華絵 3
ー華絵 3ー
抱き合ったまま、光が眠ってしまった。
なんだ、一体この状況は。
なんでこんなことになったちゃったんだろう。
男の人が横にいて、ファーストキスして、私は眠れそうにない。
月の光が、心地よく耳をくすぐる。
心の中のキャンドルに小さな灯がゆっくりゆっくり、とけていく。
最初の頃は超がつくほど苦手だったけど、いつからか一緒にいることが苦痛ではなくなった。
怒られるのが嫌なのではなく、怒らせてしまうのが嫌だった。
1週間に1日だけ会える時間を心の奥では、待っていたのだ。
光は?好きだから抱きしめたりするの?それとも、好きじゃなくても同じことするの?
男の人のこともわからないのに、光を理解しようなんて、不可能に近いと思った。
もう朝だ。
そろりと光の腕を外す。慣れない姿勢でフローリングで横になっていたから、体のあちこちが痛い。タオルケットを光にかぶせ、起き上がる。
高校時代に付き合った彼は、同じ組で美術部に所属していた。数学でわらかないことを聞いていた時、思いついたようにモデルになって、と言われた。
椅子に座って、窓の外を見ているだけだったけど、ずっと見つめられていることにドキドキした。
絵が完成した時に、付き合って、と言われたけど、モデルをしていた時のようなドキドキはもうなかった。
絵を完成させるという目的を果たした後、お互いに気持ちを留めておくことができなかった。
3か月くらいは、一緒に帰ったりしていたけど、彼は作品展に出す絵を描くことに忙しくなってそれもなくなった。
自然消滅、という言葉がぴったりの別れ方だった。
一緒に帰る時、手を繋いだことが何度かあっただけの、プラトニックラブ。
それ以来、男の人に触れたことも、触れらたこともない。
光がいつ起きるかわからないけど、顔を見るの、恥ずかしいな。どんな顔すればいいのかわからない。
みんな、こんな時は、どうしているのだろう。
いろいろ考えている内に、眠りに落ちてしまった。
ドアの閉まる音で、目が覚めた。
光がいない。帰ったんだ。
光に掛けたタオルケットを私に掛けてくれている。
優しくのに。すごく優しいのに、どうしてすぐ怒るんだろう。
やっぱり、私のことなんて、好きじゃないんだろうな。
今日は、木曜日。深夜バイトの日だけど、いつからか木曜日に光は来なくなった。
訳を聞いたけど、ちゃんとした答えがなかった。
私は光にとって、週に一度くらいがちょうどいいってこと?
他の日、光は何をして、誰と会っているのだろう。
午前3時。
光が、来た。いつものルーティン。10分で味噌チャーシューメンを食べ終え、腕を組んで目を閉じる。
店内で、携帯が鳴った。光のだ。
何か小声で話している。こんな時間に、何かあったのだろうか。
荒々しく、携帯をテーブルの上に置く。
良くないことでなければいいけど。
今日は、途切れることなく数組の団体が来店したとこもあり、ほとんど、休憩ができなかった。
バイトの山本さんが、悪いね、と恐縮している。全然いいですよ。じゃ、お先に失礼します、と店を出る。
店を出て、ひとつめの曲がり角。
光がビルのの壁にもたれかかりながら、私も待っている。
「行こ。」いつもと同じセリフ。
「ねえ、コンビニ寄っていい?」
「いいけど、珍しいな。」
「今日、何も食べてないから、パン、買って帰ろうと思って。」
コンビニで2人でパンを選んでいると、光、と声をかけられた。
入り口のところに、女の人が立っていた。ストレートのロングヘア、ミニスカートから形のいい脚がすらりと伸びている。
「どこ行ってたの?」
「どこでもいいだろ。」
「せっかく来たのに、冷たいんだから。」
「来いと言った覚えはない。」
「ひどいなぁ。久しぶりに光の顔見に来たのに。」
「やめてくれ。」
「彼女、できたの?朝から一緒とはね。」
「やめろ。」
カエル、と呼び、顎でレジを指す。
光が適当にパンを選び、レジを済ませる。
肩を組んできた。促されるように、女の人の横を通り、外に出る。
「誰?」
「誰でもいい。」
「冷たい。」
「別に。」
「彼女?」
「バカ。」
「スタイル良くて、綺麗な人。」
「それだけの奴。」
「光の彼女って、どんな人?」
「いるって言ったっけ?」
「モテそうだし、あんな綺麗な人と知り合いだし。」
「モテるよ。女が寄ってくる。」
「だよね。」
「声をかけたら、みんなついて来る。」
「うん。わかる。」
「でも、俺を避けてた奴もいる。」
「光を避ける女の人なんかいるの?」
「お前、よく言うよ。」
「私?」
「俺のこと、嫌ってただろう。」
「嫌ってなんかない。でも、恐いし、苦手な人だなぁって。」
「それ、嫌いって言わない?」
「嫌いじゃないから。」
「今は?」
「今?今は、大丈夫。」
「大丈夫って、何?」
「怒った?」
「怒ってないよ。」
「やっぱり、綺麗な人?」
「俺さ、彼女いたら、他の女とキスなんかしないよ。」
そうだ、光とキスした。ファーストキス。
恥ずかしくなって、うつむく。
ということは、光は今、彼女がいないってこと?
「カエルは、好きな男じゃなくてもキスできる?」
「できないよ。そんなこと。」
「俺も、一緒。」
「光?」
「好きでないと、キスなんかできない。」
「それって。」
「最初に見た時から、気になってた。」
「最初って、4月から?私のどこが?」
「目もくれないこと。」
「バイト中だし。」
「何回行っても、声もかけない。」
「お客さんに私から声なんかかけないよ。」
「2人でいても、避けてたこと。」
「だから、最初は。恐かったから。」
「俺さ、そういう経験あんまりないから、なんだこの女って、余計に気になりだした。」
「男の人と2人になることなんかなかったから、どう接していいのか、わからなかっただけなの。」
「お前といると、自分でいられる。」
「自分で?」
「飾らなくていいし、かっこつけなくてもいい。」
「いつも、無理してるの?」
「してる時もある。」
「光は、そのままでいいよ。」
部屋の近くの公園に入った。
空気が澄んで、朝の匂いが、残っていた。
初夏の風を浴びて、緑がうれしそうに輝いている。
「気持ちいいね。」
「疲れただろう?」
「全然。ほら見て、木の葉が朝日を浴びてキラキラしてる。」
「カエル。」
「光も、キラキラしてるよ。」
「カエル、付き合おう。」
「どうしたの?突然。」
「嫌か?」
「本気で言ってるの?」
「嘘でこんなこと言えるか。」
黙って、うなずく。
光が、抱きしめてきた。
「カエルもそのままで、いてくれ。」
「そのままって?」
「真っ白なまま。」
「わたし、本当に何も知らなくて。」
「何もって?」
「男の人と2人でいたこともほとんどなかったし、男の人に抱きしめられたの初めてだし。」
「じゃ、キスも?」
「ごめん。」
「謝るなよ。もっとちゃんとすればよなったな。」
抱きしめた腕を離し、向かい合って立つ。
光の顔が近づく。「好きだ。」ゆっくりと唇が重なる。
ファーストキスのような、セカンドキス。
ふわふわと、体の重力がなくなったよう。
うれしいかった。でも、本当に私なんかでいいの?
だけど、心の半分は、不安という色で塗りたくられていた。
光のこと、私、何も知らない。
私の部屋で、パンとコーヒーで朝食を済ませる。
光は、黙ったまま、何か考え事をしているようだ。
バイト先のラーメン屋にきた時も、時折この表情を見せている。
そして、おもむろに携帯を取り出して文字を打ち出す。
光の長い指は、催眠術のように、携帯の上を滑る。指が催眠術をかけているような気がした。
いつの間にか、テーブルに突っ伏して眠ってしまった。
目が覚めたら、クッションを枕に横になっていた。タオルケットが掛かっている。
光は、もういない。
私を寝かせてくれて、帰ったんだ。
やっちゃった。告白されたことなのに、寝ちゃうなんて、無神経過ぎる。徹夜明けだからなんて、言い訳にならない。いつも、光の前で私は寝ている。頭を抱える。
怒ってるだろうな。
謝ろうと、携帯をバックから取り出しす。
光からメールが入っていた。
恐る恐る開くと、午後8時、の時間と住所が書いてあった。
来いってこと?全く知らない住所だ。
どっちみち謝らなければいけない。場所がどこでも同じことだ。
携帯のナビに住所を入れる。ここから電車で5つ目の駅。繁華街から少し離れた場所にあるビルのようだった。
午後8時少し前、住所にあったビルの前に着いた。
1階は楽器店。2階はカットハウス。3階から上の階はオフィスのようだ。
光はどこにいるのだろう。
1階の楽器店の中をガラス越しに覗いてみると、光がいた。
ディスプレイを直している。1本のギターを持って、私の前のショーウィンドウスペースに来た。
光のもう一つのバイトはここだったんだ。
私に気づき、ニッコリと笑う。そして、こっちに来いと、手招きをする。
怒っているようには見えなかった。
光の笑顔は、今までで一番、優さに溢れていた。
店内に入ると、もうすぐ終わるから、待ってて、と光。
怒ってない?と小声で聞くと、なんで怒るんだよ、と怒られた。
店内には、ギターやドラム、ピアノ、トランペットなどの楽器が、たくさん置かれていた。どれもピカピカに輝いている。
楽器って、こんなに個性的で、きれいなフォルムをしているんだ、と改めて感じた。
楽器はピアノがほんの少し弾けるくらい。ギターでも弾けたら、楽しいだろうな。
そういえば、光が聞かせてくれたバンド、ロックを聴かない私だけど、結構好きだな。これから、ちょっとは、ピアノじゃない音楽も聴いてみたくなった。
お疲れ、声がした。光のバイトが終わったようだ。
「ごめん、待たせたな。」
ごめん、って言った。光が、ごめんって。
「どうした?」
「光が、ごめんって。初めて聞いた。」
「そうかな。」
「さっき、笑いかけてくれたし。」
「俺、そんなに態度悪くないと思うけど。」
「本当にそう思ってるの?」
「お前は、特別。」
「変な特別。」
「飯は?」
「夕方に、朝の残ったパン食べたけど。」
「8時に待ち合わせして、なんで先に食うんだよ。」
「だって、どこに行くかも、何しに行くかもわかんなかったんだもん。」
「8時っていったら、普通、飯食う時間だろ。」
「ごめん。バイトだって知らなかったし。」
「じゃ、なんか買って行こう。」
「どこに?」
光が私の手を取って、歩き出した。