! でもお馬鹿なご主人様はどうしたのよ!?」
でもそんなシェルファちゃんにはいつもアイスばかり食べていて、ピンク色の紐付き財布を左肩にかけている、自称“魔王様”の金髪の少女がいたはずなのです。
なのに今はそんなロザリアの姿がみえません。
これには舞人も驚いてしまいました。
『実はね舞人。いま私はなぜか近くに姿がみえないロザリアのことを探していた途中なんだけど――舞人と出会ったらなぜかロザリアの居場所もわかったような気がするわ。ありがとう舞人。ロザリアのことは私が助けるから問題ないわよ』
「いやっ。別にぼく的にはお礼をされるようなことはしてないんだけどさ、本当に1人で大丈夫なの……シェルファちゃん!? もしもよかったらぼくも――」
真紅色の焔を市街地へと広範囲に放つことによって黒き影たちの動きを牽制してくれていていたシェルファちゃんは、“私のほうはぜんぜん問題ないわよ舞人?”と優しく舞人の背中を押してくれるように燃え盛る炎を美しく吹き上げてくれました。
確かに火力的な面から考えればシェルファ自身は問題なさそうですが、心配なのはロザリアです。そもそもロザリアのような金髪碧眼という異国特有の容姿を持つ人々は教会や寺院という組織から“悪魔の子”と指弾をされ、弾圧や迫害が行われてしまっていたからこそ、舞人にとっては余計に不安が募ってしまいます。
でも今はもうロザリアとシェルファちゃんを信じるしかありません。
「……わかった。じゃあシェルファちゃんにロザリアのことは任せるよ。ぼくたちも心配はいらないけど一応はこれを! お守り代わりにはなるだろうからさ!」
シェルファちゃんのおかげで大聖堂までも500メートルを切っていました。
「……でもなんだかんだいっても瑞葉たちなら優勢までは厳しくても五分五分ぐらいはいけそうだけど、今は負鳴る者の方が押せ押せムードなんだよねぇ……」
舞人の心の中に芽生えてしまった嫌な予感。それは未来を黒く塗り潰しました。
混戦中だったはずの白と黒の軍勢になぜか異変が起き始めてしまったのです。
まるで敗走でもするように瑞葉くん側の龍人が城壁内へと戻り始めたのでした。
「……もしかして一時的な結界か何かを張ろうとしているのかな……?」
傷付き果てた龍人や歌い子たちを“癒しの歌声”で包むために一時的な結界を張ることは舞人も理解できましたが、今の舞人としてはそのような展開になった暁には死の足音です。唯一の力の供給源である歌い子たちの歌声も消滅しますから。
ドーム上の結界が完全に閉じるまでに少なくともあと20秒は計算できました。
「まぁそれでもぼくには十分過ぎる時間だけどさ」
第4話 『花園の人形』と『星空の天使』
でも本当にそんな時でした。悪戯な女神が雅な気まぐれを起こしたのは。
ポケットサックスの音色のようなもの。それが舞人へと届いてきたのです。
それは教会の関係者たちが救援を求める時に奏でられるもののはずでした。
今の舞人には2つの選択肢が与えられていたのでしょう。
もしも助けを求める声を無視してしまえばまず舞人は助かるのでしょうが、もしもその声に反応したりしたらいくら舞人だってどうなるのかはわかりません。
考えるまでもないのでしょう。
舞人は耳を澄ませると音色が響いてくる場所を探しました。
左斜め奥にみえる2階建ての建物です。そこからあの音色は届いていました。
舞人がその赤煉瓦の建物の窓へと急いで、そこから顔を覗かせると――、
「……お父様……?」
舞人にとっては愛娘という分類をできるのだろう1人の少女と目が合いました。
彼女たちの誕生秘話は呆れなしでは語れませんが、もしも記憶を言葉で奏でたなら、とても優しい魔法使いの少年だった瑞葉くんが、『お人形さん遊びが大好きな妹の風歌ちゃんのために妹たちを作ってあげよう!』と考え、なぜかそのために舞人まで巻き込まれ、2人のお人形さんを作ってあげたとなったのでしょう。
そして瑞葉くんが舞人のことを――、
「このチョコレートばかり食べてる変なお兄ちゃんがね君たちのお父さんだよ?」
と教えたせいで、本当にお人形さんたちは舞人をお父さんだと思っていました。
お人形さんの冬音ちゃんはさすがは舞人の血を継承する存在です。
すごい美人さんでした。
部屋の東端にみえる寝台へと背中を預けながら床に座り込んでいる冬音ちゃんは、茶色の毛並みのゴールデンレトリバーをなぜか腕の中に抱いてあげています。
毛並みはとても立派な犬さんなのですが、とても弱々しげに呼吸していました。
「奇遇だね冬音ちゃん。こんな所で再会するなんて。その犬さんはどうしたの?」
「困ってましたお父様。だから助けてあげました。……でも死んじゃいました」
「いやっ。まだ死んではないでしょ。日本語間違ってるよ。――その子は少し元気をなくしちゃっているだけだから怪我を治せる人にみてもらえば、すぐによくなるはずだよ。だから大丈夫かな。――でもまぁ何はともあれさ、冬音ちゃんと犬さんのことをぼくが抱えてもいい? もう少しで結界が閉じちゃいそうなんだ」
「!!! もう少しでお父様の肛門が閉じちゃいそうなんですか!?」
「そんなわけあるか! なんでぼくが切羽詰まりながらそんな報告するのよ!」
さすがは舞人の世界一可愛い冬音ちゃんです。生粋のお馬鹿さんでした。
そもそも栃木県の最高指導者である瑞葉くんが、“世界のありとあらゆる現象を「神の文字」と「神の図形」という二種に分解できて、独自の魔法陣を生み出す”ということができる青年だったので、その恩恵を様々な面から受けていたのです。
その1つが“龍人や歌い子が離れても戦える”というものでしょうか?
本来は一緒にいるべき両者が別れられることで龍人側は隠密性や機動性に優れ、歌い子側は敵の襲来を気にせずに安全な場所から歌えるとても優秀な戦法でした。
おそらくは冬音ちゃんも大聖堂付近の少女たちに歌ってもらい、この近くで黒き影たちの流れを止めていたのでしょうが、傷付いた犬さんをみつけ助けてあげた時に、自分も左の太ももを負傷してしまい、逃げ遅れてしまったのでしょうか?
「でもさ冬音ちゃん? 本当にぎりぎりまでみんなは可愛い君のことを探してくれていたみたいだよ? だからまたみんなに会ったらちゃんとありがとうとごめんなさいをしてあげてね? 冬音のことはぼくがみんなの所まで届けてあげるからさ?」
連れていってあげるという表現ではなく、届けてあげるという表現。
それはもちろん今の舞人にとっても大きな意味がありました。
「……やっぱりあの子たちはこうやって囲んでくるよね。本当に賢いなぁ……」
路地へと舞い戻った舞人たちに黒き龍人たちは統率なき乱撃を見舞ってきます。
何もかもが入り乱れすぎてすでに周りで何が起きているのかも把握できません。
このような状況下で彼らの包囲網を抜けるのは神懸っても不可能でしょう。
いざとなると覚悟はあっさりと決まりました。
「ねぇ冬音。ぼくがあの子たちの事は引きつけるから君はその間に逃げて。それで瑞葉でも風歌でもいいからぼくの状況を伝えて歌い子さんを送ってもらえる?」
「……それはダメですお父様。それではお父様が大変になってしまいます」
「大丈夫だよ冬音。今はぼくのことを信じて。――ぼくたちは家族なんでしょ?」
舞人としても嬉しかったのかもしれません。
冬音ちゃんがこんなにも心優しい女の子に育ってくれていたことは。
でもだからこそ舞人は思ってしまうのかもしれません。
こんな冬音ちゃんのことだけは絶対に守ってあげたいと。
足を怪我した少女と、結界封鎖までの時間と、負鳴る者に完全包囲された現状。
この3つの困難を抜けるためには、すでにたった1つの導きしかありません。
まずは冬音ちゃんのことを手放したら、すぐに左手で抱く犬さんも放して抱えさせ、2人を白き桜吹雪で運んだら、残りの敵は全て舞人が引き受けましょう。
舞人はどうあれ冬音ちゃんたちを助けるにはそうするしかありません。
もう一瞬さえも無駄にできないので、さっそくそれを実行しようとすると――、
「!」
何百という雷を終結させたような轟音と光りが上空で舞い起きました。
冬音ちゃんを手放す直前だった舞人が空を仰ぎ見ると“雷撃の猛虎”です。
猛虎が咆哮をあげます。
猛虎を右脇に従える少女の芸術品のような黒髪。それが真冬の風に揺れました。
彼女の澄んだ瞳と目と目で通じ合います。舞人は桜吹雪を吹き荒らせました。
静止した黒き海を幻のように駆け抜ける中で、一瞬だけ桜吹雪を解除します。
舞人の妹の桜雪ちゃんが背中に抱きついてくれました。空から落ちながら。
守護者を護り終えた猛虎はまるで全てが幻であったように消えていきます。
「お待たせしましたお兄様と冬音ちゃん。お怪我などはありませんでしたか?」
「うん。ぼくたちは大丈夫だよ。ありがとう。でも桜雪ちゃんこそ大丈夫だった?」
「わたくしは問題ありませんが……どうしたんですかお兄様こそ。傍からみれば記憶を失ったあげくに珍奇な状態に巻き込まれた哀れな貧乏人にしかみえませんよ」
「いやっ。当たってる! 当たってる! 全部当たってる! 君が黒幕かな?」
感動の再会をしてそうそう無礼講である桜雪ちゃんも舞人にとってはお似合いの歌い子でした。桜雪ちゃんの歌声さえ胸に届けばこの逆境でも希望はみえます。
結界まで残り300メートルで、結界の完成まで残り3秒。
どうしてこう舞人はいつもぎりぎりの人生を歩まないといけないのでしょう。
ここからが本当の勝負でした。
第5話 『快癒の城府』と『疑雲の世界』
3人が入った時は間一髪です。ドーム状の白き結界は入り口が狭まり続けていましたから。あと一瞬でも遅ければさすがの舞人も首なし人間だったのでしょう。
それもこれも桜雪ちゃんがぽっちゃりで助かりました。
「何を笑ってるんですか、お兄様は。気持ち悪いですねぇ。――変質者ですか?」
「くすぐったいから耳にささやかないでよ、デブ――じゃなくて、桜雪ちゃん!」
桜雪ちゃんが両腕を首に回す力を強めるので、舞人がギブを訴える中でも――、
「やっぱりお父様と桜雪ちゃんはとても仲がよろしいのですね? よく瑞葉お兄ちゃんはお父様と桜雪ちゃんはエッチをするほどに仲がいいと教えてくれましたが、どうやらそれは本当のようです! あとで瑞葉お兄ちゃんに報告しておきます!」
「……そんな余計なことは報告しなくていいんだよ冬音! てかあいつは馬鹿だなぁ本当に! どうして冬音にそういうことばかり教えているんだよ!」
舞人のことがとてもお気に入りである瑞葉くんなら華麗に卒倒しそうなほどに、舞人は瑞葉くんを全力で非難しながらも無事に地面に両足を乗せられると――、
「でもこのわんわんさんは専門の人にみてもらうとしてもさ、冬音ちゃんの左足ならぼくの白い血を使ってあげて治してあげることもできると思うんだけど――うんっ。はいっ。オッケイだよ冬音ちゃん。もう大丈夫。傷と毒は完治できたかなぁ。――あとは早くみんなのところにいってわんわんさんのことをみてもらおうか?」
地面に両膝を付いた舞人が冬音ちゃんの左足を桜吹雪で包むことで治癒してあげた中で、まだ弱々しげながらも先ほどよりは落ち着いた様子である犬さんを預かってあげていた桜雪ちゃんは冬音ちゃんに犬さんを優しく渡し返してあげます。
どうやら龍人や歌い子たちは大聖堂の南側の大通りへと集合しているようです。
舞人が上空からそこを俯瞰した感想としてはやはり人の少なさでしょうか?
舞人の記憶の中ではこの街にも龍人や歌い子は合計で8000人ほどいたはずですが、現在はそれよりも3000人ほど欠いてしまっていたのかもしれません。
犠牲者の中にも数多くの知り合いがいたのでしょう。いい気分なんてしません。
でもだからといって顔に出して落ち込むほど舞人も幼くはなかったのですが。
「でもすごく偉いね冬音ちゃん? だって冬音ちゃんはさその犬さんを助けてあげるために“自分が危ないかもしれないよ?”ってことも覚悟したんでしょ?」
「以前からお父様とお母様は教えてくれました。『困ったさんがいたら手を差し伸べてあげるように』と。わたしはこの犬さんも“困ったさん”だと思ったのです!」
龍人や歌い子たちのもとを目指すためにと舞人が歩みを進める中で、すぐ左隣を歩いてくれている冬音ちゃんの綺麗な瞳に舞人が優しく微笑んであげると――、
「? でもお父様? 何かお父様は急に雰囲気をお変えになられましたか?」
「うん。まぁそれはぼくにもいろいろあるからね?」
「いろいろとは?」
「まぁ例えばだけどぼくは負鳴る者を知らないとか、天姫ちゃんを握るまで記憶を失っていたとか、体の中に鬼さんみたいな不思議な子が住んでいるとか――」
「? どうしてお父様はあの恐い人たちを知らないのですか? お父様とあの人たちはお知り合いではないのですか? 天姫ちゃんに歌ってもらってお父様はこの前もわたしたちを救ってくれたではありませんか。それがちょうど3日前ですよ?」
「……えぇ? それってマジ?」
「マジですよ。わたしはお父様にうそなんてつきません。絶対に」
「まぁそれは確かにそうなんだけど、ぼくは本当に負鳴る者の事なんて知らなかったし、天姫ちゃんに歌ってもらうことだってできないよ? もしもぼくにそんな力があるならさっき使ったはずだし、今意識したところでそんな力は使えないもん」
「でもあの方は絶対にお父様でしたよ? わたしがお父様のことを見間違えるはずがありませんもん。それに瑞葉お兄ちゃんや奈季くんもお父様をみています!」
これほどに説得力のある言葉もそうなかったでしょう。瑞葉くんはもちろんもう1人の親友である奈季くんの保証まであるなら舞人も頷くことしかできません。
「……えぇ。でもマジでそれってどういうことなんだろ。さっぱり意味がわからないや。――でもそうだ桜雪ちゃん! ぼくマニアの君はこの件をどう思うの?」
「……どう思うもこう思うもわたくしもお兄様が瑞葉様や冬音ちゃんの救世主になっていたなんて初耳ですよ。それにお兄様は本当に『負鳴る者』のことも知らなかったのですか? なんだかいつの間にか記憶を失ったのも冗談ではなくて?」
もちろんですがこの場にいる3人は誰もうそなんてついていません。それぞれが胸に抱く真実を口にしているだけなのになぜか話しは噛み合わないだけです。
3人の間にもゆっくりと沈黙が落ちてしまいました。
何かがおかしいと感じていた舞人の違和感はさらに強まってしまうばかりです。
未だに舞人が気付けていない“この世界の齟齬”もあるのでしょうか?
でも舞人がそのことを確かめる前に――、
「やぁ。久しぶりだねみんな。遅刻ぎりぎりかな?」
やっと再会することができました。旭法神域の龍人や歌い子たちと。
舞人はこの時だけを願って何十万の負鳴る者の世界を突破してきたのです。
喜びも一入でした。
ほとんど間を置かれることもなく猛風が吹き荒れたような歓声が届きます。
彼らの声が紡ぐ風だけで舞人の黒髪や外套が激しく煽られてしまいました。
まさに待ち望み続けていた勇者様が現われてくれたような絶大なる賛美です。
第6話 『聖女の恋心』と『蜜月の吹雪』
旭法神域の信徒たちによるこれほどの反応。
3日前の舞人が彼らの救世主だったという話しも本当なのかもしれません。
でもそのような英雄的な存在がこのような状況で再来をすれば舞人だって彼らの反応は理解できますが、この場には瑞葉くんという絶対的な存在がいるはずです。
……まさかねぇ……と舞人が思ってしまう中で――、
「馬鹿冬音!」「冬音ちゃん!」「ふゆねぇ!」「冬ちゃ~ん!」
と犬さんを抱っこする冬音ちゃんの名前を数多くの少女が呼んでくれました。
そんな中で1番最初に駆け寄ってくれたのは冬音ちゃんのお人形さん仲間です。
お人形姉妹のもう1人である智夏ちゃんでした。
冬音ちゃんがなんともしょうもない事ばかり考えている問題児であるのに対し、智夏ちゃんは本当の問題児なのです。簡単にいうとお年頃の女の子なのでした。冬音ちゃんは舞人のことを「お父様お父様」と慕ってくれるのに対し、智夏ちゃんは舞人のことを頭が禿げたお父さんのように扱ってくるのですから。瞳があっただけで、「はいっ。1秒後に死んで」といわれるのなんて日常茶飯事でしょう。そのくせ自分のことは王女様か何かだと思っているのか――何か困ったことがあった時は“とりあえず舞人を使う!”という選択肢しかないようなので舞人も涙が出ます。
長女が智“夏”ちゃんで、次女が“冬”音ちゃんでした。
2人とも季節に関係しているのです。
「……いい加減にしなさいよね、馬鹿冬音。どうしてあなたはさ風歌やわたしと約束していた時間までに戻ってこなかったのよ。……すごく馬鹿なあなたのせいで、どれだけわたしたちが心配したじゃなくて――迷惑したと思ってんの!」
「……ごめんなさい智夏……。……いっぱいご心配をかけてしまったなら申し訳ありません。わんわんさんが困っていたから助けてあげていたんですよ……」
「でも普通はね優先順位っていうものがあるでしょ、優先順位が!」
「……確かにそれはそうですね。智夏はとても賢いです。本当にごめんなさい」
「もう意味わかんない! 謝っても許してあげないからね!」
「うぅ。そんな意地悪さんをいわないで、仲直りのチューをしましょうよ、智夏!」
「はぁ!? 仲直りのチュー!?」
さすがに舞人も愛娘たちのイチャイチャを盗み見るような趣味はないので、2人のことを考えて瞳を逸らしてあげる中で、舞人の視線が動いた先には“南側の大通りの龍人や歌い子たちが1キロメートルほど先まで広がっている様子”でした。
無事であると断言できるだろう人はほとんどいずに大半の人が重軽傷者です。
「……でも心配をかけるようなまねをしてごめんなさい風歌お姉ちゃん様。わんわんさんを助けてあげたら約束の時までにはただいまをいうつもりだったのですが、わたしがお馬鹿さんだったために大変なご心配をおかけしちゃいました……」
「大丈夫ですよ冬音ちゃん。冬音ちゃんさえ無事なら私たちはそれで十分ですから。別に叱ったりはしませんから安心してください。――でも冬音ちゃん? 今回は舞人さんが助けてくれたからよかったですけど、これからはもっと気をつけないとダメですよ? もうお姉ちゃんの冬音ちゃんならそれくらいわかりますよね?」
冬音ちゃんにとっての風歌ちゃんは本当のお姉ちゃんのようなんでしょう。
今もやけに頷いているようにはみえますがそれもふざけているつもりなんてなく、ただ相槌が下手なだけでとても一生懸命なんだとわかる舞人は微笑みます。
「でもとても偉いですね冬音ちゃんは?」
「???」
「冬音ちゃんはこの犬さんのことを助けてきてあげたんですか?」
こうして風歌ちゃんからも優しく褒めてもらえると冬音ちゃんはにこにこ笑顔になって、“犬さんを助けてあげた時のこと”をとても嬉しげに風歌ちゃんにも語ってあげていたのですが、風歌ちゃんの周りに控えてくれている少女たちが笑顔で近寄ってくれると、冬音ちゃんはお姉さんたちに犬さんのことをお願いします。
そして冬音ちゃんもちゃっかりわんわんさんと一緒に付いていこうとすると、智夏ちゃんに“あなたはここで大人しくして待ってなさいよ”と捕まる中で――、
「……ちょっと馬鹿桜雪。こんな時まであなたもどこで何をしていたのよ……」
「はぁ。まさか嫉妬ですか風歌。わたくしが大好きなお兄様と一緒にいたからと?」
「……別にそういうわけじゃありません。私はあなたを心配して怒ってるのに~」
まるでお互いに恋人でもみつけたようにして間近に駆け寄りあったはずの桜雪ちゃんの右足を、風歌ちゃんは自分の左足でぎゅ~っと踏ん付けてしまいました。
風歌ちゃんと桜雪ちゃんはお互いの兄同士のように親密な関係なのです。どんな相手にも謙虚に接する風歌ちゃんが桜雪ちゃんには良い意味で例外なのですし。
「久しぶりちなっちゃん。またこうして会えて何よりだよ。今日も可愛いね?」
「ちょっと! 気安くわたしの髪の毛に触らないでよ馬鹿舞人っ! ――ていうかあなたも今までどこで何をしていたの!? さすがに間抜け過ぎるでしょ!?」
「……その批判はもっともだね。ぼくが間抜けなせいで迷惑かけてごめんちゃい」
「……いやっ。まぁあなたが無事ならとりあえずはそれでいいんだけどさ――風歌が何かいいたそうよ! わたしはいいから風歌の話しを聞いてあげなさいよ!」
「えぇ。まさかちなっちゃんまで嫉妬してるの?」
「……んなわけないでしょうが! ……なんでいちいちあなたが風歌と話してるだけで嫉妬しなくちゃいけないのよ! あなたも頭おかしいでしょ本当に!」
「智夏ちゃんはお顔可愛いでしょ本当に!」
「はぁ!?」
何を言っても言う事を聞いてくれる冬音ちゃんはもちろん可愛いのですが、何を言ってもあぁいえばこう言い返してくる智夏ちゃんも同じような可愛さでした。
ほっぺにチュ~をしたいと舞人は本気で思ってしまいます。
「でも本当にありがとうございました舞人さん。冬音ちゃんとあの犬さんのことを助けてきてくれて。舞人さんもどこかお怪我などはなされませんでしたか?」
瑞葉くん兄妹の名前も覚え易いです。“瑞々しい葉っぱは風に歌う”という事で。
風歌ちゃんは美形でした。花顔雪膚な容貌です。雪のように白いお肌でした。
兄上である瑞葉くんも確かに容貌だけは整っていますので、実の妹だろう風歌ちゃんがその遺伝子を受け継ぐのもある意味では当然の帰結なのかもしれません。
でも風歌ちゃんは瑞葉くんのようになんとも些細なことで大騒ぎをしてみたり、人一倍お化けを恐がってみたり、何か嬉しいことがあれば全身で喜びを表現して、何か嫌なことがあれば今にも死んじゃいそうなお顔をすることが――ありません。
風歌ちゃんは“人の上に立つ者”としてのお手本のような少女でしたから。
そんな風歌ちゃんにはおそらく瑞葉くん譲りだろう“誰にでも好いてもらえるような親しみ易さ”もあったので、舞人から生まれたのも自然な微笑みでした。
「ぼくは桜雪のせいで少し心に傷を負っただけだよ。――瑞葉は?」
「……舞人さんとはそのことでも少しだけお話しをさせてもらいたかったのですが、その前にまた一つだけ別の件でお力を貸して頂いてもよろしいでしょうか?」
「風歌のためならぼくは瑞葉のパンティーを盗む事だって厭わないよ」
「いやっ。さすがにそれは厭って下さいなお兄様。なぜにお兄様はご親友のパンティーを盗もうとしてるんですか。本当に阿呆ですねぇ。お兄様がそんなんだから冬音様までそんなんとしかいえない女の子に育ってしまったんじゃないですか?」
ほとほと呆れた顔をする桜雪ちゃんに上品な微笑みを返した風歌ちゃんは、舞人のことをどこかに案内したいようなので、もちろん舞人も追従してあげました。
……でもこうやって間近でみるとなんか今日の大聖堂って変な感じだよね?
「さすがは舞人くんです。桜雪とは違って話しが早くて助かります」
親近者しか周りにいない時の風歌ちゃんは基本的にくん付けで舞人を呼んでくれました。気のせいという言葉では片付けてはいけないほどに親愛的な様子で。
「実は現在は大聖堂も何者かから支配権を奪われてしまっている状況なんですよ」
第7話 『霜露の友人』と『追憶の恋人』
大聖堂の支配権が何者かから奪われてしまっている。
それはつまり風歌ちゃん側にとっても“知らない結界”が何者かから生み出されていて、大聖堂の一部を隔離されてしまっているという状況のことでしょうか?
「じゃあもしかしてそこにさ中心的な龍人や歌い子たちも取り残されているの?」
「それも舞人くんのお考えの通りですね」
「まさか奈季もそこにいたりする? こんな状況でもあいつは寝ていてさ」
「……確かに奈季くんならそれも十分にありえそうなんですが――」
「野蛮人代表のあいつなら結界なんて壊しちゃいそうだよね。じゃあ奈季は?」
「奈季くんは……瑞葉くんからのお願い事を今も行ってくれているようですね?」
「雪が降るんじゃない。あの金髪がお天道様に自慢できるようなことをしたらさ」
今ごろは奈季くんもくしゃみでしょう。いいように舞人から馬鹿にされて。
「……あっ。でも舞人くんなら瑞葉くんから聞いていましたよね?」
「何を?」
「昨日から瑞葉くんが旧東京都へと赴いていたということを」
「……いやっ。聞いてないなぁ。てか忘れたのかもしれない。寝すぎてね」
もちろん風歌ちゃんは“?”となってしまいますが、舞人の左隣を歩く桜雪ちゃんが補足説明するとさすがの風歌ちゃんも『えぇ~!』という感じで驚き――、
「……でも本当になんともないんですか舞人くんは?」
という風に何よりも舞人のことを心配するような瞳で気遣ってくれるので――、
「ぼくはぜんぜん問題ないよ。風歌のことだけはずっと覚えていたからさ」
なんて失笑もないほどにくだらないことをいい風歌ちゃんの頬を赤く染めさせてながらも、桜雪ちゃんが漏らしたため息で現実へと帰った風歌ちゃんは舞人に魔法紙を渡してくれてから、口頭によって伝えたい事の要点は語ってくれました。
どうやら瑞葉くんは、“これからこの国全体でどのように負鳴る者に対処するのか?”ということを話し合うための会議に出席するために旧東京都へと赴いてくれていたようですが、本日の午前2時頃から消息が不明になり、会議を主催した『聖国教会』と『天都寺院』側からは、『瑞葉くんがいなくなってしまったのでこちらも探している』という報告を受けているですが――何が起こっているのかまったく掴めていないという背景事情もあり、一応は風歌ちゃんからも信頼できる人たちに瑞葉くんの捜索を願っているようでした。
「……でも何かトラブルに巻き込まれている可能性はゼロに近いだろうねぇ……」
「瑞葉くんならそのような場合も何らかの形でコンタクトは取れるでしょうから」
“それじゃあ瑞葉は自分から姿を隠さないといけないほどこそこそ何をやっているんだろ?”という疑問が当然舞人の中には浮かびましたが、舞人よりも多くその点を考えただろう風歌ちゃんにわからないものが今の舞人にわかるはずもなく――、
「……だから今はただ瑞葉くんを信じて待つしかないのですが、実は大聖堂の中には教会全体がとても大切に扱っていたようなお方が未だに残っていらして――」
この街の中心にある大聖堂とは合計で“6つのお城の集合体”でした。五芒星の極点にそれぞれ1つずつ大きな城があり、それらの中心点にもう1つです。
南東側にある大聖堂。そこには“礼拝堂”としての役割が授けられていました。
長椅子と石柱が一望できるその空間の奥には大理石の主祭壇がみえます。
大理石の主祭壇は“天使たちが住むような世界”がモチーフとされていました。
数千にも及ぶ美麗な装飾が1つの世界を織り成す様はまさに瑞葉くんです。
「……もしかしてその教会が大切にしている人って惟花さんのこと?」
「……お知り合いだったんですか?」
「まぁ軽く合わせあった程度だよ。でも風歌も惟花さんの事は知ってるでしょ?」
風歌ちゃんはお顔を左右に振ります。驚いたというよりも信じられない様子で。
第8話 『幽冥の真実』と『決意の夜光』
確かに惟花さんは風歌ちゃんを自分の妹のように可愛がっていたはずでした。
それなのにこの風歌ちゃんの反応はいったいどんなことを意味するのでしょう。
疑問ばかりが増える中で風歌ちゃんの右後ろの少女の携帯が鳴り響きました。
“電話に出てもいい風歌?”という視線が風歌ちゃんへと向けられます。
優しげに風歌ちゃんは頷きました。
そして風歌ちゃん自身は左耳のイヤリングから電話の内容を同時に受け取る中でまず1つ目に伝えられていたこと。それは純白の結界のことでした。例の純白の結界も耐えてあと3分のようです。龍人や歌い子の全快は非現実的でしょう。
そして2つ目に伝えられていたこと。それは瑞葉くんに関することでした。瑞葉くんの調査を願われていた7人全員が消えたようです。旧東京都内に入ってから。
そして最後には今の風歌ちゃんでさえも瞳を瞑るような報告が行われました。
舞人も風歌ちゃんのそんな表情までは見逃しませんが発言までは聞き逃します。
歩みを進めようとする風歌ちゃんのことを舞人は優しく右手で止めました。
「ねぇ風歌。この中にはさすがに負鳴る者たちもいないんでしょ?」
「……えぇ。礼拝堂の内部まではまだなんともないはずですが――」
「じゃあ状況は予想以上に深刻なのかな。冬音と智夏は外に音を漏らさないように! 桜雪と風歌はみんなに歌って! 静空たちは一応その場に伏せておいて!」
指示を出しながらもすでに舞人は風になっていました。
3本ほど右斜め奥の柱の影から黒きナイフが5つほど投げ飛ばされてきます。
舞人は美しき残像となりました。左斜め前へと回避行動を行うことによって。
1拍後には大きな爆発音と破壊音が舞人の背中を叩き付けます。
投擲されたのはただの刃ではなく爆発作用があるものだったのかもしれません。
やってしまったという自責の念。そしてそれ以上の苛立ちが心に芽生えました。
黒の侵入者はそんな舞人に触発されたようにして新たなる刃を投擲してきます。
舞人は全ての刃を右腕で受け止めました。
ブロック塀で殴られたような衝撃が5回ほど連続で襲ってきます。
右肩が脱臼しました。
脱臼した右腕は爆散します。
舞人の左手に握られていた白き刀は“黒き影の首”を斬り飛ばしていました。
「あんなんでも瑞葉は幸運の置物か何かだったのかな。こんなに不運続きではさ」
風歌ちゃんにとってもさすがに予想外でしょう。結界の内側が彼らによって穢されているのは百歩譲って想定内でも、結界の外部にまで溢れ始めて来ているのは。
「……舞人くん。念のために惟花さんたちのもとに急いであげてもらえますか? 本来は瑞葉くんのお仕事を舞人くんばかりにお願いして申し訳ないのですが……」
舞人が愛する少女と彼女の妹である美夢ちゃんの名前も覚え易かったでしょう。
“惟だ1つの花は美しい夢”を紡ぎだすということで。
「気にしないでよ風歌。ぼくは風歌のためなら悪魔にも天使にもなれるからさ」
舞人は風歌ちゃんの黒髪を撫でると大聖堂の中央部を目指していきました。
歌い子としては桜雪ちゃんが付いて来てくれます。
「……ということなのでみなさん? 大聖堂内の全域にまですでに彼らが生じてしまっているのかもしれませんので、愛佳ちゃんは北で月華ちゃんは北西で、詩穂ちゃんは北東で沙織ちゃんは南西で、そして冬音ちゃんはここで――彼らを封じ込めてもらえますか? 万が一にも街中にまで許してしまえば私たちも終わりかもしれません。動揺が広がれば敗北は決定的ですから。――お願いできますよね?」
風歌ちゃんは自らの姉妹たちと信愛する少女たちへと瞳を送りました。
「……また智夏ちゃんと静空さんは――」
そして風歌ちゃんが残った2人へと大聖堂の防衛以外の何かを願う中で――、
「さすがに君たちも土足が過ぎるだろ。いくらこの大聖堂がおんぼろでもさ」
舞人の瞳も確かな決意に満ちていました。
第9話 『終天の迷路』と『開花の弓矢』
左斜め奥の柱の影から姿を現した少女と舞人の瞳が重なった瞬間にすでに少女は舞人の眼前へと瞬間移動して黒き鎌を振るっていましたが、舞人は白き刀によって間一髪でそれを受け止めると、ほとんど同時に放った左足によって少女の左腹部を捉えるとうそのように吹き飛ばし、背中から柱へと衝突させていました。
そして続けざまに左背後からも何者かが迫ります。
振り返りもせずに放った白き刀によって舞人は新たな人影も消し去りました。
「でもさ力技でこの黒い結界を壊しちゃうのはやっぱり厳しいの?」
「もちろんお兄様ならそれも不可能ではないでしょうが、急がば回れでしょう?」
黒き扉へと右手を当てた桜雪ちゃんは迷路模様の結界へと自らの白き血を流し込みます。正規の開閉者として扉に認識させるために。そしてちょうど7秒後でしょうか? 彼女が黒き結界の認識を改変し、“黒き鍵”を刺激してくれたのは。
黒き結界に染められていた扉がゆっくりと開いていきます。
「どうせならロマンティックがよかったのに。扉を開けたら知らない世界ならさ」
大聖堂の連絡路の内部までも漆黒の結界でした。すでにこちら側までも彼らの支配下であるように。閉じた扉からは黒き濁流が流れてきます。退路を奪うように。
黒き霧によって満たされた通路内では青白き鎖が踊っていました。
舞人は桜雪ちゃんの右手を握ったまま通路を駆け抜けます。
青白き鎖は2人を捉えられません。舞人たちが奇跡のように生きるから。
そして通路を風切った弓矢。それらが青白き鎖の間を縫って黒き龍人たちを射抜きました。“相手にとって未知なる能力を使用できる”という桜雪ちゃんらしく。
「ていうかさ桜雪ちゃん! ぼくは“負鳴る者”の事もさっぱりなんだけど!?」
「はぁ。そこからですかお兄様はって。確かに今までのお兄様はそんな話しを聞く余裕さえもなかったようですからね。記憶を失ったあげくに意味不明な自体に巻き込まれ、こうもアグレシッブに生きているのは有史以来お兄様ぐらいでしょう」
「! そんな冷静に分析しないで多少は可愛そうなぼくのために憤ってよ!」
「彼らの事は詳しくはわたくしたちもわかっていませんし、だからといって詳細を調べている時間もなさそうなんですが――現段階でもわかっていることは彼らが一般人と呼ばれる方々を一方的に飲み込み続け、尊敬をするような勢いで勢力を拡大している点ですね。たった1週間でこの国の半分も彼らに飲まれました」
第10話 『大空の回廊』と『煙焔の階段』
大聖堂が合計で6つの区画に分けられているのは幾度か述べましたが、それら6つの役割まではまだだったでしょう。だから以下にその役割を記しておきます。
まず第一に先ほどの南東側の大聖堂が“礼拝堂”としての役割を果たしているのに対し、北部側の大聖堂は旭法神域の司祭以上が話し合う“議会の間”でした。
そして南西の大聖堂が県民向けの魔法陣関係を貸し出している“魔法の間”であるのに対し、北東の大聖堂が県民向けの行政を司る“施政の間”であり、北西の大聖堂が龍人や歌い子が親睦を深めたり、武器貯蔵庫が眠る“演舞の間”でした。
そしてこれを中央区域にも置き換えると、“旭法神域の本拠地”となりました。
本来はいま舞人たちがいるエントランスも一枚張りの真紅の絨毯が床には敷かれ、天井には上品な装飾がされた豪奢なシャンデリアがみえ、クリスタルの窓硝子からは陽の光りが入り、どこからともなくパイプオルガンの音色が聞こえる――というほかの教会の上役を招き入れてもなんら恥ずかしくない空間のはずでした。
でも今はありとあらゆるところが蠕動する黒き結界によって支配されています。
その深刻さを示すように黒き床の上には死体がごろごろと転がっていました。
それでも今の舞人たちには彼らを弔ってあげるような猶予もありません。
背後からは濁流が迫り、正面には黒き龍人と歌い子たちですから。
「……でもこんな感じだともうこの辺りにも誰も残っていない感じなのかな?」
「今は祈るしかないのでしょうね。無事に惟花様たちは最上階に向かえていると」
さすがの負鳴る者たちもこの空間内では外の世界のような“数の暴力”を使うことも出来ないようで、舞人たちを待ち構えるのはわずかな龍人や歌い子でした。
このまま行けばお互いの位置的に舞人が疾風を纏う龍人の相手で、桜雪ちゃんが双刀を握る龍人の相手となりましたが、どちらが貧乏くじかはわかりません。
でもそんな中で舞人は桜雪ちゃんの胸部へと何かが入り込むのを感じました。
白き血液を媒介に“相手にする龍人を変えれる?”と桜雪ちゃんに伝えます。
彼らと交錯する直前に2人は斜めに交差しました。
何千回と練習したような息の合った動きには黒き龍人たちも追いつけません。
空気を破壊するような勢いの舞人の白き刀が双刀の龍人の心臓を割りました。
桜雪ちゃんの胸部に生まれていた“何か”は磁石だったのかもしれません。
この闇色の龍人が両手に持つ短刀とそれは対極を成していたのでしょう。
桜雪ちゃんに切り伏せられても直後に投擲さえすれば確実に相手を殺せます。
とても素晴らしい作戦でしょう。
唯一不運だったのは舞人に全てを気付かれてしまったことだけでした。
舞人が白き刀を振り終えた時にはすでに疾風の龍人も死者になっています。
疾風の衣を纏っていた彼の胴体も桜雪ちゃんに真っ二つにされていましたから。
桜雪ちゃんが使った技の詳細まではさすがに舞人もわかりません。
無限大とも呼べるような可能性が桜雪ちゃんの右手にはありましたから。
でも素直に舞人も桜雪ちゃんは強いと思います。“生み出せる能力は無作為で、一度選択した能力は3分間変更できない制約”はあっても強力過ぎる能力でしょう。
「強いね桜雪ちゃん。君の強さは本物だよ。――さすがはぼくの妹ちゃんかな?」
階段の終着点であった五角形の空間へとも2人は到着できました。
そしてそこからは東西南北に伸びる4つの空中回廊です。
舞人は右斜め方向にみえていた北側への進路を迷わずに選択しました。
でも予想通りに空中通路は崩壊してきたので舞人は桜雪ちゃんを右手だけで抱えると、そのまま勢いよく1つの煉瓦を蹴り出し、壁沿いの回廊へと到達します。
「ふぅ。なんかいつもぎりぎりだね。逆境に追い込まれるのは慣れっ子だけどさ」
「だからお兄様は嫌なんですよ。疫病神とばかりイチャイチャしていますから」
文句ばかり述べてくる可愛い桜雪ちゃんを右腕で抱いてあげたまま舞人は壁沿いの回廊も全速力で駆け抜けて行きましたが、この壁沿いの回廊も建物を一周していて、その南北の位置にはさらに建物の深部へと目指せる通路があるはずです。
舞人は北側の通路を発見できるとそちらへと曲がりました。
そしてこの通路の最奥にある分岐点も左右どちらかに進めば上階への階段です。
「そういえばさ桜雪ちゃん! もしかして君も惟花さんのことは覚えてないの?」
「はぁ。わたくしがお兄様の恋人さんを忘れるような失礼な人物にみえますか?」
……ていうか惟花さんって、“この世界”ではぼくの彼女になっているんだ……。
……やっぱりいまぼくがいるところって何かが変だよねぇ……。
舞人たちも無事に新たな分岐路へと辿り着けました。
でもいざ舞人が右手側の通路に曲がろうとした直前に急激な気配が届きます。
第11話 『邂逅の智慧』と『忽然の連想』
警戒心ばかり先行したせいで舞人は未知の気配に白き刀を振るおうとします。
でもその瞬間に――、
「……そちらに踏み入れるのは危ないと思いますよ。地雷原がありますから……」
黒き気配に染まってない白き少女と瞳があったので舞人の左手も止まりました。
どこか大人しげな少女が羽織るのは黒色のローブではなく白色のローブです。
もしかしたら教会側の関係者なのかもしれません。
おそらくこの少女は黒き結界と同化することで生きながらえていたのでしょう。
弱々しい感じで倒れ掛かってくるので舞人は少女の事を抱きかかえてあげます。
でもこの場にいるのはもうこの少女だけでした。
黒き濁流は轟音を立ててすぐ背後まで迫ってきています。
舞人は分かれ道へと入りました。
桜雪ちゃんのことは右手に抱えたまま、新たに少女のことを左手に抱えて。
「大切な事を教えてくれてありがとう。君がいなかったらぼくたちも危なかったよ。聖国教会側から来てくれていたっていう惟花さんや美夢の守り人さんかな?」
地雷原があると教えてくれたのにわざわざ廊下を踏むようなまねはしません。
白き血を糸状にしたものを廊下のシャンデリアに巻きつけて移動しました。
「まぁでも変に謝らないでよ。今は君が生きてくれていた事だけで十分だからさ」
舞人たちも無事に3階の廊下部分へと到着できました。
やはりここも心臓のように鼓動する黒き結晶によって支配されているようです。
「……でもやっぱりここら辺ももう誰も残っていない感じなのかな?」
負鳴る者は上階に向かえば向かうほど姿があるのに教会側の龍人や歌い子とは誰一人とも出会えません。無残に床に落ち崩れた死体が瞳に入り込むばかりです。
そしてそんな時になぜか舞人は胸がざわめくような感覚を覚えてしまいます。
「……。……。……。……うそでしょ……。……。……。……」
“白き雪の結晶と十字架の首飾り”でした。
“白き雪の結晶と十字架の首飾り”が派手に飛散した死体の中に落ちています。
赤黒い血肉で汚れたあれは舞人が首元にかけているものと同じ装飾品でした。
右横にあるドアがけたたましく開きます。
「「「……!!!」」」
化け物としか呼べない“何か”が扉の入り口を壊しながら肉薄してきました。
第12話 『匡救の魔剣』と『終曲の死線』
左腕で抱いていた少女が悲鳴をあげます。自身の恐怖の最奥を刺激されたように。少女は舞人の左腕さえ解くと一心不乱に左方へと逃げて行ってしまいました。
舞人もとっさに現実に返りますがもちろん左手には白き刀が握られていません。
精一杯として桜雪ちゃんのことだけは右手側へと跳ね除けました。
瞬き一つのあとに化け物の巨大な掌が舞人の顔面へとのめり込みます。
まるで殴り殺すような勢いで背後の黒き壁へと叩きつけられてしまいました。
脳味噌や眼球や頭蓋骨などが真っ白な血とともに派手に飛散します。
頭部を失った舞人の身体は力を失ったようにそのまま廊下へと座り落ちました。
「ほいほい人助けばかりしてるからご自慢の顔もろくに守れないんですよ本当に」
桜雪ちゃんの右手から振り抜かれた“真紅の魔剣”。それが大木のような化け物の手首を打ち付けました。続けざまに舞人へと黒き巨拳を殴り下ろそうとしていた化け物の力が一瞬だけ弱まります。それはまるで飢餓状態にでもなったように。
化け物の左手は狙い通りに落下しません。
頭部なき首元ではなくぽっかりとしていた舞人の両太ももの間へと落ちました。
「でも惟花様の落とし物は無事に拾えましたかお兄様?」
桜雪ちゃんへの答えに舞人は左手に握ったネックレスを差し出します。
桜雪ちゃんは小さく微笑むと舞人の右手を握って立ち上がらせてくれました。
「それなら何よりです。今は信じてそのネックレスを守り続けていて下さいね?」
何はともあれあの黒き化け物と遭遇してしまった今は逃げるしかありません。
破壊的な音を立てながら追って来る黒き化け物に追跡されるのは単純に不愉快ですが、今の舞人と桜雪ちゃんでは彼のことをどうにもできませんから。
舞人の全ての力を導き出してくれる“歌い子”はこの世界で1人だけでしょう。
その少女と出会えさえすれば背後から来る化け物もなんとかできるはずでした。
しかし祈るように舞人と桜雪ちゃんが向かった最上階への階段の中腹には――、
第13話 『生命の浄火』と『心葉の約束』
まるで死の行き止まりであるようにあの化け物が魔法陣へと転移しました。
もう全てが終わりだったのかもしれません。
舞人は桜雪ちゃんを反射的に押し倒してあげると彼女の上へと乗りかかります。
舞人が桜雪ちゃんを庇ったのと同時に黒き化け物は廊下の両壁を激しく破壊しながら、嬉々として頭部を食い殺そうとしました。下呂と下痢を混ぜたような臭気の生暖かい口臭が舞人へとかかります。舞人は左手の首飾りを強く握りました。
そして願いは“女神”へと届いたのかもしれません。
舞人が首元へと飾っていたネックレスと、先ほど拾ったばかりで左手に握りっぱなしだった惟花さんのネックレス。そんな2つが触れ合っていた胸元辺りから、“まるで誰かに手でも握ってもらえたような優しさ”が届いて来てくれたのです。
それは“天使のように清純で恋のように甘く女神のように美麗な歌声”でした。
麻薬でも吸ったような陶酔感が胸を占め“純白の力の波動”が全身に迸ります。
すぐに放たれた左手の刀は純白の一線を生み出し、黒き巨体を浮かせました。
「だからわたくしはいったでしょうお兄様? 惟花様は生きていらっしゃると?」
「……そうみたいだね。惟花さんはやっぱり無事みたい。まさに救世の女神様だ」
そのまま体勢を立て直した舞人と桜雪ちゃんが再び最上階へと駆け上がる中で、舞人の閃光を喰らったからとあの化け物が再起不能なんて夢のまた夢です。
階段から這い上がった彼は騒々しい破壊音とともに追跡を続行してきました。
「……。……。……。……あの子は……。……。……」
先ほど舞人の左腕から逃げてしまった少女かもしれません。
彼女は何者かによって胴体を切り裂かれて、最上階の廊下で絶命していました。
「お兄様に罪はありませんよ。お兄様ができる限りのことはしましたから」
仮に桜雪ちゃんはこう慰めてくれても、だからといって舞人の心は晴れません。
それでもやはり今の舞人には彼女に冥福を捧げる余裕も与えられない中で――、
「……凛華……?」
この大聖堂内に入って始めて舞人が“旭法神域の信徒”と再会できました。
弱々しい息遣いではありますが、まだ辛うじて彼女には生命の鼓動があります。
「……舞人くん……?」
「うんっ。ぼくだけど……もしかしてお腹を怪我しちゃってるのかな?」
「……私は大丈夫です。だから早く瑞葉さんの部屋に行ってあげてください……」
「……うんっ。わかった。ほかに誰かは?」
「……もういないと思います。みんな殺されちゃいました。……あと舞人くん?」
凛華ちゃんの命の灯火はあと本当にわずかなのかもしれません。舞人は壁沿いへと腰掛ける彼女の小さな口元へと顔を寄せると最後の言葉を聞いてあげました。
そうして凛華ちゃんが伝えてくれた想い。それは舞人の心を揺らしました。
彼女を軽く抱き寄せていた舞人が一時的な放心状態になってしまう中で――、
「「……?」」
すでに全員息絶えてしまったはずの人影がなぜか舞人の横目へと映りました。
友好的な表情です。舞人の視線の全てが彼の笑顔に吸い込まれてしまいました。
そんな中で青年は指を鳴らそうとします。
音が鳴り終わる直前に桜雪ちゃんが血飛沫の中に落ちていた刃を投擲します。
青年の喉仏から赤き血潮が迸りました。
青年はゆっくりと後ろへと倒れていきます。
「とんだ食わせ物ですねぇ。何事もなくここまで彼らに侵略をされるとも思いませんでしたが、惟花様を護衛してきた方々がそういう用件なら納得もできます」
桜雪ちゃんの攻撃があと一瞬遅ければ舞人と桜雪ちゃんも傷を負っていました。
化け物に追われている現状では、それは“死”を意味していたのでしょう。
それでも“凛華ちゃんの最後のささやき”と、“聖国教会側から訪れて来ていた一部の人々が敵だったという現実”は信じたくないほどに重なっていたのでした。
第14話 『幻世の女神』と『荊棘の花嵐』
このような仮定は万が一にもありえませんが、もしも舞人が“惟花さんと美夢ちゃんの暗殺を聖国教会側から密命として授けられていた”としたら、まずは“旭法神域側の信者たちと自分たちに準じていない聖国教会側の信者たちを皆殺しにしたあとに、妨害のない中で惟花さんと美夢ちゃんを殺そうとした”はずです。
もちろんその時も負鳴る者を使うのではなく仲間を装っての殺人でしょう。
「……。……。……。……桜雪と……舞人……!!!???」
瑞葉くんの執務室は入り口の扉からみて真正面の位置に暖炉があり、四方の壁にはとても背の高い本棚が立てられていて、部屋の東側には弾いているところなんてみたことのないようなグランドピアノやヴァイオリンや飾られ、瑞葉くんが日頃からお世話になっているソファーやローテーブルなどは部屋の中央にありました。
惟花さんと美夢ちゃんとは2人が座っている位置的に真っ先に瞳が合います。
そしてそんな2人の後ろには舞人たちへと同じく瞳を向ける6人の少女でした。
「やっと先手を取れたかな。伏せて美夢。その娘たちはたぶんもう敵だよ」
すでに真紅の絨毯を駆けていた舞人は“裁きの白き天使”でした。惟花さんの右斜め後ろに控えていて魔導杖を持った長身の美女が機先を制してくるよりも先に彼女の間合いにも入ってしまうと、左手の裸拳を彼女の胸元へと叩きつけます。
美女は一度だけ小さく息を吐くとうそのように舞人へと倒れ寄り掛かりました。
それでもこれで舞人が無力化できたのは惟花さんの右斜め後ろの美女のみです。
美夢ちゃんの後ろの女性は自由なる身のままでしょう。
彼女のことは桜雪ちゃんが相手をしてくれます。
美女の右腕で純白と漆黒が美しく交錯し合う腕輪が発光すると“生の慈悲さと死の残虐さを詠うような幻想的な槍”が彼女の右手に生まれましたが、桜雪ちゃんがそれに即応するように透明の小刀を投擲すると、直撃された槍は鎖へと変化し、桜雪ちゃんが小さく詩をささやくとその鎖は少女を縛って意識を奪いました。
最後に舞人と桜雪ちゃんは歌い子の少女たちも2人ずつ片付けてしまいます。
「……。……。……」
もともと美夢ちゃんは可憐な少女なので呆気に取られたお顔も似合いましたが、舞人は美夢ちゃんの前にしゃがむと彼女の黒髪へと手を置いてあげながら――、
「急に驚かせちゃってごめんね美夢? 本当は初めに色々説明してあげたかったんだけど、その時間も無かったみたいだからさ。でも何か心当たりはあるかな?」
「……いきなりそんなことをいわれても心当たりとかはないけど……」
「今はそういう現実があるみたいなんだよね。でもあまりにも意味不明な事が多すぎてぼくも詳しくはわからないんだけど惟花さんならもう全てに気付いてる?」
舞人がずっと会いたかった惟花さんは美夢ちゃんの左隣にいてくれました。
舞人はそんな惟花さんのことをとても大切そうにお姫様抱っこしてあげます。
最初は驚いた惟花さんもすぐに状況を理解すると微笑みを咲かせてくれました。
『……舞人くん……?』
「会いたかったよ惟花さん。さっきは本当にありがとう。今日も世界一綺麗だね?」
惟花さんは可愛いらしいというよりも美しいという系統の女性だったのかもしれません。こうしてまぶたを閉じている姿は“眠り姫”としか言い表せないほどに美麗なものでした。美を司る女神が“何千年と悩み続けた末に生み出した”といわれても十分に納得できてしまうほどの美しさなのです。清楚で淑やかな白さの魔法衣に包まれている長身な体躯もまるで芸術品のような艶美さと優美さでした。
『……舞人くんが無事でいてくれたならわたしはそれだけで十分だよ。でもまたこうして舞人くんと出会えて本当に嬉しい。今日も世界一格好いいからね……?』
もしも“舞人にとって惟花さんとはどんな存在なのか?”と誰かから問いかけられれば、それはさすがに舞人も悩んでしまったのでしょうが、それでも舞人が惟花さんに対して“もしかしたら惟花さんはこの世界の誰よりも才色兼備な女性なのでは?”という想いを抱いていたということは確かだったのかもしれません。
それでもだからこそ神々も見過ごすようなことはなかったのでしょうか?
舞人と始めて出会った時から惟花さんは“五感と声帯を失っていた”のです。
「この世界でも惟花様だけですね? お兄様との再会にもこんなにも喜んでくれる女性は。お怪我はもちろん何か困った事などもございませんでしたか惟花様?」
『う~ん。それはさ相変わらず舞人くんがお馬鹿なこととかでもいいの?』
「残念ながらそれはすでに殿堂入りでしょうねぇ。一種の不治の病でしょうから」
惟花さんと桜雪ちゃんが微笑ましいようないちゃつきをする中で、惟花さんの妹である美夢ちゃんはそんな惟花さんと桜雪ちゃんをじ~っと見詰めていました。
舞人はそんな美夢ちゃんの様子に思わず頬を緩めてしまいながらも――、
「でもさ惟花さん? 冗談抜きで惟花さんに会ったらずっと聞きたいことがあったんだけど、やっぱり惟花さんならぼくに何が起こっているかも気付いてる?」
舞人にとって惟花さんは女神のような存在でした。希望はあります。でも――、
『……もしかしてなんだか少し髪が伸びたんでしょ舞人くん?』
『……それぼくも思ったんだけどさなんか惟花さん少しぽっちゃりなされた?』
第15話 『世界の夢幻』と『彼方の記憶』
「お兄様と惟花様? マイペースなお2人でお見つめ合いをなされるのも大変結構ですが――お邪魔虫たちの登場ですよ。わたくしと美夢はその他大勢を相手しますので、お兄様と惟花様にはあの黒い化け物をお願いしてもよろしいですよね?」
黒き濁流がついにこの大聖堂の最上階にまで迫っていたのかもしれません。廊下の壁面へと突如紡がれた漆黒の結界模様から負鳴る者たちがにじみ出て来ました。
舞人は惟花さんを右腕で抱き上げたまま左手には白き刀を握ります。
実は舞人の白き血だけはなぜか惟花さんを罪と罰から庇うことも出来たために、あくまでもお互いに触れ合っている限りは彼女に五感と声帯を授けられたのです。
「ぼくたちは問題ないけど――桜雪と美夢は?」
「わたしたちも楽勝ですね。むしろ美夢にはちょうどよいダイエットでしょう」
桜雪ちゃんが足元に展開させた純白の魔法円から創造した雪色の槍と一緒に美夢ちゃんへと渡し放り投げた言葉に舞人は素直な微笑みを零してしまいながらも、黒き化け物によって破壊された扉の入り口へと舞人も白き結界を生み出しました。
黒き濁流がこの室内まで入り込んでしまうことはあと一歩手前で防げます。
やっぱり惟花さんは舞人にとっての最高の歌い子の少女なのかもしれません。
「……ってえぇ! ――ていうか舞人って惟花お姉ちゃんとお話しできるの!?」
「なんとか出来るけど逆に君の知っているぼくは惟花さんとも話せなかったの?」
巨大なる体によって入り口をけたたましい音で破壊しながら舞人たちへと雪崩れ込むように接近してきた黒き怪物は迷いなく襲い掛かって来ましたが、惟花さんの歌声のおかげによって化け物による攻撃も“まるで時が止まった”ように視認出来ていたので、砲弾のように迫ってきた黒き拳を回避する時も壁際の本棚との適度な距離感を取り続けながら最善のタイミングでかわしていくと、そのまま流れるように左手に握る白き刀によって、舞人は幾度も反撃を放っていきました。
「いやっ。まぁそういわれると話せたような気もするんだけど……衝撃的だわぁ」
「なんで花も恥らう乙女がそんな顔で驚いてるんだよ。ひょっとこかな?」
「ひょ、ひょっとこじゃないわよ舞人! わたしはひよこさんよ、ひよこさん!」
まるで鋼鉄の塊のようだった化け物の頭部も風船のようについに破裂します。
しかし――、
「……!」
化け物にとっての頭部破壊は第二形態への引き金だったのかもしれません。
今までは“逃げる舞人を明確な標的に秩序だった攻撃”を放ってきたはずなのに、“まるで理性を失った怪物のように手当たり次第に拳を振るってきた”のです。
それでも黒き化け物の攻撃を見切れる舞人にとっては攻撃の機会を探すだけならある意味で先ほどよりも簡単なのかもしれませんが、この部屋の中には舞人と惟花さんだけではなく浸食され続けている黒き壁面から現れ続ける負鳴る者を相手にしてくれている桜雪ちゃんと美夢ちゃんもいたのです。だから舞人としては化け物の全ての注意を集め続けるためには白き刀を重ね続けるしかありません。
それでもこの守勢の一方では先ほど反撃できた隙にも何も行えません。
舞人もさすがに左肘の痛みに限界が来てしまう前に動きました。
バク転です。
神速にも迫るような勢いで浮上した舞人の両足は化け物の両拳を綺麗に打ちつけると、蹴り上げられた化け物の両腕は喪失した頭部の位置まで跳ね上がります。
「さすがにこれで君も終わりだろ? 最後くらいは美しく散ってくれよ」
絨毯に足付いたのと同時に惟花さんから教えられた化け物の急所を一閃します。
これが終止符となって黒き巨体も力尽き果てたように地面へと倒れ込みました。
黒き巨体を上手くかわすように左側へとステップを踏んだ舞人が一息つくと、桜雪ちゃんと美夢ちゃんもそれぞれ黒き龍人たちの流入を止めてくれています。
「びったりだね。2人ともご苦労様。でも今は時間がないし、早く風歌のところに戻るべきなんだろうけど……ちょっとだけ待って! 万が一の時のために――」
戦闘の余波を受けてしまってかローテーブルから絨毯上へと落ちていながらも、紙面自体は無事だった瑞葉くんの1枚の魔法陣へと舞人は手を伸ばそうとします。
でもそんな中で舞人は我が目を疑ってしまいました。
「……えっ。なにこれ? この日本地図っておかしくない……?」
魔法陣の左斜め上に同じく落ちていた日本地図でした。それが舞人にとってはあまりにも信じられないものだったのです。“虫食い日本地図”とでも呼べるのでしょうか? 本来は47あるはずの都道府県がなぜか半減ほどになっていました。
望まれるべき日本国家の形も一応は想起できますし、東日本側の消失はわずかなのですが、西日本側に至っては驚きでした。岡山や島根や山口などは完全に消失していて、なぜか広島は離島であり、九州地方には福岡と鹿児島と長崎という3県しかなく、四国地方は全ての県の並びがめちゃくちゃになっていましたから。
「えぇ。何がおかしいのよ舞人。それっていたって普通の日本地図じゃないの?」
「……うそでしょ? それってマジなの桜雪ちゃん?」
「マジですよ。なぜにこんな状況でもお兄様にドッキリを仕掛けているんですか」
「……じゃあ惟花さんはこの日本地図をみてどう思う?」
『……舞人くんと同じかもしれない……』
「なんでそんなに絶望してるのよ。ぼくが死んじゃう時よりも悲しそうじゃない」
この日本地図のおかげでさすがに舞人も確信しました。
どうやら自分は何かの拍子で見知らぬ“日本”へと来てしまっているようだと。
第16話 『星霜の想望』と『生彩の大地』
「……まぁでも今はとりあえず外に出ようか? もうあまり時間がないしさ?」
舞人たち4人の前には理解の範疇を超えるような日本地図でした。
それでも今はこの街を守る白き結界が崩れてしまうのももう間もなくなのです。
大聖堂の4階から飛び降りることも舞人たちにとっては問題ではありません。
窓際から街中を見下ろした舞人の瞳には南側の大通りの歌い子と龍人が映りましたが、先ほどまでと同じく石畳に膝付く人は皆無でみな凛とした立ち姿でした。
「そうですね。でもこのような状況下で私がみなさんの前に立つことも最後になるかもしれませんし、むしろ最後にしないといけないような気もしますので、まずは一つ感謝をさせてもらってもよろしいでしょうか? いまこうしてみなさんの前に立たせてもらうことで改めて思ったのですが、所詮は『子供の夢物語』でしかなかったはずの瑞葉さんと私の夢をこうして形にできているのも――全てみなさんのおかげなんですよね? だから皆さんには心から感謝しています。でもそんな中で瑞葉さんや私はとても多くの成長をさせてもらえたと思いますが、みなさんだって同じくらいに成長してくれたと思いますよ? この国にもみなさんのような人がいる限りまだ夢半ばである私たちの願いもいつかは必ず叶えられる時はくるかもしれません。でもだからみなさん? 今はいつか来るべきその時のためにもう少しだけみなさんのお力を借りてもよろしいでしょうか? でもみなさんはただ自分の愛する人のために力を使ってあげてください。私なんかを守らなくても結構です。世界を救うのは私ではなくみなさんの優しい心ですから」
風歌ちゃんの言葉はまるで1つの詩のようでした。耳ではなく心へと届いてきたのです。人の心を惹き付けて離さない何かが風歌ちゃんの言葉にはありました。
「――またみなさんには最後にもう一つだけ伝えておきたいことがありましたが、やはりそれは『どんな逆境でも諦めなければ希望は訪れる』ということですかね?」
そして最後に風歌ちゃんの瞳が右後ろ斜めに届くので、風歌ちゃんと目があった舞人は微笑むと、惟花さんをお姫様抱っこしたまま窓枠から身を投げ出します。
荘厳たる風格の大聖堂が背後に佇んでいることもあり、とても絵になりました。
足がすくむような大勢の信徒たちからもどよめきがおきかけます。
それでも舞人はそんな信徒たちを制するように一度だけ視線を巡らせました。
言葉自体は一言も発されていないのに面白いほどの静寂さが戻ってくれます。
「……なんていうかまずはごめんね、みんな? 本来は一番ここにいるべき瑞葉がここに姿がなくてさ。瑞葉の代わりにぼくが謝るよ。本当にごめん。――でもだから今はみんなのことはぼくが守るよ。少なくともぼくはここにいるからさ?」
大地が揺れんばかりの大喚声が旭法神域のみんなからは響き渡ってくれました。
信徒たちのボルテージは最高潮に達してくれます。
そんな少年少女の反応を前にさすがに舞人も緊張感が解けた表情をしながらも、舞人が風歌ちゃんへと視線を送るとすぐに彼女も意味を理解してくれて、“先ほど指示した所定の位置へとついてくれるように”と信徒たちへと願ってくれました。
風歌ちゃんの意思に恭順を示した彼らは新たな大聖堂の防波堤となるために飛翔していってくれるので、そんな少年少女たちの事を舞人は見上げながらも――、
「やっぱりいざという時にも頼らせてくれるのは舞人くんですね?」
「ぼくは暇人だからね。惟花さんと美夢の事はなんとか救い出せたんだけど――」
桜雪ちゃんと美夢ちゃんもすでに地上に降り立ってくれていましたが、2人が運んで来てくれていた離反者たちの身柄は風歌ちゃんの傍の少女が預かってくれ、風歌ちゃんが小さく頷くと、彼女たちもしかるべき場へと連れて行かれました。
「やはりどこかに裏切り者がいるのは間違いないのかもしれませんね」
『実はぜーんぶ瑞葉くんの指示通りだったりして?』
「もしそうならずっと前に尻尾が出ちゃってるはずでしょ惟花お姉ちゃん?」
やっぱり風歌ちゃんにとっても惟花さんは惟花さんなのかもしれません。
こうして惟花さんと顔を見合わせると全てを思い出した表情をしてくれました。
第17話 『伝唱の未来』と『黎明の天秤』
真っ黒の絵具でもぶちまけたように地平線の彼方まで真っ暗でした。
こうして改めて結界の外へとやって来ると紛うことなき真冬の寒さです。
「ではみなさん! 先ほど言い伝えた通りに白の紋章の方々が第一防衛線で迎撃を! 青の紋章の方々が第二防衛線で迎撃を! 赤の紋章の方々が第三防衛線で迎撃を! 紫の紋章の方々が突破されてしまいそうなエリアの補助や負傷した前線者との交代を! そして黒の紋章の方々が敵の総大将の索敵をまずはお願いします!」
今回の舞人たちの最大の目的は“大聖堂の防衛”となるのでしょうか?
聖なる龍人が800人ほどしかいないのに対して、闇なる龍人は5万人以上。
黒き軍勢たちが“落雷”というものを発動させているのに対して、瑞葉くんを欠いている舞人たちは“水攻め”や“火攻め”などの大規模魔法も行えません。
唯一の追い風は負鳴る者たちを倒すには全ての彼らを消す必要はなく、彼らの総大将さえ討ち取れば、このいったいの負鳴る者は消滅させられる事でしょうか?
7分でした。
負鳴る者たちの総攻撃もなんとか耐えられるだろう7分以内に彼らの総大将を発見できて、舞人が排除できるか否かだけがお互いの勝敗を分けたはずでした。
それでもその7分間の大聖堂の防衛を願いたい旭法神域の信徒たちにとって、完全包囲してきている負鳴る者から生み出される“数千を越えるような魔法の災厄”と“鳴り止まぬ落雷”が影響しての士気の減少はどう考えても明確なものです。
惟花さんから紡がれる女神のような歌声は舞人の胸にも染み渡っていました。
たった1人の青年から天地を震え上がらせるような迫力が轟き渡ります。
今にも襲い掛かろうとしていた黒き軍勢が鬼神でもみたように硬直しました。
挨拶代わりに舞人は左手の白き刀を大きく振るいます。
純白の桜吹雪の業火が各地で乱れ舞いました。
桜吹雪の純白の業火に焼かれた黒き影たちは瞬く間に浄化されていきます。
気持ちいいほどの鬨の声が背後からは上がってくれました。
まだ両者の戦いは開戦したばかりです。
しかしこの時からすでに勝利の天秤は白き軍勢側へと傾こうとしていました。
第18話 『浮生の群衆』と『孤城の落日』
いま舞人と一緒に“負鳴る者の総大将の捜索”を行ってくれていたのは、舞人が任されている南側の地区を除いた各方角にそれぞれ12人の龍人たちでしたが、彼ら彼女たちはみんな戦闘能力面で秀でていて、歌い子たちが本陣付近に待機していても戦うことができる人たちに今回の特別な役割は担ってもらっていました。
もちろん舞人は彼ら彼女全員とも顔見知りです。
「でもそういえばさ冬音ちゃん!」
「???」
「君ならさっき風歌が大聖堂で何を聞いて驚いたのかもやっぱり知ってるの!?」
そんな中で今も舞人と一緒に付いてきてくれていたのは4人の少女たちでした。
惟花さんと桜雪ちゃんと美夢ちゃんと冬音ちゃんです。
ちなみにですが冬音ちゃんが使用できる力は――、
“自らの意識の中に小さな箱型を生み出して、それらを連結させて具現化できる”
という一種の錬金術の変則系でしたが、そんな冬音ちゃんの最大の弱点は――、
“そのような創造的な作業を行っている際に集中力が散らばってしまう”
という点だったはずですが、どうやら冬音ちゃんはそんな面を補うように――、
“あらかじめ意識の中で創造したものは形状を記憶している限りストック出来る”
ということまでできるようだったので今も左手には“女神の槍”でした。
「!!! お久しぶりですお母様! 今日も世界で一番お綺麗で何よりです!」
『ありがとうね冬音ちゃん? でも冬音ちゃんこそ今日も世界で一番可愛いよ?』
数十万さえ超えるような負鳴る者たちを総力戦で相手にすることは舞人にとっても非現実的なので、今回の戦いでもっとも賢明だろう戦法は、“負鳴る者たちとの戦闘を最小限に抑えながら、もっとも無駄なく彼らの総大将を消してしまう”というものだったはずですが、惟花さんは“周囲数百メートルに分布している負鳴る者たちの大きな気配を探る”ことまで出来たようなので本当に感謝でした。
「それでお父様! 風歌お姉ちゃんが驚いていたのはあれですよ! お友達のみんなが隠れているところにも、恐い人たちが現われてしまったみたいなんです!」
「負鳴る者が現われたよってこと?」
「う~ん。たぶんその通りです!」
「……でも瑠璃奈たちはどこにいるの?」
「この下ですよお父様!」
「地下のこと?」
「それもたぶんその通りです!」
「でもただ地下にいるだけじゃ恐さとかで“負鳴る者”になっちゃう人も――」
「それもたぶん一理はありますが、現時点ではありえない仮定でしょうお兄様」
「???」
「俗に一般人と呼ばれるような方々は負鳴る者の存在さえ知らないようですしね」
負鳴る者たちの魔法攻撃が止め処なく迫る中でも、あくまでも回避行動を中心にすればなんとか対応はできますが、規則性なんてない落雷も避けなければいけないという心理的な圧力下では当然のように舞人の集中力も失われてしまいます。
でもそんな状況だからこそ、“意識を凍らせる吹雪を放ってきた龍人”や、“雷が落ちることでさすがに視界が揺らいだ隙を狙い、自身の影から太刀を作り出して攻撃してきた少女”を排除してくれた桜雪ちゃんと冬音ちゃんには本当に感謝です。
「……うそでしょ?」
「ご聡明であるお兄様の理解力のなさがですが?」
「……どうしてみんなはさ“負鳴る者”のことも知らないの?」
「人は美しい生き物だからでしょうお兄様。たとえ周りに悲しんでいる人や苦しんでいる人がいたとしても、その人たちのことを無視して生きてしまえるほどに」
人とは“酷く穢れた生き物”であるという事を桜雪ちゃんは皮肉っていました。
でも舞人は叱ることを出来なければ否定することもできません。
人間がいかに汚い存在かということは舞人自身が誰よりも知っていましたから。
「……でもよくよく考えてみればさ、“アメリカ”とかはまだ無事なんだよね?」
「「???」」
「……えぇ。なにその反応。もしかしてみんなはアメリカとかも知らないの……?」
第19話 『沈黙の悲風』と『希望の泉源』
『もうわたしは全部わかったよ舞人くん。たぶんこれは夢なんだよ。だからいろいろと不思議なことばかり起こるの。舞人くんのほっぺをぎゅーしてもいい?』
『ちゅーならしてもいいかな。……てか美夢はアメリカとかの事も覚えてるの?』
「……さすがにわたしだって覚えているわよ。アメリカとかの外国の事はね……」
負鳴る者の攻撃が舞って、雷鳴が落ちる中で、“沈黙の翼”が舞い落ちました。
「……わかったわかった! とりあえずみんなの考えはわかったんだけど――ちなっちゃんや怜志には“なんかやっぱりやばくない?”って伝えておくからね!?」
風歌ちゃんの傍に残ってくれた智夏ちゃんから城壁側の情報は随時届く中で、舞人たちとは別に敵の総大将を捜索してくれている人々からも戦況は届きました。
でもみんなから伝わってきた情報を統合してみると――、
“それぞれがそれぞれの持ち場で想像以上の大苦戦を強いられてしまっている”
というのがもっとも適当な評価なのでしょうか?
やはり瑞葉くんの不在が舞人たちにとってはあまりに大きな痛手なのでしょう。
「桜雪。そのまま変に動かないでよ。あなたのお友達が後ろから挨拶してるから」
舞人と惟花さんが先陣となり、桜雪ちゃんと冬音ちゃんが両脇を守ってくれている中で、舞人たちの後方を守護する美夢ちゃんは“超感覚の使い手”であり、第六感はもちろん第七感や第八感という異次元の感覚を支配できるようでした。
虫の知らせとも呼べるのだろう第六感というものを使用していると、“相手からの攻撃を直前で見切ることができるのはもちろん、舞人でさえも目を見張るほどの剣捌きによって超感覚の攻撃を与える”ことができるようでしたが、今の美夢ちゃんの瞳には“魔球のような軌道を描く銃弾を放つ漆黒の龍人”が映っていたとしても、絶対的な超感覚から不規則な軌道の銃弾さえも楽々とかわしてしまうと、踊るように放った白紫のナイフによって漆黒の少女を無力化してしまいます。
『でも美夢ちゃんたちにならさこのまま周りのことを任せても大丈夫そうかな?』
『……えぇ。もしかしてお手洗いとかにいきたくなっちゃったの惟花さん?』
『休憩するんだよ。舞人くんがもしもの時に何かやらかさないか心配だからね?』
『それは大変ごもっともだけど――そのもしもの時がもう来ちゃってない?』
舞人たちが屋根上を移動する中でまるで市街地を黒き湖にでもするようにして負鳴る者たちが路地に織り成した濁流は氾濫でもしているような荒々しさでした。
天空からは雷が落ちていることもあって、より本物の洪水らしくなっています。
後先を考え力の温存なんてしていたら一瞬で生命が奪われてしまうでしょう。
魔力の消費量が多くなってしまおうと必然的に広範囲の攻撃が求められました。
『ねぇねぇちなっちゃん! ちょっといいかな!』
『……。……。……』
『お母さんが向こうの総大将さんをみつけてくれたから、ここまでくればあと少しの我慢だから頑張って耐えてねって――みんなに伝えてあげてもらっていい?』
『??? お母さんからの伝言なの? じゃあうるさい馬鹿たちに伝えておくわ』
『めちゃくちゃ現金だな君は! ――それで怜志と静空と奏大! ぼくたちのほうで向こうの総大将さんはなんとか発見できたから、出来れば怜志たちだけはそのままぼくたちのほうに回って――静空と奏大たちは城壁側のほうに向かってあげて!』
第20話 『不安の暗影』と『素心の空言』
そんな中で舞人の身体に違和感が生じたのは本当に唐突だったかもしれません。
前触れなんてまったくなくがくんっと全身の力が抜けてしまったのです。
『……舞人くん? ねぇだいじょうぶ舞人くん!? 舞人くんってば……!』
舞人の様子に異変が起きると惟花さんは誰よりも早くそれに気付いてくれます。
失われかけていた舞人の意識にも惟花さんの想いは届きました。
今にも態勢が崩れかけていた舞人の四肢にも力が戻ります。
左手から手放しかけてしまっていた白き刀から2度ほど烈風を放ちました。
この瞬間にも襲いかかろうとしていた複数の龍人をなんとか黒き霧にできます。
『……やっぱり体の調子が少しよくないんじゃないの舞人くん?』
『……たぶん寝不足かな? ぼくの身体は寝不足だとすぐわがままをいうしさ?』
惟花さんにだけは余計な心配はかけたくない舞人はこんな嘘をついてしまっても、本心では“自らの身体に生じた原因不明の異変”に焦燥感を抱いていました。
遅かれ早かれ勝負を仕掛ける必要があったのでしょう。
……じゃあそろそろぼくが一か八かラストスパートをかけるしかないのかなぁ。
というある種の覚悟を舞人が抱いた中で――、
第21話 『波乱の除幕』と『幸福の色彩』
いまの舞人たちにとって200メートルほど左後方からでしょうか?
これまで誰よりも舞人が待ち望んでいた気配が近づいてきてくれたのです。
「さすが瑞葉くんと奈季くんですね? お兄様とは違ってとても余裕の登場です」
「瑞葉お兄ちゃんと奈季くん! 瑞葉お兄ちゃんと奈季くんは今までどこに隠れていたんですか!? やっぱり瑞葉お兄ちゃんと奈季くんは忍者ですか忍者!?」
とアホの子である冬音ちゃんが選挙カーのような見事な発声を行い、同じくアホのような声量がある瑞葉くんからやまびこのように返事がきたら嫌だなぁと思いながらも、やはり舞人の口許からはとても自然な微笑みが零れてしまいました。
それでも黒き軍勢の支配者もこのままでは今までの優位性を失ってしまうと気付いたのか、明らかに本調子でない舞人を消し去ろうとするように、全方位から津波のような勢いで襲い掛からせる総攻撃を仕掛けてきましたが、すでに勝利への道筋が逆算できたおかげで力の温存の必要がなくなった桜雪ちゃんは“ありとあらゆる魔法を錆び付かせる雨嵐によって攻撃を弱体化”させてしまうと、“第六感の領域を広げることで周囲数十メートルの攻撃を全て知覚”していた美夢ちゃんが踊るように振るう双刀から放っていく波動と、冬音ちゃんが新たに生命を与えて誕生させてくれた純白の鳳凰が黒き影たちの攻撃を相殺してくれます。
たとえ何十層という黒き影の壁によって取り囲んだところで結局は一方的な展開になってしまうだけだと気付くと、彼らは味方を犠牲にすることさえも厭わずに攻撃可能な龍人が一斉に攻撃して、ただ舞人たちを殲滅しようとしてきました。
こうなるとさすがに舞人たちも完全に劣勢になってしまいます。
でもその数秒後に微笑んでいたのはほかでもない舞人でした。
舞人はこの瞬間をずっと待っていたのです。
桜吹雪の竜巻でした。
黒き影たちの心が舞人たちだけに集まった瞬間にそれが背後から襲ったのです。
警戒が皆無に等しかった負鳴る者たちへとこれは決定的な損害を与えました。
乱れてしまった息を整えるためにと水のように冷たい空気を取り込む中で――、
「悪いな瑞葉と奈季。今さらお前たちが来てもやることなんてもうなさそうだよ」
舞人本人でもどれほど2人との再会の瞬間を待っていたのかはわかりません。
それは無意識に笑顔だって零れてしまいます。
「それは助かったよ舞人。俺たちにとっても願ったり叶ったりだからさ」
でもそんな中でなぜか舞人の瞳は“初対面の少女の姿”まで描いていました。
真珠のように白き髪を風に揺らして赤いコートで身を護る少女は、“絵画の世界にそのまま登場をさせてもなんら違和感がない”ほどに完成された美少女です。
そしてそんな中で舞人も気付いてしまいます。
なぜか今の奈季くんは願わくば偽りであって欲しい感情を舞人に対して――。
「なぁ舞人。“幸せなる色”って書いてなんて呼ぶか――お前は知ってるか?」
舞人の両脇に落雷が落ちてしまいました。
幸せなる色。
そんな一つの言葉だけで舞人の中に眠っていた悪夢の記憶が蘇ってしまいます。
「“ふくいん”って呼ぶんだよ。舞人はそのことを誰よりも知ってるんだろ?」
「……。……。……。……お前。誰からそんなことを聞いたんだ……? ……。……。……。……もうこの世界でそのことを知っている人はいないはずだろ……?」
「――だからお前は馬鹿なんだよ舞人。そうやって人に嘘をつけないからな……」
奈季くんの右手に握られていた金銀の槍が舞人の白き心臓を散華させました。
惟花さんが悲鳴をあげます。
でもそんな悲鳴こそがこの状況の異常さを“真の悲劇”と示していたでしょう。
第22話 『鏡花の水月』と『神秘の術数』
土砂降りでした。
落雷とともに降り注いでくる豪雨はまるで神の逆鱗へと触れたかのようです。
この世界の全てが舞人のことを憎んでいるかのようでした。
「……逃がしちゃダメだ桜雪と美夢と冬音! 敵の総大将は君たちが追え……!」
舞人の心臓へと突き刺さった金銀の槍は驚異的なまでの破壊力がありました。
槍に刺されたというよりは龍にでも噛み付かれてしまったようです。
「……でもお兄様! ……わたくしたちがいまあの方を追ってはお兄様が――」
もしも舞人に白き血の神が宿るなら、奈季くんには武芸の神が宿っていたのでしょう。そんな青年に手を抜いて勝てると思うほどは舞人も愚かではいません。
破裂した心臓が回復したと同時に舞人は豪雨の中を幻のように消えていました。
舞人の白き刀が空中へと美しき半円を描きます。
奈季くんの右手の金銀の槍と交錯しました。
そしてそのままうそとしか思えないほどの自然さで舞人が右足を旋回させます。
でも相手は奈季くんでした。
舞人の行動の予想なんて全て頭に入っているのかもしれません。
奈季くんが右手の槍を急変化させて誕生させた長銃に右足を止められました。
それでも舞人にとってもここまでは計算できていたはずですが、なぜか身体の再生が追いつきません。またもや不平を垂れるように力が抜けてしまったのです。
「大丈夫ですよ桜雪ちゃんと美夢ちゃん。――私がお父様とお母様のお友達です」
舞人と奈季くんの間に入ってくれた冬音ちゃんが右手の刀を豪雨に払いました。
続けざまに舞人の胸部を貫通寸前だった銀色の銃弾が真っ二つに消失します。
助かったというのが本音かもしれません。
でもそんな本音が出てしまうからこそ、この場には彼女を残したくないのです。
「……冬音。君も桜雪や美夢と一緒に――」
「お父様。お父様とわたしは家族なんですよね?」
冬音ちゃんが舞人の横顔に与えてくれた瞳はどこまでも透き通ったものでした。
こんなにも真剣な瞳をする冬音ちゃんはたぶん舞人も始めてだったのでしょう。
「……君がそうしたいならそうしていいよ。逆に傍にいれば守りやすいしね……」
冬音ちゃんはにこっと笑ってくれます。
桜雪ちゃんと美夢ちゃんは何かをいいたげにしますが舞人が優しく笑むと――、
「……借りた恩の借りパクだけは禁止ですからねお兄様?」
「君が先にあの世にいかない限りは必ず返すよ」
微笑む舞人は美夢ちゃんに“桜雪のことをよろしくね”という瞳を送ります。
受け取った美夢ちゃんは“問題ないわよ。舞人こそ惟花お姉ちゃんと冬音のことをちゃんと守りなさいよね”と訴えるので、舞人はたぶんねと返すに終えました。
奈季くんに奏でられる“名も知らぬ美少女の歌声”はどこか懐かしいものです。
もう少し違う状況で関れたなら心は郷愁の想いに染まったのでしょうか。
「随分と性格悪くなったな瑞葉。こんな状況でもぼくなんかの小物にご執着か?」
雪色のローブに身を包む瑞葉くんの周囲では青き光が静舞していました。
幽玄なるその青き光には“奇態なる数字と神秘的なる図形”が描かれています。
神の文字と神の図形です。
世界中のあらゆる物はその2点で構成されているからこそ、瑞葉くんは世界中の魔法を分析して手中に収め、無限大の攻撃レパートリーを所有していたのです。
「僕は真面目なんだよ舞人くん。心が綺麗だからね」
「見損なったよ瑞葉。お前と出会って生まれて初めてな」
瑞葉くんは降水と青き光から“奇跡のような幾十の槍”を創り放ってきました。
「瑞葉お兄ちゃん。瑞葉お兄ちゃんはやっぱりお馬鹿さんです。――こんな事をしても風歌お姉ちゃんが悲しむだけですし、わたしもとても悲しいです。みんなで仲良くが一番なのにみんなで喧嘩をしちゃうなんて絶対にダメに決まっています」
舞人と一緒に豪雨を疾走してくれている冬音ちゃんは両手に純白の刃を芽吹かせると、“まるで夢幻のように迫り来ってくる幾十の槍”へと瞬く間に連投します。
一寸の狂いもなきコントロールです。
ロックオンでもされているように全ての刃がそれらを貫き通しました。
瑞葉くんは困ったように肩をすくめます。
「でも今は舞人くんのほうがもっとダメな人なんだよ冬音ちゃん」
瑞葉くんの右手には透明の剣が握られていました。
“絶対因果の防御と絶対因果の攻撃”を瑞葉くんは刻み付けているのでしょう。
突破する方法はたった一つ。後手に回らないこと。これに尽きました。剣に紡がれた魔力も永遠ではない限り、相手に主導権を渡さない限りは勝機はみえます。
たった数秒間のうちに数え切れないほどにそれぞれの刀が打ち合いました。
そして最後に勝利したのは舞人です。
右足で胴体を蹴り倒すと左下にみえていた民家の壁から轟音が轟きました。
瑞葉くんを一時的に沈静化させたら次は奈季くんです。
「奈季。お前もいつから馬鹿になった。踏み込んじゃいけない線に踏み込むほど」
第23話 『去歳の灰色』と『滅明の森羅』
もしかしたら舞人も覚悟はできていたのかもしれません。
自分の罪が永遠に灰色のまま眠り続けていないとは。
もし神が天の摂理によって裁くというなら、遠慮なくその裁きを受けましょう。
舞人は自らの天命が滅びるまでたった1人の少女を愛し続けるだけでしたから。
『――ねぇ舞人くんと瑞葉くんと奈季くん? みんな一端だけ少し落ち着こう? みんなにそれぞれ考えがあるのはわかるんだけどさ、いったんだけ落ち着こう?』
「「「……」」
『実は舞人くんはねと2人ともすごく会いたがっていたんだよ? もしかしたら舞人くんはわたしなんかよりも瑞葉くんや奈季くんと会いたがっていたかもしれない。だっていま舞人くんは知らない世界にいきなり飛ばされちゃって、知らない世界でいきなり大変な事に巻き込まれちゃって、知らない世界でいきなり瑞葉くんや奈季くんとも戦わされちゃってすごく困っちゃっているんだもん。でもそんなのさすがにあんまりでしょ? ……だから2人だけは舞人くんの味方をしてあげてよ』
もしかしたら惟花さんの瞳からは涙が落ちていたのでしょうか?
豪雨は全てを掻き消していました。
「でも舞人は癌なんだよ惟花。この国のな」
「それじゃあもうこの国はどうしようもないほどに末期なんだろうな」
純白と黄金の殺意はまるで演舞のように美しく溶け合いました。
舞人の悲しみに触発されたように奈季くんの後方では天空の雷撃が落ちます。
後方飛翔を失ってしまった取り繕いに右腕を激しく振るっても間に合いません。
舞人は一振りで彼の槍を打ち跳ねると、次の一手で奈季くんの腹部を捉えます。
奈季くんの身体が左下の路地へと叩き付けられました。
誰一人としても舞人に声をかけられません。
惟花さんも冬音ちゃんも瑞葉くんも名もなき少女もただ沈黙を貫くだけです。
豪雨に打たれながらも肩で息をする舞人が雫に濡れる目元を拭おうとします。
でもそんな中でどこかから悲鳴のようなものが聞こえてきました。
遥か背後には大聖堂です。
舞人の心を嫌な予感が冷たく動揺させました。
そして舞人が軽く後方を振り返る中で――、
『……えぇ!? ……ちょっとちょっと大変よ、舞人! 裏切りよ、裏切り! 一部の信徒たちが反逆をして、仲間割れを引き起こしちゃっているわよ……! ……ていうか風歌姉までいきなり傍から消えちゃったよ、舞人お父さん……!』
第24話 『残酷の境涯』と『有無の証明』
なんて世界は残酷なのでしょう。
こんなにも歪んでしまった世界ならいっそのこと滅んでしまえばいいのに。
でもこの世界ではそのように思うことさえも罪だというのでしょうか。
「……もうぼくたちもやり直せないよ。ここまでお前たちまで罪深いならな……」
もともと聖なる龍人たちは優勢なんかではなかったのです。彼らの命の花はわずかにも風が吹けば散ってしまうような境界線の上に儚く咲いていたのでしょう。
そしてそんな中での自分たちの最高指導者と彼に従った者たちの逆心でした。
最後の望みだった“大聖堂の三重の防衛線”まで悪夢のように崩れていきます。
もうここで全てが終わってしまうのでしょうか?
「……最後に3秒間だけ時間をあげるよ。もともと瑞葉や奈季のもとに付く予定だった人は遠慮なくそちらにいってくれ。でも3秒後には君たちもぼくの敵だ」
それでも舞人はわかっていました。
いま大切なのは誰が白なのか黒なのかなんていう些細な問題ではないだろうと。
“黒だけではなく白もこの世界には存在している”
そんな確かで不確かな証明こそが未だに白き人々には必要だったのでしょう。
『智夏。城壁側のことは君に頼んだよ。その場でその役割ができるのは君だけだ』
『……えぇ! 嫌よ! だってわたしはそんなことできないもん……!』
『無理なことはないさ。君はぼくと惟花さんの愛娘なんだからさ』
舞人はわかっていました。智夏ちゃんの全てを。だから最後まで微笑めました。
「……約束してね舞人。そっちは舞人が絶対になんとかするって……」
「はりせんぼん飲んでもいいよ」
第25話 『邀撃の薔薇』と『閃耀の魔法』
どこからか龍の鳴き声のようなものが響いてくる中で――、
「……とことん人生の道を踏み外したな瑞葉。もうお前は綺麗には生きれないよ」
雨が降り止むことはありません。屋根の上は滑りました。まるで氷上のように。
舞人の左手の白き刀が幾つもの民家の先にいた瑞葉くんへと届きます。
絶対防御と絶対攻撃の刀が雷雨の中で煌きました。舞人の白き刀を弾くように。
「……やっぱり舞人くんは優しいね。舞人くんだけはいつでも舞人くんだよ……」
そんな中でいつの間にか神の文字と神の図形が舞人たちを包みかけていました。
舞人は冬音ちゃんを左腕に抱きかかえると後方へと大きく退きます。
屋根へと着地した時にはすでに先刻まで舞人たちがいた箇所が氷結しています。
氷結は“氷の薔薇の牢獄”を産み出しました。
囚人となったのは数滴の白き血。囚人は脱獄しました。氷の薔薇は寝返ります。
「……もうお前は全てを捨てたのか瑞葉?」
舞人が奪い去った氷結の薔薇。それを瑞葉くんは業火の薔薇で迎え撃ちました。
氷結の薔薇と業火の薔薇が2人の青年の間で咲き乱れます。
青と赤の絵具で幼稚な神々が遊んでいるようにして。
「……一度捨てちゃったものは取り戻せないよ舞人くん。たぶん二度とね……」
業火による瑞葉くんの狙い。それは決して舞人を殺めることではないでしょう。
業火に侵食された血液。それを捨てさせることが最大の目的のはずでした。
この世界のありとあらゆる魔法を掌握しているはずの瑞葉くんがこのような小細工なき攻撃魔法ばかり使うのも“舞人には複雑な構成の魔法を使っても無意味”だと知っているからでしょうが、舞人としても瑞葉くんに抱く想いは同じでした。
舞人は左の手首から白き血を解き放ちます。白き刀と結び合わせるように。
今までは氷色だった薔薇が一瞬で白き薔薇となりました。
純白の薔薇も真紅の薔薇も終焉を迎えます。
「……ぼくは嫌いじゃなかったよ。誰かのために一生懸命になれる瑞葉の事はさ」
これでも風歌ちゃんは無傷ですが、強いて彼女を苦しめる必要もありません。
「奈季。お前のことも見損なったよ。どうしてお前は瑞葉のことは軽蔑しない?」
背後からは奈季くんが迫っていました。奈季くんの両手には槍がみえます。
舞人は振り向き様に白き刀を疾風へと導きました。
雷雨さえ貫くような甲高き音が2連続で鳴り響きます。
舞人の左腕は強く痺れました。
しかしこの間に左隣の大通りには巨大な樹木が出現しています。
潤いに満ちた緑の葉からは花粉が風へと舞い踊ります。赤色の花粉は痛覚を刺激し、青色の花粉は幻覚をみせ、緑色の花粉は聴覚や嗅覚に不協和音を奏でます。
これにはさすがの奈季くんも後退せざるおえません。
冬音ちゃんは白き日本刀によって追撃してくれました。
「気付いているんだろ舞人?」
こうして冬音ちゃんは奈季くんを止めてくれます。十分過ぎるほどに。
舞人の左腕も完治しました。
舞人が後ろから疾走すると冬音ちゃんも全てを察してくれます。
「……ぼくは何もわからないよ。瑞葉とは大切な所で違っていること以外はね」
冬音ちゃんと入れ代わり立ち代わりでした。再び舞人が攻撃者となったのは。
白き刀は無限の閃光のように軌跡を描き続けます。
「でもさ奈季。こうやって世界なんて変わっていくんだろうな。いつの間にか」
おそらく今はこうして舞人が攻め切れていることだけが全てだったのでしょう。
再び攻守が変わってしまうようなことは望ましくありません。
奈季くんのことを屋根の西端へと追い込んだところで――、
「他人事だな舞人。ほかでもないお前の世界を変えたのはお前自身なのに」
奈季くんは後方飛翔したと同時にとても自然な流れのままナイフを投げ放ちました。舞人は同じく飛翔することで回避します。これも予定調和であるように。
奈季くんと舞人はそれぞれ新たな屋根へと着地しました。でもその瞬間です。
舞人の左足に激痛が走ったのです。
まるで刃のようなものでした。それが左の太ももです。先ほどの刃でした。
奈季くんが投げ放ったナイフは一度舞人を見失ってから屋根に弾かれて、そこから勢いのまま煙突に跳ね当たり、再び舞人の元へと戻ってきたのでしょうか?
理屈はわかりました。でも信じられません。悪夢のような三角形でした。
左足の自由を失ってしまった舞人が踏み込む刀に力なんてありません。
奈季くんの銀の魔槍によって舞人の白き刀は遥か上空へと弾かれてしまいます。
舞人は唯一の得物を失ってしまいました。
そしてそのまま――。
「……それならぼくもいつかは綺麗に生きればよかったよ。お前たちみたいにさ」
奈季くんの心臓が逆突きされました。新たに舞人の左手へと握られた白き槍で。
冬音ちゃんです。奈季くんの行動を先読みした冬音ちゃんから譲られたのです。
舞人の左腕が鞭のようにしなりました。白槍は恐ろしいような勢いをみせます。
左下にみえていた建物へと奈季くんが背中から叩き付けられました。轟音です。
第26話『悲愴の慟哭』と『紅雪の桜花』
どうしてなんでしょう。舞人の心はいっこうに晴れません。大切だった親友たちと分かり合えないからでしょうか。自分が正しいかわからないからでしょうか。
舞人はいつだって誰にも嫌われたくなかっただけのはずでした。
それなのに舞人は瑞葉くんや奈季くんたちと何が違うというのでしょう。
「? お父様お父様。お父様は今まで可愛い系だったのですか?」
「……?」
『だって舞人くんは綺麗系じゃなかったならあとは可愛い系しかないでしょ?』
「……まぁそうなるねぇ」
「でもお父様。わたし達はそんな可愛い系のお父様が世界で一番大好きですよ!」
でもだからこそ冬音ちゃんや惟花さんからのこんな淡くて優しい愛の証明。
それが舞人にとっては聖夜の雪のようだったのかもしれません。
「……舞人。だからお前は誰かの世界ばかり見すぎなんだよ。子供みたいにな」
幸か不幸か舞人の親友2人にも白き血は流れてしまっていたのです。
だから瑞葉くんや奈季くんは幾度も立ち上がりました。まるで不死者のように。
空中には金色の太刀。受け止めるは純白の刀。舞人の左腕は麻痺と激痛です。
そんな中で瑞葉くんは神の文字を音読することで“双子の天使”を召還します。
天使たちは空へと歌っていました。まるで異端者たちへと天罰を与えるように。
冬音ちゃんは無数の竜巻を発生させることによって歌声そのものを拒絶します。
両者の激突の激しさを物語るように空からの雨もそのまま強まっていきました。
どんどん視界が最悪になります。
手が悴む(かじかむ)どころではありません。まるで滝の真下にいるようでした。
それでもこうなると誰よりも五感を強化できる舞人に風は吹いてくれます。
「ただ子供のままでいたいだけだよ。大人になってもいい事なんてないからさ」
落雷や降雨、果てには最愛の少女を右腕に抱いているという状況さえもものともせずに、まるで靴底に釘でも付いているかのように屋上を駆け抜けると、最後だけ都合よく滑って迷いなく瑞葉くんへと刃を届かせます。皮肉なまでに美しく。
瑞葉くんの右手に握られていた透明な剣。それは漆黒の槍に変貌していました。
急所殺しの槍でしょう。
漆黒の槍が秘めたる力。それは“この黒槍の持ち主が3分以内に受けた損傷の合算を槍で貫いた相手へとお返ししてしまう”というすでに即死級のものでした。
「大人になってもただ自分に優しく出来れば世界もとても綺麗だよ舞人くん」
舞人の刀と瑞葉くんの槍の重なりは徐々に激しくなっていきます。
でもそんな中で優勢だった舞人の攻撃のほうがなぜか先に乱れてしまいました。
もちろん瑞葉くんはこの一瞬を見逃してくれません。
漆黒の槍が舞人の心臓を捉えました。
舞人の意識が朦朧としてしまいます。破裂した心臓の白き血の流出によって。
「……じゃあ最後に教えてくれよ瑞葉。友達だった証として正しい変わり方をさ」
それでも舞人は流した白き血の残骸から瑞葉くんの後ろへと避雷針を作ります。
完璧なタイミングでの落雷でした。さすがの瑞葉くんも無抵抗での感電です。
舞人は瑞葉くんへと白き刀を突き刺して力のままに豪快に振り払います。
そしてそのまま冬音ちゃんのほうへと戻ってあげようとすると――、
「……!」
なぜかここで既視感のある出来事に見舞われてしまいました。
全身に宿っていた白き血の力。それが一瞬のうちに失われてしまったのです。
まるで自分の身体が死んだようでした。がくんっと舞人はその場に膝付きます。
ここに来てやっと舞人も真実に気付きました。
体内で蠢く“鬼の如き気配”は予想以上に白き血を消費していたようです。
これまではどれほどに厳しい戦いでも血液の残量を気にする必要なんてなかったはずなのに、生まれて始めて舞人が自らの血液の限界量と直面したのですから。
舞人が膝付く前に瑞葉くんが投擲してきていた漆黒の槍はすでに射程圏内です。
さすがにやばいと予感した舞人がある種の覚悟をしてしまった瞬間には――、
「……!」
パンッと目の前で白い血が弾け飛んでしまっていました。
うそでしょと舞人が思った時には――冬音ちゃんが死んでしまったのです。
まるで舞人を守ろうとするように瑞葉くんと舞人の間に割って入ったことで。
心臓を失ってしまった冬音ちゃんがゆっくりと舞人の方へと崩れ落ちてきます。
死槍に貫かれて赤き粉塵となってしまった心臓は再生する兆しさえみせません。
とても痛くてとても恐くてとても苦しかったことでしょう。
人形である彼女が一撃で死んでしまうような痛みが胸元に集まったのですから。
それなのにどうして冬音ちゃんはこんなにも穏やかな表情なのでしょう。
まるで舞人のことを守れたことを喜ぶようにして。
いつだって冬音ちゃんは舞人のことも誰よりも慕って愛してくれていました。
生まれた時から何が楽しいのかはわかりませんがただ舞人と一緒にいればいつもにこにこして、舞人が楽しそうにしていると自分もうきうきになり、もし舞人が悲しんでいるとなぜか舞人以上にしゅんとしてしまう女の子だったのですから。
冬音ちゃんは最後までお馬鹿さんだったようでした。
たとえ舞人が冬音ちゃんのために命を失ったとしても、愛娘である冬音ちゃんが舞人のために命を失ってしまう必要なんて、どこにもなかったはずだったのに。
「……だからぼくは出会いたくなかったんだよ。冬音みたいな女の子とはね……」
舞人の漆黒の双眸が紅蓮へと染まり、舞人の漆黒の頭髪が純白へと染まります。
“鬼吹雪”の降臨でした。
第27話 『天際の降魔』と『契情の相愛』
怒りというたった1つの感情に今の舞人は魅せられていたのかもしれません。
今までは穏やかだった桜吹雪も“神の憤怒”のような荒々しさでした。
刹那のうちに舞人が消えてしまいます。
たった一瞬のうちに舞人は瑞葉くんとの15メートルの距離を詰めていました。
眩いばかりに光る純白の刀が瑞葉くんの身体を真っ二つにしようとします。
瑞葉くんは右手に握った“絶対攻撃と絶対防御の刀”によって舞人の攻撃を間一髪で防ぎ切りましたが、本来このあと瑞葉くんに与えられるはずだった“絶対的な反撃の機会”は美しき水晶刀がうそのように簡単に折れることで失いました。
生まれて初めての事態に瑞葉くんは驚きながらも、この一瞬の攻防で左手首の魔法陣の腕輪から“数万度の炎を纏う火の精霊獣”や“数千の稲妻から組成された雷の精霊獣”や“絶対零度の冷気を纏う水の精霊獣”や、“世界のありとあらゆる秩序を司る光の精霊獣”や“世界のありとあらゆる混沌を司る闇の精霊獣”を呼び出していたので、大きく弾かれた瑞葉くんを追いかけるように白き桜吹雪の翼とともに再追していた舞人へと、古の精霊獣たちが襲いかからせましたが――、
「……!」
嵐のような戦場で虚構のように儚く散ってしまったのは精霊獣たちのほうです。
あまりにもの展開にさすがの瑞葉くんも唖然とした表情をしてしまう中で――、
「……!」
巨大なる精霊獣たちを切り伏せたばかりの舞人の一瞬を奈季くんが奪いました。
大都市さえも一瞬で崩壊するような炎槍の嵐が舞人1人へと隕石雨のように降り注ぎます。耳を塞ぎたくなるような轟音。目を塞ぎたくなる黒煙。それらが舞人を中心に発生しました。幾度となく発生した爆発音は周囲数キロを揺らします。
でもそんな黒煙が晴れた先には――、
「……。……。……。……うそだろ……。……。……。……」
悠然と宙に浮かぶ舞人でした。桜吹雪の翼と白き刀で最愛の少女を守ったまま。
数千の鬼たちを解放して歓喜する舞人が薄く口許を綻ばせた瞬間には――、
「……」
まるで天空までも怯えたように落雷を打ち付けてきます。
舞人は白き桜吹雪の翼を振るうことによっていとも簡単に防ぎました。
でもこの雷撃があの不思議な美少女からのものだと気付いた舞人が嫌な感覚を覚える中で、この落雷の一瞬に“舞人が瑞葉くんの部屋から拝借していた魔法陣”を舞人から奪って舞人の右腕から消えていた惟花さんは“無意識の願いを実現できる魔法”を使用することで、舞人を止めようとするように白き槍を振るってきて――。
第28話 『壮麗の花火』と『宝物の星彩』
いっそのこと消えてしまいたくなるような蒸し暑さでした。
まるで舞人を包み込むようにセミたちの大合唱がどこからか聞こえてきます。
舞人の眼下には宵闇に輝く“幻想的な縁日の光景”でした。
舞人は惟花さんや桜雪ちゃんや風歌ちゃんたちと花火大会に訪れていたのです。
でも舞人にとって少し退屈なのは“エアコンの風の下でなんともご機嫌にプリンを食べていた”らいきなり舞人を連れ出した瑞葉くんや、舞人にちょっかいをかけないと死んでしまう病なのか“蛇のおもちゃ”を小高い山の中に入ったら投げ付けて喧嘩ばかり吹っかけてくる奈季くんという――馬鹿2人が近くにないことです。
だからか舞人は惟花さんに屋台で買ってもらった“チョコバナナやクレープや今川焼きやチュロス”などの甘いものを食べて珍しく大人しくしていましたが――、
「……舞人くん。舞人くん。舞人くんは恐くないんですか?」
そんな中でも隙あらば可愛い舞人たちをからかおうとする惟花さんは“線香花火”という単語から“とある少女”の怪談を語り、とても可愛らしい風歌ちゃんはそんな惟花さんのお話しも素直に信じる中で、桜雪ちゃんはそんな風歌ちゃんの様子に微笑んでいましたが、最初は桜雪ちゃん寄りだった舞人もなぜか誰かの気配が近づいて来ているような気がしたので嫌な予感を覚えてしまった中で――、
「み~ん。み~ん。み~ん。ねぇねぇ舞人くん! これは何のモノマネでしょう!」
お化け以上に遥かに奇妙な存在がついに現われてしまいました。
意味不明に上手い鳴き声を披露する変な少年が樹木に抱きついていたのです。
「カエル!」
「ぶっぶ~! 舞人くん! すごく惜しい! じゃあ今度は桜雪ちゃんに解答権ね! み~ん。み~ん。み~ん。はい! これは何のモノマネをしているでしょう!」
瑞葉くんはお手本のような虫取り少年でした。半袖半ズボンという服装に加え、右手には虫アミで左手には虫かごです。この国の誰よりも真夏を満喫中でしょう。
実は舞人たち男の子3人は、“捕まえた虫の大きさを競う大会”を行っていたのですが、瑞葉くんや奈季くんがそのための相棒を探す中で、なぜに舞人だけは余裕そうにチョコバナナを食べていたのかというと、一足先に舞人はクワガタの王者をみつけていたからです。7センチ前後のオオクワガタでした。大型でしょう。
しかしどうやら瑞葉くんも同サイズのヒラタクワガタをみつけてきたようです。
虫かごの中で大きなリンゴを貪り食うヒラタ大先生からは覇王の雰囲気でした。
瑞葉くんの相棒ながら舞人が瞳を輝かせてヒラタ大先生を観察していると――、
「あっ。ゴキブリ奈季。ゴキブリ奈季はどうだったの? 蚊に刺されただけ?」
七部丈の黒のジーンズにやはり黒のロングTシャツという舞人から“ゴキブリ”とからかわれるようなファッションの奈季くんも森林の中から戻ってきました。
やはり奈季くんも瑞葉くんと同じく虫アミと虫かごを持っていましたが、実は奈季くんは舞人がみつけたオオクワガタのフェロモンを使うとか舞人がお腹を抱えて笑ってしまうようなことを言い出して、舞人の虫かごまで持ち出していたのです。
「ありがとうな舞人。うんこ舞人のおかげで俺も捕まえられたよ。でもさ――」
「あぁん! 奈季! お前なんてことをしてくれたんだよ! ぼくのオオクワガタがなぜか超可愛いサイズのカブトムシに変わっているじゃん! なんでだよ!」
一見は申し訳に謝っている奈季くんも口許の緩みだけは我慢できていません。
虫かごを返してもらった舞人の反応が予想通り過ぎて面白すぎるのでしょう。
『落ち着いて落ち着いて舞人くん。とりあえず一緒にカエルさんごっこしよう?』
舞人は憎き奈季くんへと“チョコバナナ”を鬼の金棒代わりにすることで制裁を加えようとしましたが、惟花さんが後ろから抱き締めることで暴走を抑えます。
「あれ奈季くん? 本当に舞人くんのオオクワくんがいなくなっちゃったの? あっ。本当だ。舞人くんのオオクワくんが消えちゃってるよ。奈季くん知ってる?」
「……それが実はさ舞人のためにってそのカブト虫を捕まえた時に――」
「わざとだろお前! 絶対にわざとだよ! そんなうそはお見通しだからな!」
「まぁそう興奮するな舞人。実は俺もお前と同じくらいにでかいやつを――」
「それぼくの! それぼくのオオクワだよ! 返せよ泥棒! なんでお前ちゃっかりぼくのオオクワガタを自分のものにしようとしてんだよ! ふざけんな屑!」
さすがにもう奈季くんも声に出して笑う中で、今にも舞人が殴りかかろうとするのなんて日常茶飯事でしょう。喧嘩するほど仲がいいとはよくいったものです。
でも舞人はとてもすぐに怒ってしまうだけに許すのも人一倍に早いのでした。
花火が始まる頃にはもう奈季くんとも仲直りしていて、右隣に座る惟花さんの隙を盗み見て、瑞葉くんや奈季くんの背中へと水鉄砲を撃っていたのですから。
こんな想い出は舞人にとっても“とても大切な宝物”の1つかもしれません。
それなのにどうして今はこんなにも心が痛んでしまうのでしょう。
まるで夢のような世界から舞人も目覚めました。
もしかしたら舞人は大聖堂の自分の部屋の中で眠っていたのかもしれません。
窓の外は真っ暗でした。時間帯はすでに夜なのかもしれません。
薪の焼ける音が暖炉から聞こえる中で、近くからはオカリナの優しい音色です。
そしてそんなオカリナの吹き手は――。
第29話 『九霄の魔笛』と『無終の永恋』
惟花さんでしょう。惟花さんが白きオカリナを吹いていたのです。
おそらく惟花さんは傷付き眠る舞人のことを癒してくれていた一方で、先ほどの戦いで傷付き果てた大勢の龍人や歌い子たちを慰め鎮めていたのかもしれません。
舞人だってあの時に惟花さんが白き槍を持って自分に向かってきたことまでは覚えていましたが、それ以降に何が起こったかはまったく記憶の中にありません。
でもおそらくはあの時も舞人は惟花さんだけは傷付けたくないと思ってしまったせいで不安定な状態だった鬼神の気配に歪みが生じ、あの時は鬼神の気配になんらかの歪みが生じてしまうだけでも意識を失うことに繋がったのでしょうか?
そもそも冬音ちゃんは悲しむはずでした。もしもあの時に舞人が瑞葉くんや奈季くんを殺めていたら。冬音ちゃんはそういう女の子でしたから。最後までずっと。
それでも舞人としては“あの時”を思い出せば微笑むことはできませんが――、
『……さすがに右手首を捻挫しなかった惟花さん? ぼくの全力だったんだけど』
『……! もうだいじょうぶなの舞人くん……?』
『……惟花さんのおかげでね……』
ベッドから起き上がりながらまずは惟花さんを安心させようとするように声をかけた舞人の方をすぐに振り返ってくれた惟花さんはそのまま舞人を優しく抱き締めてくれました。舞人の目覚めをこの世界の誰よりも喜んでくれているように。
でもこうして抱き締められることで感じた惟花さんの温もりや右頬に触れた惟花さんの花束のような香りの黒髪があまりにも惟花さんだったからこそ。舞人としても惟花さんへの申し訳なさを忘れることなんて出来なかったのかもしれません。
『……でもなんていうかごめんね惟花さん。……ぼくがなんとかできればもっと守れたはずの人はいたはずなのに、ぼくのせいでぜんぜん守ってあげれなくてさ』
『そんな風に謝るのだけはやめてよ舞人くん。舞人くんが謝る必要なんてどこにもないんだからさ? だって舞人くんはこの街のみんなのことはもちろん美夢ちゃんや智夏ちゃんや静空ちゃんたちのことだって一生懸命に守ってくれたでしょ? それなら舞人くんはもっと胸を張ってもいいんじゃないのかな。みんなも舞人くんに“ありがとう”の想いを伝えたいはずだからね? ――あと冬音ちゃんだってね舞人くんには感謝しているはずだよ。大好きな舞人くんに守ってもらえてね?』
『……そんなことはないでしょ。冬音は――」
『舞人くんは冬音ちゃんのことも守ってくれたよ? だってロザリアちゃんをあの場に間に合わせてくれたのも、もとを正せば舞人くんのおかげなんだもんね?』
冬音ちゃんに起こってしまったことは舞人だって忘れていません。忘れられるはずがありません。俯いた舞人の顔は白き髪で覆われ続けるはずだったのに……。
『実はあの時にロザリアちゃんとシェルファちゃんがね冬音ちゃんを智夏ちゃんのところまで運んでくれていたから、冬音ちゃんもなんとかなりそうなんだよ?』
舞人を抱き締めるような態勢から舞人と向かい合うように両手を握ってくれた惟花さんが教えてくれた事実は舞人にとって信じられないものでした。思わず“本当に?”という瞳を向けてしまった舞人にも惟花さんは優しく微笑んでくれます。
だから舞人にも惟花さんの微笑みが移りかけましたが――、
「……でも何かが違うよ。本当はぼくが真っ先にそうするべきなんだからさ……」
今の舞人には“あの時にもしも冬音ちゃんが助かる方法があったなら、それを誰よりも先に選ぶべきだったは自分だったのでは?”という自責が浮かびました。
『でももしもあの時の責任があるならそれはわたしだって同じでしょ舞人くん?』
『……惟花さんは何も悪くなんてないよ。あの時は全部ぼくのせいだからね……』
たぶん舞人としては惟花さんに対しても“冬音ちゃんを傷付けてしまったことに対する申し訳なさは感じていた”ので、再び瞳を伏せてしまったのですが――、
『……ねぇ舞人くん 。わたしだけはさいつも舞人くんの味方でいちゃダメかな?』
惟花さんはそんな舞人の想いを否定するように繋いだ両手を離さずに、舞人が“全ての罪を自分1人で背負おうとすること”をとても寂しげにしてくれました。
まるで惟花さんだけはどんな時も舞人の右隣にいたがってくれていたように。
偽りなき少女の純愛だからこそ傷心の青年にも深い救いとなったのでしょうか。
舞人がどこを探してもみつからずに自らを責めていた“この世界に自分が生きていても許されるような意味”。それもやはり彼女だけが持ってくれていそうで。
『……ぼくの味方なんて惟花さんだけかもしれないけど、それでもいいならね?』
暖炉の輝きが唯一の光源となっている寝台上で始めて2人が微笑み合いました。
惟花さんの両手を握り返した舞人が少し恥ずかしげな微笑を返すことによって。