罠
よろしくおねがいします
アネスは弓を手に、邪龍ヴリグラーネを見据えている。
その眼には倒す、という確信がはっきりと見える。
左手に握る弓へと矢が掛けられた。
その腕が上昇を始めると……弓は茶褐色から白銀の輝きを顕す。
ロゼの時と同じ……俺の身体から白銀の霧、それがアネスと繋ぐ。
弓は白銀の炎を上げ、陽炎と化した。
燃え盛る陽炎は、刹那、矢へと移り輝きを増す。
右指が陽炎の矢を開放した。
放たれた陽炎は、一閃の光跡を残し、邪龍を見事に貫き仰け反らす。
二射、三射、続け様に放たれた光跡は、邪龍に風穴を穿いていく。
皆がその光景に呆然と成ったが、ハッと、ロゼへと叫ぶ。
「ロゼ! 、あそこに火焔を!」
「あ……、そうね!、やるっ」
白銀と紫光が、同時に放たれ二人が纏う。
弓が白銀光を矢へと込める、ロゼが水晶から紅蓮の姿へ変わる。
放たれた白銀の光跡が邪龍を穿ち、紅蓮の姿は穿たれた穴を灼熱の焔で包む。
それは、邪龍の表面の再生の及ばぬ位置。
邪龍ヴリグラーネの断末魔は、その口腔から吹き出た火焔で終わりを告げた。
「終っ……た?」
アネスは、一気に力が抜けた両の腕を、だらりと下げた。
「身体の内部から焼かれちゃ、表面の再生なんて意味がないわね」
「それにしても……今のは?
ロゼがアネスに質問したが……、彼女に説明する事は無理だ。
「只あの時、何の根拠もなく……やれる自信のみ湧き上がって……」
「理屈は……、まあ措いといてユキヒトから受ける、かな?」
「多分……な」
一時は如何なる事かと……心配したが。
邪龍ヴリグラーネ討伐、おめでとう皇女殿下と、その一行諸君!
「な……なんで貴様が!」
黒衣の者が、その姿を見せ、そして直ぐにその姿を消した。
「何であいつが出てくんのよ……、この一件に絡んでるの?」
邪龍は、アネスに発現した新しい力で、その身体に傷を負わせた。穿たれた傷は、利かない筈の火焔が、その身体内部から焼き払う突破口となり、断末魔の火焔を吐き次元の闇へと消えた。
新しい力の発現を喜ぶのも束の間、暫らく現れなかった黒衣の者が、姿を見せた事で真の喜びに、浸ることが出来なくなった。最初の時点から一度も、その不気味な黒い姿を見せては居ない、奴は一体この一件に如何関わっているのか?。
邪龍討伐で、宰相の要求は果たせた。ドヤ顔で宰相へと報告に参じる処を、先の読めない陰謀の存在に警戒せねば成らなくなり、その不気味な不安だけが残った。
「ズグロは、俺が背負うよ」
俺達を空洞の迷路から脱出させんが為、自らの本体で地中を突き破った。
外へと元の坑道の道を帰るが、その背中に四本の鋭い視線が突き刺さる。
「巨大な蛇の正体は邪龍で、それを倒して来た……と?」
「ええ、その通りよ、現地を調べたら?、魔物一匹もいやし無いから」
ロゼ達からの報告を受けて、宰相オーベルンは暫しロゼを凝視したが。
「ふむ、信用しよう私の依頼は完遂されたと」
「あら……、現場を確認しなくて良いのかしら?」
「構わんよ……
宰相は立ちながら、一瞬マリネに視線を移した……様に見えた。
ブシュ━━!
「え! 、マリネ……何をして……るの?」
マリネはいきなり細剣を抜き、宰相の心臓を剣で貫いていた。
皆が、凍り付いた、マリネがしたのか?……。
「構わんよ、はははは、何せ見ていたのだからな」
その声は、宰相の声ではなかった……。
心臓を貫かれた身体から、黒い影が抜け空中へ移動した。
「黒衣の……、憑依していたの……」
「ふふ、皇女殿下……、宰相を殺した従者を……如何する?」
そうだ、マリネが宰相を殺した…………。
「マリネ……どうして剣を抜いたの……よ?、何故宰相を……」
ロゼの声は、マリネが宰相を殺したのを目前で見たのだ。
その声も身体も、震えていた……。
「何故?って、黒衣の者がロゼ様に、剣を抜いて向けたからです!」
マリネは、しっかりとした声で返答した。
「マリネ……何言ってるの、貴女が刺したのは……宰相のオーベルン……よ」
「何を言ってるんですか! ほら……
一旦返事をするのに、ロゼに向けていた顔を正面に戻した。
「え?……うそ、どうして?……嫌━━━ぁ!」
マリネは刺した剣を抜き叫び声を上げ、その場にしゃがみこんだ。
執務室からの叫び声で、侍従長が部屋へ飛び込んできた。
「一体、何事……、そんな、宰相閣下あ!」
机の前には、血がべっとり付いた剣を持つマリネが居た。
「衛兵! 、宰相閣下を手に掛けた、この女をひっ捕らえよ!」
ドアの外から三人の衛兵が雪崩れ込んで、マリネを抱え出て行った。
俺達は今目の前で起きた事を理解出来ていない。
「ローゼス皇女殿下、これは言い逃れ出来ませんぞ」
「あ……待って頂戴、これは何かの間違い……」
「貴女方にも、後ほどじっくり話しを聞きます、失礼」
侍従長は、ロゼの言葉に全く耳を貸さなかった。悲鳴を聞きつけ室内へ入ると、血みどろの剣を携えた者と、胸を貫かれた宰相の姿を見ては、当然かも知れない。
マリネは、いや俺達は黒衣の者に、罠にはめられた……。
その後、待合室へと連行されドアには鍵が掛けられた。事情聴取には一人ずつ呼ばれ、その都度、鍵の開け閉めが行われた。最後にロゼが聴取に呼ばれたが、かなりの時間を粘った様で帰って来なかった。彼女が部屋へと戻って来たのは、出て行ってから五時間を経過していた。
「駄目……まったく聞き耳を持たない!」
ロゼも流石に疲れて椅子にグッタリと座った。
「黒衣の話はしたんだろ?」
「当然したわよ! 、あ……ごめん、でも存在を証明する証拠が無い……」
目撃したのは間違い無い、だが奴が宰相に憑依していた事、マリネに何かの魔法を掛けて罠にはめ、宰相を殺害した。これが真実、だが彼らにしたら敵対国皇女の従者が、主の主張を受容れない宰相に腹を立て殺害した。
これで十分なのだ……。
宰相との会談の内容も、彼一人、その胸のうちでの話しであり、賠償問題も全くのでっち上げで、誰一人としてそれを知らない。敵対国の皇女が、何かしらの問題を宰相と会談し、縺れた挙句に従者が刺し殺した。これで片を付ける心算だ。
マリネが心配だ……まさかと想うが拷問なんか……。
宰相の殺害容疑だ……、温い取調べの筈が……無い。
此処に来て、一度に不安が押し寄せてきた。
「ロゼ……、マリネはどうなるんだ?」
「判らない……、でも一国の宰相を殺害したとなると、普通は……死刑……」
死刑……、そんな馬鹿な、罠にはめられてマリネが殺される?。
そんなの駄目だ……、認めて良い訳が無い。
絶対にマリネを…………守って見せる。
「殺させやしない……、ふざけるなよクソッタレがぁ」
俺の中の何かが音を立て、千切れ飛んだ。
怒りと悲しみ、そして憎しみに囚われた俺の身体からは、此れまでの様な綺麗な発光ではなく、どす黒い暗黒の闇に渦巻く気を、放射し始めた。それは全てを闇へと引きずり込む怨念にも等しかった。
「いけない! 、ズグロお願い!」
「主殿……、御免」
サラトの頼みで、ズグロは俺に龍の気を叩き込み、意識を失った。
この憎しみに囚われていた時の事は、後で思い返しても出て来なかった。
「今の……恐ろしい気は……何なの?、震えが止らなかった」
「もし……この方が闇に囚われて、抜け出せなかったら……」
サラトは深い悲しみの眼をして、続けた。
「この世界に仇名す、漆黒の闇を纏う悪鬼と化します……」
「召喚した者が、逆に世界の……仇と成る?、そんなぁ」
「私とズグロは、もしそうなり掛けた場合、止める役目も兼ねています」
「過去に……実際に起きた事は有るの?」
サラトは眼を瞑って、小さく息を吐き出し答えた。
「一度だけ……、その者は黒い漆黒の姿で、今も彷徨っています……」
「ちょっと……サラト、まさかそれって……」
サラトは気を失っている、彼の頭を優しく撫でながらロゼを見た。
「それは……黒衣の者と呼ばれています」
最初に港町ペレストで対峙してから、謎であった正体が判明した。
それは、ロゼに重圧となって彼女に押し寄せた。過去に皇族の誰かが召喚した者が、闇に囚われ悪鬼と化した。その同じ事がユキヒトに起こり掛けて、寸での処で回避された。
「もし、もしもよ……、マリネが死刑にされてしまったら?」
膝枕でユキヒトを抱いているサラトが、撫でていた手を止めた。
「その時は、私にもズグロにも止める事は、出来ないかもしれません」
その後は、誰も言葉を出す事が出来なかった。
━━━ その時がもし来たら、私が命を捨て……この人を守る。
夜中に眼を覚ました、凄く優しく柔らかな物に抱かれている感触がある。
見たら、サラトが膝枕に乗せ、ズレ無い様にしっかりと抑えて眠っていた。
月明かりに照らされ、眠っているサラトの顔は女神の様に美しかった。
暫し、眺めていたらサラトも眼を覚ました。
「まだ、夜ですよ、朝まで眠って下さい」
「俺は……
彼女は俺の口の中に何かを優しく吹き込み、強烈な睡魔に襲われ眠った。
朝起きたら、昨晩からの記憶が途中から消えていた。
明朝、ロゼが外へ呼び出され、戻って来た時の顔を忘れ無い。
「皇女様、呼び出された訳は?」
ロゼは即答する事ができず、口を開くまでに時間を要した。
「マリネの……処刑が決った……」
「なにぃ、何時だ! 、ロゼ!」
「今日の夕刻……、日没と同時に執行されちゃう……」
ありがとうございました